情緒が足りない
「バッカたれええぇぇえええ!」
七春の心のこもったツッコミが、八神の顔面に直撃していた。
「ふみゃあぁぁぁぁ」
という八神の可哀想な悲鳴が、深夜のホテルに響きわたる。
「シーッ!夜なんですから!」
と亜来が小声で注意した。
殺人的なツッコミで、廊下の壁に半分めり込んだ状態の八神と、壁に半分めり込ませた張本人の七春。
七春の頭の上には、十五センチサイズの京助が乗っかっている。前足がちょっと黒いのは、七春と一緒に埃だらけの部屋を荒らしていたからだ。
その七春の手も、血と埃で黒くなっている。汚い。
いそいで地下から上がってきたせいか、息がきれていた。
三人と一匹が集まっているのは従業員用のバックルームの前、部屋の扉が開いている。
ホテル一階のその廊下に今は人気はなく、物音もない。
「俺もあの小さい子たちが成仏するとこ見たかったのに…。なんで引き止めといてくれなかったの八神くん…。」
七春が目をウルウルさせて訴える。
鬱陶しい。
壁に人型の穴をあけた八神が、なんとか壁から剥がれ落ちて、
「知りませんよ…。」
と心から迷惑そうな声をだした。
反対側の壁には、白く塗られた木枠の窓。嵐が去ったように雲が晴れ、月がでていた。
月光が床を青く染めている。
「話の途中で地面が揺れて、センパイや京助が地下室でバタバタやっているのがわかりました。その気配を感じた双子の少女たちがソワソワしはじめて、」
「そこからが大事!」
「気がついたらいなかったの。」
「あばうとぉぉぉぉぉぉ!!」
大事なところがアバウトな八神。
両手で顔を覆って、七春が天へ向かって叫ぶ。うるさい。
「まぁいいわ。眠いし。解散しようぜ。」
「割り切り早いですね。」
細事にも大事にもこだわりのない七春。突然、台風が通りすぎたように、態度が急変する。
幽霊ホテルの撮影にきた声優一行。
そのホテルで出会った可愛い双子の霊を成仏させるとかいう話が、片付いていた。
「毎回思うんだけど、ホラー小説ならむしろ、そういう霊の出るシーンがメインだろ?なんでそこを省いちゃうの。成仏したとこを俺が見てないよ、主人公なのに。」
「ただでさえ予定の更新数よりだいぶ遅れているので、駆け足でいこうと思います。」
そういうことです。
そういうわけで、元通り明るくなった部屋を後にし、八神と七春は仕事に戻ることとなった。
長居は無用だ。
撤収の手際の良さは、昔怪しものを集めていた経験から身についている。
「仕事は丁寧に、撤収は速やかに」は雪解の持論だった。
八神の怪我の具合を見るという名目で席を外していた七春と八神は、これから素知らぬ顔で幽霊の撮影に戻る。もう何も映り込むことはないとわかっているが。
「亜来さんに、忘れないうちに京助を返しておくぜ。」
少しかがみこんで、七春が言った。
その頭の上に、チンマリとフェレットが一匹。ぷーぷーと寝息をたてている。
「はい。京助はお役にたてましたか?」
「バッチリでした。」
亜来が可愛らしく聞いて、七春がおどけて答えた。
それから、京助を受け取って亜来が室内へと視線を移す。
「あの人はどうしますか?」
亜来が視線を投げた先には、男が一人、床に膝をついていた。特徴的な長髪が、タランと下に垂れている。
視線は平たい床の上。目は見開かれていた。
あの視線の先は、おそらく何も見えていない。
周囲の棚や机にぶつかったようで、部屋は少し荒れていた。
「放っておけばいいんじゃないですか?」
ザックリと八神が突き放した。
興味がないらしい。
「亡くなった人を取り戻す唯一の手段を失うって、どんな感じなんだろ。」
開いた扉の外から男のその様子を眺め、七春が何気なく口にする。
部屋は明るいのに、何故か男が固まったまま動かないその場所だけが、薄暗く感じられた。
電池が切れかけた懐中電灯のように、照らす光がその部分だけ弱々しい。
「なんか『すべての希望が失われた…』みたいな感じだよね。」
とそれっぽい言葉を七春が付け足す。
RPGとかにありそうだな。すべての希望が失われた街、とか。
それっぽく言えばいいという訳ではないが。
「あれが絶望ってやつじゃないですか。亡くした人を取り戻すための手段があれば、現実問題が何も解決していなくても、最低限、絶望はしなくて済みますからね。夢見てられるっていうか。」
他人事なので、他人事のように八神が説明する。
夢見ることは大事です。
男にとっては、人を殺して代わりに望んだものを取り返す、それが夢だった。夢を見ていたかっただろう。
どんな時でも諦めず絶望せず、夢を持って前に進み続けるという意味では、男のしたことは正しかった。
「じゃあ俺があの人の夢を摘んで絶望に追い込んだみたいじゃん。」
本気で言ったわけではないが、七春は少し不満気な声をだす。
みたいというか、まさにその通りだ。
「まぁ、角度を変えて見れば、センパイのしたことは正しいとも彼を追い込んだとも言えるので、フォローはできませんね。」
「なんでだよ。フォローしてよ。」
「ですが、かりそめの平和は、いつか誰か第三者の手によって解き明かされるべきだと思います。今回、七春センパイが地下室を壊したように。」
七春のフォローは全くしないまま、八神がそう指摘した。
うつむくと、長い睫毛が瞳を隠して、本心が読みとれなくなってしまう。八神が何を考えているのか、七春にはよくわからない。
「さぁ、グダグダ言っていないで早く戻りましょう。亜来さんも、名演技でした。ありがとうございます。」
「お疲れさまでした。」
と亜来も短く返した。
手早くやりとりを済ませ、先を歩きはじめてしまった八神の背を、七春はあわてて追いかける。
相変わらず、感傷にひたる余裕もない。
その頭の中でボンヤリと、たった今聞いた八神の言葉を繰り返していた。
夢を見ていれば、最低限絶望しないでいられる。
かりそめの平和は、いつか誰か第三者の手によって解き明かされるべき。
前を歩くヒラヒラした赤チェックを追いかける。
その向こう側は、小さな八神があっという間に飲み込まれそうな、深い黒だ。
(そうか。京助や祟り神がやろうとしているのは、これか。)
まだ漠然としているが、何かに気が付いた。
「待って、八神くん!お前は情緒が足りない。」
「当たり前です。俺達がしたことは、人にバレちゃダメなんですから。屋根の修理代なんか、どこからもでませんよ。」
「はあぁぁぁ」
「さぁ、ドロンしましょ。」
ニンニン。
ホテル三階の部屋でくつろいでいた上木が、
「あ。」
と声をあげた。
時刻はすでに日付をまたいでいる。一応、七春と八神が帰ってくるのを律儀に待ってあげていた。
ベッドでゴロゴロしていた上木に、
「ん、何?」
と姫川さんがソファの上から声をあげた。顔をあげたというか、体は座った体勢のまま動かさず、首だけひねる。
「いや、何か動いたような気がして……」
と言って引っ張りだしたのは、腰のベルトに通していた、七春の私物。カーキ色のパンツに茶色の太いベルト。そこに同じように濃い茶色の長い棒が挟まっていた。
ベルトをはずして持ち上げてみると、案外重くてかなり長い。
表面が滑らかで触り心地のいい長木はゆるやかに湾曲していて、透き通るような弦が真っ直ぐに張っている。
「これ、くっついてたっけ?」
釣り竿だと思っていたそれは、今見てみれば弓に見えた。アニメや漫画でよく見る武器だが、当然実物を見るのは初めてだ。
実物持ってたらヤバイ。
「それ弓だったの?。」
七春が持っていたものなので、もはや形が変わったりしても不思議じゃない。
形の変わったそれを見て、姫川もベッドへ乗り上げた。
継ぎ目など見えない。弦には切れたあともなく、もともとその姿を保っていたような、涼しい顔だ。
もともと、ただのボロい釣り竿ではないと思っていたが、半信半疑だったことは言うまでもない。
それでも、こうして不思議な現象を目前にすると、チラリと七春の顔が頭に浮かんだ。
「七春さん今、……」
「ヤコーくんの怪我の具合を見るといいながら帰って来ないから、たぶんこのホテルの霊を助けてるんじゃないかな。」
鋭い指摘をする、姫川。
「やっぱ、ゆーれーとかに関わってるんだ。まぁ、あの人らしいですね。」
「しかし、これすごいよね。どういう仕組みだろう。」
「全然わかんない。」
しばらく手の中でひねくり回して、仕組みがわからないまま上木はそれを放棄した。持ち慣れない人間には、本物の武器は重い。
普段から長物を扱い慣れていないので、やたらかさばる。
「七春さんが動いているということは、ロケも切り上げ時ですね。」
「だね。」
色々と怖いおもいをした二人だが、七春が八神と行動しているのなら、安心だ。どうせ七春の我儘によって、霊の方も救われるはずなので。
全く何も解決しなかったという、後味の悪い検証にはならずに済む。
何気なく部屋の窓の傍に立ち、姫川が空を見上げた。
月がでているようだ。
「ロケと夏と幽霊かぁ……」
その全てが、終わろうとしていた。
そして本当に一切の修理費を払わず、翌朝に一行はロケを終了させた。
その後ホテルの名物は少女の霊ではなく、動く椅子に取り憑いた少年の霊に変わったと、もっぱら噂になっている。
撮影された心霊動画と心霊声優の名は実に好評で、彼の活躍の場がさらに広がったことと、彼が過労死予備軍になったくだりは、あえてここでは触れないでおこう。
八月がもうすぐ終わる。




