なんなの。
夜のコンビニ。
お菓子を買って貰ってご機嫌の八神は、七春と一緒にコンビニの自転車置き場でたむろっていた。
「つまり、飼ってたペットが逃げた、みたいなこと?」
八神の軽い調子につられて、七春も軽く聞き返す。
しかし、言うほど事態は軽くない。
先の心霊ロケの一件で、八神がしばらく体を留守にしている間に、その事件は起きた。
「お札に憑かせていた霊獣が逃げちゃって、探すのが大変なんです。」
箱に入れて飼ってたハムスターが逃げちゃって、探すのが大変なんです。みたいな口調で言う八神。
お札。
言われて、同じ声優の姫川の部屋へ行った時のことを思いだす。
八神が「召符」と称したそれは、たった一枚で悪霊を追い払った。
仕組みはよくわからないが、八神が使う札には、何かの力が宿っているということはわかる。
「びっくりさせちゃったんだと思います。一時的にとはいえ、体に魂が入っていない状態になってしまったので。」
「まぁ、ご主人さまがイキナリ仮死状態になったら、普通は驚くな。」
「はい。特にその子は、俺と相性がよくなかったので。」
七春から視線を逃がし、コンビニの広い駐車場を見渡しながら、八神が言った。
「反抗期?」
が、霊にもあるのかどうか知らないが。
「というか、もともと俺の契約した子じゃないんです。えーと、境界の巫女のことは、センパイに話しましたよね?」
全国各地には、それぞれ土地神と、その神の声を聴ける巫女がいる。
巫女は神の神託を頼りに、自分が守る土地の中の怪しものを回収し、管理していると八神は言った。
この土地の巫女はすでに亡くなっていて、八神はその代理で今、怪しものを集めていると聞いたが。
「亡くなった巫女から使命を引き継いだ時、預かったんです。だけど、俺のことはあまり好意的にみてくれなくて。」
「なるほどね。」
八神も色々と面倒な事案を抱えているらしいことはわかった。
顔をのぞきこむ。店の明かりに照らされて浮かび上がる表情は、少し暗い。
「そんな顔するなよ。一緒に探してやるからさ。」
次々とたて続く展開に、ついていけない気もしつつ、困っている後輩を放ってもおけない。
言った七春に改めて向き合い、八神は嬉しそうにピョコピョコ跳ねた。
「ホントですか? ありがとうございます!心強いです!」
心から歓迎されて、悪い気もしない。
「まぁ、でも、探すなら明日の夜からな。今日はもう遅いし、明日も仕事だし。今日はお前の無事が確認できただけでもよかったよ。」
「七春センパイは、優しいですね! あ、えっと、じゃあ…。特徴教えときますね!逃げ出した霊獣の。」
「おう。」
八神の言葉に、メモをとろうと、七春は携帯のメモ機能を呼び出す。
しかし結局、何もうちこまないまま、辞退宣言したくなるようなことを耳にする。
「もし実体化しているんだとすれば、大きさは自由に変えられるはずなので、小さくて三十センチか、大きくて七メートルくらいです!耳は丸くて体は細くて、シュッとした感じ。ハナが少しとがってるかな。火を操るのが得意で、人間も食べる凶暴さなので、気を付けてください。」
「あ、人も食うんだ?……え?」
「名前は荒天鼬。名前の通り、暴走すると天候も荒らしはじめて、大きな被害をだしますので、一刻も早く二人で捕まえましょう。」
「辞退します。」
「だめです。」
「辞退します!」
「だめです!」
「お前の札の中にホンマに居てへんの?」
「現実から逃げようとするのやめてください。」
「…………。」
ひとまず黙る。
「人も食うんだろ?」
「ちょいちょい食いますね。」
「頑張れ。」
「一緒に頑張ってくれないんですか? 」
「お前なんなの!」
「魔法少女です!」
七春は腰に手をあて天を仰いだ。
ちょっとアンチチートとかでは乗り越えられそうにない。
「最悪、八神くんを盾にして逃げるしかねぇか。」
冗談を言ったつもりで、半分くらいは本気である。
そこで「なんでですか。」とか、八神のシビアなツッコミがくることを予想していたのだが、予想していた返答はなかった。
代わりに、
「まぁ、最悪はそれでも構いませんが、」
と、いやに素直な返事が返ってくる。
「それでもいいので、傍にいてください。それでもし、俺があの子を札に戻せず、もてあまして、殺そうとしたら、その時はセンパイが俺を殺してください。」
「いや、殺さないけど、急に大袈裟な話だな。」
さらに冗談めかして言ったが、八神はきわめて真面目な表情をしている。
その表情が崩れないのを見て、これまでにない緊張が、背中に走るのを感じた。
「俺にちっともなつかないし、手に余る霊獣なんですが。大切な形見でもありますし、できれば殺したくはないです。」
「形見ね。」
亡くした巫女から譲り受けたとなれば、形見といえば、そうなのか。
八神と巫女の関係について考えるより先に、自分にできることを理解して、七春は八神の小さな頭をポスポス叩いた。
「わかた、わかた。お前がヤケになったら、俺がお前の声優人生を絶ってやんよ。」
「社会的に殺してくれとは言ってないんですが。」
「任せろ。得意だ、後輩を蹴落とすの。」
リアルに怖い発言をして、七春は胸を張った。
「お前が間違えた時は、俺が張り倒して止めてやるから、心配すんな。何があっても、魔法少女の傍には、いつだって使い魔の俺がいるからな。」
収録中アニメ第八話、商店街の特売セールに向かう魔法少女にむけて、使い魔が言ったセリフである。
「僕が衝動買いしそうになったら、後は任せるから!」
ふいにアニメ声になって八神が返したのは、それに続く魔法少女のセリフである。
ちなみに、このシーンに魔法は一切関係ない。
こうして、人食い鼬捕獲作戦がはじまった。
緑豊かな住宅街の一角。
洋風に造られた一軒の家から、元気よく飛び出してくる女子校生。
制服に身を包み、ピョコピョコとかけていく。
アスファルトにたまった水たまりを避けながら進んでいると、交差点にさしかかった。
道幅はそう広くなく、交通量も少ない。信号のない交差点だった。
天気がよく、見晴らしがいい。昨日の雨も、夜のうちに上がった。
(急がないと、遅刻しちゃう。)
腕の時計を見ると、八時十七分。学校まで走る距離を考えると、
「アウトかなぁ…。」
苦い顔で少女は呟いた。足を止めている時間はないと、焦った勢いで左右確認もままならないまま車道へ飛び出す。
丁度そこへ、交差する道路から、軽自動車も交差点へと飛びこんだ。
キキィーッ!
とブレーキ音。タイヤと道路の間に摩擦が起きて、ゴムをすり減らす。ハンドルをきった車が、ブレーキを踏んだまま滑走した。
「きゃあぁ!」
甲高い悲鳴。
水溜まりを進み、しぶきがあがる。
たまった水の中の空が波打って、ゆらゆら滲んで、また元に戻った。
数メートル進み、交差点の中で斜めに止まる車。
急ブレーキで前のめりになった車が落ち着いて腰を落とすと、ガコンと重量のある音がした。
「危ねぇだろ!前みて歩け!」
すぐに運転席側の窓があき、運転士が罵声を浴びせる。
道路に止まった車のわきに、少女は倒れこんでいた。
顔をあげると、ストレートの長い黒髪が顔にかかる。
「普通は歩行者優先じゃない!そっちこそ気をつけてよね!」
負けじと怒鳴り返した少女に、舌打ちし、運転席の窓が閉まる。
それから、先を急ぐとばかりに、車はすぐに発進してしまった。
エンジンが反響して、木々を揺らしていく。木の葉が揺れて、雨粒が少女の頭に落ちた。
交差点は、再び静かになる。
取り残される少女。
「……わたし、」
轢かれた、と思った。
それは、あまりに一瞬の出来事だった。
今更ながら、鼓動がバクンバクン異常な音をたてている。
道路についた手。細かな砂利が、食い込んで痛い。あたりを見回す。
危なかった。
少女の名前は久木亜来。高校一年生。
相変わらず、そそっかしい性格が、小さい頃から直らない。
「はあぁ~。びっくりした。……だいじょぶだよね?」
あることを懸念して、少女は下を見下ろす。するとローファー靴の下に、白くて細長い何かを見つけ、それをつまみ上げた。
「ナニコレ?」
よく見ると、体毛がはえている。生き物だった。あたたかい。丸い耳に、薄茶色の体。手足が短い。
(そっか、私、この子を踏んで……)
バランスを崩し、後ろへ倒れた。しかし、そのおかげで、自動車との衝突を避けられたのだろう。
普通のネズミにしては細長いし、猫にしては手足が短い。
どっちつかずの姿だが、亜来はその生き物に見覚えがあった。
「ひょっとして、京助?」
亜来が呼び掛けると、その生き物は、鼻先をヒクンと動かした。
「やっぱり!帰ってきたんだね、京助!」
言ってから、喜んでいる場合ではないことを思いだす。
「そうだ、学校!」
立ち上がる。腕の時計。もう間に合いそうにない。
京助と呼んだ小さな生き物を抱えたまま、亜来は走り出した。
「怒られちゃうよぉ…!」
怒られた。
「しくしく……。」
泣いている効果音を自分でつける亜来。ホームルームと一限目の頭は間に合わなかった。
学校の教室、机に突っ伏している亜来と、その周りをかこむ二人の友達。
「はい、泣かない、泣かない!授業なんて、どーせサボるためにあるんだから、いいじゃない。」
「そうそう、進学校ってわけでもないんだし、出席日数と単位さえ稼いでおけば、多少の生活態度なんて、どうにでもなるんだから。」
みもふたもない言い方をする友人に、
「そうよね!まあ、いっか!」
同調する亜来。流されている。
休憩時間でザワつく教室。
よくある県立の普通の学校で、成績もごく平均的な亜来は、ごく普通にミステリー研究会とかに入って、ごく平凡な日々を送っている。
「だいたい、アンタこの前も遅刻してたじゃない。来る途中でUFO見たかも~とか言って。一回も二回も、たいして変わらないんじゃない?」
「亜来ちゃん、今日は何を見て遅刻したの?」
「えーとねぇ…。」
机の横につった鞄を漁る。そこから、取り出される、イタチに似た生き物。
「実は、京助が帰ってきたの!」
嬉そうに言った亜来に、友人たちは驚いて身を引く。普通に鞄から生き物がでてきたら驚くのは、当然なリアクションだ。
「は!? アンタそれ、鞄に入れてきたの!?」
「そだよ!」
「これ、なあに? フェレット?」
「そだよ!」
フェレットらしい。
亜来の天然の笑顔で言い切られると、フェレットのような気がしなくもない。
フェレットの京助は机の上で、珍しげに鼻をヒクヒクさせた。落ち着かないのか、キョロキョロしている。
「京助って確か、アンタが昔飼ってたフェレットの名前だっけ?」
亜来と付き合いの長い友人が言うと、もう一人は「そうなの?」と相槌をうった。
「確か、脱走したまま行方不明だったんじゃなかったっけ? その時、アンタ大泣きで、隣街まで探しに行ったけど、結局見つからなかったじゃない。」
「そういえばその時、神社の巫女さんに探すの手伝ってもらったっけぇ。雪解さん、って言ったかな。優しかったなあ。懐かしいー。」
「懐かしいー。じゃないでしょうよ。京助ってもっと白くなかったっけ?」
机の上の京助は薄茶色く、亜来の手に包まれてもぞもぞ動いている。
「帰って洗えば白くなるよ。」
亜来が京助と目を合わせる。小さな宇宙を覗きこんでいるように、不思議な光が見える。
「そーゆー問題?」
呆れた友人に、「そーゆー問題。」と返す亜来。
「そうだ!それなら帰り、ペットショップに寄らない?エサとか、亜来ちゃん、買うでしょ?」
「わあ、行く行く!」
弾けて立ち上がった亜来。
椅子が後ろの席の机にぶつかって音をたてる。なんかもう、フェレットの方向で話が進んでいるらしい。
あれ買って、これ買ってと計画をたてる亜来に、
「でも、あのペットショップの近くって、出るって最近噂になってるよ? 知らないの?」
「出るって何が? 痴漢?」
「痴漢なら刺せばいいけど、そうじゃなくて。ユーレイよ、ユーレイ!」
またみもふたもない言い方をする。刺せばいいということはないが。
しかしその言葉に、亜来は反応した。
拳を握り、
「ユーレイ!」
と目を輝かせる。
「アンタなんで逆に輝いてるの?」
「亜来ちゃん、ミステリー研究会だもんね。」
「行こう!」
目をキラキラさせて、亜来は友人二人の手をとった。
「私の七春王子が呼んでいるような気がするの!」
「七春王子って何?」
説明しよう。
七春とは、ラジオパーソナリティもつとめる人気声優だ。最近彼のラジオは、亜来の大好きなオカルトネタばかり配信しているので、亜来からは王子と呼ばれている。
ただし、七春自身はビビりなので、オカルトはあまり好まない。
「フェレットのエサが買いたくて輝いてるの?ユーレイみたくて輝いてるの?」
「両方!」
「ちなみに、そのユーレイってどんな感じなの?ミイラ男系?それとも、ネクロマンサー系?」
どっちもユーレイじゃない。
「どっち系も素敵~!」
頬に手をあてうっとりする亜来。
端からみると恋バナで盛り上がる女子校生。だが話の内容は、カオスだ。
「系って何? てか、全然違うし。」
ミイラ男でもネクロマンサーでもなく、噂の霊は棺桶だった。
学校から徒歩十五分。
ペットショップのある道の先、つきあたってT字路。その突き当たりには、かつて葬儀場があった。
火葬場へ向かう霊柩車。そのT字路で信号無視の車に追突された。
それ以来その道には、出棺したはずの棺が佇んでいるのを見たという噂が絶えない。
「け、結構、マジだね……。」
噂をきいた友人の一人は、青ざめた顔で呟いた。
「これで、行きたい気持ちも半減した?」
問われた亜来は。
「行きたい気持ちが五割増しだよ!」
さらに目をキラキラさせた。キラキラというより、効果音ならメラメラか。
意気込む亜来に、友人二人は頭を抱える。
「はいはい、アンタはそーゆー奴。」
「仕方ない、付き合ってやるか!」
「ありがと~!」
テンションも五割増しで、亜来はピコピコ跳んだ。
机の上の京助に目を合わせる。
鼻先をヒクンと動かして、京助は首を傾げた。
放課後、本当に心霊スポットへと赴くことになった女子校生三人は、学校の校門からスタートした。
順調に道を進み、歩道を並んで歩く。
亜来が今朝の遅刻のせいで職員室に呼び出されていたせいか、時刻は夕方だった。夏のおかげで陽がまだ高い。すぐには暗くならないが、人通りは少なかった。
ご機嫌で歩く亜来の頭の上には、京助が乗っかっている。
やがて、噂のT字路にさしかかった。




