八百八十円
「って、いないし!」
秘密の実験室へと続く隠し通路。
その通路かあるはずの部屋に立ち、赤毛の少年は叫んだ。
どついて寝かしておいたハズの七春がいない。貴重な実験体に逃げられるなんて。
鼠かあいつは。
「いない、んですか?」
騒ぐ赤毛の後ろから、覗きこむ若い男。
このホテルの経営者だ。
男性にしては長い髪を、首の後ろで一つに束ねていた。
スラリと長い身長に、尻尾のようなその髪がよく似合う。
「実験体が手に入ったとか、聞いたんですが。」
と落ち着いた口調で問いかける。
細身の体格に、着ているのは黒の背広。ごく普通に、どこにでもいそうな平凡な男だ。
「いや、ここに置いておいたはずなんだけどなぁ。」
たびたび物のような扱いをされる七春。
チリヂリの赤毛を持つ少年は、部屋の隅に置かれたソファのまわりを、くまなく調べる。
部屋の中では、傾いて壁に張り付いている時計がカチカチと音をたてていた。
「ようやく、あの子を生きかえらせてあげられると思ったんですが……。」
「しかし、『かこえうた』に目をつけるとは、考えましたね。僕は結果に基づくデータには興味がありますから、協力はおしみませんよ。」
少年は黒ぶちメガネをかけ直す。
どう頑張っても真っ直ぐにならないらしい。
「君は大学で、儀式や魔術の研究をしていたそうですね。偶然とはいえ、そんな人に出会えた私は幸運だ。」
二人の会話を、椅子に座った男の子がじっと見つめていた。退屈そうに、片足をブラブラしている。
もう片方の足は見当たらない。
「前にも一度、試されたとか?」
「その時は、小さな双子の子供を代わりに殺しました。少女たちには、悪いことをしたと思っています。今は天国で、安らかに眠っているといいんですが、……とはいえ、このホテルで噂になっているドレスの少女の霊は、おそらく、彼女たちでしょうね」
胸を痛める様子ではあるが、自分が悪いとは思っていないらしい。
人を殺すことを、なんとも思わない人間。
その様子を見て、赤毛の少年はニコニコした。
特に異論はないらしい。
そんなことに興味はない。
「同じ年頃の子供を殺しても、生きかえらなかったんですね?」
「はい。虚しく時間が過ぎるだけでした。」
「それは興味深いですね~。殺す相手は誰でもいいわけじゃないようだ。」
メガネを直す。
大切なのは、実験で得られる結果だけだ。その過程は重要ではない。
ホテルを経営しながら、そのホテルのお客さまを使って密かに実験を繰り返す男。その男に、幽霊付き木製チェアを引きとってもらう為にやってきた少年。
二人は全くの他人で、あくまで互いの利益のためだけに関係を持っている。
そういうことが通用する。
もはや、ここに日常はない。
「では、年齢ではなく、人間性。個性の近い人を殺してみてはどうでしょう。」
「個性、ですか。」
「パーソナリティとでも言えばいいかな。同じパーソナリティを持つ人間を代わりに殺してみるんです。そういう意味では、捕まえておいた彼は、最適だったんですが……。」
赤毛の少年は、再びソファに視線を落とした。
そこにポトリと落としておいた七春は見当たらない。
逃がした魚は、大きく見える。
「次は檻に入れておきますよ。」
申し訳なさそうに、少年は頭を下げた。
メガネの下、瞳は灰色だ。
「その逃げられた実験体は、どのような方だったんですか?」
「純粋で、優しい。芯の強いひとですよ。」
少年がニコニコと説明して、ホテルの経営者の男性は、無言で何度も頷いた。
「それなら、パーソナリティに不足はない。あの子も優しい子でした。……しかし、お知り合いではなかったはずでは。」
「もちろん、日本で有名な心霊声優とは、お会いしたのは今日がはじめてです!」
言ってから、少年はニヤリと笑った。
「僕はただ、雑誌で読んだだけですよ。」
「パーソナリティ?」
言って、ふみゅ?と首を傾げる七春さん。
ホテルの敷地のすぐ脇にある草むらに、寝そべっていた。
撮影は準備中。上木と姫川は、車内で別の仕事をしている。
八神と違ってあの二人は忙しいので。
いつのまにか霧が晴れてきた空を、仰向けで見つめ返す七春。その隣に、八神が体育座りしている。
「そうです。誰でもいいから一人殺せば、死者が甦るかといえば、そうじゃない。贄に差し出す方にも条件があるんです。」
「条件……」
「共通のパーソナリティ。似通った人間性、思考、趣向、人格、個性、そういうものです。」
ふむ。
考えて、わからなかったので、七春はパタリと死んだふりをした。
現実の問題を放棄する。
「アンタそこで寝るなよ?」
八神がお腹をこちょこちょして、無理矢理七春を起こす。ケラケラ笑って、七春はくの字になった。
「ふひひ。……やめろ、バカ! 話が難しくてよくわかんない。誰でもいいわけじゃないなら、どうして俺が選ばれたんだろう。」
「まぁ、センパイのパーソナリティなんて、何処の誰にでも筒抜けですからね。八百八十円で買えるし。」
八神がなんでもないことのように言って、七春は驚愕した。
胸の前できゅっと手を組む。
「俺の情報は売り買いされているのでしょうか……?」
「書店で毎月更新されていますが。」
「書店?」
書店では毎月、『月刊 ぼあく!』という雑誌が売られている。
ちなみに『ぼあく』は『ぼいすあくたー』の略です。
わかりにくい。
「あぁ、雑誌ね。」
毎月、人気声優や話題のアニメ、オーディションの情報から、素敵なプレゼント情報まで、声優に関わるあれやこれやを載せている雑誌である。
定価は八百八十円です。
写真やインタビューも豊富で、声優の素顔に迫る特集なども充実している、まさにアニメ人のアニメ人によるアニメ人のための雑誌といえる。
「七春センパイや、姫川センパイ、上木センパイなんかは、ほぼ毎月載ってますからね。テキトーに買ってテキトーに読めば、七春センパイの人柄くらい、なんとなくわかりますよ。」
「明日から雑誌の仕事怖い…。」
「元気だして。」
丸くなった七春の背中を、八神がサスサス撫でてあげる。
なんの鳥だかわからないが、ピチピチ元気に鳴いていた。世界が明るい。
草むらを囲う煉瓦の塀。空は高い。
こうしていると本当に絵本の世界に迷いこんだかのようで、幻想的だ。
「誰かを亡くして、誰かを取り戻す、か。なんか違うよな。それって……。」
何気なく、七春が言った。
「センパイは身近な人を亡くしたことがないから、そう思うだけです。誰かを代わりに差し出せば、愛する人が帰ってくる。その為に罪を背負うなら、安いもんだと思う人はたくさんいますよ。」
遠い空の雲を見て、八神が言った。
上空は風が強そうだ。
八神が誰を頭に浮かべて言っているのか、七春はわかる気がした。おそらく、京助や祟神の言っていた、境界の巫女、雪解のことだ。
面倒くさいから考えないようにしていたが、七春にはその問題も残っている。
京助と祟神に託された、雪解の死の真相。
「八神くんが生き返らせたいのは、雪解さんだろ。八神くんと雪解さん、祟神、京助。四人はどういう関係なの。」
唐突に本音を突いて、七春は冷静に問い返した。
考えてみれば、七春は八神の周辺の人間関係を知らなすぎる。
聞かれた八神は一度七春を振り返り、また遠くの木のてっぺんへ視線をうつした。
「七春センパイは人が聞きづらいようなことも平気で聞いてきますね。俺は昔、バイト先で雪解に出会いました。その後興味本意で、怪しものを集める雪解の手伝いをしていたんです。」
「そうなの?」
「話しませんでしたっけ?」
「わかんない。八神くんに興味もちはじめたの今日だもん。聞いたけど忘れたのかも。」
七春さんは基本的に何も考えなくても生きていける。
無思考生物である。
「雪解が巫女の務めを全うする。それに俺は協力する。 怪しものは常に人の手によって移動するし、人の呪いや負の感情によって作り出されたりもするから、増減はするけど無くなることはない。 終わりはないからずっと一緒にいられるし、終わらなくても少しでも役にたちたい。……だから、あの頃は生き甲斐があって、俺はすごく幸せだった。」
「素敵だね。」
「あの夏を取り戻したいんです。……荒天鼬……もとい京助は、雪解の霊獣でした。嫌な奴だし、感じ悪いけど、強いのは確かだったな。祟神はもともと土地神なので、いつも雪解の傍にいたし。」
「四人はいつも一緒だったんだ。」
「一緒でした。楽しかった。」
話している八神の横顔は、確かに楽しそうだ。件の四人には、七春の知らない時間がたくさんある。
「でも雪解は死んで、土地神は祟神に墜ちた。楽しい楽しい言ってる場合じゃない。今は現実と向き合わないと。」
「雪解さんを殺したのは誰だと思う。」
「十中八九、俺か祟神か。祟神なら祠に戻す。もしも俺ならその時は……。まずは、『本当のコト』を確かめなくちゃ。」
楽しそうに話していた八神の顔が恐ろしい陰をまとっていくのを、七春は斜め右下から見ていた。
寝そべっていた体を起こす。
一つの可能性が頭に浮かんで、それを口にだすのに、少し躊躇った。
「八神くんの言うことが本当で、もしも『かこえうた』で本当に人が生き返るなら。……雪解さんも救えるかもしれない。」
「みゃ~。でも、七春センパイが代わりに死んでくれるわけじゃないでしょ~。」
ふいに八神の口調が崩れる。
その可能性については、マトモにとりあう気はないらしい。
「でも、事の真相は本人に聞くのが一番早いと思わないか?」
「思いますけど、誰を殺せと。雪解はそれはそれは美人で清楚で優しくて純粋で天然ながらも芯の強いひとでしたからね。そこらへんの可愛娘ぶりっこの性格ブス女では代わりは利きません。」
けっこうズケズケ言う八神。
両手を広げて、雪解の美しさを語る。
透き通る空気が背景にあった。
「そっか。代わりがいるんだったな。」
「まずはホテルで行われている反魂の実験の方をどうにかするべきでは。」
そして話は一周して、もとに戻ってきた。
「あの双子がホテルを離れず、宿泊客をからかって遊んでいるのは、ここから離れられないからです。その背景には、あの地下室の存在がある。」
「うーん。そうなんだけど。なんか、ひっかかってるんだよな……。」
足下は草むら。
柔らかい風が抜けて、背の低い草を揺らしていった。
どこか納得のいかない顔をする七春に、八神がぷーっと頬をふくらかす。
「なんですか?これ以上、面倒を増やさないでください。」
「増やすかも……」
「あん?」
「もしも反魂の実験をしている人が、本当に誰かを取り戻すためにやっているなら、俺たちが、あの双子ちゃんたちを助けるために地下室を壊しても、また同じことをするだろ。また誰かが殺される。根本的な解決にはならない気がする。」
七春が面倒くさいことを言い出した気がして、八神は遠くの方へまた視線を投げた。
ベルギーにいきたいな。
チョコレートが食べたいな。
「それに、なんか可哀想だろ。犠牲を払って誰かを取り戻すなんて、気まずいでしょーよ。」
スイスも行きたいな。
チョコレートが食べたい。
「なんとか、説得できないかな。俺たちが言っても、仕方ないかもしれないけど。」
アテもなく渋谷をフラフラしたい。
海外は遠すぎる。
「ねぇ、八神くん、聞いてる?」
七春が、八神の腰の上着をグイグイ引っ張った。
面倒くさい。
「聞いてますけど、そんなこと言っても、どうしろっていうんですか。俺たちは撮影を成功させる任務もあるんですよ。」
「じゃあ、放っとけって言うのかよ!」
「放っとけ!」
「クソガキがあぁぁぁ」
七春さんの大きな手が、八神の首をキリキリ絞めあげる。
すぐに手がでる七春さん。
優しくて殺人的な七春さんを、八神は苦しそうに見つめた。
面倒なことを言うくせに、少なくとも八神よりは正しい解答をだす。七春の方が、前向きだ。
優しくて、正しい。
(雪解のパーソナリティは、きっと……)
考えながら息をしなくなった八神に、
「あ。」
七春は手を離して、眉をひそめた。
「ご、ごめん。死んだ?」
首を絞めたら、普通の人は死ぬ。
「おのれ……」
そのまま人を呪いそうな、青ざめた顔の八神が地面から浮き上がった。
普通の人じゃない八神はタフだ。
「七春センパイはホントに、面倒くさいですね……。」
「お前も正直だね……。」
だがその言葉が、八神が折れたことをしめしていた。
不機嫌に足下の草を意味もなくブチブチ抜きながら、八神はむずかしい顔をした。
考え事をしている顔だ。
面倒が、一つ増えた。




