必要な強さだ。
「斬るしかないでしょうか。」
と、そのとき雪解は言ったのだ。確か。
降り続いてやまない雨を見上げながら、四人で話していた。
四人とは、正確には二人と二匹である。
十五の八神と、十七の雪解。
雪解の膝に荒天鼬。八神の肩には狐の姿の土地神が乗っかっている。
雨を降らせているのはその荒天鼬。雪解と契約して、札に宿っている霊獣だ。
天気を操る霊獣にザンザン雨を降らせながら、拝殿の手前の階段に座り込んでいる雪解。
その隣に寄り添う八神は、どこか不機嫌な顔をしている。
そして口を開く。
今日はこうだ。
「斬るのはダメだ。何か他の方法を考えよう。」
八神が言って、たえきれずに雪解はクスクス笑う。あまりにも、予想していた通りの返答だったので。
笑う雪解に、八神は「なんだよー。」と顔を近づけて問い返す。
「す、すみません。あまりにも、やこーくんらしいお答えだったので。」
「要するに子供だってことだ。甘いんだよぉ、お前は。」
雪解の膝の上から、荒天鼬が余計な一言をつけ加える。
「なんだよ!お前フェレットみたいなくせに!」
「フェレット言うな!霊獣だ!」
雪解の膝の上で、世界で最も小さな争いが始まろうとしている。
雪解はそれを止めずに見ていた。
少しでも相手より体が大きく見せようと、雪解の膝の上で立ち上がる荒天鼬。それに対抗して両手をあげて唸る八神。
動物レベルの争いだ。
その一人と一匹を見守る雪解を、八神の肩の上からさらに土地神が見守る。
「雪解は近頃、よく笑うようになったな。」
「え?」
驚いて、雪解が目を丸くする。
自分がそんなふうに言われることが、何より意外だった。
狐の姿の土地神は、細い目をさらに細めると、
「悪いことではないよ。必要な強さだ。」
と諭すように言った。
「は、はい。」
神様からの言葉をたまわり、緊張しながらも雪解は笑顔で返事する。
巫女という特別な稼業をついだことと、もともと持ち合わせていた使命感の強さから、年相応に振る舞うことすら、ぎこちなかった雪解。
その自分が、八神夜行という人間と出会ってから、変わりはじめたこと。それを、土地神様にも認められたこと、それが雪解にとっては嬉しいことだった。
彼女にとって、世界は今輝きはじめたのだ。
「土地神さま、なんか言ってんの?」
霊感の強い八神は、ボンヤリとその存在を感じとれるものの、土地神の姿や声は見えないし、聞こえない。
不思議そうに尋ねるので、雪解はニコリと笑って返した。
「少し、お話ししてました。」
「何て言ってる? 土地神さまも、斬るなって言ってる?」
「えーと……」
雪解がその土地神さまを見上げる。
六本の尻尾をわさわさ揺らしながら、土地神さまは大きく欠伸をした。
「とりあえず、改めて状況を確認してみてはどうかと仰っています。」
適当に取り繕う雪解。
本当は土地神さまが自分の肩の上で耳の裏を掻いているのだということに気がつかない八神は、それもそうだね、と納得した。
「まず、俺と雪解が偶然、工事現場にいる霊を見つけたのが最初だったよね。その工事現場では、立て続けにおこる事故のせいで、なかなか解体工事が進まないって話しだった。」
「はい。そしてそこにいる犬の地縛霊が、原因かと思われます。前の家族に置いていかれたのか、孤独なまま彼処で悪霊になってしまっていますね。」
「可哀想だよ。…人間が悪いのに、人間の都合で斬るなんて。」
うつむきそう言った八神に、雪解は沈黙する。
これまで悪質な霊を斬ることは、あくまで仕事であるという意識で、中のひとの都合まで考えることはなかった。
それではダメなのだと、気づかされる。
「私たち、これからどうすればいいかしら。」
これは、膝の上の荒天鼬にたずねていた。
雪解の言う『これから』には、この先何年分もの意味が込められている。
それに気がついて、荒天鼬は人間のように、長く息を吐く。
「これだけザンザカ雨を降らせておけば、工事はすぐには再会されない。だが、いつまでもこのままというわけにもいかん。雪解、俺たちは……」
みなまで言わずに、荒天鼬は口を閉じた。
そのあとは、雪解が自分自身で引き継ぐ。
「私たちは、変わっていかなくてはいけませんね。」
その意味深な会話に、一人ついていけない八神は、眉をよせて首をひねる。
「ぶーぶー!俺だけ会話わからないし。」
「すみません。たいした話しではありません。…そうですね、斬らない方向で、何か考えてみましょう。」
「無駄に面倒だけどな。」
雪解と膝の荒天鼬が言って、八神には見えないが、土地神も頷いた。
その言葉に、不機嫌だった八神の表情が、明るくなる。
工事現場の動物霊。それの魂の行く先など、八神には全く関係ないことだ。
それでも心の底から喜ぶ八神に、雪解は心が溶かされるのを感じた。
八神を中心に置いて、これまでの霊との関わり方を、今こそ変える時だ。
それはこの先誰も知ることのない、世界で一番小さな革命だった。
あの頃はよかったなぁ、なんて。
霊獣らしからぬ考えを持つ。七春の肩の上で揺れる荒天鼬。
あの頃は、なにもかも穏やかだったと、今になって思う。
守るべき主がいて、その主の笑顔を作り出そうと必死になってくれる戦友がいた。
切り捨ててきたものを、救いにまわる。その瞬間から、世界が表情を変えることが、確かにあるのだと教わった。
あの日々が。
「なんであんな魚肉ソーセージ野郎になっちまったんだ。」
ボツりと荒天鼬が言葉を吐き、
「ん? なんか言った? 巨乳がなんとか…」
都合のいいように聞こえる耳を持った七春が答える。
「なんでもねぇよ。……ここにはいねぇな。」
「あぁ、そう。」
七春は覗いていた浴室の戸を閉めた。
一階部分を一通り確認し終えて、また短い廊下の中心にたつ。三つの扉の中を調べ終え、残すは階段の上の二階部分だった。
まだ見つけた霊は一体のみ。残り三匹が見当たらないでいた。
肝心の、霊を斬らずに鎮めるためのアイテムも、見当がついていない。
「こういうの、脱出ゲーム的なねー。アイテム見つけて、霊を鎮めたらクリア的なやつだろー?」
緊張感が足りない七春。
スマホアプリで遊んだことのない荒天鼬が、
「だっしゅつげーむってなぁ、何だ?」
と呑気に聞き返す。
階段は突き当たりの扉の手前にあり、幅は狭いがきちんと手すりがついていた。
階段の隅にも、小さな鉢に入った観葉植物がおかれている。
階段の上には小さな窓があり、そこから明るい光が入っていた。少し眩しいくらいだ。
「ん、……まぶし。」
手をかざし、光を遮って七春が階段の上を見上げた。
窓のむこうは、青空だった。
トーン、
と、軽い音をたてて、階段の上で何かが跳ねた。
逆光でシルエットだが、丸い何かだ。
トーン、トン、トン、トン……
それは、高く跳ねながら階段を落ちてくる。
「ん? なんかくる。」
さぁ二階に行きますか、と一段めに足をかけていた七春が、その存在に気がついて固まる。
階段の半分くらいまでゆっくり落ちてくると、正体がわかった。
「毛糸玉?」
赤い毛糸が、玉状にまとめてある。
編み物をしない七春には、家の中でも見慣れないものだ。
そしてそれは、当然ながら勝手に動くものではない。
しかしその毛糸玉は、糸がほつれることもなく、ゆっくりと階段を下りてきた。
そして、
「バカ、来るぞ!」
京助の鋭い警告が飛んだ。
「………っえ!?」
見上げていた階段の上、落ちてきた毛糸玉に飛び付くように、
ニャー!
キッチンに潜んでいた猫と同じ形のものが二匹、階段の上から飛びかかってくる。
「え!? ちょ、ちょ、ちょ、」
一方通行の狭い階段の上から落ちて来られると、避けようがなくて。
「ぎゅっ」
という可哀想な声をあげて、七春の頭に、まず毛糸玉がクラッシュした。続いて二匹の魔物の追撃がくる。
一体は七春の顔面にぶち当たった後、床に着地して、毛糸玉に飛び付いた。
もう一体が勢い余って七春の顔に覆い被さる。刃物のように鋭い爪が額に食い込み、毛布を被ったように、目の前がもふもふになった。
「痛い痛い痛い痛い痛い!」
爪が食い込んでおります。
先に見た猫の霊と同じように、体温はない。
暑くもないし、獣臭くもないが、突き刺さった爪が痛かった。
「京助!」
目の前が見えないまま後ずさりすると、廊下の壁にぶつかった。ワンバウンドして、くるんと回転。
前がどっちかわからない。
名を呼んだ頼りの京助は、
「ちょ、なんとかして。お前にくっついてるとどうにも出来ね。」
と酷い切り捨て方をする。
どうにかと言われてもどうしていいかわからない。
「痛い痛い痛い!もう!八神!ばか!」
とんでもない方向に怒りの矛先を向けて、七春は顔に張り付いたそれを叩いた。
もふぁもふぁすぎて、どこの部分を叩いたのかすらわからないが、とりあえず横殴りにしてはたき落とす。
「ビャンッ」
と声をあげ、猫の霊は床の上に着地した。
やっと視界が開けて、見えるのは壁。
こっちは後ろか?
「お前、離れろ!」
もはやロシアの方向かオーストラリアの方向かすらわからないが、京助からの指示が降り落ちてくる。
奇襲を見事に喰らって頭が真っ白なページになった七春は、とりあえず、言われた通りその場を離れようとした。
どちらが廊下の手前なのかすらわからん。
前へ進もうとしたら後退していた。
白い壁から視線を回すと、壁からおかしな角度で猫の手がつきだしている。
「どこ、待って、わかんな、ひゃんっ。」
冷たい床の上をフラフラ放浪して、挙げ句足がもつれてしまい、七春は尻餅をついた。
ケツが床にぶち当たって、骨がぶつかる鈍い音をたてる。壁に乱暴に手をついたせいか、壁紙を少し削っていた。
「いってぇ!」
頭に竹槍を突き刺したように、痛みが上に突き抜ける。先程、猫の霊の爪が食い込んでいた額から血が流れてきて、左目にかかった。
片目が塞がれると、距離感が不確かになり、平面図のように景色が見える。
額を手で拭う。
べっとりと血がついた。
(……っくそ、さいあく……!)
心の中だけで悪態をつく。
盛大に尻をついた七春を庇うようにして、その前には京助が立っていた。
また大型犬くらいの大きさになっていて、七春の方からは尻尾だけが見える。
その向こうには二匹の猫の霊。六本の手足で器用に立って、京助と睨みあっていた。
毛糸玉は床に転がっている。
「大丈夫か?」
京助にきかれて、
「あぁ。」
短い返事を返す。「びっくりした。」
「額を切ったか。」
チラッと振り返った京助が、七春の血まみれの顔を見る。
今度は、二匹の霊に襲われた。
床の上に座ったままの体勢で、周囲を確認する。階段はどうやら七春の背後にあるらしい。睨みあう猫の霊と京助の向こうには、玄関が見える。
「お前、立てるか?」
ぶっきらぼうに京助にきかれて、
「立てる。ど、どうやってアレ押さえたらいい?」
「違う。お前は先に二階へ行け。霊を鎮める何かが、捨てられたわけじゃなければ、どこかにある。探してこい。」
一匹のにゃんこが飛びかかってきたのを、瞬く間に全身に炎をまとった京助が、前足で叩き上げる。
頭についた火がにゃんこは、叩かれて宙に飛び、廊下の低い天井にぶつかって、床に落ちた。
派手な衝突音が二回。
霊獣の火は霊にも効くらしく、頭から火が体まで燃え広がったにゃんこが、酷い鳴き声をあげた。
「殺しちゃダメだ!」
七春が後ろから叫んだ。
それからすぐ立ち上がる。頭痛がして、視界が揺らいだ。すぐにもちなおす。
「探してくるから、俺が戻るまで、誰も殺さないで! あと、火を使わない!」
にゃんこがぶつかった天井と、火だるまになって転げまわる床は、どちらも焦げあとがついていた。
「やべ。亜来に怒られる。」
言って、京助は火を引っ込めた。
身にまとっていた火と、にゃんこを包んでいた火が同時に消える。
それを見届けてから、七春は京助を残したまま階段を上がりはじめた。
狭い階段、両脇の壁に手をついて、駆け足にあがる。
上がった先にも廊下があり、部屋が三つ並んでいた。
(………京助。)
足を止めて振り返ると、階下では激しくにゃんことフェレットが暴れ回っている音がしている。
霊獣である京助にとっては、人間の家が燃えようと水没しようと、大した問題ではないだろう。
それでも火を使わないようにしてくれているのは、人のことを考えてくれているからだ。
そして魔物になったにゃんこの霊を火で焼き殺さずにいてくれるのも、七春との約束を守ってくれているから。
(ケッコー優しいんだ。)
それから、八神の顔が浮かぶ。
八神と京助、二人が仲が悪い理由もなんとなくわかった。
(二人とも、似た者同士ってわけだな。)
何かと辛辣な発言が多く、感情の稀薄な口ぶりをみせる八神も、なんだかんだ優しい。頼りになるし、守ってもくれる。
お互いによく似ていて、それでいて嫌いなところが増えていく日々なのだろう。
こんな状況だが、それを考えていた少しの間だけは、気が楽だった。
改めて階段下をのぞきこみ、
「ごめん、頼んだぞ、京助!」
一階に向けて叫んでから、七春は二階の廊下を進みはじめた。
(俺は、俺にできることを。)




