女の子メッチャいいニオイ
階段を上りきったところは、冷めた空気の中に、細かな埃がキラキラ舞っていた。
つい今しがたまで、誰かがそこで暴れていたかのようだが、もちろんこの家の住人は誰もいない。
静寂に並ぶ三つの扉。
天井には、屋根裏にあがれるのか、四角い扉がついている。
長く、息を吐く。
階下で響く京助とにゃんこの鳴き声。壁に衝突する音や、爪が床を削ってたてるキィキィという音が止まない。
苦戦しているようだ。
殺すよりは、殺さないほうが難しいのかもしれない。
持久戦は望ましくないようだ。
「俺が早くアイテム見つけないと、ラチがあかないわけだ。」
脱出ゲームの基本といえば、浄霊アイテムを規定の数集めるとか、見つけたアイテムを所定の場所に置くとかして、出口の扉が開くようになるはずだ。
となると、少なくともまずはアイテムを探し出さなければならない。
(あるとすれば、どこかの部屋、かな。)
腰に吊るしているペットボトルホルダーの中身は空。
一階で、別の霊を抑えるのに使ってしまっている。七春は今、丸腰の状態で探索にあたっているわけだ。
八割以上頼りにしていた霊獣の京助も今はいない。
否応なく、不安がかき立てられる。
そんな中、とりあえず一番近い部屋の前まで来て、七春は足を止めた。
(一人で突入すんの怖ー!)
とか、心の中で叫びながらも、ドアノブに手をかける。
ここまで怖い思いをしていても頑なに八神に連絡をとらないのは、これが七春にとっては、はじめてのおつかいになるからだ。
自分でもなんとかできるのだと、八神に見せつけてやらねばならない。
それと恐怖を天秤にかけて、恐怖に傾きそうなのを意地で支えているといったところか。
「……あけますっ!」
べつに誰もいないので宣言する必要はないが、なんとなく大声で言って、七春は扉をあけた。
三秒後、
「ごめんなさああああい!」
轟音謝罪で扉を閉めた。
少し覗いただけでもわかる。ピンクのカーテン。ベッドに置かれたぬいぐるみ。壁に貼られた人気男性アイドルのポスター。
そこはどう考えても、年頃の女の子の部屋だった。
おそらく、依頼してきた女子高生の部屋だろう。
(いくら調査のためとはいえ、……え、入っちゃっていいの? いいのか、これ?)
といいつつ、中へ侵入していく七春さん。
最低だ。
入った途端に足下が柔らかいと思ったら、下に絨毯が敷いてあった。
西向きに勉強机。その反対側、壁際にベッドがある。
その脇にたくさん並んだぬいぐるみは、黙って主の帰りを待っているのか、皆一様に無表情に見えた。生気が感じられない。
大きめのクローゼットは、きっちり扉がしまっている。
その向こうに窓。窓ガラスは、少し空いていた。よくよく、無用心だ。
(二階とはいえ、……誰か入ってきたらどうすんだ。)
何気なく、部屋を横切って、七春は窓に近寄った。外の風にあたりたい気分でもあったかもしれない。
そんなことしている場合ではないなあと、頭ではわかっていながら、緊張をほぐして冷静になりたいとも思う。
今のところ、足を引っ張ったり、守ってもらうこと以外、何もしていない気がする七春さん。
窓に手をかけた。
思いきって窓を大きく開いてみる。
外はいい天気だった。背の低い家を一軒はさんで、その向こうの家の窓が見える。
どこからともなく吹き込む、涼しい風。
七春の短い髪を揺らしながら、通り過ぎていく。
「ふう……。風が、きもち……」
言いかけた時、視界の隅に何かが飛び込んだ。
窓枠の下側部分だ。何かが引っ掛かっている。ゴム手袋かな、とほんの一瞬考える。
人の手だった。
手首から先だ。
「気持ちよくないいいいいい!」
凄まじい勢いで、バックステップ!
血の気のない表情で、七春は光と同じ速さで動いた。窓から身を引く。
「今、なん、手!」
窓に、下から誰かが手をかけているのが、見えた。確かに見えた。
この家に、人の霊まで出るなんて話はきいてないが。
よくよく改めて見てみても、そこには確かに手がかかっていた。もぞもぞ動いていて、しばらくすると、もう一本の手もかかる。
「んっ……よい、しょ。」
おまけに、声までした。
さらに窓のむこうから、パキパキと木の枝を踏みつけている音。どうやら手首の持ち主は、部屋の中に入ってくるつもりらしい。
(八神くん~!)
窓から後退したポーズのままで石化した七春は、目を閉じることもできずに、その光景をじっと見ていた。
ピョコッと覗く小さな頭。体を持ち上げて、ハイソックスにローファーの足を部屋に突っ込んでくる。
「靴は脱がなきゃ。」
靴は脱いだ。木にひっかけておく。
行儀のいい侵入者だ。
その姿は、七春の見覚えのある人物だった。
窓からの侵入者を、ハッキリと認識する。
「あ。京助の飼い主の……」
「亜来です!七春王子!」
意味はないが敬礼したりするその人物。
幽霊、ではなく亜来だった。
窓から侵入してきたのは、邪魔だからと置いていかれた亜来。どうやら庭の木をつたって登ってきたらしい。タフだ。
ザッと自分の身の回りを、落とし物をしていないか確認する。
それから、
「さぁ!さぁ!七春王子!霊はどこに!」
どこからか取り出した携帯カメラを構えて、やたらに部屋の各方向へフラッシュをたいた。
亜来だ。京助の飼い主だ。
以前、霊にビビる七春に、そんなセンパイを見て冷静になってしまう、と八神が言ったのを思い出す。
確かに、シャッターをきりまくる亜来を見ていると、それをとめようとする七春は、なんか冷静になってきた。
今になって、あの時の八神のキモチがよくわかる。
(そうか、八神くんから見ての俺の普段の落ち着きのなさって、こんな感じなんだ……。)
現物を前にして客観的に見ると、かえってよくわかるというか。
(俺、もう少し落ち着こう……)
そして、落ち着きのない亜来は、撮った画像に異変はないかとわくわくチェックしている。
「あ、あの……」
思いきって、その亜来に声をかけた。
「君、オカルトマニアだっけ? 家の中にいるのは危険だから、外にでてないとダメだよ? 京助にもそう言われたんでしょ?」
諭すように言った七春。
その言葉に何を返すかと思えば、
「あれ? 七春王子!」
七春の頭をガシッと両手でつかむと、十五センチの距離まで顔を近づけてくる亜来。
自由だ。
亜来のドングリのような大きくて丸い瞳が、ジッと見上げてくる。
この至近距離まで近づくと、ホンワリといい香り。
(うわ、女の子メッチャいいニオイ。)
とかいう、七春の平凡な感想はともかく。
「怪我してますよ!ここです!オデコ!」
言って、七春の短い前髪を上にあげる。
それは先程、二階に上がる階段の下で、この家につく動物霊に襲われた時のキズだった。
その霊たちを今は京助が、一階に残って食い止めてくれている。
「え? あぁ、うん……。」
亜来の気迫にすら気圧されてしまう。どうしようもない七春さん。
あいまいに返事を返す。
その七春に、目を閉じて亜来は顔をさらに近づけた。
ギリギリまで背伸びをして、額の傷口をなめる。
「ふむぅ……動かないれくらさいね、消毒れすから。」
柔らかい感触が痛む傷口に触れる。
驚き、あわてて一歩後ろに下がった七春を、一歩亜来が追いかける。
「ちょ、ちょ、君っ。いいよ、そこまでしてくれなくて。」
なんで知らない女子高生の部屋で、別の女の子にキズをなめられているのか。
特異すぎる状況に戸惑いを隠せない七春は、あわてて亜来の肩を押し返した。
「わっ、ととぉ。ダメですよ王子!」
ぷくっと頬をふくらませた亜来が、上目遣いに見上げてくる。
京助という普通じゃないものを連れているせいで、亜来の方は目が止まりにくいが、よく見ると結構可愛い。
額の傷口をあわてて隠しながら、七春は顔をそらした。
傷口ではなく、首から上が全体的に、熱があがってくるのを感じた。
「い、いいから!それより何か写った?」
手ぶらの七春は、マッキーがいないと霊の存在に気がつかないのだ。
「えーと、そうですねぇ。」
一通り保存した写真を見返していく亜来。その作業を、すぐ傍まで近づいた亜来の顔をプレイバックしながら待つ七春。
手持ち無沙汰になり、時計とかも見てみる。
潜入からだいぶ時間が経っていた。
(依頼主が学校から帰ってくる前には引き上げないとな。)
とか考えてから思いつく。
亜来は学校はどうしたんだろう、と。
「あれ、壊れてる。」
学校は潔くサボッてきた亜来が、ふいに写真を見ながら声をあげた。
携帯に映し出されているのは、室内のベッドサイドを写した画像。
亜来の傍にひっついて、七春も覗きこむ。
「ん? 何か写った?」
「いえ、霊とかじゃないです。……あの、ベッドの横にかけてあるお守り。壊れちゃったんだなぁって。」
亜来の言う通り、ぬいぐるみに混ざるように、ベッドの横にはドリームキャッチャーがかけられていた。
輪の形のお守りで、その輪の中には蜘蛛の巣のように複雑に糸が張り巡らしてある。
事実その糸は蜘蛛の巣を模していて、悪夢だけを絡めとると言われている。つまりこれは、悪い夢を見なくなるお守りというわけだ。
さらにその輪っかの下には、羽飾りがぶら下がっている。
今時、安価な模造品なら、いくらでも雑貨屋などで売られている代物だ。
「えーと、確か悪い夢といい夢をふるいにかけるとかいう、お守りの一種か。見た感じ、壊れてはいないようだけど?」
実際に手にとってみて、それを観察する。意外としっかりした造りだ。どうやら飾りの羽は本物らしい。
しかし、確かに壊れている様子はない。
「でも、真ん中のビーズがなくなっちゃったんですよねー。」
「ビーズ?」
「糸の途中にビーズが通してあって、それがこの巣に住んでる蜘蛛を模してるんだって。前に遊びに来たときに、そう教えてもらったんです。」
「へぇ。」
改めて見てみる。
確かに、ビーズらしきものは通されていない。
となるとこの蜘蛛の巣。巣はあるものの、主が不在ということだ。
(お守りが効果をなくしたのはそのせいで、霊が夢にでてきたのは、お守りが機能していないから、かな?)
およその見当をつけて、七春は「そうか」と呟いた。よくわからない亜来は、コトンと首を傾ける。
その亜来に、七春が指示を出す。
「ビーズを探してみよう。このお守りにホントに効果あったと仮定するなら、元に戻せばまた機能する。」
その時、
ミャアアー!
と断末魔が階下から響き、同時に焦げくさい匂いが漂ってきた。
京助の声より甲高い、にゃんこの霊の声だった。
扉を突き抜けてきたその声に、七春は短く舌打ち。
「京助のやつ、まさか火を使ったのか?」
京助は霊獣であり、人間とは持っている考えに違いがあるのは当然だ。
魔物まで堕ちた魂を、消滅させずに眠らせてあげること。そのことに価値を見出だせるかどうかは、わからない。
途中で面倒くさくなったといえば、それまでだ。
そもそも、札の持ち主である八神が傍にいないにも関わらず、好き勝手をしていないだけで十分奇跡的なことなのだが。
「京助の様子は、私が見てきますね!」
率先して部屋を出ていく亜来。
その腕を、七春が掴む。
「一人じゃ危険だ。俺が見てくる。」
「大丈夫ですよ!」
部屋の扉に手をかけて、亜来は笑って振り返った。
「怖いですけど、それと私が京助と友達であることは関係ない。間違えたことしたら、友達の私が止めなくちゃ。」
そして、長い髪をパタリとはためかせ、部屋を出て扉を閉める。
一人、部屋の中に残される七春。
(今時の女子高生って凄い。)
亜来のあの怖いもの知らずの性格は、ゆとり教育の賜物だろうか。
亜来が廊下へでると、焦げたニオイはさらに強くなった。
階段の周囲だけではあるものの、空気もどこか熱を帯びている。空気に触れている肌が、チリチリと痛い。
大きく吸って、
「こらーっ!京助ーっ!」
亜来は叫んだ。
それから、階段をかけ下りる。
階下では、炎を全身にまとった京助が、何か黒いものをくわえているのが見えた。焼けて黒いのか、もともと黒いのか、よくわからないが。
階段を中程まで降りてきた亜来に気がつき、
「あ、」
と声をあげて、京助が顔をむけた。
口にくわえていた黒いものが、ポトリと床に落ちて転がる。
燃焼していた炎は少しずつ小さくなり、陽炎になって消えた。
あまり広くない廊下に、大型犬くらいの大きさになった京助。
それから、黒い生き物が二匹。
一匹は京助の口から落ちたあと足下に転がっていて、徐々に砂のように細かくなって消えていく。
家の中は無風。
風はないが、黒い粉になったものは、サラサラと何処かへ流れていく。
もう一匹はまだ廊下の端にいて、床についた火を避けるようにウロウロと歩き回っていた。
「亜来!外で待っていろと言ったろ!」
「京助こそ!火を使っちゃダメって言ったでしょ!」
亜来は元気よく言い返す。
言い返されて、京助は口を閉ざした。
さらに階段を下までおりて、亜来は京助のもはもはの毛に抱きついた。
薄茶色だった毛が、心なしか焔色になっている。見た目はもはもはの毛も、抱きつくと針のようにしっかりしている京助の毛。
その中に埋まった亜来は、
「ぶはっ」
としばらく経ってから戻ってくる。
「京助、一匹やっつけたの?」
「アイツにウダウダ言われそうだな。」
これは七春のことだ。
ゆっくりと前足で廊下を撫でて、京助は燃える床の消火にかかる。
「王子が何かに気がついたみたいよ。」
優しく京助の体を撫でながら、亜来が言った。
「だからもう少し、火を使わないで頑張ってくれる?」
少し大人びた口調で、なだめる亜来。
その亜来に、京助が鼻をグリグリ擦り付けた。亜来はヨロヨロと押されて下がる。
「悪かった、もう大丈夫だ。気を付ける。」
京助が言って、それからおもむろに上を見上げる。
眉間にシワをよせた。
「アイツが何に気がついたって?」
「なんかビーズがないんだって。」
「ふーん。」
つまらない返事をする京助。気配を読むように、鼻をヒクヒクさせる。
「面倒な奴が来たな…。俺も手が離せないんだが。」
上の階に、懐かしい気配が漂い始めた。




