墜ちた流星
写真撮影:空乃 千尋様
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雲ひとつない空に描かれていく軌跡。
ああ、あの向こうに、何が……
学校帰り。
ようやく終わった定期考査の出来はさておき、陽翔は果てしない解放感に包まれたまま、長い下り坂に入ろうとしていた。眼下に広がる街並みは見慣れたもののはずなのに、輝いてさえ見える。おなかが空いているせいか、スーパーの看板が特に魅力的に映る。冷蔵庫の中身のなさを思い出し、肩を落とす。
せっかくの輝き、どこいった。
日射しはあたたかい。
風はまだ肌寒いが、それでもだいぶ春を感じさせる。
行きは欝々として空を見上げる余裕もなく、ただ寒いしんどいと坂を上るだけだった。振り返れば、朝の清々しい光景が広がっていたのかもしれない。
いい天気だなあと、少し伸びをする。
ふと、視界の端に白い線が見えた。
瞬く間に描かれていく軌跡を追い、おお、と感嘆の声をあげる。
飛行機だろうか。
めずらしい、と陽翔は目を凝らす。
しかし、その先には想像していた白い機体も、何も見えない。
軌跡は、途中で不意に消えた。
見逃したと思い、少し残念に溜息をつく。
が。
その先で、何かが一瞬光った。
足を止めたまま、陽翔はもう一度よく目を凝らした。視力は両目二・〇だ。
最初は、小さな点だった。徐々に大きくなるにつれて、爆音が近づく。耳をつんざくような轟音と変わっていく中で、完全に陽翔はそれに魅入られていた。
小さなころから、幾度見ただろう。
初めて見たロボットアニメを、今もおぼえている。お小遣いを貯めてブルーレイBOXも買った。
誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントは、ことごとくロボットのフィギュアだった。一度たりとも不満を抱いたことはない。親は選ぶのが楽でうれしそうだった。今も、一人暮らしの部屋に飾ってある。
東京の湾岸に飾られていた等身大模型も、高校の卒業旅行で見に行った。野郎ばかりだったが、とても楽しかった。お金がなかったので、往復夜行バスだったが。ついでに初の夢の国も体験してきた。楽しい反面わびしかった。できたら彼女と行きたかった。いないけど。
戦争はダメ、絶対。
わかっていても、ときめく心は抑えられない。
それくらい、陽翔はロボット物が好きだった。
あわてて、陽翔はジャケットから携帯電話を取り出す。待ち受け画面は例の等身大模型である。カメラへと切り替え、空を見上げた。
眼前に、見たことのない形の、人型兵器が迫っていた。
陽翔は、シャッターを切れなかった。
全身を押しつぶされ、声すら上げることなく、十九歳の生涯を終えた。
――と、思った。
『やだ、何で逃げないのよっ!? ちょっとアンタ、お願いだから死なないで!』
身体の感覚はもうないのに、甲高い女の子の声だけが鮮明に脳裏に響く。
しかし、陽翔は目覚めることなく、意識を落とした。
人生の最後というものには、必ず走馬灯があると思っていた。
ひょっとしたら、あのロボットに関する回顧録が、自分にとっての走馬灯だったのか。
だとすれば、やっぱり自分は死んだのだろうか。
何だか体が重い。
ロボットに圧し潰されて死んだのなら、本望なのかな。
いや、せめてやっぱり彼女くらい作りたかった。
真っ暗だった世界が、白く移り変わっていく。
身体が浮き上がる感覚に、陽翔は目を開いた。
綺麗な、空の色が眼前に広がっていた。下方に街並みが見える。上方はフル、左右百八十度以上に広がっている視界の上下には透過された計器のような表示がまばらに散らばっていた。
いや、それよりも気になるのは、自分の上に、中腰気味に座っている少女だ。体のラインがはっきりわかるボディスーツに身を包み、透過ウィンドウに表示された左右に分かれたタッチパネルに、とてつもないスピードで指を走らせている。肩までの淡いヘーゼルブラウンの髪が、手の動きに合わせて小刻みに揺れていた。
「ん、なっ!?」
『あ、今はダメ! もうちょっと寝てて!』
身体を起こそうとすると、思いっきり体重を掛けられた。やわらかな感触が感じてはいけない場所に伝わる。やめてお願い勘弁して。
「え、っと、その……」
『おしゃべりしてるヒマないんだってば!』
意識を失う直前に聞いた声だった。
だが、おかしい。今もまだ、意味はわかるのに脳裏に響いている。確かに、少女から発せられているのに、耳からは聞こえない。
彼女の焦りは、そのままキータッチのスピードに表れていた。どう見ても、先日受講修了したコンピュータ実習Ⅱ程度の技術ではない。陽翔は何が起こっているのかと、周囲を見回す。
少女が、舌打ちした。
同時に視界に、あの人型兵器が姿を現す。
自分をつぶしたのと、全く同じものだと思って身を震わせたが、眼前に迫る様子に違和感を覚える。微妙に、違う?
『やっぱり、遅い……!』
攻撃するわけでもなく、どちらかというと捕まえるような動きで、人型兵器はこちらへ手を伸ばした。今乗っている何かは華麗にその腕を避け、大きく後退するが、少女にとっては不満タラタラらしい。
「お、遅いの?」
『遅いの! あっちは生体パターンなくてもマニピュレートできる試作機! こっちのほうが機体性能いいのに個人認証終わってないから、私こんなに苦労してるんじゃないのっ』
知らんがな。
陽翔は少女の怒鳴り声に顔を引きつらせる。同時に、意識のどこかが視界一杯に広がるモニターの……陽翔の手の届く、小さな赤の四角を映した。何かのスイッチパネルなのだろう。押せってこと?
意識と合致する場所に、確かにそれはあった。
右手を伸ばす。
『ちょっ!』
少女の制止は、陽翔の意識に届いた。既に遅かったが。
パネルに触れた途端、体中を撫でまわされるような悪寒が走る。次いで頭の中に直接何かを焼き付けられるような感覚に、あわてて手を引いた時には、そのパネルは消えていた。
『認証完了……? うそでしょー!?』
少女の驚愕は、皮肉にもタッチパネルの消失で事実と証明された。
タッチパネルが操縦桿に変わり、足元にもペダルが現れる。陽翔は躊躇いなく手を伸ばし、それを握った。足はペダルに軽く重ねる。
そう。
解ったのだ。
彼女に名付けられた「Stella Transvolans」……彼女と星の名を冠した機体の操縦方法は、既に陽翔の中に在った。本来であればステラ・トランスヴォランスに搭載されている情報素子に正確に生体パターンを読み取らせるため、何度も認証作業を繰り返す必要がある。しかし、陽翔は地球人なので、情報量が圧倒的に少ない。それこそ瞬きする間で完了してしまうほどの少なさだった。彼の意識に操縦法やステラ・シリーズの基本情報を焼き付ける作業のほうに時間がかかったと解るのがせつないほどだ。
陽翔は、ステラ・トランスヴォランスと意識を重ねた。
視界がモニター越しではなく、直接外を見ているような感覚になる。風を肌に感じ、異空間で創造されながら、地球における同位体に変質可能な特殊金属により構成された機体すべてが彼の体となった。
気分が高揚する。
マジで、操縦してる……!
『やだ、私の操作受け付けないー!』
少女の悲鳴が聞こえるが、致し方ない。試作機は様々な実験を重ねるため、他の誰かであっても操作できるように個人認証システムを搭載しなかった。だが、これは違う。彼女が、彼女自身だけで宇宙へと旅立つための、機体だった。彼女の世界と地球を含むこちらの世界を行き来する、人型の船だったのだ。他の誰かなど載せる気はさらさらなかった。
まさか、道端で命を助けた地球人が、自分の個人情報の破片を得てしまったために個人認証システムを起動してしまうとは、まったくもって想像もしていなかったのである。
「ごめん、ステラ。たぶん俺しかこれ、もう動かせないと思う」
『イヤーッ!!!!!』
思いっきり頭を振り、乱れた髪型のままでこちらを向く。
ステラ・トランスヴォランスと意識を重ねていても、操縦席内も自分の本来の目で見ることができる。彼女の瞳はとても……青かった。
先ほど見た、空のように。
半泣きになったステラが、陽翔を睨む。しかし、陽翔はそちらを見つめ返す余裕が既になかった。
機体が急旋回する。反重力装置が搭載されているはずなのに、思わず内臓がぐるっと動いたような感覚があるのは、意識を重ねているためか。
陽翔の意識にひきずられるように、操縦席まで揺れた。
『ひゃぁあっ』
色気のない声をあげながら、ステラは陽翔の胸元に倒れ込む。やわらかな肢体を堪能する余裕もなく、試作機「Stella Inerrans」――ステラ・イネッランスはトランスヴォランスの左側を抜けていく。厳密には、トランスヴォランスが避けたのだ。
完全なる破壊は、帰還できなくなる。
だが、何としても、今は逃げなければならない。
この機体を、彼女以外の、他の誰にも渡すわけには行かないのだ。
試作機になく、トランスヴォランスにはある性能――特殊金属により構成された機体を、この世界における同位体に変質するためのフェアエンデルグ・システムを、奪われるわけにはいかない。
気軽に「卒業研究」とつけられたロボットの基本情報を見て、陽翔は空を仰ぎたくなった。何ていうものを作ってくれたのだ。恐らく彼女も、遅ればせながら気づいて、ほぼ完成間際の機体で飛び出したのだろうということはわかる。
彼女の世界では、これまでごく一部の特殊階層の人間しか、こちらに渡ることができなかった。ステラ・シリーズはその能力の一部を写し取ったものだ。だから、試作機も渡ることはできる。だが、より高位の存在でなければこちらの世界に干渉できない。ステラの能力のすべてを写し取ったと言っても過言ではないのが、ステラ・トランスヴォランスだった。
陽翔に焼き付けられたものは、操縦方法と基本情報、そして、強い警戒感だった。この機体を奪おうとする者は、全て敵だと精神に訴えかけてくる感覚。もうそれは洗脳と言ってよかった。
こんなものを、ステラ自身が打ち込んだとは思えない。おそらくは、彼女により近しい……。
短い、光の刃が出現する。
ステラ・イネッランスの手に握られた高周波レーザーナイフは、ただの護身用であっても穴あき包丁でトマトを切るように、滑らかにすべてを切り裂く。
誰が載っているのかは知らないが、相手も相当ステラ・シリーズを熟知していると思われた。
しかし、こちらのほうが高性能である。
陽翔はレーザーブレードを抜き、相手に合わせてナイフの柄を切り裂いた。あっさりとナイフは効果を失い、イネッランスの手から離れる。
真下にはいつもお世話になっているスーパーがあるが、問題ない。
見えていても、存在が異なる世界である。
イネッランスの手から離れた途端、レーザーナイフの部品はすべて消え失せた。ステラ・システムと名付けられた空間直結システムは、機体を中心にしてのみ作動する。離れてしまえば効果はなくなる。よって、あちらの世界のどこかに歪みが生まれ、そこへ帰結するのだ。ひょっとしたらあちらのスーパーが壊れているかもしれないが、そこまでは責任が持てない。
そもそも、売られた喧嘩なのである。
ステラ・トランスヴォランスは滑らかに刃を翻した。そして、右腕を付け根から落とす。ここでなら関節部なので、爆発は起こらない。
二機が対峙する。
ステラの肩が細かく震えている。
片腕を失ったイネッランスは、名残惜しげにこちらをしばし見つめていた。
連絡手段がなかったのだろうか。何か伝えたいことでもあったのか。
彼女もまた、ずっと、イネッランスを見つめたまま、消えるまで見つめ返していた。
やがて、試作機が異界へと渡るまで。
「……大丈夫か?」
声を掛けると、ふわりと体から力が抜けた。
完全に意識を飛ばした肢体を両手で受け止め、陽翔は溜息をつく。
――この機体……どうすりゃいいんだよ……。
答えを返す人間は、誰もいなかった。
柏木陽翔、十九歳。
彼の戦いは、今まさに始まったばかりである。