シリカの命運
目を覚ました時、そこは建物の中だった。
床に直に寝ているらしい。畳の香りが、部屋いっぱいに広がっている。
(ここはどこ。)
仰向けの状態から、寝返りをうつ。
部屋は縦に長い方形のつくりで、かなり広い。
部屋を囲む襖が見える。金箔をはり、鳥や花、不恰好な木など、自然物がそれぞれ描かれていた。
豪華絢爛で、それでいて落ち着いた空気がある、不思議な部屋だった。
部屋。
そう、ここは部屋だ。畳の間だ。
決して渡り廊下でも体育館でもなく、心霊ロケとは縁も所縁もなさそうな場所。
何故、自分はこのような場所にいるのか。
(落ち着きなさいシリカ。貴方はこんなことで狼狽えてちゃダメ。)
そう、心の中で自分を叱咤した。彼女の名前はシリカ。日本に滞在中の霊能力者だ。
たった今まで田舎の街で、数人の声優と戯れていた。心霊スポットと呼ばれている場所に立ち、その場所で心霊現象をカメラにおさめようという、霊の類いが見えるシリカにとっては、簡単な仕事だったばずだ。
だが、
(体育館で見た……。あの、大きな黒い影。)
ずんぐりと丸い、大きな黒い影。その影に襲われ、空間のゆがみのようなものの中へ、引き込まれた。
そこまで思い出せるのに、ここがどこだがわからない。奇妙な感覚だ。一体、自分はどうなってしまったのか。
「そこで何をしているのです。」
声をかけられ、驚いて跳ね起きる。
寝そべっていたシリカの背後の襖を開けて、巫女服を着た少女が立っていた。長い黒髪に、白い肌。ちょうどシリカと同じくらいの年頃だ。
金髪に、レースをあしらった黒のドレスというシリカの格好に、巫女は一瞬目を見張る。
それからすぐに気を取り直して、部屋の中へ入ってくると、シリカの傍にかがみこんだ。
「あぁ、こちらにいらしたのですね。探しました。」
「は?」
「怪しものの討伐の手伝いに呼ばれた、海外の霊能力者さまがいらしていると、話は聞いておりました。さあ、こちらです。」
何の勘違いなのか、そのまま少女はシリカの手を引いて立たせて歩かせる。
畳の上を土足で歩きながら、事態を確認するため、シリカはあわてて質問した。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!ここはドコ?貴方は誰なの。」
「私は久遠院雪解と申します。時の流れの違う魔女さん。」
言われて、息を飲んだ。
彼女は何かに気がついているようだった。きっと、シリカよりも、ずっと強い力を持っているのだろう。誰よりも、いい目を持っている。
「とりあえず、詳しい話は後で伺いますので、今は私に合わせてください。」
「え、ちょ、う……」
されるがままに、雪解に手を引かれ、畳の間を出て、幅の広い廊下を走る。
廊下は庭に面していて、美しい石庭に、背の低い庭木が濃い緑をつけていた。
廊下の先は騒がしく、悲鳴や指示の声が飛びかっている。複数の足音が反響していた。
「この騒ぎは何?」
「この世界には怪しものという、強い力を持つ道具がたくさんあります。それが人に害を成さないよう、戦うのが私の役目です。」
「急に何を…。」
「今、まさにその交戦中です。貴方はたった今こちらに来られたようなので、説明を。」
「………。………ありがとう。貴方の言い方から察して、私はどうにかなっちゃったのね。」
角を曲がると、装束を着た数人の若者が、刀や薙刀を構えて立ってた。
さらにその奥では煙が上がり、襖が燃えているのが見える。
「貴方はおそらく、神域に落ちたのでしょう。同じような人を見たことがあります。神域は、どこに繋がっているのかわからないものなので。」
言われて思い出す。村の怪奇現象の原因と思わしき巻物とともに、黒い大きな影によって引き込まれた空間のゆがみ。
「あれが神域……?」
「事情は詳しくわかりませんが、必ずお力になります故、今しばらくお待ちを。」
やけに丁寧な言葉で、雪解はそう言った。
「ええ、結構よ。貴方も、今は何か取り込み中なのね?」
それでも、ついていた方だ。神域に落ちた先が、雪解の言うように、どこに繋がるかわからないものなら。生きていたことだけでも、奇跡に近い。
周囲の人間が話す言語等をきいていると、よく聞き知った言葉に間違いはない。
(ここは日本で、年代もそう変わらないのね。大袈裟に異世界とかに繋がってなくて、よかった。)
そして落ちた場所に雪解のような、力の持ち主がいたことも運がよかった。
「来るぞ!」
「くそ、火も効かねぇ! 化け物が……」
「下がれ!退避だ、退避!」
前衛の若者たちが、走る雪解やシリカとすれ違っていく。
どうやらその先にいるものは、かなり手強いらしい。すれ違う若者たちへ「外へ」と短く避難指示を出し、自分は先へ進む雪解。見かけによらず、勇敢だ。
手を引いて走らせているシリカを振り返る。
「貴方は、ええと、どうしよ…。表からは出ない方がいいと思います。」
こんな状況で、異国の服装のシリカが飛び出したら、怪しさMAXで余計な混乱を招いてしまう。
「そうね。いいわ、貴方についていく。放り出されても勝手がわからないし。自分の身くらいは、自分で守れるわ。」
「頼もしい魔女さんですね。」
「貴女もね。」
二人は互いに視線を合わせて笑いあった。
廊下の先で暴れている何かが、おそらく、雪解の言う『怪しもの』なのだろう。
よくわからないが、何かの戦いの最中に飛び込んでしまったらしい。
燃えた襖を蹴倒して、その怪しものとやらが、姿を現す。
「え…?」
その姿に、シリカは目を疑う。
それは、ごく普通の人間だった。
少年だ。
まだ、中学生くらいの小柄な少年で、シャツに黒のネクタイ。腰に赤色チェックの上着を巻いている。
手には丸い銅板のようなものを、抱き抱えるようにして持っていた。磨かれて鈍い光を放っている。鏡のようだ。
細かな細工が入っている、古そうな品。半分以上に鮮血をかぶり、チョコレートかけドーナツみたいになっている。
「怪しもの…って、人間じゃない。」
「本体は鏡の方なのです。あの鏡は、うつしこんだ相手の能力を奪う怪しもの。すでに三人の巫女が殺され、力を奪われています。」
雪解が、なんでもない風で、淡々と説明した。
その瞬間、とんでもないところに飛ばされてしまったということを、シリカは理解する。
「鏡が奪った力を蓄えるために、彼は身体を利用されているのです。」
「じゃあ、あの少年の方は傷つけちゃダメなのね?利用されているだけなら、正気に戻せるかもしれない。」
シリカの言葉に、雪解は迷いながらも頷いた。それだけで、聞かなくともわかってしまう。戻せるかどうかは、未知だということを。
「私は彼を、やこーくんを、無傷で助けたいのです。」
「あの少年は、貴方の知り合いなの?」
「はい。」
だとすれば、雪解の心中を思い、シリカは息がつまるのを感じた。自分の敵である怪しものに、知った顔の少年が利用され、人を殺めたなど。
普通なら、冷静ではいられないと思うが。それでも雪解がここまで落ち着いているのは、日頃の精神統一の成果なのだろう。
先に外へ逃げた者たちは、各々武装して、火まで使って攻めていたようだった。それでも、少年は怪我一つしていない。
生半可な攻撃では効かないとなると、無傷で助けるのは難しそうだ。
「やこーくん!聞こえますか? 私です、雪解です!」
廊下の先に立つ少年に、雪解がよびかける。
襖を燃やしていた火は床や壁に燃え広がって、勢いを増していた。熱気と煙でそれ以上の接近は困難だ。
「その鏡は怪しものです!手を離してください。」
「そうよ!危ないわ!」
その火の勢いに負けないように叫び返す。
充血した瞳、楽しげに微笑む口元、頬や喉にまで、返り血が飛んでいる。少年のシャツも上着も、赤黒い色で汚れていた。
「あははは…。」
乾いた笑いが口から漏れる。
「なんでこんなアッサリみんな死んじゃうわけ?巫女の力ってそんなすごいの。」
手に持つ鏡を見下ろす少年。二人の声は、届いていない。
「やこーくん、今まで何やってたの? 怪しものをはなして!」
もう一度、雪解が叫んだ。
ようやく声が届いたのか、少年がおもむろに顔をあげる。自分の今の状況を全く理解できていないのか、二人の姿を認識するのに時間がかかった。
「ゆ……き……?」
確認するように、少年が名前を呼んだ。雪解のゆきだ。名前を呼ばれた雪解が、大きな声で、それに答える。
「やこーくん!私がわかる? その怪しものに、どこで憑かれたの?」
「ゆきか…。そうか…。」
話の通じない様子で、少年は手に持つ鏡を胸の高さにまで掲げた。それを、左右に揺り動かす。
「神命に於いて疾く成しませ。」
少年が、小さな声で囁いた。
その声に、空気中に飽和していた光が反応する。蛍のような小さな光が、鏡の前へと集まりはじめ、ものの数秒でゴルフボールほどの大きさの光の玉ができた。
最後に少年が大きく鏡を揺らして、光は鏡を離れる。光の玉は弾丸のような勢いで廊下を進むと、雪解の腕にあたって霧散した。
「きゃっ!」
弾かれたように後ろへ倒れる雪解。白い着物の袖が、散る花のように揺れる。
「……っ貴方! 大丈夫?」
すぐに駆け寄って、シリカが抱き起こす。出血は見られないが、雪解は腕を押さえていた。着物に、少し焦げたような跡が残っている。
「こんな攻撃…。やっぱり、やこーくんの霊力と巫女の力が合わさると、強いですね。」
「見てらんないわ。」
二つにくくった金髪を触りながら、シリカが短く言った。
黒いドレスのスカートを、端をつかんで持ち上げる。生白い肌が覗く。
「要するに、あの鏡だけ壊せばいいってことなのね? シヤナ、アシャナ、行って!」
シリカの呼び掛けで、スカートの中から二匹の蝙蝠が飛び出した。翼だけが、いやに大きい。
「きゃ-っ!イヤー!蝙蝠ー!」
雪解が凄まじい勢いで後退する。蝙蝠は苦手らしい。廊下の端の柱の影に、ヒュッと隠れて見えなくなる。
ちなみに、ちゃんと訓練されている蝙蝠だから咬んだりはしません。
シリカが放った蝙蝠は、彼女の指示通り鏡めがけて飛んだ。天井付近まで飛び上がってから、二匹並んで急降下する。
凶悪な顔の半分ほどまで開く口。そこからのぞく鋭い牙。
「うぅ…。かわいくない…。」
雪解が柱の影から悲しげな声をだす。
鏡めがけて飛んできた蝙蝠の前に、少年は腕を伸ばした。半身を反らし、鏡をかばうように立つ。
二匹の蝙蝠は、目の前に振り上げられた腕に、叩き落とされまいと食い付いた。黄ばんだ鋭い牙が、柔らかい腕に食い込む。傷口から鮮血がほとばしり、少年の頬と、壁に飛び散った。
「腕を…? 自分を犠牲にしてまで鏡を守るの…?」
「そういうように、操られているのです!」
柱の後ろから雪解が叫んだ。
その雪解と、少年の視線が交わる。
「雪解….。お前もその力、俺によこせ。」
腕に食い付いた蝙蝠を振り払い、少年は再び鏡を構えた。
散った蝙蝠は、一体は空中で宙返りしてまた戦闘体制に入り、一体は壁に衝突して床に落ちた。羽がよくわからない方向をむいている。
「やこーくん……っ」
柱の影から覗きこむ、雪解の姿が鏡に映った。乱れた髪が、顔にかかっている。光に弾かれた方の腕は、下にダランとたれていた。
あまり映りのよくない鏡の中、映る雪解の姿がボンヤリと青い光に包まれる。
「あれは……なに?」
気がついたシリカが、声をあげた。
「貰った。雪解、これでお前も、もう戦わなくていいからな。」
優しい瞳で、少年が言った。
鏡の中の雪解の体から、何かが抜ける。それと同時に、柱の影にたつ現実の雪解も、力が抜けたように、床に座りこんだ。
「……っ!?」
その表情は、驚きと恐怖にゆがんでいる。
「どうしたの!?」
問いかけたシリカが、その瞬間、煙を大きく吸ってむせこんだ。
廊下の先、少年の立つ後ろから、黒い煙がどんどん押し寄せてきている。
煙を吸わないよう口元を押さえながら、シリカは雪解の傍へかがみこんだ。体に特に異変はないようだが、本人だけが、事態を把握していた。
「わたし……力を、とられた……」
床に手をつき、茫然として雪解が答えた。顔の前に、掌をかざす。その手からは、力が一切感じられない。雪解が、生まれながら持っていた、巫女の力が。
「いや……! 嘘? やだ!」
生まれた時から、自然に備わっていた力。それを初めて失って、雪解はかなり動揺してしまっているらしい。
「いやです!いやです!嘘!やだ!」
悲鳴に近い声をあげ、首を振り振り、雪解が後ずさりする。
「落ち着きなさい。」
肩をつかんで、シリカが雪解を揺さぶる。
これまで、当たり前に自分に備わっていたものを失うということは、体の機能をひとつ失うことに変わりない。
動揺する気持ちもわかるが。
「落ち着いて? 何をされたの?」
「力がとられちゃったのです!か、鏡を取り返さないと!やこーくんに、力を取り込まれる前に!取り戻さないとです!」
「鏡ね。」
ここまで錯乱されると、出会ったばかりの他人とはいえ、見ていられない。
「シヤナ、アシャナ!」
雪解を庇うようにかがんだまま、シリカが大きく手を振った。
バタバタと慌ただしい羽音をたてて、二匹の蝙蝠が再び少年の頭上を旋回する。
「行って!でも殺しちゃダメよ!」
シリカの指示で、二匹の蝙蝠が、右側と正面の二方向から仕掛ける。
羽音と、キイキイと耳障りな声が、廊下にひろがった。
拡散する攻撃。
抵抗する少年の腕が、空振りして空を斬る。
「……っの。邪魔だ。」
くるくる回りながら腕を振り回していた少年が、一匹の蝙蝠を鷲掴みにした。
イギッと声をたて、掴まれた蝙蝠は口を大きく開く。羽と足をビクビクと動かすが、逃れられずに動かなくなった。
その隙に、もう一匹の蝙蝠が、少年の胸元に飛び込む。
「アシャナ!鏡よ!」
鋭い爪が鏡を引っかけて、弾きとばした。
カーンと澄んだ音がして、鏡が回転しながら空中を舞うのが、スローモーションで見える。
「……っ!」
少年が手をのばす。
「させない!」
叫びながら、床に手をついた状態で身を乗りだし、シリカも手を伸ばした。
その二人の上から、映した光を乱反射させながら、鏡がゆっくりと落ちてくる。
「取ってー!!」
全力で、雪解が叫んだ。
「くうううん!」
限界まで伸ばしたシリカの手が、鏡を掴むその前に、
「くっ……!」
少年の手が、鏡を弾いた。
ほんの一瞬にして鏡が方向転換したので、その場にいた全員が、鏡を弾いた少年自らまで、その行方を見失う。
弾かれて、鏡がどっかに飛んだ。
雪解の霊力を秘めたまま、鏡がどっかに飛んだ。
一瞬にして視界から消えてしまうと、真後ろだろうと真横だろうと、目で追えずに見失うことはある。
「あっ…?」
ごく当然の反応として、シリカはあたりをキョロキョロと見回した。あまりに突然、標的を見失ったので、頭の中が真っ白になる。
それは少年も同じだったようで、シリカと同じようにキョドっていた。
その中で、誰よりも早く事態を把握し、誰よりも早くたち直した雪解が、すかさず少年のもとへ走り寄っていた。
そのまま抱きついて、勢いを殺さず少年を押し倒す。
「お願いします!やこーくん、もとに戻って!」
その時、燃焼していた木の柱が、限界に達して倒れこんだ。
雪解と、その下に倒れている少年の上に。
ドーン、と大きな音がしたので、何事かと振り返る。
すぐ傍の神社で、火災が発生しているらしい。人がたくさん集まっていた。
中で何が起きているのかわからないが、何か緊迫した空気が、現場に流れている。
それを横目に走っていると、どこからか固い何かが飛んできて、後頭部に直撃した。
「あでっ!」
飛んできた何かはそのまま足下に落ちて、割れる。
ということは、割れ物だ。足下を見ると、古めかしい鏡が、粉々になってしまって落ちている。
この時代を感じさせる品は、ひょっとしてこの神社から飛んできたのだろうか。なんのはずみでそうなったのか、わからないが。
落ちた鏡の破片は細かく散って、道の上に散らばっていた。
その破片のひとつひとつから、熱い風が吹き上げて、体を撫でるように通り抜けていく。
あたたかい何かが、体に染み込んだような気がした。
「七春さん、何やってんの!」
仕事仲間に呼ばれて、我に返る。
「あ、や、なんか飛んできたのよ。」
「は? 危ないから、早く行こう。時間もないんだから、早く早く! 早く早く!」
「そんな急かすなよ詩織くん…。」
急かされて、七春は足早にその場を後にした。
それらは全て、四年前の出来事だった。




