幕間 埋まりゆく外堀
車輪が石畳を踏む音がする。
バルトロジカ王国の関所を呆気なく越えてしばらく経つ。やっと魔王が言ったことは嘘偽りなかったとオルダシス・カテリンは息を吐くことができた。
カーテンの隙間から外を見ると、これまで何百年と人間が渡る事がなかったルサリカ川の流れが見える。まさか、自分がここを渡ることになるとは思わなかった。そして、自分の妹が向こう側の国に攫われるとも。
「それにしても、さて、あんな優良物件が出てくるとはね……」
辛い思いをした分幸せになって欲しくて、密かに外堀を埋めていたフィロジーア王国第一王子との結婚話をしたら、まさか魔王が対抗馬として出てくるとは。全く人生とはわからないものである。
バルトロジカ王国の経済状況は詳しくわからないが、城内やちらりと見えた城下町を見るにそう貧しくはなさそうだ。金も権力もあり、悔しいが顔も、多分性格もそう悪くなさそうで、さらにあれはリリシアに相当惚れていると見える。
魔王が手を挙げた時に周りの者が何も言わなかったことから、種族や身分はうるさく言われない国柄だとも思われるし、間違いなく、リリシアにとって優良物件だ。
そして、怖がりのはずの妹が魔族の国も魔王も怖がっている様子がなかったのも大事なポイントで。
「これまで相当大事にしてもらったんだろうな、あの人見知りでいつも俯いていたリリシアが」
フィロジーアにいた時より、よっぽど表情豊かだった妹の顔を思い出す。
「これは……、決定かなあ」
誰も聞いていない呟きが、がたりと石畳に揺れる車輪の音と共に消えた。
フィロジーア王国カテリン邸。
「……と、言うわけで。私はリリシアはあのまま魔王の下に嫁入りしてもいいんじゃないかと思う」
しん、と静まり返った部屋の中、オルダシス・カテリンはそう話を締めくくった。
よく磨き上げられたアンティークの長机はひとつ空白を残し全て埋まっている。空白の主は今は遠い魔族の国だ。
皆一様に口を閉ざす中、一人が手を挙げた。オルダシスの三人の妹の一人、カテリン家長女のフランシアである。
「ひとつ、お聞きしたいことがあります。その魔王様は、イケてる殿方ですか」
藤色の大きな瞳を真剣そのものに染めて、オルダシスを見る。
彼女は日頃お手本のような貴族の子女らしく振舞っているが、その実結構俗に染まっているタイプであった。
「うーーん、どうだろう。整った顔はしていたような気がするけど」
「姿絵などは」
「流石にないかな」
フランシアは「役立たずの兄様」と小さく呟き長いため息を吐く。オルダシスとしてはそこを突っ込まれるとは思っていなかったので少々困惑した。
次に口を開いたのは母ヴィオリアであった。ヴィオリアは何故か涙ぐんでいる夫に声をかける。
「ねえあなた。オルダシスも無事に行って帰れましたし、やっぱりみんなで見に行きましょうよ」
「すまんヴィオリアさん、ちょっと待ってほしい。わ、私の可愛いリリシアが、そんな遠い国に嫁に行くなんて、考えると、ううっ」
「あら父さま!リリ姉さまの年頃なら婚約者のひとりくらいいるのが普通ですよ!」
「だが!リリシアにはそういう話は一件もなかったし、ずっと家に居てくれるものと……!」
カテリン家当主ヘレボスは愛妻家の子煩悩として大変有名であった。
想像で涙するヘレボスをつつく妻ヴィオリアは、リリシアが攫われてからずっと塞ぎ込んでいたが、オルダシスからリリシアの無事を聞くと嘘のように元気を取り戻し、今では未来の息子に興味津々だ。
その娘の末っ子エルーシャもまた、未来の兄に興味津々の様子で、あれこれ想像してはきゃあきゃあ言っている。
「まあ、そうなるとリリシアの話も聞く必要があるし、一度は行かねばな……本格的な冬になる前がいいだろう、すぐ支度をしよう」
様々な手配のため席を立とうとしたヘレボスを呼び止める声が聞こえる。
声の主は壁際で控えていた元リリシア付きの侍女、セーラであった。セーラは強張った表情でヘレボスのもとへ駆け寄り、跪く。
「どうした」
「旦那様、魔族の国への訪問、私もお供させて頂けませんか」
手が力の入れすぎで白くなるほどに組み、必死の形相で懇願する様にヘレボスは少々面食らったが、すぐに承諾した。
セーラがどれほどリリシアを想い探し回ったか知っているからである。
こうして、カテリン家のバルトロジカ訪問が決まったのだった。
「という訳で、リリシア王妃作戦は中止になったよ」
「待て、なんだその作戦」
フィロジーア王国王宮、王子ジェレジスの私室で紅茶を啜りながら明日の天気を話す程度の軽さでオルダシスは言う。
自分の知らぬところでそんな計画が立てられていたことに突っ込まずにはいられなかった。
「いやぁ、君もいい奴ではあるんだけどね、やっぱりこの国では家柄がどうとか側室がどうとかあるだろう?そう思うとね」
「いつのまにそんな計画を立てていたのかと聞いている!というかお前の事だからすでにいくつかの外堀を埋めてるんだろう!」
「で、今度家族総出でちょっとバルトロジカを視察してやろうと思ってるんだ。関所の通行許可をくれないか」
全く人の話を聞かない友人に頭の痛みを感じる。せっかくあの恐ろしき魔族の国に行って無事に帰ってこれたと思ったのに、また行こうとは。しかもカテリン家総出だと。頭がおかしいのではないか、もしや魔族によって術をかけられたのではないかとジェレジスは疑いの眼差しを向ける。
「カテリン家はよく今まで貴族の地位を保てているな、感心する」
「はは、ありがとう」
「褒めてない!全くお前は……どうせ言っても聞かないのだろう、もう永久許可をやるから好きにしろ!ただし魔族に取り殺されても知らないからな!」
父王は渋い顔をするだろうが、大した力もないカテリン家にやった所で何かあっても問題ないだろうから大丈夫だろう。
まさか自分の友人が数百年行き来のなかった魔族の国と行き来するようになるとは、人生はわからないものである。
幼い頃の初恋の相手が彼の国に嫁入りするフラグはいっそ折りたかったが、仮に自分のところに来させてもいい結末が来そうにないので我慢だ。しかたない、初恋とは実らないものなのだから。
ジェレジスはその翡翠の瞳を窓枠の檻越しに空へと向けた。
「で、バルトロジカはどのような国なんだ」
空へ向けた視線を戻した時、私情はもう瞳から消え去っていた。あるのは隣国への興味。
「俺もあまり見れてないんだが、土の割に非常に豊かそうだった。技術力が高いのだろうな」
「やはり魔力を使ってのものか」
「どうだろうな、魔力に頼っていない部分も多そうだったが……そこはよく見てみないと」
フィロジーア王国はその土地の豊かさに頼りきっているところがあるので、農業はともかく工業系はまだ発展途上といったところだ。もしフィロジーア出身の人間の娘が魔王に嫁入りともなれば両国に結びつきができ、技術協力が得られるかもしれない。国の大きな発展に繋がるだろう。
「そうか……魔族は未知の存在だが、彼らの持つ技術は気になるな。見てみたい」
「おや、君も行くかい?」
「馬鹿を言え。第一王子が未知の国にそんなホイホイ行けるか。お前が代わりに見てこい、王立研究所の研究員だろう」
「専門は薬草学なんだけど」
「知ったことか」
自身が行けるのならそれが一番いいのだろうが、身分が邪魔をする。
軽口混じりの命令を友人に放り投げて、ジェレジスはどう父王を説き伏せ隣国との国交を再開させるか考えを巡らせはじめた。