28.人生なにがあるかわからないもので
悪態をつきながら連行されていくなんとか子爵を見送りつつ、ひりひりと痛む手のひらを揉む。
人に思いっきりビンタするなんてはじめてで、叩く側もそれなりに痛いというのは発見であった。
やっぱり、「悔い改めよ」はなんか厨二病臭かったかな……と思う。でも魔王さまからの指示は「君が思う″幸福の君″を演じてくれ」だったし、むしろちょっと薄味だったかもしれない。
それにしても、ぎりぎりまで耳とか指の一本くらい削いでおかなくていいのか?と魔王さまに確認されまくったけど、さすがにそんな度胸はなかったので丁重にお断りしてビンタ一発にしたのだから、あの男は私に感謝すべきだろう。
「(せめて監獄島とやらで真面目に生きろよ!)」
などと監獄島がどんな場所かも知らずそんな事を考えて、やってやったぞとむふむふ得意げになっていると、周囲がなにやら騒ついている事に気が付いた。
何事かと耳を傾けてみれば、「あれだけでお許しになるとは……」「どこも欠損させず……?」「血の一滴も出ていなかったではないか」「罪に対し軽すぎないか」「清廉でお優しい方なんだろう」「なんて慈悲深い方だ、さすがは幸福の君」という物騒な呟きと言い過ぎな私への賛辞でいっぱいだった。
……やっぱり魔族ちょっと血の気が多すぎやしないか。
私を取り囲む人々に曖昧な笑みを返していると不意に人の壁が割れた。
「幸福の君の手を煩わせてしまって申し訳ない。清廉な貴女には辛い事だったでしょう、どうぞこちらへ」
割れてできた道からやってきたのは魔王さまで、その何もしなくても整ってる顔を憂いで彩りながら流れるように私の手を取った。なんだかきらきらしいオーラを纏った魔王さまにどきどきしてしまう。
そして玉座の前まで連れて来られるとくるりと反転させられた。
広い部屋中の視線が向けられてとても居心地が悪い。
魔王さまの手が私の手から滑り降り、腰を抱く。周囲は騒めくし私もこんなところで何をと混乱した。
「皆にもう一つ聞いてもらいたい事がある。この度、幸福の君、リリシア嬢と私が婚約する事と相成った」
周囲と私の困惑をよそに魔王さまはただ前を向いてそう宣言する。その言葉に一瞬の静寂が訪れ、その後爆発的な歓声が上がった。
何故このタイミングで、言う前に一言相談しておいて、という気持ちを込めて魔王さまを仰ぎ見るが、悪戯が成功した子供のような顔をされてしまいその顔にすらグッときてしまった私はもう何も言えなくなったのだった。
そうして、歓声の中悪者退治兼私のお披露目会は幕を閉じた。
「はーーーーーー、つかれた……」
自室に戻ってたっぷりの布と金糸とレースを使ったローブとドレスを脱ぎ捨てコルセットも投げ捨て身軽さを手に入れた私は、ふかふかのソファに沈む。ああ、これもうこのまま動けないかもしれない。
「あら!じきに王妃様となられる方がはしたない!」
「いいの……まだ王妃さまじゃないから」
ソファで溶けてる私を笑い混じりでセリが非難する。
「ソファで寝ちゃったら私たちが担いでお風呂に入れて隅々まで洗っちゃいますよ」
手をわきわきさせながら言うセリに悪寒がしたが、ふかふかの誘惑には勝てそうにない。でも他人に体を洗われるのは遠慮したい。うーうー唸っているとドレスを片付け終わったらしいセリがやってきた。
「今日は色々ありましたしねえ。デートに行かれたと思ったら谷に突き落とされて最後は幸福の君お披露目パーティー!いやあ、イベント起こりまくりですね!お疲れ様です!」
「そう列挙されると今日がいかにハードモードだったかわかるわね……」
ぐったりとした私からセリがアクセサリー類をもいでいく。
「とりあえずゆっくりお風呂に入ってきてください、薬部に頼んで疲労回復の入浴剤を作ってもらって入れてありますからね」
「疲れた体に優しさがしみる……」
「あは、どんどんしみてしみしみになってください!」
夜更けにもかかわらず元気で明るいセリを眩しく感じながらよろめく体に鞭を打ってお風呂に向かった。
シーツの海の中、寝返りをひとつ打つ。
ベッドに入ってから何回目かの寝返りにため息をついた。
今日のイベントの多さに頭がついて来なかったようで興奮して眠れないのだ。お風呂に入る前であれば疲労に任せて泥になれたのだろうけど、入浴剤が大変良く効いて体の疲れが嘘のようになくなったのでもうその手が使えない。あの入浴剤、前世で欲しかった。
寝返りに飽きた私は諦めてベッドを抜け出して分厚いカーディガンを羽織り部屋を出た。
だだっ広い魔王城を散歩して疲れて寝よう作戦である。
幾分か灯りが落とされているが歩くには困らない程度に明るい廊下をゆっくりと歩く。
歩きながらこれまでの事を考えた。
思えば色々な事があった。
不吉の象徴を持って生まれたばっかりにろくな幼少時代を過ごせず、家族にも散々迷惑をかけた。16の誕生日の朝に前世を思い出せど何もなく、何もないと思っていたらバルトロジカに攫われて。攫われたと思ったら幸福の君とか言われて、殺されかけて。
はじめて、ひとを好きになって。
「前世の私が聞いたらさぞ驚くだろうなあ」
窓からふわふわと降り続ける雪を眺める。
「リリシア?」
突如降ってきた言葉に振り向くと、魔王さまが立っていた。
「こんな時間にどうした?」
「なんだか眠れなくて散歩を……魔王さまは?」
「私も…………まあ、同じようなものだ。」
随分沈黙が長かったのが気になる。
「だとしても、そんな格好でうろつくのは止めるんだ。部屋まで送ろう」
「私の寝間着姿など誰も喜ばないので大丈夫ですよ」
「そんな事ないから言ってるんだろう。少なくとも私は喜ぶ」
自信たっぷりに言うことではないと思った。私が白い目をしているとなにやら不満げだったが、それ以上何も言わずに私の手を取った。
こうやって事あるごとに手を取られるのも最初は嫌悪感を抱いていたなあと思う。魔王さまと一緒にいる度、魔王さまの事を知る度に、嫌悪は困惑になりいつの間にかどきどきしたり安心したりするものになっていった。
「じゃあ、おやすみリリシア」
あっという間に部屋に戻ってきてしまった。何となく手を離し難くてそのままにしておくと、いつもは逃げるようにすぐ離してしまうのにと魔王さまは困惑しているようで目を丸くしていた。
「どうかしたか?」
「……なんとなく、離したくなくて」
小さく小さく呟いた声を器用にすくい取った魔王さまはぱちぱちと瞬きをして私の言葉を咀嚼すると、「そうか」とふにゃりとなんとも幸せそうに笑う。
その笑顔に顔が体が瞬間湯沸かし器のように熱くなり、思わず手を勢いよく離してしまうのに。
「きっ気のせい!でした!おやすみなさい!」
「もういいのか?……まあいい、おやすみリリシア、愛してるよ」
逃げる私にとろとろのはちみつ爆弾を投げつけ魔王さまはあっさりと踵を返した。
それなりに距離が空いてから小さく呟く。
「おやすみなさいジークハルト、さん。……すき」
瞬間、魔王さまが勢いよく振り返った。珍しく耳まで真っ赤にしてぱくぱくしている。
そして、これだけ離れていれば聞こえないだろうと思っていた私もまた耳まで真っ赤にしたのであった。