メロンパンでるわ、ボケッ!
八神が盛大にイチゴミルクを吹き出したのは、八月二日の朝だった。
魔法少女の収録の日、スタジオ入りの時間になる前に、七春と八神はコンビニ前に集合していた。
早朝からご苦労なことだ。
「祟り神に会ったって…、いつ!?」
「だから、初めてのおつかいの日。」
簡潔に説明する七春は、コンビニで買ったメロンパンをもふもふかじっている。
朝飯くらいちゃんと食べてから来い、と言いたい。
「あぁ、センパイのラジオにハガキが来たときの…。」
家の中の怪奇現象について相談する内容のハガキが届き、七春が現地に向かったのが、もう一週間くらい前の話になる。
「なんでそんな前の話を今……!」
愕然とする八神。
の、頭にチョップを振りおろし、七春は寸止め。
「俺、結構頑張ってお前に連絡とってたよ!気づかなかったのお前の方だけど?」
ホントに当てられると思った八神は、ギュッと目を閉じて「ミャンッ」と鳴く。
それから、衝撃がこないことを確認してから、顔をあげた。
「気がつきませんでした。」
と、全く悪びれずにコメントする。それから、
「ホントに祟り神だったんですか? どんな姿をしていましたか? 何かされませんでしたか?」
と、立て続けに質問した。
「んー。別に何もされなかったけど。昼間だったから怖くなかったし。」
話ながら、八神がじっとメロンパンを見つめているので、少しわけてやる。
「なんか、姿は巫女の女の子だった。長い髪で、でも見かけによらず自分のことは『おれ』とか言ってたかな。美人だった。」
「また化けてたのか……。」
と言って、八神はもらったメロンパンの切れ端をパクン。じんわりと甘さが口にひろがった。
「それは境界の巫女の姿を真似ているだけ、本体は狐ですよ。六尾狐。」
「狐?」
狸や狐が化けるという話はわりと有名だ。
あらためて、自らを祟り神だと言った少女の姿を思い返す。
髪は細かく一本一本までサラサラとしていた。長い睫毛も白い肌も、ふっくらとした女性らしいふくらみも、ハッキリ思い出せる。
立体感のある等身大の少女であって、あれが狐にはとても見えない。
「すごく綺麗なコだったけどな…。」
「記憶の中の境界の巫女を映しているんです。俺が動揺すると思って、いろいろな姿で出てくる。境界の巫女の姿で、浴衣とか、ドレスとか。髪も、結ったりおろしたり。正直困ってるんです。」
子供が拗ねた時のような声をだす八神。不満気だ。
境界の巫女。かねてより話題にあがっている、八神の前に怪しものを集めていた人物。すでに亡くなっていると聞いている。
でしてその巫女を、京助は雪解と呼んでいた。
「あれが雪解さん。……境界の巫女か。」
七春的には、境界の巫女と言うからには、卑弥呼的な本格的なやつを想像していたんだが。
「ん? その名前をどこでききました?」
メロンパンの最後の一口を放り込んで、八神がたずねた。
パタパタ手を振って、手についたパンくずを落とす。
「京助がそう呼んでたんだよ。」
と呑気に返事をした七春は、メロンパンの合間に缶珈琲をちびちびと飲む。
甘いのか苦いのかハッキリしない男だ。
本当に何気なく言った七春だったが、それからしばらくして、
「あ、言い忘れていたけど、八神くんの霊獣にも会ったよ。」
と付け足した。
一拍、間が空いて。
「みょおい!?」
びっくりするほど大音量で八神が叫んだ。
真夏の早朝に響いた奇声に、まばらな通行人が足をとめてこちらを見つめる。
ゴミ箱の周りに群がっていたカラスが、一斉に飛び立っていった。
「だぁも!なんで早く言わないんですか!」
小さな拳を握りしめ、七春の胸をシャツの上からドカドカ叩きながら、八神がまた叫ぶ。
「ちょ、やめ、ゲホッ……メロンパンでるわ、ボケッ!」
七春がむせこんで、八神のまあるい頭を押し返した。フワフワしたやわらかい八神の髪が、くしゃくしゃになってはねあがる。
八神のもとから逃げ出した荒天鼬という名の霊獣は、拾われた先の女子高生の家でのんびりと暮らしている。
人間を食べることもあるという霊獣だが、いまのところ、その女子高生とは良い関係を築けているようだ。
「飼い主さんをすごい大事にしてたよ?」
またぞろ呑気な七春に、
「ぶーぶー! してたよ、じゃありません!霊獣は愛玩動物じゃないんです!人間が飼えるものじゃありません!」
ミャンミャン吠える八神。
その八神を片手で制して、七春が続ける。
「いや、それは聞いたけどさ。ホントに仲はよさそうだったんだよ。」
そこで一度、言葉を区切る。
上から見下ろすような形で、八神と目をあわせた。
「普通の人間でも、理解さえあれば、霊的なものと共存できるみたいな? あぁいうのって、いいよなぁ。……俺も、霊は怖いけど、八神くんのことは怖くない。一緒に生きていける気がしてる。」
そして、照れくさそうに、七春は笑った。
その純粋な笑顔を見るとそれ以上責められなくなって、八神は仕方なく口を閉じる。
七春らしい見解だ、と思った。
どことなく、懐かしいような気がしている。否定され続けた日々と、受け入れてくれた少女のぬくもりを、重ねて思いだす。
(雪解ならきっと、七春センパイと同じように、受け入れるだろうな。この結果を…。)
考えれば考えるほど、霊獣の管理に神経質になっている自分が、バカらしくなってくる気がした。
見上げると、電線に区切られた向こうの空は青い。鳩が飛んでいく。
穏やかな世界だ。
「そうそう、祟り神には何もされなかったんだけどさ、変な謎かけをされたよ。なんか、誰が駒鳥を殺したのか、って。」
「駒鳥?……マザーグースですか?」
「ああ!」
七春が、ポムンと手を打つ。
どこかで聴いたフレーズだとは思っていた。
「マザーグースの一篇、駒鳥の葬送を書いた童謡が、似たようなタイトルでしたが。」
「そっかぁ、それが思いだせなかったんだよな。…どういう意味だと思う?」
なんの考えもない七春さんが、なんにも考えずに八神に丸投げする。
丸投げられた八神は、思案するようにあごに手をあてた。
「さあ、比喩的なものかとは思いますが。あの祟り神が口にしたのなら、必ず境界の巫女に関わりがあるはずです。」
「亡くなった巫女さんを駒鳥に例えたのなら、巫女を殺した犯人をつきとめろ、ってことかと思うけど。」
しかし、それだと辻褄が合わないことは、ハッキリしている。
「俺を祟っておきながら、七春センパイには犯人探しをさせる…? よくわかんないですね。」
「八神くんを祟ってはいるものの、イマイチ自信がないとか。」
「どんな曖昧な祟られ方ですか、それ。」
それからまた真剣な面持ちになって、八神は考えこんでしまった。
隣でメロンパンと缶珈琲を完食した七春が、その精悍な顔つきをジッと横から見つめる。
「四年も祟っておいて、今更間違いでしたじゃ済まないぞ? 一体、どういう意図で動いてるんだ?」
「八神くん、そろそろ時間。」
腕の時計を一瞥、七春が言った。
我に返って、八神は「はい」と従順な返事をする。
顔をあげて、視線を交わす。
「とにかく、祟り神の真意がわからない以上、七春センパイが深く関わるのは危険ですからね!なるべく俺の傍を離れないでください!」
八神がビシッと言って、それから二人は、並んで歩きだした。
ポップなサウンドと共にはじまった、声優ラジオ『パーソナリティは七春さんですよ!』。
知らないうちに収録はごきげんに進んでいて、気がつけば夏編も第四回を迎えている。
「今晩は!パーソナリティの七春解です!えー、夏編第四回です。」
「今晩はー、姫川かぐやです。おひさしぶり!」
ゲストはおひさしぶりの人気男性声優、姫川かぐや。
「姫川さんの家は、最近どうですか?」
春の終わりに、姫川宅の怪奇現象を解決するため、八神と共に乗り込んでいった日が、今や懐かしい。
「引っ越しました!」
「引っ越しましたか!」
当然の処置ではあるが。それならそれで、八神も安心するだろう。
「姫川さん家にはホントにいましたからね、幽霊。」
「待って。 それ、ここで言うのかい?」
「そんな姫川さんに!今日御越しいただいたのは、他でもありません。」
「はい。」
「実は、全く募集してないにも関わらず、心霊系の相談のハガキがジャンジャン来てるんです、このラジオ。」
「何故なの。」
七春が現地まで赴いた、家に鬼が出るという相談のハガキ。その怪奇現象を見事におさめたことが、無駄な引き金を引いたらしい。
それからというもの、ラジオあてに届くハガキのほとんどが、心霊相談なのである。
「姫川さんはご存じかと思うんですけど、このラジオってぇ、」
「はい。」
「季節にあったお題がでてきて、どうとかこうとかっていう。」
「どうとかこうとか! はい、そうでしたね。」
「でももう今、お題とか出してる余裕がないんです。もうハガキ読んじゃいますね。」
「わぁ、雑!」
雑なことで有名なこのラジオ。
雑な進行で、七春が手にしたのは一枚のハガキ。
「ホテルを経営している二十代の男性、『ツキワタリ』さんから、『七春さん姫川さん今晩は!』」
「はい、今晩は」
「『うちのホテルには幽霊がいるらしく、日々色々と怪奇現象が起きています!』」
「トウトツ」
「『でもそのお陰でホテルにはホラー好きのお客さんが絶えません! 少し不謹慎かもしれませんが、霊がいてもいいなぁと思っています。』」
「マエムキ」
「『霊と同居することについてどう思われますか? また、霊と人とが共存することはできますか?』……という、深い内容なんですが。」
「深いね!」
「姫川さんは霊と同居してたわけではないけど、怪奇現象は経験者じゃないですか。」
「経験者…。 俺が怪奇現象のベテランみたいに聴こえるから止めてよ。」
ちなみに、それを言うなら七春も経験者である。
「どうですか、霊と同居するって。」
「うーーん……。」
結構、真剣に考える姫川さん。
「正直、オススメはしないです。けど!」
「けど?」
「俺も一度怪奇現象で悩んでて、七春さんとか、貴方の魔法少女とかに様子を見てもらったりとかしたからわかるんですけど。」
「はい。」
「霊も、好きでそこにいるわけじゃないんだなって、この前とかはすごい感じて。」
「ほう。成程。」
姫川宅にお邪魔していたのは、幼いが故に自分が死んだことにすら気がついていない、純真無垢な魂だったのだ。
八神がお地蔵さまの力を借りて天国へ送ってあげたはずだが、その母親の方の霊は、救えないままだ。
「もちろん霊の存在に気がついたら、然るべきところに相談した方がいいと思うんですけど、追い出したいって気持ちじゃなくて。助けてあげたい、とか思えたらいいと思うんです。」
八神にもきかせてやりたい台詞である。
八神なら間違いなく、そしてためらいなく、切り捨てるだろう。
自分に必要のないものは。
「助けたいとか、祈ってあげたいとか、そういう風な気持ちを持つことができれば、ある意味でそれは共存なのかなとか思ったり。」
「深い!」
感涙を流す七春さん。
もはや返す言葉もない。
とりあえず、全国の心霊現象に悩む人々に、姫川さんはカッコイーという評価は浸透したことだろう。
「八神くんに聞かせてやりたいこの話。アイツなら確実に『互いに干渉しないことも、ある意味共存ですよ。』とか言うに決まってるからな。」
一緒にいる時間が長いお陰か、的確に真似する七春。
八神の性格をよく把握している。
「でも、営業の役にたっている、てのは…。」
「幽霊の噂があるせいで、逆にお客さんがつかないっていうのは、たまに聞くけどね。」
「幽霊のおかげで繁盛するってのは、新しいよね」
心霊声優である七春も、ある意味、同じような状況だ。
ホラーがダイスキーな人がいてこその七春さんなので。
「それはそうとして、そんな深くていい話をしてくれた姫川さんに朗報が。」
「ほい。なんすか」
「その幽霊ホテルにですね」
「ふむふむ」
「みんなでいくことなりました。」
「え」




