真夏の夜の池。
真夏の夜の池。
怪しものの弓を池に撃ち落とした七春。
その隣に八神が並んで立って、池を覗いていた。
池と遊歩道の間にある転落防止の柵に手をおき、池の中を覗いてみるが、真っ黒な水面には何も見えない。
「誰ですかね、水に怪しもの沈めたの。」
八神が淡々と言った。
その声が、広い池と遊歩道の周囲に浮かんで消える。
不安定な夜だった。
月が不恰好に突っ立っている。
「てへっ⭐」
自分の頭をコツンッと叩いて舌をだす七春さん。別に可愛くはない。
「てへ、じゃないスよ。」
八神が冷静に返した。
沈んだ怪しものはなかなか浮かんで来ない。
まるで、二人が油断するのを見越して息を潜めているような、不気味な静寂だった。
「まだ油断はできません。」
「わぁってるよ。」
言いながら七春は靴を脱ぎ、ジーンズの裾をまくり上げる。
池に入るつもりらしい。
「勇気ありますなぁ、オニーサン。」
八神がからかうように言って、
「八神くんが行って、足つかなかったら可哀想だから。」
七春がおどけて返す。
「ぶー!ぶー!そこまで小さくありませんよ!」
抗議をあげる八神。
七春が臨場してからはよく喋る。
実力はともかく、七春が居るのと居ないのでは、メンタル的に違うらしい。
なんか、余計な緊張が解けて、ニュートラルになるというか。
「てか、その怪しものってさ。」
柵をこえながら、七春が声をあげる。
「確か、祠にあるって言ってたんじゃなかったか。ここ池だけど?」
「もともとは祠にあったんですよ。」
破れた上着を気にしながら、八神が返した。
「それを箱入あげはが先に見つけて、交戦中のところに俺が出くわしまして。」
「あげはちゃん、ね。」
その名前が出て、七春は複雑な顔をつくる。ついさっき、変な術をかけられたばかりだ。
「センパイが何をされたのか、彼女が使う術を見ていて、なんとなく予想はできます。たぶん、アレは幻術。」
言われて七春は、少し前に上木と話したことを思いだす。
心霊ロケの時、七春と霊能者シリカが別行動をしているうちに、上木は何かを見たと言っていた。
それが何だったのか、具体的なところまでは聞いていないが、その場にいたのは、上木とあげはだったのだ。
(詩織くんが見たのも、あげはちゃんに関わる何か…?)
正確なところまでは、七春にもわからないが。
「で、そのあげはちゃんは?」
「今、あっちに……」
言って、あげはが足を止めたあたりを振り返るが、そこには誰もいない。
気がついてキョロキョロする八神を横目に、七春は池に飛び込んだ。
今のところ、足はつく深さだ。水草がたまっているのか、裸足の足で触れる水の底はヌルヌルしている。
「とりあえず、池の中はいけそうよ。」
「あげはさんがいません。」
間髪いれず、八神が返す。
「俺にかけてた術が解けたから、余計な詮索をされる前に逃げた、とか…?」
「アッサリしすぎてませんか?」
「確かにな。」
不意をつかれそうな、わざとらしい静寂。虎視眈々と怪しものを狙っているはずの、消えたあげは。
その不気味な空間に、七春のたてる水の音が不謹慎なくらい大きく響く。
水の中の怪しものすら、状態の確認ができていない。
沈みきって浮き上がらないまま、時間だけが経過していく。
(こういう現場の…緊張感? 八神くんなら、百戦錬磨で慣れてるのか。平常心を保てたりとか、しちゃうのか。)
考えながら七春は胃が痛くなってくる。
実のところは八神も、七春と大差ないわけだが。
「七春センパイ、慎重に。冷静に!」
背中に八神の指示を受けながら進む。
足下が頼りない上に暗闇の中だ。平衡感覚が不確かになって、進むだけでも難しい。
そんな七春を、何かあればすぐサポートできるように、八神は塩の包みを取り出す。
見えない強烈な矢がかすめていった傷口が、ジワジワと痛い。着衣がはりついてくるような感じがするところから、出血が多いようだ。
なるべく怪我した箇所から意識をそらして、気がつかなかったフリをする。
(確か怪しものが落ちたのは、このあたり…)
七春が弓の水没地点まで行って、手をつっこんでみる。が、当たりはない。
「どこだろ……」
腰をまげて水の中を漁る。
頼りになるのは月光と、遊歩道にたつ電灯だが、とても池の中までは光は届いてこなかった。
日中の陽射しのせいか、池の水は生ぬるい。
「てか、暗くてよく見えないんだよなぁ。」
そこでふと、火葬場に行った時に、八神が上着の下からペンライトを取り出していたのを思いだす。
八神の腰に巻いている上着の下からは、なんでもかんでも出てくるのだ。
「八神くん、ペンライト…」
貸して、とい言いかけたところで。
「センパイ、後ろです!」
八神が言うと同時に、七春の背後で、激しく水しぶきがあがった。
噴水のような動きをした水から、弓が飛び出してくる。水の中に沈没していたとは思えないほど、ごきげんな登場だ。
そのまま七春の後ろ頭に直撃して、そこから直角に浮き上がる。
「がっ……」
何もつまっていない七春の頭が、スコーンという良い音をたてた。
背後からぶつかられた勢いで、前倒しに池につっこむ。
「七春センパイ!」
八神が呼んだ。のだと思う。
水中だと声が遠くてよくわからないが。
「くそ、不意打ちうまい……!」
敵に感心しながら、八神は柵をのりだし塩をかけた。
七春を助けるよりも、怪しものの回収を優先したらしい。
「神威!」
怪奇音。
木の板が軋むような音のあと、紫の電光のようなものが空中にはしり、弓を襲った。
弓を護っていたシャボン玉のようで頑丈な壁は今はない。マッキーに撃ち抜かれたままだ。
(イケる。結界ごしじゃなく、本体に直接攻撃なら。)
と八神が考えた通り、
パシッ!
と派手な音をたてて、怪しものの弓の弦が切れた。
八神に向けて見えない矢を放っていた弓の弦が、あっけなく切れる。
心霊ロケの際、文字を飛ばして攻撃してきていたマッキーが、火に焼かれて紙を燃やされたのと同じだ。
「おしっ!」
と八神が拳を握るのと、
「ぶはっ。」
と七春が浮上するのが同時だった。
亜来と初めて出会った、T字路での霊との遭遇を思いだす。
沼に落ちる。穴に落ちる。池に落ちる。
最近、七春は色々と落ちまくっている。そして今、気分もかなり落ちている。
弓が直撃した箇所がジワジワ痛い。
最近七春さんは、後頭部もよくぶつける。何か憑いているんだろうか。頭とかに。
「はぁっ……何が……」
息継ぎもそこそこに、濡れた顔を雑に手で拭って、七春は周囲を見回した。
状況を確認する。
墨を流し入れたような黒い池。その上の何もない空間を弓は移動していた。
もう、先程までの快活さが感じられない。
どちらかといえば、『ヒョロヒョロ』という効果音が似合いそうだ。
(あ、逃げる。)
まさにその後ろ姿が「逃げる」という雰囲気を背負っていたので、咄嗟の判断で七春は水の中の腰に手をあてた。
腰のペットボトルホルダーから、巻物の怪しものマッキーを取り出す。
水につかったはずなのに、濡れてもふやけてもいない。
耐水性だし名前がマッキーだけど、油性ペンではありません。巻物です。
相変わらずの普通じゃない感じが、今日も今日とて役にたつ。
「ぉりゃ!」
少しひろげた巻物の先を、気合いを入れて空へ向け放る。
特に力をいれたわけでも、手首のスナップをきかせた訳でもないが、マッキーは七春の意図を汲むように弓にからみついた。
それは棺桶の霊を引っ張った時も同じだ。
「逃がさないでくだちゃい!」
柵に乗り上げて八神が言った。
こんな時に、噛んだ。
「ばかぁ!こんな時に、噛むなぁ。力抜けるだろぉ。」
緊張感の糸が易々と切れた。
マッキーに絡み付かれた弓は、キシキシと紙を擦る音をたてながら、まだ前進しようとしていた。
めげない感じがなんか好感がもてる。
「すみません、センパイ。マッキーの文字を飛ばす攻撃、もう一度できませんか!」
八神がきいて、
「無理!さっきどうやったのかがわかんない!」
七春が頼りない返事をした。
言ってから、さらにマッキーを掴む手に力をこめる七春。
端から見れば、池につかったまま凧上げをしているような状態だ。
弦が切れ、もはやただの棒切れになった怪しものと、それに繋がるマッキー。さらにそれを下で支える七春。
序盤ほどの元気はないものの、まだ棒切れは逃げ切ろうと前進している。
それを食い止めようとする七春の手には、かなりの力の負荷がかかっていた。
(あげはちゃんが何処にいったかはわからないけど、……たぶん、これをウッカリ逃がしたら、八神くんに殺される!)
マッキーが引っ張られて、強く握る手のひらに擦れた。皮膚が切れて、血が流れる。
七春の手からあふれた血が、マッキーの外装和紙を汚した。
ちなみに、風がすごく強い日に凧上げをすると同じ状況になります。
「くっぅ……八神くん、早くなんとかして…。」
七春が訴えて、それに応える八神は、手のひらをあわせた。
(詠唱があるから、怪しは攻撃までの間が長い。けど、確実に決めなきゃいけない場面なら、これが妥当。)
お決まりの文句を唱えながら、そんなことを考えていた。
怪しを相手にする時も、霊を相手にする時も、考えながら、組みたてている。
そんなことを、たった一人で始めてもう四年。
たて続く失敗を、ループする日々。
だけど今は、一緒に怪しものを集めると言って、血を流してまで付き合ってくれるセンパイもできた。
「神命に於いて疾く成しませ。」
ここはオトせない。
噛んで切らした緊張感を、自力で集中力に変換して、八神が取り出したのは飛苦無の怪しものだった。
水に入りたくないからである。
「ラストぉぁあ!」
夜叉の面のような恐ろしい形相で、八神は再びそれを弓の怪しものへと投げた。
まわりを包む壁がない分、今度は的がだいぶ小さい。小さいというか、細い。
それでも八神の手を離れた苦無は、まっすぐ飛んで弓の本体に刺さった。
湿気の多い空気を巻き込んで、竜巻のような威力をつくりだす。もはや苦無というよりは、投げ槍に近い重さと力だった。
でしてそれが雪崩と同じ勢いで細い棒に食い込む。
ピンポイントだ。
「にゅっ!」
特に意味はないが、気合いを入れて念を込める意味合いで、八神はバッと手をあげた。
その八神のバッに合わせて、突き刺さった苦無の刃先が爆発する。
「ひぼふっ。」
と風に圧される七春。
音と火力もすごいが、とにかく余波が殺人的だ。天上が巨大なたき火で明るくなり、その風圧で、池の水は大きく揺らいだ。
皿を傾けたかのように波たつ中で、風圧に耐える七春の体に、熱風が吹き付ける。
それでもマッキーを手放すわけにはいかないので、ただ終わるまでジッと耐えていた。
「七春センパイ!」
その七春に、さらに八神から指示がとぶ。
「折れましたか!?」
これは、怪しものの弓の話だ。
弓というか、弦が切れた上に火までつけられて、もうただの松明だが。
(そんなん、聞かれてもっ……)
風に混じって顔に当たっているのは、砂か水滴だろう。
その中で目をあけるというのは、なかなか困難なわけだが。
「………んむぅ。」
ゴーグルとかあれば良かったのにねー。とか無いものねだりをしていても仕方ないので、ギリギリ砂粒に殺傷されない程度に、七春は薄く目を開けた。
顔を風が叩きつけているのが、肌で感じてわかる。
波の高さもまだ落ち着かないが、マッキーを手放さないように神経を尖らせた状態で上を見上げた。
折れていた。
色の濃さが増し、黒ずんだ色の棒切れ。
その焦げた色が、春に見た女子トイレの霊を彷彿とさせて、一瞬頭の中をよぎった。
(折れた!)
真ん中から、クキリと腰を折っている。
お辞儀をするような態勢で、怪しものは二つに折れていた。
あとは煽子の村の学校で、マッキーを回収した時のことを、ひたすら思考の最中にリピートした。
ゆっくりと、丁寧に、先導してくれた八神の声を、頭の中で繰り返す。
「うつしよから妖しものをお預け申す我が名は、神木を奉じ境界の巫女の命を継ぐ者なり。」
一つ一つの言葉を、押し出すように吐き出していく。
「お預けしますこの怪しの名は、……弓だからユーミン!」
七春の精一杯張った声が、広場の全体によく通る。
独自のネーミングセンスを独走していく七春。
名付けられた怪しものが、青白い光を放つ。
と、その光に押し出されるように、炎が消えて、風が止んだ。
まるで役目を終えたことを自覚しているかのように、マッキーが弓から離れて水面に落ちる。
そのマッキーの芯の部分を握ったまま、七春は名付けた怪しものに手を伸ばした。
これまでに何度も見てきた、八神が使う淡い光を纏っている。
あの光は、七春も好きだ。
「あったかい。」
腰まで水の中に沈んでいる七春が、笑顔で言った。
その手の中に、みすぼらしい棒切れになった怪しものが下りてくる。
マッキーの時と同じだ。名をもらった怪しは、名付け親のもとへ寄ってくる。
弓の怪しもの、もといユーミンが、七春の手の中におさまった。
「回収成功……と思っていいのか?」
姿勢は変えないまま、首だけ動かして、七春が八神を見上げた。
「七春センパイ。」
八神と、パチリと視線がぶつかる。
「色々と思うところはありますが、ひとまずお疲れさまでした。」
言ってから、花丸満点の笑顔を見せる。
珍しい。
「あぁ。八神くんも、ひとまずオツカレ。」
七春も、笑って返した。
その手の中には、片手にマッキー、片手にユーミンで、両手に怪しものが乗っている。
ある意味、すごい状況だ。
「怪しもの、回収成功です。グッジョブですセンパイ!」
「おっしゃあ!」
八神に改めて成功宣言を貰って、盛大に七春が拳を握った。
夏祭りの夜だった。
同じ頃。広場の入り口に、あげはは立っていた。
池とは反対側にあたる位置だ。
目の前には狭い二車線道路が横たわっている。向かいの店はすでにシャッターをおろしていた。
間も無くして、その道路に腰を据えていた闇を、一台の車のヘッドライトが切り裂いてきた。
どこにでも走っているような軽自動車だ。ライトが丸くて愛嬌がある。
その車は速度を落として路上を進むと、あげはが待つ広場の入り口で止まった。
運転席側の窓が開く。
「お疲れさまです。お嬢さん。」
短い茶髪に、銀縁眼鏡。
若い男が顔を覗かせて、あげはに声をかけた。
「お迎えにあがりました。」




