化石になるのかな。
明るい光の中を駆け抜けていた。
視界はひどく悪い。
というのは、たくさんの人の列の直中にいて、肩や体をぶつけながら進んでいるからである。
「お母さん、あれ買ってー!」
「もしもし? 今どこ? 超デンパ悪くてぇ」
「二つですねー、六百円になります!」
「花火キレイだったねー。」
「来年、リベンジだなー!」
ありふれた言葉の羅列が頭に入っては消えていく。
足がダルくなってきた。なんか、思った以上に負荷がかかっているというか。
(八神くんに、早く……!)
そんな中で、一人の少年を探している。
八神くん何処行ったの。シバき殺してやるから早く助けに来い!
と、言いたい七春は、人混みの中であっぷあっぷしながら、前に進んでいた。
せっかく買ったかき氷も落としちゃったし、もう最悪。
変な女の子にもからまれるし。
七春がからまれた女の子。名前は興玉。
怪しものを集めているという、謎多き声優・箱入あげはの味方のようだった。
でしてそのあげはが、今この広場にある怪しものの回収に向かっている。
もはやあげはを一般人には分類しないが、それでも巫女でない人間が怪しものを持つのは危険だ。
と、七春は聞いている。
ので、焦っている。
(俺があげはちゃんに追い付いて止めるのが早いか、八神くんと合流して知らせるのが早いか…。)
考えながら、進む、進む。
全力疾走はできないが、なるだけ急いでいる。
唯一の装備品マッキーを使って、行く先を阻む興玉は振り切ったものの、後ろからいつ追い付いてくるかわからない。
そういうわけで、気は焦っている。
「退いて!退いて!通ります!」
どうせ偽物の人や物だと、わかっていながら声をあげてしまう。
こうして真っ直ぐ走っているが、現実に自分は今何処を走っているのだろう。
なんとなく、直進していれば何処かに出るんじゃね、という気でやっているわけだが。
いわゆる、『地球は丸いらしいから、直進してれば何処かに出るんじゃね』理論である。
七春さんの頭のネジは常にユルユルしている。
(普通、こんだけ走ってれば、なんかにぶつかるよな…)
と、思ったその時。
「はいん!?」
という、よくわからない声をあげると同時に、七春は妙な浮遊感を感じた。
回りの人や屋台が、現れた時と同様に突然姿を消す。そして、七春は『落ちて』いた。
「はべべべぶぶべべ!!!」
という豚の悲鳴のような酷い声で、何処かに落ちている。
という状況が、自分でよくわからない。
唐突に周囲が暗くなったと思うと、斜面を滑り落ちていることに気がつく。
すごいスピード!
しかも湿った土と草の上だ。見えないのに、何故わかるかというと、草をすりつぶしたような匂いがするからです。
空気も湿気ていて、そういうムンワリした空気に草の匂いが濃く混じっているので、いやに鼻につく。
「はべべべぶぶぶ」
斜面はだいぶ急なようで、さらに頭も混乱しているため、何かに掴まってブレーキをかけるなんて芸当はできなかった。
そのまま、無抵抗に滑る勢いに運ばれていく。
斜面は滑り台のように、一番下だけ地面と少し平行になっていたので、滑ってきた流れでそのまま飛び出す。
ちょうど、かなり勢いをつけて滑り台を滑りきった時のように。
あまり滑る滑る言うのは、七春の職業柄よくないので。
そうこうして、斜面を下りきった七春は、勢いよく飛びだして地面に激突した。
「はんぎっ!」
一瞬、首がとんでもないことになった。
後転を三回して、体を起こした状態で止まった。
頭がぐるぐるしている。
首はぐらぐらしているが、大丈夫だろうか。
(なに?どうなってんの?生きてる?)
首が熱かった。
頭も熱い。血液が、よくわからない偏り方をしているかもしれない。病院に行ったほうがいい。
ひとまず状態を把握しようと無心になってみると、まず虫の鳴き声が聞こえてきた。かすかに、水の音も聞こえる。
頭の中で、まだ祭りの喧騒がワンワンと響いている気がするが、自分のまわりは静かだった。
(どうなってんの? 生きてる?)
下が地面。
うん。合ってる。
何故かかなり湿っていて、やわらかい土。背の高い雑草に、ところどころ、赤い花が見える。
ケツが冷たい。
失敬、お尻が冷たい。
濡れた土の上に座っているせいで、服まで濡れているらしい。
土と言うより、腐葉土みたいだ。色が濃い。
(何処から落ちてきたんだろ。)
なんとなく上を見上げる。
かなり高い所に、光が見えた。街灯の光だ。というと、現実らしい。
現実らしい、というのもおかしいが。
(やっぱ、お祭りとか人とか、見えていただけで、実際はなかったんだ。)
それで七春は、実際には元居た場所から全力疾走していたのだろう。
そして、何処をどう走ったのかわからないが、何処かで道を踏み外し、斜面を落っこちてきた。
唐突に転落するという七春の意味のわからないトリッキーな動きについて来れず、幻は消えたのだろう。
あるいは、幻の出現範囲から、出たということなのかもしれない。
どちらにしても、現実には戻ってきたらしい。
それは喜ばしいが。
それはそれとして、ここは一体何処なのか。
「八神くーん!」
上に向かって声をあげてみる。
人の気配や、返事はない。
どうやらここは縦穴のような深い窪地らしい。周囲を高い壁に囲まれている。
その上の道から、どうやら落ちてきたようだが。上にあがる梯子や階段は見当たらない。
「実はいるんでしょー?」
勝手に決めつけて言ってみるが、期待は外れた。
手の届かない高さにある出口から、人が顔を覗かせることはなかった。
「………。クーン……。」
悲しげな仔犬の鳴き真似とかしてみる。
誰も食いついてこない。
七春さんは大ピンチだった。
「誰か助けて!こんなとこで化石になりたくない!」
化石になる未来まで想像して、七春さんは情けない台詞を叫ぶ。
だいたい、何故こんなところに縦穴が。
「はっ!こんな時のためのマッキーは……」
非常時用のロープか何かと勘違いされているマッキー。
腰のペットボトルホルダーに触れるが、中にはない。
「あれっ?……うそ!うわ!え!?」
そこにマッキーの姿はなかった。
マッキー どっか 落とした
「八神くんに怒られるー!」
恐怖のあまり、泣きながら足をガクガクさせる七春。
よくよく考えてみれば、興玉を振り払うのに、マッキーを使ったような気がする。
その後、マッキーをホルダーに戻す余裕もなかったので、しばらく持ったまま人混みの中を走って…走って…。
「ど、何処で落としたかわかんない……」
たぶん、何処かで落とした。
斜面というか、落ちてきたのはほぼ崖だった。
こんなに角度がついていて、よく生きていたものだ。
マッキーがいないと、自力脱出は難しい。
試しによじ登ろうとしてみるが、触れるたびに土が崩れてしまう。
上にあがっていくのは厳しそうだった。
「俺……俺……化石になるのかな。」
七春は一体どんな姿の化石になってしまうのだろう。
考えただけで恐ろしい。
壁をよじ登ろうとする格好のまま化石化したりとか、しくしく泣いている顔のまま化石化したりするのだろうか。
誰にも見つからないまま、このまま一人で。
「ジーザス!」
天に向かって、ジーザスの意味よく知らないくせに叫ぶ七春。
本当に化石で発掘されれば笑い話だが、白骨化するまで誰にも見つからなかったら、冗談ではすまない。
(なんとかしないと…っ)
足下に、視線を落とす。
何か役立ちそうなものを探すが、それらしいものはすぐには見つからない。
名前を知らない赤い花に、足首をくすぐる雑草群。
縦穴は縦には深いが横には狭く、何歩か歩けば向こうの壁につくほどだった。
考えながらあたりを見回し、その向こう側の壁のあたりに目を向けた時、そこに人がいることに気がつく。
そこに、人が、いた。
体育座りで、心細い様子で身を縮めている男の子がいた。
生きている人間ではないだろう。
透 け て る。
(この状況でー!また出たーっ!)
飛び退く七春。
飛び退きついでに、後ろの壁に頭を強打した。
後頭部が凹んだ反動で目玉が跳び跳ねる。
物憂げに佇む少年は、半袖シャツにネクタイ、腰には赤チェックの上着を巻いていた。
服はところどころ破損していて、破れたとこから、もれなく傷がのぞいている。
『大戦に巻き込まれた村人B』とか、なんかそんな感じのみすぼらしさだ。
色のない唇が震えて、何かの言葉を吐き出した。
『ユキト』
口の形から予想して、そんな言葉のような気がした。
誰かを呼んでいるようだ。
「ま、さか………」
あげはと話していた時、目の前を横切って行った兵隊を思いだす。
あげははそれを、霊ではなく、記憶なのだと言っていた。
殺人現場というあげはのだした一例は極端だったが、要するにそれほどの強い感情や想いは、その場所にこびりついて残ることがあるということだ。
そして、ここにある怪しものは、それを可視化させる。
見覚えのある服装で、知った名前を口にする。だけど七春が知っている彼よりは、少し幼く弱々しい。
そこに見えているのは。
「ひょっとして、八神くん……?」
腰に巻いた上着ですぐにわかる。そこにいるのは、確かに七春が行動を共にしている彼。
八神夜行だった。
呼び掛けても答えはない。
ということは、やはり霊ではなく記憶なのだ。
それは、ここに置き去りになってしまった、八神夜行のいつかの記憶だった。
ゾワリと、何かが七春の体を這い上がるのを感じた。霊ではなく記憶なら、怖くはないはずなのに。
知った人間の記憶だと知った途端に、見えることが恐ろしくなった。
それなのに目が離せなくなる。
ひきつけられてしまう。
(なんか、八神くんなのに、八神くんじゃない。雰囲気…? かな、なんか違う。)
どんな奇遇だか、七春は今、この場に残った八神の記憶を見ているらしい。
トレードマークの赤チェックの上着は変わらないが、顔つきがまだあどけない。
まだ七春に出会っていない頃の八神だ。
(なんで、こんなところに…!?)
偶然足をすべらせて落ちた穴の中に、八神の記憶が残っていたなんて、とんでもない確率だ。
八神もこの穴の中に落ちたことがあるのだろうか?
(こんなところに一人で…。)
ただ今の緊急事態はひとまず横に置いておいて。
壁と抱き合いながら地道に進んで、そっと隣に寄ってみる。
小柄な八神がますます小さい。
女の子みたいだ。
細い体は、寒いのか、怖いのか、震えている。
「ゆき……。」
ただの記憶であることをいいことに、耳に息を吹きかけれるくらいの位置まで顔を寄せてみる。
小さな小さな八神の声も、かろうじて拾えるようになった。
やはり、その名前を呼んでいる。
境界の巫女。雪解。
「俺じゃない……。俺が殺したんじゃない…。」
苦しそうに、吐き出すように、そう言ってこぼす八神の姿は、今の八神からは想像もつかないほど惨めに見えた。
何かに責められている。
祟神か、自分自身か。
「八神くん…。」
何故そうしたのかわからないが、頭を撫で撫でしてあげようとした。
ところが、その手はスルンと八神の頭から顔の方へとすり抜けてしまう。
「あ。」
と思わず七春は声をあげる。
実際には、ここにないものが見えているだけ。触れることはできないらしい。
慰めることも、激励もできない。
(こんな八神くん、見てるだけなんて嫌なんだけどな…。)
仕方ないので、隣に一緒に体育座り。
足に肘をつく。
縦穴の出口からは光が見えているが。あの光は、ここにいるいつかの八神にも見えているだろうか。
「ゆき……どうして、こんなことに。」
「ってことは、もう雪解さんが亡くなったあとの八神くんかぁ。」
黙っていると、それこそ何もないので、声にだしてみる。
その場所に残されるほど強力な想い。
ここに残されているのは、底知れない孤独と疑心だろう。
触れられないから寄り添ってはいるものの、おそらくそれ自体になんの意味もないことはわかっている。
ここにいる八神は、もういない八神で、過ぎ去った過去だ。
ただそれを偶然見ているだけの七春は、何もできることはない。
「なんか、バカみたいだ…。」
七春は、思ったことを素直に口にだす。
毎度のことながら、今回も、七春はなんの役にもたっていない。
せっかく頼ってもらえたのに、屋台で買い物して、あげはに変な術をかけられて、幻の人混みに惑わされて、走って、滑って、転落しただけだ。
特に全く吃驚するほど全然これっぽっちもイチミリも、役にたっていない。
もう、全然、なんにもしていない。
挙げ句に、隣でウジウジしている八神を、励ますことすらできないのだから、いたたまれない。
「誰か……、助けて…。」
記憶の八神から、引き出しのさらに後ろに隠していたような、本音がこぼれる。
本当に同一人物かと疑うほど、情けない姿だ。
おいおい、いつの八神くんだよ、とか。
笑っちゃうよ、とか思う。
一人で怪しものを集めだした時の八神かもしれないし、境界の巫女を亡くしてすぐの八神かもしれない。
どちらにしても、今の八神ほど、隠すことがまだ上手くないようだ。
今の八神なら、助けて、なんて思っていても口には出さないだろう。
言い換えれば、こういう『誰でもいいから誰かに助けてほしい』という感情を、今の八神は巧みに隠しているということになる。
本当はいつも、助けて欲しいと思ってる。
口に出さずに、自分の中だけで処理してる。
そして、処理しきれないから、たまに感情も希薄になる。
「はじめから、強いひとなんかじゃない。」
わかってる。
嘘。
ホントは全然、気づいてあげてなかった。
「あーーー!もう!」
叫んで七春は、立ち上がった。
腹がたっている。
ウジウジしている八神にではなく、無力で無関心な自分に。
ただ、一人で怒っていたからといって、どうなるもんでもないのは知っている。
「とにかく、ここからでないと。」
ようやく本題に戻る。
そこで、この場所にこびりついていた八神の記憶は消えた。
あげはの後ろを通った兵隊も、長くは姿を現さなかった。
一時的な強い感情が残っただけだから、すぐに消えてしまうのだろう。
こうして目に見えているものは、いつかこの場所で起きたことの、ほんの一部でしかない。
考えてみれば、屋台を巡っている時にすれ違った裸足の少女も、霊ではなく記憶だったのかもしれない。
とにもかくにも、この穴から出て、早く八神と合流しなければ。
(今すぐ、八神くんに会いたい!)
そして、ウジウジするなと言って思いきり殴りたい。首絞めたい。
今ある感情を、今すぐ、一秒でも早く伝えたい。
その為に、
「来いいぃぃい!マッキーいぃぃいぃい!」
腹の底から声をあげて、叫んだというより、七春は吠えた。
呼んだからといって、普通、物が自分で飛んでくることなんて、あるわけがないが。
暗い夜道。電灯の明かりが照らす中に、ポツリと落っこちている巻物。マッキー。
何かに呼ばれるように。
それはカタカタ震えると、独りでにフワリと地面から浮き上がり、どこかの方向に向かって飛び出した。




