ふぉれすと!
「へぐじっ……ミュウ……。」
くしゃみをして、八神は悲しげに鳴いた。寒かったらしい。
もそもそ動いて、手探りに毛布を探す。
が、なかなか見つからないので、仕方なく目をあけて体を起こした。
どうやら八神は寝ていたらしい。
いや、もっと正確に言えば、気絶していた。七春に薙刀で強襲された後頭部が、ズキズキと痛い。
毛布が見当たらないわけで、そこは自室のベッドの上ではなく車の中だった。
後部座席のシートを占領して、横になっている。
霊獣を探してたどり着いたT字路で、奇妙な棺桶の襲撃に巻き込まれた帰りだった。濡れて半分乾いた服が、ジットリと湿っていて気持ち悪い。
「七春センパイ…?」
運転席の方へ首をのばす。ハンドルを握る手が見えた。青いシャツの袖。やはり七春が運転しているようだ。助手席は空席だった。
(センパイ生きてたんだ。よかった…。)
心から安心して、体を起こし、窓の外を見る。
てっきり自宅へ帰る道すがらかと思いきや、そこには見慣れない景色がひろがっていた。
細くて背の高い木々が、雑然と並ぶ深い森。全体的に霧のような白いもやがかかっている。
洋画で殺人鬼が逃げ込んだりしていそうな、いかにもな森だった。
「ふぉれすと!」
八神が思わず声をあげる。
車は森の中を走っていた。一応、道の上を走っているようだが、舗装されていないのか、時折大きく車体が揺れる。
もともと視界があまりきかない中、見える範囲には木々しかない。森はどこまでも続き、動物の声や生き物の影すら見かけなかった。
人間二人を乗せた無機質な箱だけが、枝や葉を踏みしめながら道をたどっていく。
「あの、七春センパイ」
後部座席から、呼び掛けてみる。
返事はない。
「センパイってば! 怖がらせようとしたってダメですよ!」
ほんの少し前、大嫌いな水に溺れたばかりなので、これ以上怖いものなんてない八神。
腕をぐるぐる動かして、後部座席側から運転席のシートを叩く。
それでも七春は無反応だった。
さすがにちょっと様子がおかしい。気がついて、八神は後部座席から身を乗り出した。
運転席の 七春は、虚ろな表情でハンドルを握っている。道の先を見ているものの、視点は泳いでいた。
「え? これどこ見てんの?」
ついツッコんでしまう。
さらに見下ろしていくと、ハンドルを握る手が、青い光に包まれていた。
「てか、なんか憑依しているし。」
その光は、明らかにこの世のものではない。七春に、何かがとり憑いていた。
森の奥に向かって車を走らせているのは、とり憑いている霊の方らしい。
腰に巻いた上着の下を漁って、八神は塩を取り出す。袋を破って、中身を七春にぶっかける予定だったのだが。
べちょっ。
と、塩が固まったまま袋から飛び出して、七春の頬にぶつかる。なんか、湿っていた。
「かむ……? い!」
一瞬、あれっ?って思いながらも唱えると、すごく微妙な薄紫の電光がはしる。
唱えた言葉がグズグズだったせいか、それはいつもの八神の攻撃よりもずっと小さくて、静電気のような光になった。
バチッと電気のはしる音がして、
「あ、イテ。」
とごく普通の反応をする七春。
意識が戻った。
「なんか今、静電気きた…?」
言いながら頬をなでる七春に、八神が「おはようございます」と返す。
「うわあぁ!八神くん!? いつ起きたの!?」
「今です。」
「今か…。」
眠気を覚ますように、七春が頭を左右に振った。自分の手に憑依していた霊のことは、気づいていないらしい。七春の頭には何もつまっていない。
「センパイ、ご無事で何よりです。それで、あの、状況を説明してもらえますか?」
「え、あぁ……。」
心霊ロケから帰ってきた七春に八神が告げた、札から逃げた霊獣の捜索。嫌々ながらに同行した七春と八神は、隣街の心霊的な噂の絶えないT字路で、本当に棺桶に入った老人の霊を見た
「えーと、俺が水の中に落ちた後、八神くんの霊獣が棺桶をやっつけてくれてー、水と花がワーッと消えたの。」
言いながらも、七春は森の奥に向かって運転している。改めて後部座席に座り直して、
「そうですか、やっぱり荒天鼬が。」
八神ポツリと呟いた。それから思いついたように顔をあげて聞き返す。
「じゃあ、あの後ちゃんと札に戻ったんですか?」
上着の下から札を取り出す。正方形の一枚の紙切れだ。なんだかしんなりしていて、指ではさんで持つと、くたっと腰をまげてしまう。
「なんの加護もなさそうですけど…。」
車体がまた大きく揺れた。大きめの枝をふみつけたらしい。どこかで、ミシッと音がする。
「あ、うん。それなんだけど。」
七春が答えづらそうに言葉を濁す。
「人間の女の子について行っちゃって。」
「は?」
「うん。」
「は?」
二回聞き返して、八神は黙った。車内の沈黙が、「何故そうなったか説明してくれ」という八神の心を代弁していたので、七春はハンドルを握ったまま続ける。
「女子高校生っぽい女の子が、八神くんの霊獣を『キョースケ』って呼んで可愛がってたんだ。多分、札から逃げたあと、その子に拾われたんだと思うんだけど。すごくなついてた。」
「はあ。」
「それで、俺だけじゃ札への戻しかたがどーせわかなんないから、その子と一緒に行かせたの。」
「あぁ、そう。」
返事をしてから、
「バカーッ!」
と叫んで、八神が七春に襲いかかる。襲いかかられた七春は、おかしな方向へハンドルをきって、車を蛇行させた。
「霊獣を人間に預けていいわけないじゃないですか!めっ!」
八神にやたらに頭をポカポカぶたれて、
「ごめんとは思ってたの!」
必死に言い訳する七春。頭はやめてあげてほしい。ただでさえバカな七春が取り返しのつかないバカになってしまう。
「で、でもその子、そそっかしい子で。霊獣を連れて帰る時、学生証落としていったから、どこの誰かはすぐにわかると思うよ?」
そう言って親指をたてて七春が後部座席を示した。端の方に、確かに何かがポトリと落ちている。
「八神くんと一緒に放り込んだのよ。その辺にない?」
「ありましたけど。放り込んだんですか!」
八神がキッとにらみ、七春はしれっと視線をそらす。
「まぁ、いいですけど。じゃあ、この落とし主のところに今向かってるんですか? すごい森の中を進んでますけど。」
その八神の言葉に、「森?」と聞き返して、七春がフロントガラスの向こうの景色を認識した。
「ふぉれすと!?」
「遅!」
間髪いれず、八神がツッコんだ。
七春は今頃この森林風景を認識したらしい。やはり、意図してここまで来たわけではないようだ。
「ここドコ!?」
あわててブレーキを踏む七春。タイヤが砂利をまきあげる音がして、白いもやのかかる森の中、車は停止した。
殆ど黒に近い木の幹を見上げていくと、毒々しい緑をした葉。同じような木々が並んでいるので、景色は一向に変わらない。
「やっぱり、七春センパイの意思で来たわけじゃないんですね。」
「じゃないよ?」
「じゃあ、とり憑いていた霊かもしれません。」
八神がサラッと説明したので。
「あの……。俺にはなにか憑いていたのでしょうか…?」
サイドブレーキを引いて、七春が恐る恐るたずねた。
「はい。塩かけましたけど。」
淡々と八神が頷く。かけたというか、塩はぶつけたのだが。
「ゆってくれる!?」
「すみません。ちょっとタイミングが…。」
「タイミングとかいいから言えよ怖いわ!」
「ぶー!ぶー!センパイこそ、うっかりとり憑かれないでください!」
「ごめんね!?」
前にも一度したようなやりとりをする声優コンビ。二人は全く成長していない。
「てか、今、霊柩車事故の霊に遭遇したばかりで、なんでこんなにすぐに別の霊に会うの。遭遇率おかしくね!?」
やはり七春には霊をひきつけるような無駄な力が目覚め始めたのだろうか。今まではごく普通の生活をしてきて、幽霊なんて半信半疑だったのに。
この春の終わりから、七春の身の周りの出来事は大きく変わった。
「霊柩車事故ってなんですか?」
不思議そうに八神が聞き返し、
「お前の霊獣を連れていった女子高校生が言ってたんだよ。なんか、あそこに霊がいることを、もともと知っていたみたいだった。なんでかわかんないけど。」
亜来はミス研だからである。
「何にせよ、この森から出る方法を探さないといけませんね。」
車が停車したことで、エンジン音がやみ、あたりは静まり返っている。不気味な森にかかる謎の靄。夏なのに、空気が冷えている。
「センパイに憑いていた霊は、そんなに強くなかったと思います。単純に、悪戯をして、自分の存在を知らせたいだけなのかも。」
「ポルターガイスト系のやつ?」
「系…?」
七春的に、ポルターガイスト系は悪戯するだけの可愛いやつで、霊獣系はモフモフして可愛いやつで、幽霊系は怖いやつと、細かく分類されている。
「悪戯をしたいだけなら、ぐるぐる車で進んでいれば、そのうち外に出られると思いますけど。」
「アッバウトな! お前!」
それから、少し考えて、七春は慎重に切り出す。
「公園のトイレの女の子も、車に乗ってきた霊も、棺桶のおじいちゃんも、……シリカさんもそうだったけど、やっぱり助けられないのか?」
「とり憑かれといて、よくそんな事 言いますねセンパイ。」
「だって…。」
子供のように、七春が口を尖らせる。
「さっきのおじいちゃん助けられなかったせいで、不完全燃焼なんです。」
「知りませんよ…。」
心からドン引きして八神が答えた。
「なんとかなんねーの? なんねーの? ずっと森にいるなんて可哀想じゃん。だいたい、ここがまずドコって感じじゃん。」
運転席のシートの上でユラユラしながら七春が不満そうに言う。動きがうっとうしい。
「…俺さっき怪しもの二個出したし、霊獣も出しっぱなしだし、水にも落ちたから疲れてるんですけど。」
「でもなんとかしたい。」
「誰得ですかそれ。」
「俺。」
言い切った七春に、八神は短く息を吐いた。なんか、面倒くさそうだ。
「疲れた。帰りたい…。」
八神が正直に口にする。
「めんどくさい…」
「そう言うなって!」
「センパイが…。」
「俺が!?」
「でも、この森を抜けないとどうせ帰れないか。」
覚悟を決めたように小さく「よし」と呟いて、八神は車を下りた。助手席に乗りかえる。
隣に座り直した八神を見つめて、七春は嬉しそうに笑った。
「よかった。いつもの八神くんだ。」
「なんですか。」
「ちょっとね。」
神の手は切れないという理由で、川の神に捕まった霊は助けられなかったし。心霊ロケでは蝶の姿でボロボロにされていたし。棺桶の霊も結局助けられなかったし。
ここのところ、敗戦が続いていたので。
「八神くん見ていて、助けられるばかりじゃないっていう事実は、よくわかったんだけどさ。」
どうしようもなく、世界はままならないもので溢れている。自分が望んだことひとつすら、うまく成せない世の中だが。
「でもやっぱり八神くんは、なんやかんや俺の我が儘を聞いて、霊でもなんでも助けてくれる八神くんじゃないと!」
「どんだけ自由な世界観で生きてるんですか。」
「なんとでも言うがいい。頼りにしていますよ。」
少しおどけて七春が言った。
その言葉に覚えがあって、八神はどこかデジャヴ感を感じる。前にも誰かに言われた気がして、思い出せずにすぐ消えた。
「センパイの理想に付き合おうと思ったら、もっと強くならないとダメそうですね。」
「頑張れ。」
「何様ですか」
八神がツッコんだすぐ後に、七春が「あ。」と大きく声をあげた。視線は、七春の正面。八神が座っている助手席の窓の向こう側だった。
八神もすぐさま振り返るが、そこには相変わらず深い樹海が広がっているだけ。
「何かいました?」
「いや、あれ…? いないな。なんか、数人のひとに見られていたような気がして。」
「数人……?」
あごに手をあて、考えて。
ポムン、と八神が手を打った。
「そうか。七春センパイ、この車動きますよね。ナビは?」
聞かれて七春がナビをいじるが、
「つかないよ?」
「携帯は? …俺のはつきません。」
「こっちもアウト。」
お互い携帯を操作して、答えた。水没させたのかもしれない。
「地図がでないので断定できないのですが、棺桶の霊が出棺途中の事故の霊だとすると、どこかに火葬場があってもおかしくないなー、と。そういうのって、一般的には住宅街とか、生活区域からは離れた場所にあることが多いので…。」
「この森がそうだと?」
「かもなーって。火葬場の回りを彷徨っている浮遊霊くらいなら、なんとかできるかもしれません。」
言った八神に、七春は、
「よかったあ。」
と安堵の表情を見せた。
「それでこそ八神くんだ。」
「ここらへんで汚名返上しときますか。」
「やったれ。」
そして七春は、あらためてサイドを下ろした。
「とりあえず、建物っぽいものがないか探しましょう。」
「オーライ。」
アクセルを踏み込む七春を、隣に座る八神はボンヤリ見上げた。
春の終わりの七春なら、先程の数人の霊に見られていた気がした時点で、パニックになっていたはずだ。
(慣れてきたかな…。)
口には出さないものの、そんなふうに思って、八神は笑った。
「何だよ。」
周囲に気を配りながら再び車を走らせる七春が、冷静にツッコむ。
「いえ、ただ、センパイが日々成長しているのだなあ、と。次はもう少しハードでも大丈夫かなとか考えてました。」
八神の軽々しい発言に、
「……俺、ハード系はダメだからね?八神くん置いて逃げるから。」
七春が真顔で答えた。
「もう少し色々させないとダメか。」
「育成ゲームか何かだと思ってないか?」
「いえ、どちらかといえば……」
これは、ホラー系脱出ゲームです。




