八神くんが死んでる!
溜池になったT字路の、棺桶から出現した老人のミイラ。
水の中に引き込まれた七春と、立ち尽くしている八神。
その後ろに、京助が立っていた。
「身代わり使って、自分は安全なところから見学か? いい性格だな、夜行。」
言われて振り返る。
そこに、大きな霊獣が立っていた。もともと、八神が札の中で飼っていた霊獣、荒天鼬。
「荒天鼬……!」
もて余すなどと言った気もするが、姿を見ると安心する。
「どこに行ってたんだよ!」
「それどころじゃないだろ。あれはどうする。」
鼻先で、京助が水につかった七春を示す。
棺桶に巻き付けた巻物のマッキーを、逆に屍に引っ張られている七春。片手には、八神の怪しものを握っている。
「自分の代わりに闘ってもらおうとでも思ったのか? 怪しものは本来、普通の人間に握らせるものじゃないだろ。」
「七春センパイは怪しものの扱いに関しては大丈夫。マッキーも怪しものだし。それより、背中に乗せて。フォローしなくちゃ。」
すがるように見上げてくる八神から、京助もとい荒天鼬は目をそらす。
「お前は最近、自分のことばっかりだな。札の中の霊獣に黙って体を留守にしたり、くだらない用事で呼び出したり。雪解のことも話さなくなったと思ったら、一緒に闘っていた頃の感覚すら忘れている。」
八神の頭上から、たたみかけるように、言葉を放つ。
「俺は誰の霊獣だ? 雪解ならこんなことはなかった。俺の仕事は子供のお守りか?」
「ごめん。雪解に比べれば、至らない点が多いのは自覚してる。でも、今はセンパイを助けなくちゃ。」
「誰のせいでこんなことになったんだ。」
「うるさい!言うこときけ!命令!」
八神が霊獣ともめている間に、七春の体は棺桶と屍の目の前まで近づいていた。やはり溜まった泥水に決まった深さはないらしく、このあたりまで来ると、七春の肩まで水がきている。
かろうじて武器は水没していないが、重たい薙刀を持って腕をあげ続けているのにも、限界がある。
「溺れそう……!八神くん!もう斬るよ!」
叫んだ七春の声は、後方の八神に届いた。
「センパイ!」
遠くなった七春の姿をとらえ、八神が呼び掛ける。
おいで~…おいで~…
優しく誘う老人の声。口が耳まで裂けるほど、ニッコリと微笑みかけてくる。
細くて青い腕で巻物を引く姿は、嬉々としているように見えた。
(じーちゃん、ごめんな、楽になれよ。)
薙刀を振り上げて、七春は最後の祈りをした。それから、思いきって、握ったそれを振り下ろす。
風をきる音がした。
「おおぉおりゃあ!」
基本の構えなど全くなっていない七春が真っ正面から振り下ろしたそれは、見事に老人の体を二つに裁断した。
手応えはない。
ただ、煙をきるように、刀身が老人の体を通過した。肉を斬るような手応えを覚悟していた七春としては拍子抜けで、空振りしたかとも一瞬、疑う。
あまりに手応えがないので、振り下ろした力の勢いが残り、薙の刀身は水の中にボチャリと浸かった。
もともと武器なんて持ち慣れていない七春は、迂闊に手を離し、薙刀はそのまま水の底へと沈んでいく。
老人は、斬られた肩から胸部分にかけての傷口から緑色の蒸気のようなものを立ち上げ、やがて崩れ落ちた。
傷口から凄まじい速度で腐敗がすすみ、肉が落ちる。留め具をなくした模型のように、骨がバラバラと散り、水の中へと落ちていく。中は空洞だった。
「うっ……」
思わず目をそらす七春。
生物が腐ったような臭いが、周囲にひろがる。
「斬った!?」
霊杖の作る光の中からその様子を見守っていた八神が声をあげた。
水没した景色の夜のT字路。沈黙がおとずれる。チャプチャプと水面が揺れる音だけが、周囲に響く。
静かな湖畔の夜のようだった。
「え? やった……?」
とりあえず、手近にあった横倒しの黒の棺桶につかまる七春。ついでに、巻き付けていた巻物のマッキーを回収する。
(でも……水も花も消えない。)
依然としてその場は、異様な光景のままだった。
同じことに気がついたのか、八神も足下の白い花を拾い上げる。
「消えない。どうして?」
「おそらく、本体はあの屍じゃなく、棺桶の方だからだ。」
八神の問いに答えるように、京助が答えた。
ちなみにその黒い棺には、今、七春がしがみついている。
「八神くーん、これ大丈夫なの? なんか、もとに戻んないよー?」
平和な声で、七春が尋ねる。
その七春に向けて、身を乗り出し、八神が叫んだ。
「センパイ!その棺桶から離れてください!こっちに戻って!」
蒸し暑い夏の夜。それだけが理由ではない嫌な汗が、八神の背中をつたう。
「え、何………っうぶ!」
唐突に、七春がしがみついていた黒い棺が立ち上がった。
それはもう、寝そべってゲームしていたらインターホンが鳴った時の七春のように、ガバッという感じで。
そして、そのガバッの勢いで、七春は後ろにぶっ飛ばされる。
もう髪も服も全身濡れているので今更気にならないが、本日何度目かのダイブ。二度目の背面。
今度こそ本当につかまるものがなくなって、七春はそのまま水の底に沈んでいく。
「やが、…っみ、くん」
救いを求めるように揺れた手が、虚しく空をつかんだ。それすらも、次の瞬間には見えなくなる。
「飲み込まれた。」
京助が、見たままを告げた。
「見ればわかる!あの水の底はおそらく霊道。助けないと!」
言って、八神が水面に足をつけた。まとわりつくような泥水が八神の足を濡らす。
その様子をつまらなそうな顔で見ていた京助が、ボツリと呟いた。
「一人で助けにいけるのか?」
「行ける。」
と八神は一言で切り返した。
「お前は、肝心な時に御主人様の命令もきけない役立たずだ。俺が一人で行くしかないだろ。いくら力があったって、ここで使えなかったら、なんの意味もないんだ。」
大きく息を吸う。
そして、思いきって八神は、霊杖の放つ光の中から出た。
ドポンとぬるい音がして、八神が肩まで水につかる。波紋が広がり、白い花がクタクタと揺れた。
「……っふ。……っふ。……っふ。」
犬かきで、三メートルほど進む。
顔の前まで水が差し迫り、息継ぎもできない。
「……っは。……っは。……っは。」
手足をデタラメにバタバタさせて、もう少し距離を稼ぐ。水につかないよう顔をあげているので、首の後ろが痛くなってくる。
ぽちゃん。
そして、五メートルほどの地点で、八神の体は水の中に消えた。
「あ。溺れた。」
京助が、見たままを口にする。その言葉に、返答するものはもういない。
八神の体は五メートル地点で水没した。大事なことなので最後にもう一度言うが、八神は泳げないのだ。
騒がしい二人が水に沈んで、水没したT字路はまた静かになった。
水面には、相変わらず風のたてる波紋だけが見える。浮かぶ無数の花の白が、灯籠流しを思わせる情景だ。濁った水には、月も映らない。
人間二人を飲み込んで今日のノルマは達成したのか、蓋がはずれた棺桶も、直立したまま沈み始めた。
このまま棺桶が沈みきれば、このT字路はいずれ元に戻り、いつも通りの朝がやって来るだろう。
そして、誰も気がつかないまま、二人の人間がこの世から消えることになる。
「……って。させるわけにいかないか。」
仕方なく、京助は駆け出した。
細長い巨体を、チョロチョロさせながら走ると、小さな波紋がいくつも連なる。それはまるで沈んだ二人を探索するレーダーのように動いた。
白い花をかきわけるように前足を動かして、まずは八神が沈んだ位置で水の中に顔を突っ込む。
まだ浅いところに沈んでいたのに、八神は気絶していた。口でくわえてひきずりだす。
(めんどくさい奴…。)
と、心から思う。
髪や衣服から泥水が滴って、濡れ鼠のような姿になっている八神。情けない。
続いて、七春を救出する前に、水の中に消えていく棺桶のもとへ向かう。
今となっては空になった、ただの箱。その虚な空洞が、余計に不気味さをかもしている。
ただ、霊獣である京助にとっては、たいした問題ではない。この棺桶を壊せば全てもとに戻るとしたら、七春を探すより、その方が早いだろう。
短い前足で踏みつけてやろうとして、京助はちょこりと前足をあげた。
「ぶはっ……」
その棺桶のすぐ脇から、七春が自力で浮上してくる。
濡れた顔を手で拭って、棺桶を蹴飛ばし、距離をとった。
(………っ!?)
驚いた拍子に八神を落としそうになった。自力で上がってくるなんて、七春は八神より優秀だ。
「八神くん!……助け……」
助けを求めようとして、京助と目があう。そして、くわえられてグッタリしている八神を発見した。
「八神くんが死んでる!」
ムンクの「叫び」のような表情になって、七春がヒイィと悲鳴をあげた。
なんか今日は、叫んでばかりだ。
「ノドがかれるわ!ボケ!」
八神がいないので、自分でツッコむ。
相手にしていると長くなるので。
京助は前足をだした。
(生きていたことは褒めてやるから、巻き込まれるなよ……!)
シュボッと燃焼の音がして、前足が炎につつまれた。赤い炎だ。京助の大きな足に、キャンプファイヤーのように荒ぶる火がつく。
そしてその足で、京助は空の棺桶を踏みつけた。
「火が……っ。」
七春が驚くのも無理はないほど、圧倒的な火力だ。
踏み潰された棺桶の箱は、あっけなく潰れて、京助の前足の下に消えた。燃える炎は棺桶の残骸から水面の花に引火して、余計に燃え上がる。
「火がくるよ!?」
密集するほど浮いていた花には、次々に火が移っていき、辺りを包んでいく。大火事だ。文字通り火の海に早変わりする。
水に浸かった七春の体のすぐ横に浮いていた花も、移った火によって真っ赤になった。
「……っ。」
水に浸かったまま身をすくめた。
だが、火は熱くない。
白い花と棺の残骸だけを燃やして、火はやがて小さくなっていった。
「水が、引いていく…。」
走りながら気がついて、亜来は声をあげた。京助が心配だからと、T字路まで結局駆け戻っている。
靴下まで濡れたせいか、走るたびに靴がギュッギュッと音をたてていた。半乾きの制服が生暖かい。
(京助がしたのかな…?)
海の引き潮のように、水はT字路の方向へと引いていた。亜来が走る方向と同じなので、必然的に亜来は引いていく水を追いかけていくような格好になる。
水が引くとともに花も消えていき、道路はもとの姿を取り戻していった。歩道が、電信柱が、二車線道路が、何事もなかったかのように、姿を取り戻していく。
「すごい……すごいよ……!京助……!」
息を切らして走り、やがてT字路に辿り着く。
昼間に何度か通った、あのままの姿だった。路面の店は、ごく普通に営業をしている。そろそろ閉店の時間なのか、店員が店内を掃除している姿が、窓越しに見えた。
路肩に停められていた車も、ごく当然のように、そこで主の帰りを待っている。
全てがもとに、戻っていた。
唯一昼間の景色と違うのは、道路の中心付近に、京助がずんぐりと座っていることと、その傍にもう一人、男が項垂れた姿勢でいることだった。
男は、車のボンネットに避難していた、運転手の方だ。結局落っこちたのか、全身ずぶ濡れになっている。
ちなみに今そのボンネットの上には、錫杖のようなものが乗っかっている。
「しぶといな。」
くわえていた八神を平らになった地面に下ろして、京助が言った。
下ろされた八神を見つめて放心状態だった七春は、一拍遅れて、
「んあっ?」
とよくわからない返答をする。
「俺はぎりぎり無事だけど、八神くんは? 死んじゃってないだろうな!?」
「死んではいないだろ。」
京助の短い足が、八神の体をムニュッと軽く踏む。
先程、火のついた足で棺桶を燃やし潰したばかりなので、八神の体が可哀想なことにならないかと心配してしまう。
軽い力でおさえられ、グリグリと揺さぶられた八神は、うっすらと目を開けた。
途端に激しくむせて、水と花びらを吐き出す。飲んだらしい。
「生きてる!よかったー!」
心から安堵した声で七春がいった。両目に涙を光らせながら、八神をギュッと抱き上げる。
そして三秒後。
「いや、よくねぇー!」
たった今、自分で抱き上げた八神を、殴りつけて地面に墜落させた。
「ええええー!?」
墜落して後頭部を強打した八神が叫ぶ。
「何が得意分野ですだ!お前が一番役にたってねぇわ、ボケーッ!死ね!」
言っている言葉はかなりヒドイが、事実ではある。八神は、今回に限ってなんの役にもたっていない。
そのやりとりを端で見ていた京助は、長く息を吐いた。
(……くだらねぇ。)
そして、背をむけて歩き出そうとする。
「待て、荒天鼬!」
泥水を吐き出しながら、八神が苦しそうに名を呼んだ。
肘をついて、体を少しだけ地面から持ち上げる。それだけでも、体が辛そうだ。よっぽど溺れたダメージが大きいらしい。
「札に戻れ……!召符にきちんと収まらない奴を、このまま霊獣として野放しにはできない!だから戻れ!」
「へぇ、面白いな。札に戻らないと、俺を殺すのか? 怪しを二つ同時に使用して、大嫌いな水に入ったぐらいで、力尽きたお前がか?」
「そうだ!」
ガツン。
と鈍器を振り下ろしたような音がして、七春が手近に転がっていた怪しものの薙刀で、八神の頭を殴った。
大丈夫。柄の方だった。
トドメの一撃をくらった八神は、パタリと倒れて、また動かなくなる。
「いいのか、そんなことして?」
唐突な七春の奇襲に、八神の代わりに京助が叫び返す。
「八神くんとの約束だったからいいの!八神くんがもしお前をもて余して殺すことになったら、俺が八神くんの声優人生を絶つという。」
なんだか、話が大きくなっている。
しかし七春の言葉は、少なからず京助を動揺させるだけの効果を持っていた。
ダメダメだと思っていた主だったが、まさかそのダメ主が、京助の安全を守るための約束を人と交わしていたなんて。
「そうか、夜行が。」
尻尾をパタッと動かして、京助は言った。
「京助ー!」
そこで、名前を呼びながら、亜来が駆け寄る。
京助が振り返り、七春が顔をあげる。
「……あのコだれ?」
なんの気なく七春が聞いて、京助が目をそらした。
(家出先のコか…。)
七春の推測はあたっている。
「霊柩車事故の幽霊、止めてくれたんだね!これでミス研も部員が増えるかも!」
目をキラキラさせる亜来。写真はないけど、と付け足す。
京助がグリグリと鼻をこすりつけると、亜来はヨロヨロと後ろへ下がった。
「京助、小さく戻れる? 一緒に帰ろぉ。」
モハモハの毛を撫でながら、亜来が言った。京助は、チラリと七春に視線を送る。
見つめられた七春は、しばらく黙ってから、
「……行けば?」
と答えた。
八神は気絶させてしまったので。
「俺じゃ札への戻し方わかんないし。助けてもらった借りがあるし。」
そう言ってパタパタ手を振る七春に、京助は背をむけた。その背が、風船がしぼむように小さくなっていく。
「また頭に乗ってもいいよ。」
亜来がそう声をかける頃には、小さなフェレットくらいのサイズに戻っていた。
言われた通り頭に乗るため、亜来の体をちょこちょこ登る。
「そいつ、大きくなったり、小さくなったりするけど、怖くないの?」
七春が亜来に聞いて、
「うん。かわいいよ!」
どこかで聴いた声だなあ、なんて思いながら、亜来は答えた。
「さ、帰ろっか。京助!」
頭に霊獣を乗せて、亜来は平和に微笑んだ。
頭の上で京助が、鼻をヒクンヒクン動かした。




