魔法少女に不可能は
陽の落ち始めた墓地の前、七春と八神は突っ立っていた。
風のない空気が、二人を包んでいる。
「水子地蔵?」
八神の説明を聞き、七春は首をひねる。
「……って、なに、だっけ?」
「死亡した胎児を供養するための水子供養とか言われてますけど、もともと水子は生まれたばかりの赤ん坊とかも含む意味だったはずです。」
「な、なんて?」
「ひらたく言うと」
「ひらたく言っちゃってくれ」
「このお地蔵さまは、ちいさい子に優しい」
「なるほど!」
究極的にわかりやすい説明にしたので、若干意味がずれた気もするが、そこは誤魔化す八神。
石の上にたつ地蔵は、ふくよかな顔をしていて、柔らかく微笑んでいる。回りの彩り豊かな風車が、墓地の暗い雰囲気を払拭していた。
「それでこのお地蔵さまの力を借りるってわけか。」
納得した顔で言ってから、七春は地蔵の後ろをのぞきこむ。
数多の墓石。ほとんどが、だいぶ古いもののようだ。中には、墓石としてきちんと形を整えたものではない、自然の石でたてられたものもある。
この場所には、ベランダの子のように、生きれずして亡くなった魂が、多く眠っているのだろう。
物悲しい佇まいの墓石に、風がなければ子をあやせない風車。墓地を守るようにたつ木々の木漏れ日が、小さく瞬いている。
腰をおとして、七春が風車のひとつに息を吹きかけてみる。
風車は、カラカラと音をたててまわり、やがて減速してとまった。
その様子を、すぐ傍らで八神が見守る。
「でも、俺たちがこのお地蔵さまを連れていくと、ここにいる子供たちを見守るひとがいなくなるよなぁ。」
風車から顔をあげ、そう言った七春の言葉は、最もな意見だった。
「はい。なので俺たちは、力をお借りするだけです。お地蔵さまは、ここを離れないので、大丈夫ですよ。」
答えた八神が、かすかに微笑む。
「七春センパイはホントに優しいですよね。」
「あん?」
「だって、姫川センパイの家の霊のことも気にして、この墓地に眠る子達も心配して、って。どんだけですか。」
「うるせぇ!笑うな!」
怒鳴り返す七春に、ますますイタズラっぽく笑う八神。
「いつかとり憑かれますよ?」
「八神くんが言うと信憑性高いのよ。」
「言えてる。」
こんな状況でも、冗談を言い合えば二人はまだ笑えた。
そして改めて、水子地蔵に向き直る。
地蔵の足下から八神が風車を一本抜き取った。七春が回した、赤い風車だった。
その風車を七春に持たせ、自分は手を合わせて軽く頭を下げる八神。
「お地蔵さまより妖しものを拝借いたします我が名は、神木を奉じ境界の巫女の命を継ぐ者なり。」
合わせた八神の手から、木漏れ日とは違う光がこぼれだす。それは夜の公園でも見た、青白い薄明かりだった。
「神命に於いて迅く成しませ。」
祈りを終え、八神が手をひらく。手の中にあった光は消えていたが、代わりに今度は、七春の握りしめていた風車が淡い光を放つ。
それは瞬きくらい刹那のできごとで、気がついた七春が風車を見下ろした時には、光は消えていた。
八神の傍なら、もう何が起きてもいちいち驚かない耐性ができた七春。
「これでいいのか?」
見た目には特別変化のない風車。手の中でころがしながら、しげしげと観察する。
「それでいいんです。力を少し移しましたので、その風車をお借りしていきましょう。」
「え? これ持っていっていいのか?」
「勝手に持っていっちゃ駄目ですよ。だから、挨拶をすませたので。」
黙りこむ七春。
頭の中で七春脳がフル回転し、今八神が唱えていた言葉がそうだったと気がつく。
「八神くんに前から聞きたかったんだけど。霊感があるひとって、誰でもこういうことができるわけ?」
「こういうこと。」
顎に手をあて、考えるそぶりで一拍黙る八神。「というか、そもそも霊感のあるひとが知り合いにあまりいないんですけど。」
「そりゃそうか。」
「でも、少なくとも誰でもできるわけじゃないと思いますよ。俺が妖しものを使えるようになったのは、人に教わってからなので。」
その人はもう亡くなったんですけどね。となんでもないふうでつけ加えて、八神は来た道を戻る方向へ歩き始める。
「とにかく、姫川センパイの家に戻りましょう。」
「いや、お前いいのか?」
「何がですか?」
「青椒肉絲。」
「あ! いくない!」
未知の力を秘めた風車を手にしたまま、普通のスーパーへ普通に買い物しにいく運びとなった。
(なんだこれ…。)
自分のおかれた状況にまでツッコむ七春。
すっかり陽も暮れたころ、冷たい風が吹き始めた。湿気を帯びた風だ。雨が降りそうだった。
姫川宅のマンションで、声優三人が集まって、にぎやかな夕飯の時間が始まろうとしている。主力声優が三人も集い、なにげに豪華キャストな夕飯だ。
リビングには明かりがつき、ベランダの外の空は黒い。
窓をあけているため、冷めた空気が室内にも入り込んできていた。
キッチンから、フライパンを持って現れる七春。姫川がテーブルに並べた皿に、中身を盛りわけていく。
その後ろ、キッチンの方では、ちいさな紙の上に白米をほんの少しだけ乗せて、お供えの準備をする八神。それを、ベランダの方へ持っていく。
「ヤコーくん。」
霊を送る準備のため、忙しそうにパタパタ動きまわる八神を姫川が呼び止める。
「これもあげて。ベランダのちいさい子に。」
優しく言って、姫川が差し出したのは、小さなコップに入れたジュース。
「なんか、七春さんが夕飯の材料と一緒に買ってきてくれたみたいだから。」
「え、いつのまに。」
八神がキッと七春を睨む。
「俺がおねだりした魚肉ソーセージは買ってくれなかったのに。」
ちなみに八神の場合、欲しかったのはソーセージについているシールのおまけである。若い男子に人気のアニメ「グラビメイド!」とのコラボ企画で、「グラビメイド」はグラビアアイドルとメイドさんが合わさった造語である。
とりあえず、姫川が差し出したコップも受け取り、お米と一緒にベランダに並べる。
霊を送る準備をする八神と同時進行で、七春は三人前の夕飯を用意していた。
普段から自炊をしているだけあって、さながら皿の上は彩りがいい。
最後に七春が、預かっていた風車を八神に手渡し、その風車もベランダに供えて、準備は整った。
室内には賑やかな食卓。ベランダには供養のお供え。
二つの場所は文字通り隣り合わせだが、今やベランダは、室内からは少し遠くにある存在に見えた。
それだけ、特異な空間になっているのだろう。はじめに、霊の進入を防ぐ目的で並べた盛塩も、今は霊を送るためのお供えと共に鎮座している。
テーブルに並ぶ中華料理を囲んで、三人の声優はベランダを見つめた。
開け放した窓の向こうは、すっかり闇に飲まれ、沈黙している。物音一つたてるものはない。
「賑やかに食事していれば、あの霊は必ず寄ってきます。無理に呼び出さず、じっくり待ちましょう。」
八神が優しく諭すような声で言って、三人は改めて食卓についた。
「いただきます。」
年齢こそバラバラだが、同じ職につき、同じ作品を愛する仲間が集まっての食事は、時間を忘れるほど愉しかった。
いつの間にか卓の上には酒もあがり、濃密な仲間同士の時間はより深まっていく。
宴会のような賑わいをみせる空間。
その背後まで、それは迫っていた。
ドンドンドン ドンドンドン
天井から響く、鈍い音。
話し声と箸を動かす音は、ピタリと止まる。
食事にいそしんでいた三人は、ほぼ同時に、音の響く天井を見上げていた。
上の階からの怪音は、明らかにこれまでとは様子が違う。
ドンドンドン ドンドンドン
憎しみを込めて、床を踏み鳴らすような重い音だ。
赤ん坊が自分の意思でたてる音でも、その赤ん坊を、救いの手が迎えにきたような雰囲気とも違う。
明らかに、階下の楽しげに騒ぐ声を威嚇するような響きだった。
ドンドンドン ドンドンドン
音のする場所は絶えず移動する。まるで、落ち着きなく部屋の中をウロウロと歩き回っているかのように。
「チッ……あと少しだったのに。忌々しい女」
立ち上がった八神の口から、なんの躊躇もなく、ひどい悪態がこぼれだす。
状況についていけない七春と姫川が、天井を見上げながら聞いた。
「な、なに?この音。」
「上の階って確か、空き部屋だろ?」
すっかり興醒めした空間は、瞬く間に異様な空気に飲まれていく。
室内は明るい。だがその電気の明るさも、一段階落ちたような気さえする。
事態はどうやら、予期しない方向へと進んでいるようだった。
「あの子供の霊に、迎えが来たのか?」
落ち着きなく立ち上がった七春が、八神に問う。
その八神は、腰にまいた上着の下から、正方形の小さな札をとりだし、ゆるく首を振った。
「迎えならとっくに来てました。あと少しで成仏できるところだったのに、とんだ邪魔が入りましたね。」
言って、憎々し気に、天井を見上げる。
「上の階に悪霊が来たみたいです。あの子供の、母親が。」
子供を道連れに命を絶った、夫を亡くした母親。彼女が悪霊となって戻ってきたのだと、八神は言う。
「なんで」
事態に頭がついていかないのか、震える声で、姫川がこぼす。
「子供の命を犠牲にしてまで、後を追ったのに。なんで旦那さんと同じところに居ないんだよ?」
「いけないんですよ。どのみち最初から」
呆れたような声をだし、八神が答える。
「事故で死んだひとの魂、つまり『まだ生きたかった』ひとの魂と、自殺した、『自分から生きることをあきらめたひと』の魂は、同じところに逝かないんです。」
あまつさえ、一度自分勝手な理由で死なせておきながら、今度は成仏まで邪魔をしに来た、どこまでも自分の子供に執着する母親。
「けど、どうして今さら。」
テーブルの横に座ったままの姫川を守るように、傍に寄りながら七春が再び問う。
「彼女にはもう、あの子しかいないから。」
単純な理由だが、シンプルだからこそ人間の真理なのかもしれない。
夫を亡くして、子供を連れて死んだ。
望んだ場所には行けなかったので、また再び子供に執着する。
この場にいる三人には、とうてい理解し難い女の心理。
「理由はどうあれ、エゴはエゴだろ。」
切り捨てるように八神が言った。
こんなに攻撃的な彼の姿は、七春も見たことがない。何かが、琴線に触れてしまったらしい。
それが何だったのか、わからないが。
「とりあえず、どうす……」
止まない音の中、ふとベランダに目をむけた七春が、何かに気がつき言葉を止めた。
「八神くん!」
名を呼ばれ、ベランダの方へ視線を向けた八神の目の前で、ベランダに供えた風車が回っている。
カラカラカラ……
虚しい音をたて、空転する風車の傍らには、墓地で見かけたあのお地蔵さまの姿があった。
微笑んでいた顔が今は強ばり、無表情に立ち尽くしている。その足下には、形の定まらない、肉の塊のようなもの。
よく目を凝らすと、およそ胴体部分と頭に別れており、頭の方には黒い窪みが二つ見えた。
鼻や口もなく、あとの部分はよくわからない。足や腕の識別もつかない状態だった。
「………ッう。」
その姿はどうやら八神以外の二人にも見えているようで、姫川は耐えきれず目を逸らした。
「どうして、俺たちにも見えるんだ?」
口にしてから思いだす。公園の女の霊もそうだったと。
はじめは、存在すら半信半疑だったのに。
その姿はハッキリと七春の前に現れ、霊木に救いを求めてきた。
「助けを求める時や、存在に気がついてほしいとき、霊は姿をあらわすんです。」
八神が、鋭く叫んだ。
「お地蔵さまが、救いを求めてる。あの子を天国へ送るまでの間、母親を足止めしてほしいって!」
「なんだそれ……!了解したわ!」
怒っているのか、請け負ったのか。
よくわからない返事をして、七春はベランダの方へ走った。
お米やジュースと共に供えてあった塩を、鷲掴みにして、天井へと投げつける。
「今!」
「神威!」
七春の短い号令に次いで、八神が叫んだ。
それは公園のトイレの個室から霊を追い出した時と同じ、霊を威嚇する攻撃だった。
ドン!!
ひときわ大きな音で天井を踏み鳴らした後、音は止まった。
何かに反応するように、部屋の電気が明滅を繰り返す。
ベランダの風車は、途切れないで回り続ける。風は吹いていない。
「ヤバイ……怖い………ヤバイ……っ」
動けないまま、姫川は天井を見上げていた。体が震える。
霊が一時的に大人しくなった隙を見逃さず、八神は取り出していた小さな札を構えた。
指先を少し噛み切り、血を札の表面にこすりつける。
札の表面には、ミミズがのたうちまわったような文字が書かれていた。八神が血をつけた部分から、墨の文字が溶けるように消えていく。
「召符・荒天鼬」
八神が指先から放つと、札はまっすぐに天井へと飛んだ。そのまま真っ白な天井をすり抜けて、上の階へと入り込んでいく。
ややあって、
きゃあぁあぁ!
真下に落ちてくるかん高い悲鳴。
命の危機が迫った、女性の悲鳴だ。
「なに、八神ー!」
「人妻になにしたー!?」
騒ぐ七春と姫川。
暴れた二人がテーブルにぶつかり、食器がぶつかりあって音をたてる。
上の階からはさらに人が暴れるような音がして、数回の悲鳴が響いた。
「なに、なに、今どうゆう」
「もうやだ、引っ越す!引っ越す!」
引っ越す決意をかためた姫川。
「ダイジョブです!手応えありです!」
拳を握り、八神が言った。
どうゆう手応えだよ、という七春のツッコみが入らない。冷静にツッコむ暇もないらしい。
はりつめた空気の中、次に起こる展開に備えて、誰もが口を閉ざした。
不機嫌に点滅する電気。音がなくなり、静まり返る室内。
天井を睨んだまま立つ七春と、札を構えたままベランダの方へ気を配る八神。
しかし、それ以上なにも起こらず、リビングは落ち着いた。
天井から、八神が放った札が戻ってくる。まるで役割を終えたかのように、墨の文字が再び現れ、ヒラヒラと落ちてきた。
「八神の札……っ」
落ちてきた札を、七春が両手で包むように拾う。
「上の霊はひとまず追い払いました。」
七春が札を拾ったのを見届け、八神が告げる。短く息を吐いた。
「あとはこっちです。」
八神は気にしていたベランダに向き直った。
窓の向こうは、すでに暗闇。そこにはまだ、地蔵さまと子供の霊が、残っていた。
だが、先程見たお地蔵さまの顔とは違い、再び穏やかな微笑みに戻っている。
「もう、いけますか。」
窓際まで寄って、八神がたずねた。
答えは返ってこなかったが、お地蔵さまと子供の霊は、徐々に薄くなっていく。後退するのとも、上昇するのとも違う。
なにかに気がついて、八神は七春を振り返った。
「センパイ」
「はひ!?」
突然呼び掛けられ、とびあがる七春。
「風車を、あの墓地でしたように、動かしてほしいそうです。」
「は、あ、」
言われるままに、七春も窓際へ忍び寄る。床に手をつき、身をのりだして、七春は供えられた風車へ、息を吹きかけた。
恐怖のあまり、吐き出す息が震える。
カタカタカタ……
それでも、なんとかかんとか風車を回すと、窓際の二人が見守る前で、子供を抱え、お地蔵さまの姿は消えていった。
室内の電気が正常に点灯し、一つの戦いを終えたあとのように、空気が落ち着く。
七春が吹きかける息を止めても、風車は暫く回り続けた。
パン、と手を叩き、
「終わりです!お疲れさまー!」
元気よく八神が声をあげた。
七春は窓辺で座りこみ、姫川はテーブルの傍で小さくなっている。
誰かが揺らした反動か、テーブルの上の食器が乱雑に散らかっていた。
「………終わった、の……?」
やや時間を空けてから姫川がたずね、それに八神は飄々として頷く。
八神のすぐ隣で、恐怖に体が強ばっていた七春が、じんわりと顔をあげた。
「終わりですじゃねぇよ。お前、あの母親がくるのわかってて黙ってただろ。」
疲れきった七春の顔をみて、八神は少し驚いた表情を見せた。
それからその表情をすぐにひっこめる。
「わかってたわけじゃないです。来るかな、とは思ってましたけど。」
「嘘つけ! 札構えるのメチャクチャ早かったじゃねーか!」
天井から落ちてきた札を、八神にかえしながら、七春が怒鳴る。
どうやら怒鳴る元気が返ってきたらしい。
その様子を見ると、事態が片づいたことを改めて感じ、姫川は長く息を吐いた。
「引っ越す。もう絶対引っ越すよ俺~。」
抱き抱えた膝に顔を埋めて、泣き言を言う。
「まあまあ、無事に片づいたし、目的以上の成果だしたからいいじゃないですか!」
「お前のそれは結果オーライなんだよ!」
「理不尽な世界においては結果が全てなんです!あの子供の霊は送れたし、怪奇現象はおさめましたよ!」
特に意味はないが、なんとなく敬礼して喋る八神。
「あの母親の方はどうなった。てかお前、人妻に一体、何をした。」
「母親の方はどうなるかは、彼女次第です。俺は知りません!」
どうやら母親の方には最後まで気を許さないらしい。
だからなんなんだ、と考えてから、
(そう言えば、こいつ両親いないんだっけ。)
声優ラジオで聞いた話を思いだす。
(あまり詮索しないほうがいいのか。)
事態がおさまったことで冷静になったのか、七春にもデリカシーが働く。
「さ、片づけますか!お皿洗いは俺がしまーす!」
一人元気に立候補する八神。現場の慣れかたが違う。
屍になっていた七春も嫌々体を起こし、机の上を片づけはじめる。
その二人の顔をみて、姫川は思った。
(メチャ頼もしい。)
そして、自分も片づけに加わる。
「今日は、ありがとぉ。」
遠慮がちに切り出し、少し、頭を下げる。
その姫川の言葉に、八神と七春は顔を見合わせた。
それから、そろって姫川に向き直る。
「魔法少女に不可能はないもんね!」
「魔法少女に同じく!」
収録中アニメ第二話、戦闘を終えた魔法少女と使い魔のセリフだった。
「だから、覚えたセリフ会話に使うのやめよう?」
姫川がツッコむ。
三人はそろって笑いだした。
春の終わりのことだった。