9.爆発
皆さまごきげんよう。
体調など崩してはおられませんか?私はこの部屋の空気の温度差に風邪をひきそうです。
簡単に言うと、私はただいま命の危機に陥っております。
ちまちま貶してくるけど言うほど悪い人ではなさそうなエマ嬢を庇おうとして出した話がまさか首を絞める縄になろうとは……。
凍った空気の中、魔王さまの有無を言わせぬような鋭い目に負けて口を開いた。
「え、エマさんが、魔王さまは幸福の君にご執心だ、と」
それを聞いた魔王さまは甘さのかけらもない冷たい目のまま、エマ嬢を見遣る。
「どこまで」
「え?」
「どこまで言った」
魔王さまが私の手首を掴む手が痛い。
しかしそんな事を訴えられる状況でもなく、ひええこの冷え冷えが氷の王と呼ばれる所以か!と固まるしかなかった。
「わ、わたくしは、その……陛下は、奪還戦からお戻りになってからずっと幸福の君にご執心ですわねと、それだけ……」
「……そうか、わかった」
「あの!陛下……っ!」
「もう良い。下がれ」
「……はい」
そうして魔王さまはエマ嬢を部屋から追い出すと、顔を伏せ長いため息を吐いた。
「……あの、聞いてはならないことだったんですか?」
空気はまだピンと凍っていて怖かったが、黙っていても仕方ないし結局は私の事のようなので意を決して聞いてみた。
どうせ殺されるなら私は全て知ってからがいい。
しかし、魔王さまは首を横に振り、私を真綿で包むように優しそうな笑みを浮かべるだけで。
「……リリシアは知らなくてもいい話だよ」
「どうして……?私のこと、ですよね?」
「リリシアはただこの国で笑ってくれていたらそれでいいんだ」
そのなんとも下手くそなはぐらかし方に、私のお腹の底はむかむかと燃え出した。
なんだそれ…?なんだそれ!なんだそれ!!
リリシア・カテリンとして16年も生きてきた故郷をめちゃくちゃにされて、見せしめとして攫われて、そうかと思えば殺さない結婚してくれとか言われて、あんな目で毎日見てきて、何も知らないまま笑っていろなどと。私を、なんだと思っているのか。
「……ふざけるのも大概にしてください。」
「リリシア?」
ああもう腹が立つ!そのさも私のことを考えて言ってるんだみたいな顔が余計にむかつく!顔が良いのもさらにむかつく!顔が良ければ何してもいいのか!!
「私だって物を考えて生きる人間です。自分の状況ひとつ知らずにへらへら笑えるはずないでしょう?何も知らない駒鳥を可愛い可愛いと愛でたいだけならどうぞ他をあたっていただきたい!」
「リリシア!私は……っ」
「小娘に言うことを聞かせるくらい簡単だと思っていたのならお生憎様。私はそういうタイプではないので、気に入らないのならどうぞ首を刎ねるなりなんなりご自由に!」
そう言い放って、すっきりしたと同時に少しばかり後悔した。あの恐ろしい魔族を束ねる魔王さまに向かってこんなことを言うだなんて、どこからどう見ても死亡フラグというやつだからだ。
今日は矢継ぎ早に死亡フラグが立つけどどうしたんだろう、厄日かな?でももうそれもお終いだろう。
だって今度こそ本当に死んじゃうから。
ああ!お父様お母様先立つ不孝をお許しください。私はあと数秒で腹を立てた魔王さまにグチャッとされて死んじゃいます!
……死を確信して目を閉じその時を待っていたのだけれど、どういうわけかその時はいつまでたってもやってこない。
もしや、感知する前に死んじゃったのかも?と思って三途の川チェックのために恐る恐る目を開けると、そこにはとんでもないものが映っていた。
「ま、魔王さま?」
そこには、なんでか知らないけど口に手を当て頬を染めた魔王さまが突っ立っていたのだ。
「はぁ……怒るリリシアのなんと可愛らしいことか……!」
完全に、想定外である。
怒りと死の恐怖をうっかり忘れてぽかんとしていると、魔王さまは咳払いをひとつして、申し訳なさげに目を伏せた。
「すまない。リリシアの言う通りだ」
「えっと、わかっていただけてよかったです……?」
「しかしこれは君には少々きつい話の恐れがあるし、国の機密に関わる問題でもあってな。少し時間をもらえないだろうか」
「ちゃんと、包み隠さず話していただけるのなら……」
なんだか上手く逃げられた気もするが、包み隠さず話すことを頷かせたので、とりあえずはまあいいとしよう。
死の危機も脱したみたいだしね。
……はーーーーーー!よかったお父様お母様リリシアはもう少しだけ生き延びられそうです!!!
と、命の保障ができたところでもうひとつ気になっていたことを聞いてみた。
「あ、あの、エマさんになにか処分とか……」
「ん?ああそうだな……可愛いリリシアの可愛い頬を叩くなどあってはならないこと。厳罰を」
「いやいやいや!やめてください!処分とかしませんよね?って話です!」
「なんと、リリシアは慈悲深いのだな……!」
……なんだか、魔王さまが心配になってきた。
いっそこれは私を躱すための演技であってほしい。これが素ならやばいでしょう。
「まあ、リリシアが何の処分も求めないのであればそれに従おう」
その言葉にほっと息を吐く。
あんな美人に何かあればそれはきっと国の、いや、世界の損失だろうからなんとかそのルートを回避できたようで本当によかった。
ほっとした拍子に、頬だとか足首だとか色々なところの痛みが顔を出す。
一歩踏み出そうとしたら足に走った痛みに顔を顰めると、魔王さまが今度は心から心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「どうした?」
「いえ、さっきちょっと捻ってしまったみたいで」
そう言うが早いか私の体は宙に浮いていた。
「気付かなくてすまない、すぐ診てもらおう」
私を軽く抱え上げた魔王さまは私よりもよっぽど痛そうに顔を顰め足早に長い廊下を行く、が、私はこの時正直足とかどうでもよくなっていた。
なぜなら、私は今いわゆる「お姫様抱っこ」をされているのだ!異性とのときめきイベントが起きないまま26+16年を過ごしてしまった私にはあまりに刺激が強い。強すぎる。
そして、はじめてのお姫様抱っこは思いのほか怖かった。
「ひえぇ、あの、大丈夫です、おろして……!」
「何を言う。もし折れでもしていたらどうするのだ諦めて捕まっていなさい」
魔王さまが私を落とすほど軟弱だとは思わないが、なにしろお姫様抱っこされ慣れてないので体重のかけ方が分からず安定性が悪い。
だから首にしがみつくことになるけどそれはそれでいい匂いだとか異性と密着するという事実だとかで心臓に悪い。
もう自分で這って行きたかったが結局魔王さまが私を離したのは医務室で治癒魔法をかけてもらった後しばらく経ってからだった。
その夜、色々あって本を返しに行けなかったことに気付いた私は、明日にするか悩んで結局部屋を出た。
「まだそんなに遅くないし、大丈夫よね」
もう夕食も済んでいる時間なのでお城の中は昼間に比べてずっと使用人の数が少なかった。
灯こそ落とされていないので明るいが、人がいないとなんだか寒々しく感じて、少し怖い。
早く行って帰ってこようと小走りで廊下を進むと、ある部屋の扉が少し開いていた。
どうやら中にいるのはヘイゼルさんとゴルドフさんらしい。2人はこの国の文武の各トップらしいのでよく話している姿を見るし、今日もそういうことなのだろう。
そのまま通り過ぎようとしたが、漏れ聞こえた話に思わず足が止まってしまった。
「陛下は、まだ聞き出せないんでしょうか」
「うむ……どうやら苦戦されているようだな……というかあれは」
「ま、手段はどうあれ早く新たな技術を聞き出して頂かないと陛下の立場も危なくなりますからね」
これは、なんの話?
「まあ……何もなくては無事転生者を連れてきた意味がないからな」
転生者。
これは、私の話ではないか。
つまり、魔王さまは、私から新たな技術……前世の世界のことを聞き出そうとしているということか。
そして、私は気付いた。魔王さまがしきりに私に「この国で何か困っていること、こうして欲しいと思うこと、欲しいものはないか」と聞いてきていたことに。
あれは、そういうことだったのか。
そう気付いてしまった私の手からは持っていた本が滑り落ち、存外大きな音を立てて廊下の絨毯に沈んだ。
その音に弾かれるように駆け出した私の背にヘイゼルさんとゴルドフさんが何事か言っていたけど、何を言われたのか覚えていない。
そうか、だから私は殺されなかったのか
どこをどう走ったのかも覚えていないが、私はいつの間にか外にいて、魔王城の敷地なのかもわからない暗い森の中座り込んでいた。
「だから、魔王さま、私にあんな言葉をかけ続けていたのね。そうね、惚れさせてしまえば聞き出すのも、使うのも、簡単だものね」
ちゃんと、思惑があったのだ。
一目惚れなんてのはやっぱりこの現実には存在しなくて、顔のいい人はやっぱりみんなクズなのだ。
ああよかった沼に落ちる前に気付いて。
ほんの一瞬夢を見かけたけど、喪女はどうしたって喪女なのだから、夢など見ずに喪女らしく生きねば。
目を閉じる前に、あのとろりと溶けたきんいろを思い出したが、
ああ、私よ、
「それは、目の錯覚」