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怪異探究行

眼球の辺獄 続呪いの構造

作者: 藤代京


もうネタはないと言ったな。

あれは嘘だ。

実はある。


書くほどの自分の立ち位置がオカルトの方にずれていく感覚があるので、もうやめやめ俺は知らないでいくはずだったが、そこに海老さんからコメントを頂いた。

それを読んだ時、あ、これ書かないとだめだわ、変な確信がすこんと後頭部にはまる。

日常ではなんの役にも立たないいらん気づきが次の気づきを呼び、オカルト連立方程式でもやってる気分だ。

我ながら深みにはまっている自覚はある。


実は一回だけ幽霊を見たことがある。

深夜、眠気をこらえて無理矢理国道を運転している時だった。

とある橋に差し掛かった時、道の真ん中に立ち尽くす白いコートと帽子を被った女の姿があった。

この時、なぜかいま脳から視覚へ情報が逆流している自覚があった。つまりいま見えているのは幽霊ではなく幻覚。

なので、橋だから橋姫で女の幻覚かと思いながら、アクセルを踏み込む。

もちろんなにも轢かないし、なににもぶつからない。

幻覚だし。


でもさ、これ幻覚の自覚がなかったらアクセルではなくブレーキを踏んでいただろうし、そうしたら女を轢いたはずなのに轢かれた女はいないし、車にはぶつかった痕もないと言うどこにでもある怪異になっていたよな。

タクシー運転手の目的地についたら確かに乗せたはずの客がいないとかさ。

シートが濡れてた? それも幻覚だと幻覚。


眠気でちょっと脳の機能がおかしくなっただけで、幽霊のいるいないに関係なく怪異は成立する。


ここで引っ掛かる。


眠気で脳の機能が逆流するのと、ヤク中、アル中、精神障害のとの間に差異はあるのか。


答は少し置いておいて、タイトル通り目の話をしよう。


なにをいまさらと言うかもしれないが、俺たちはありのままの世界を見てはいない。眼球というレンズを通す以上、視界は上下左右がさかさまでなければおかしい。

これはデカルトが生涯悩んだ問題で、レンズを通した光景は上下左右さかさまなのに、なぜ人の視界は正常なのだろうと。

それは脳が補正しているから。

脳の問題に光学的アプローチしたら、そら答は出ないわなあ。

さらには瞳の中心には色に敏感な細胞が、周辺には明暗と動きに敏感な細胞が集まっている。加えて眼球には盲点まである。視神経が繋がっているから、光を受け取れない部分だ。

だから、脳に送られる生情報は上下左右逆転で、中心は色つきだけど周辺はモノクロに盲点の黒点つき。さらには眼球は二つあるから、その画像が二重にダブっている。

それが本来の情報だ。

脳がそれをいま見ている光景に補正している。

嘘だと思うなら、目の前の一点を見据え眼球動かさないようにして、意識だけを視界の隅に向けてみるといい。

そこには輪郭も色彩も曖昧なモノクロームの世界が広がってはいないだろうか。


世界は虚偽だと偽りだと言いたい訳じゃない。

逆だ。

そのありようは生き物として正しい。

俺たちは脳に甘やかされ、守られている。


GD系の近代魔術師たちを、こいつらアホじゃないのかと思うのは、この脳の保護機能をわざわざ修行でぶっ壊しているように見えるからだ。

だってあいつらわざわざ幻覚を見る訓練するんだぜ。

カバラというファイリングシステムを中心に据え、セフィロトやパスごとに沿った幻視を見るように訓練するなんて、正常に機能してる脳を壊してるだけに思える。

きっとあれだ、歴史が浅いうえに秘密結社なもんだからサンプルの絶対数が足りてない。

彼らの訓練体系は根本的な欠陥を抱えているように見える。


続怪異健忘症で殺人犯はそうでもないけど、ヤク中なんかは霊的に甚大な悪影響を及ぼし聖域を汚すと書いた。

その差異はなにか。


脳の保護機能がぶっとんでいるかどうか。


脳の保護機能がまともなら殺人であってもそれは行動の結果であり、生き物の在りようには関係がない。

その視点で見れば、殺人はなんの歪みも狂いも生じない。

対して、ヤク中なんかは、脳の保護機能がぶっとんでいればそれは生き物としての在りようがおかしい、狂っている。

ではなぜ狂った在りようは聖域を汚すのか。


またちょっと話をそれて妖怪の話をしよう。


妖怪に出会った人ならわかると思うが、怪異譚によくある妖怪と出くわしたあとに高熱を発するというやつ、あれは別に妖怪の毒気やらにやられている訳じゃない。

あまりに違うものと遭遇したせいで、自分のなかの法則が狂って熱を出す。

回復には法則の回復が必要になるし、自然回復が無理ならなんらかの追儺が必要になるだろう。あれは祓うのではない、法則の回復を目指して行われるのだ。


考えてみれば狂った法則が甚大な被害をもたらすなんて、当たり前のことだ。故障した車を無理に運転してもろくなことにならないだろう?


ではではなぜなぜ、脳の保護機能がぶっとんだ連中は、生き物としての在りようのおかしい連中は聖域を汚すことができるのか。


狂牛病。


あれは菌やウイルスではなく、正常なプリオンが構造を変えた異常なプリオンになりそれが蓄積して発症する病気ではなかっただろうか。


狂った法則が蓄積して正常な法則を狂わせる。

脳をスポンジ状にするように。

かくして聖域は汚され、空気は饐え水は澱み魔境へ変わる。


俺の心霊スポット行きたく病もそういうことだったのな。心霊現象のあるなしは関係ない、それはどうでもいい。

心霊スポットなんて法則がおかしくなってるってわかりきってる場所に誰がいくもんか。

リアル怪異お断りも同じだな。

狂った法則に接すれば、狂いが蓄積する。それが充分に蓄積されれば、俺の中の法則が狂う。

ああ、節分ってそういうことか、狂いよ外へ正常な法則へ回帰せよ。

そういことだな。

あ、今年、豆まいてないや。


とりあえず謎の一角は溶けた。


書きたいことは書いた。

ここからはおまけだ。

愛のコリーダのラストで大島渚の下手糞なナレーションが流れるのと同じと思ってくれればいい。


神話やらなにを見渡すと法則の狂いは多々見受けられる。堕天した天使だとか和魂が荒魂になるだとかあげていけばきりがない。

であれば祀りとは法則への回帰を願って行われるのだろう。

夏至や冬至に祀りを行う宗教が多いのは、夏至冬至が誰にでもわかりやすい法則の現れだからだろう。

であればどんなオカルトじみたことをやっていても法則への回帰を目指していればそれは立派な宗教であるし、世界平和だとか崇高な目的のために行動している宗教でも法則への回帰が見られないのならオカルト箱にぶちこんでいい。


さてさて、オカルトとテロリズムについても書こうと思っていたが、書ききれなかった。

それは機会があればまた。


あ、またネタが増えた。





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― 新着の感想 ―
[良い点] >高熱を発するというやつ、あれは別に妖怪の毒気やらにやられている訳じゃない。 >あまりに違うものと遭遇したせいで、自分のなかの法則が狂って熱を出す。 このシリーズ大好きです。 今回は、特…
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