8.泥棒猫
「このっ!泥棒猫っ!!」
本当にいるんだ泥棒猫って言ってビンタしてくる人!!!
まさか人生でこのセリフを言われる日が来るとは思わなかった。正直感動すらした。
なぜ私が泥棒猫呼ばわりされたのかは、1時間ほど前まで遡る。
泥棒猫事件から1時間前。
私は自室とされている部屋で本を読んでいた。
パタンと本を閉じ、息を吐く。
図書室の司書さんから借りた本もこれで両手の指で足らなくなってしまった。
司書さんが貸してくれる本はどれもこれも私の好みピッタリでいっそ恐ろしくもある。
読み終わったことだし返しに行こう、さて今度はどんな本を貸してくれるのかなとうきうきしながら扉を開けると、それと同時にセリ含め侍女が慌てた様子で数人ばたばたと部屋に入ってきて、私は部屋の中へ押し戻されてしまった。
珍しく切羽詰まった様子のセリにぐいぐいと全身鏡の前まで押されてきたところで、やっと口を開くことができた。
「どうしたの?何かあったの?」
「話は後です!とりあえず脱いでください!」
「はあ?」
抱いていた本は回収され、意味もわからないまま数人がかりでドレスを剥かれていく。
「(もしや裸に剥かれてお鍋にぽいっとされて煮られて殺されてしまうのでは…?)」
などと謎の考えが過ぎるも、奥のウォークインクローゼットの方が賑やかなのでたぶんそれはないだろう。ないと思いたい。
「はいリリシア様!息を吸ってーーー、止めて!!」
その言葉と同時にコルセットをいつもより3割り増しくらいきつく締め上げられて、息をするのも困難になってしまった。
「あの、セリ?どう、して、」
「うーん、瞳の色に合わせて藤色とか、あー、白もいいですね、鮮やかな赤とかも…あ、その紺のもいい!」
「あの…?」
「いやでも今日は勝負ですからね!陛下の瞳に合わせた…あ、それ!その淡い黄色のにしましょう!」
「勝負って、なんの」
呼吸が困難なあまりか細く途切れ途切れの私の声が聞こえてないのかなんなのか、セリは他の侍女たちと大声でドレスがどうとか靴はそれとか髪飾りはあれがいいとか言い合っていて、何も教えてくれなかった。
そうしてあれよあれよという間に上から下までぴかぴかにされて(私の内心はぐったりだったけど)、そこでようやくセリは何事か教えてくれた。
「これからハウフヴェルン公爵家のエマ嬢がいらっしゃるんです!噂のリリシア様とお会いしたいって!ずっとそういう申し入れがあってこれまでは魔王さまが断っていたんですけど、ついに断り切れず」
「え?私噂になってるの?っていうか、それだけ?」
ただどこぞのお嬢さんと会うだけでこんな過剰な程にぴかぴかにされたのかと首を傾げると、セリは必死の形相で
「それだけ?じゃないですよう!やばいんですって!だって、
エマ様は魔王陛下過激派ですから!!!」
などとよくわからないことを言い放った。
まおうへいかかげきは。
よくわからない。よくわからないけどなんだかヤバイ気配がする言葉だ……。
そして、どういうことかいまいちわからないまま、セリの「幸運を祈ります。大丈夫、私はリリシア様派ですからね!」という謎の言葉と共に私は応接室に押し込まれたのだった。
応接室では、女性が一人窓際で外を眺めていた。彼女は私が入ってきた事を悟ると優雅にこちらを振り返りーーー
「あなたがリリシア様ですのね。……まあまあ、小柄で貧相でなんて愛らしい方かしら」
柔らかな声で開幕攻撃を仕掛けてきたのだった。
それにしても彼女、ものすごい美人である。私の無秩序な髪とは違い綺麗に緩やかな波を打つ艶やかな金髪に、青空をそのままはめたような瞳は長い睫毛に縁取られ、白い肌はきらきらきらめいて、あとスタイルもめちゃくちゃによかった。
薄い空色のドレスもものすごく似合っていて、なんというか、非の打ち所がなさすぎて現実感がなかった。
そう、まるで、
「女神だ……」
「えっ!?」
思わず漏れ出たひとり言に、女神が動揺していた。動揺する様も女神だ……すごい……などと感動していると、余裕を取り戻した彼女は持っていた扇子でぴっと私を指した。
「あ、あなたが最近陛下の寵を得ているという方ですわね?わたくし、あなたに一言言いたくて今日は参りましたの」
女神のごとき美人にどう口をきいていいかわからなくてぼんやり突っ立っていると、彼女は美しいドレスさばきで優雅にかつすごい速さで距離を詰めてきた。
「わたくし、わたくし、ずっと陛下をお慕いしてきましたの、本当に、ずっとですのよ」
「へ、へあ…」
「幸いハウフヴェルン家は大きな家ですから、もしかしたらって、ずっと夢見てまいりましたの」
「はひ、」
「それなのに!それなのに、前回のフィロジーア国への奪還戦からというもの、攫ってきた幸福の君に陛下はご執心という話じゃない!」
「へ?奪還…?幸福の君…?」
なんかよくわからない単語出てきたぞ!?ちょっとそれ詳しく!と思って私は人語を取り戻したが、彼女はもうそれどころではない様子で、目に涙を溜めてふるふると震えていた。
「いくらわたくしでも、幸福の君には勝てませんわ……勝てませんけど!でも100年の想いをめちゃくちゃにされた恨みを一雫でも味わっていただきたいわ!」
そして、きっとこちらを睨みつけ、震える手で手袋を取り大きく振りかぶった。
「このっ!泥棒猫っ!!」
そうして、冒頭に戻る。
ばちん
綺麗に入ったのでずいぶんいい音がした。衝撃に高めのヒールを履いた足が耐えきれずべちゃっと無様に倒れてしまったが、痛みはまぁ叩かれたなくらいだった。多分叩き慣れてないか手加減してくれたのだろう。
別に私は叩かれてあげる義理はなくない?とむかむかしてくるも、フィクションの中でしか聞いたことない泥棒猫発言と彼女のびっくりする顔の良さ、そして倒れた私にあわあわと手を差し伸べる様に免じて許してあげることにする。
「ご、ごめんなさい!そんなに強く叩いたつもりでは、あの、お怪我はありませんか?」
そう、倒れたのが想定外だったのか叩かれた私より叩いた彼女の方がおろおろ泣きそうになって…いや、泣いているのだった。
「だ、だいじょうぶです…」
「本当にごめんなさい、わたくし、頭に血が上ってしまって…、あなたの鈍臭さと貧相さを見るに全て陛下のご意向だってわかりきっていたのに……」
さりげなくまた貶された気がするので、許すのをやめようか審議を始める。
彼女は私を助け起すついでに下から上まで今一度じろじろ遠慮のえの字もない程観察すると、悔しげに落胆のため息を吐いた。
「まさか、まさか陛下が幼趣味だったなんて…っ!もう完敗ですわ…」
色々つっこみたいけどつっこんだら負けな気がして、私はとりあえず乾いた笑いを返しておくことにした。
現実はとりあえず無視して美人と手を繋げてラッキーとだけ思っておこう。それが精神に一番優しいと思うから。
「失礼、ハウフヴェルン家のご令嬢が何の用事で、お越し、か……」
このなんとも言えない生暖かい空気を割いて部屋に入って来たのは魔王さまだった。しかし、魔王さま、なんだけど第一声の声がいつもと違ってものすごく冷たかった。
普段とのギャップになんだかそわそわしていると、エマ嬢がスッと私の前に出た。
「ご機嫌麗しゅう魔王陛下。お時間を割いて頂いてありがとうございます、リリシア様にはもうご挨拶させて頂いて……陛下?」
「かわいい」
「あの、魔王さま…?」
「かわいい」
魔王さまはエマ嬢の美しい所作や声など全く目にも耳にも入っていないようで、
さっきまでの冷たさは何処へやら、人を射殺すような光る瞳もあっという間にでろでろに溶けて私を見つめていた。
「そのドレスを選んだのは?セリか?後で褒美を取らせねば……流石に私の瞳の色を着せるのは少々やり過ぎかと思って控えていたがこれはあまりに良いな淡い黄色と豊かなレースがまるでリリシアを花のように見せているああここまで可憐な花は見たことがないので良い例えではなかったな悔しいが今の君を表す言葉を知らない……とてもよく似合っているよ後で写真屋を呼ぼうか」
「ひえぇ…」
見つめるだけでは飽き足らず、要所要所で「かわいい」と呟くいつもの3倍くらい饒舌な魔王さまに悪寒を感じ、助けを求めたくて視線を彷徨わせると真っ青な顔をしてわなわな震えているエマ嬢が見えた。
ぶつぶつと、「うそ…」「へいかが」「あのような」「誰…?」などと呟いている。相当衝撃が強かったようだ。
「おや?頬はどうしたんだ?赤くなっているようだが……」
魔王さまの言葉に元々(別の理由で)青ざめていた顔をかわいそうなくらい真っ白にしたエマ嬢を目にして、私は咄嗟に口を出していた
「さっき転んでしまったんです!ヒールがいつもより高かったので慣れなくて……あの、でもエマさんが助け起こしてくださったんですよ!ね!」
「そうなのか?それは礼を言わねばな」
「いえ!とんでもございませんわ!と言いますか、わたくしが……」
「ところで!魔王さま、幸福の君ってなんですか?」
どうにか話を逸らしたくて出した話題は、どうやら魔王さま的に地雷だったらしい。
「リリシア、どこでそれを」
怒りか、困惑か、掠れた声と急激に冷えた空気に冷や汗が背を流れ、コルセットのせいだけではなく息ができなかった。
え?もしかして選択肢まちがえた!?
ついに私死んじゃうかも!?