これだから、男は。
「表向き奉納としてこの村に持ち込まれたあの巻物は、かつて巫女の雪解が、対おれ用に作りだした怪しもの。神力を抑えこむ力を持っている。」
煽子の幼い声で、煽子にとり憑いた何かが、そう言った。
「雪解は巫女でありながら、神であるおれを裏切り、神域を侵した。お前も巫女なら、この意味がわかるだろ?」
「生憎、昔ばなしには興味がないな~。」
巫女と呼ばれたあげはが、冷静に返す。
木造校舎の一階の廊下。
うっかり踏み抜きそうなほど、年代を感じさせる木の床。
壁や天井のどこかから、何かが外から叩いているような、重苦しい音が響く。
その真ん中で、対峙するあげはと煽子。
あげはに冷たく切り返された何者かは、煽子の体で、眉間にシワをよせた。
そこへ、あげはが畳み掛ける。
「私は雪解が作った怪しものが回収できればいいかな~。祟り神と巫女雪解の間に、何ががあるのかわからないけど、知る必要もないしね~。」
「回収などさせるか。雪解が作った怪しものは、この村の守り神によって破壊させてもらう。……その為の人質だ。」
煽子の、もみじのように小さな掌が、天井を向く。
その手の中に、虚空から現れる銀色の小さなナイフ。
煽子はそれを、自分の首に押し当てる。
「この村の守り神が、怒りにまかせて怪しものを壊すまでは、巫女にはおれの相手をしていてもらおう。おれから目を離していると、子供が死ぬぞ。」
「計ったね~。感じ悪いよぉ~。」
何事にも動じないあげはが、珍しく感情をあらわにしている。
煽子に憑いた何者かとあげはのやりとりを横で傍聴していた上木は、二人の顔を、交互に見た。
(何言ってんのか、さっぱりわかんねぇ。)
口調や言葉から、煽子の中に別の何かがいることは、上木にもわかる。
それはあげはが、狐の祟り神だと言っていた。そう言ったということは、あげはには何かが見えているということだ。
そして、話の中心になっている巻物。それは今、シリカが持っている。
そのシリカと、あとついでに七春も、渡り廊下の先に隔離されてしまった。
やはり扉がしまったのは、この世のものではないものが、意図的に操っていたのだ。
上木とあげはが、扉のこちら側で足止めされている間に、渡り廊下の先では何かがおきているかもしれない。
「祟り神がどうしてこんなところにいるの? どうして村の守り神が、巻物を破壊するのを手伝うの?」
あげはが厳しく責める。
答える祟り神は、煽子の体で笑みをうかべる。
「あれは雪解が小僧に残した最後の希望だ。なにせ、あれは神の力を抑える能力を持つ怪しもの。おれとたたかうには、うってつけの武器だからな。おれにとっても邪魔な代物だ。」
「だから、守り神さまに壊させるのー? 守り神さまだって神様だよー? 太刀打ちできるとは、限らないんだからねー。」
「ダメならまた代わりを探すさ。」
あげはがどれだけ言葉を重ねても、煽子の顔に張り付いた笑みが消えることはない。
何もかも、見透かしたような目をする。
「最悪、怪しもののことはなんとか…。他の二人は? シリカちゃんと、七春くんはー?」
狙われている巻物を持っているシリカ。
その身まで危険が及ぶ危険性は、十分にある。
「人間の二人はどうなるかな……。守り神の気分次第だ。」
その言葉を最後に、煽子は木の床に座りこんだ。手に持つナイフは、首筋にあてたまま。
その様子を見ていた上木が、そっとあげはに声をかける。
「何なに、今、どうなってるって?」
きかれたあげはは、チラリと上木に視線を送る。
「質の悪いやつがいて煽子ちゃんを人質に、足止めされてる感じかな~。」
語尾がユルいせいなのか緊張感がないせいなのか、あまり危機感が感じられない。
だが、それなりに事態は緊迫しているらしい。
「それで、これからどうするの。」
頼りになる霊能力者も、ここぞという時のパーソナリティも今はいない。それどころかこの場にいるのは、上木とあげはの二人だけだ。
「それでも、引き下がれないよ~。」
何か思案するように、あげはが俯く。一拍あけて、顔をあげて頷いた。
あげはの表情がかわる。真っ直ぐに、煽子を見据えた。
「うん……まずは引き離そう。」
天井に向かって、人差し指と中指をたて、あげはが高々と手をあげた。
「心触、現れ。」
短く唱える。
木造の床がぎしりと音をたてた。
窓から落ちる月明かりで、あげはのピンク色のスニーカーが照らされる。
キンとはりつめた空気に、虹色の光が混ざる。
驚いて壁に背中を押し付け、限界まで後退した上木の前に、それは姿を現した。
淡い紫色の火の玉。
人の頭くらいの大きさがある。それはあげはの背後から次々と現れ、行儀よく二列に並んで進んできた。
上木の目の前を、ゆっくりと通りすぎていく火の玉。
近くを通ると、燃焼する音までよく聞こえてくる。中心で燃えているものがなんなのかまでは、わからない。
(出たー!定番のやつー!!)
火の玉はなんとなく定番の位置付けにある上木。
七春の人体模型といい勝負だ。
紫色の火の玉に照らされて、廊下が怪しい空気に浮かび上がる。
上下にフワンフワンしている火の玉は、およそ二十個ほどの数になった。
やがて、煽子の前まで進んだところで、二列の先がわかれた。
それぞれ右側と左側から、煽子を取り囲む。
「おいおい、幻術はおれの十八番だぞ? 何のつもりだ?」
突然の火の玉の出現にも、煽子の中の狐は、余裕の笑みを崩さなかった。
煽子の座る背後には、渡り廊下へ続く扉。あの向こうには、シリカと巻物と七春がいる。
ここを通るには、煽子に憑いた狐を倒すしかない。
「勝手に力を浪費するのは勝手だが、その手はおれには効かないぞ。」
狐が、煽子の口を使って喋る。
それをしつこく無視するあげは、何かを唱えるように、口を動かしている。
「勝手にしろ。」
不機嫌に、煽子がまた言った。
そこはどこでもない空間で、自分でも、そこがどこでもないことはわかっていた。
全体的に白っぽい。靄がかかっていて、自分が立っている場所から先はよく見えない。
そこに、煽子は立っていた。
怖くはない。
夢でも見ているのだろうと、自分でわかる。それもなんか、変な話しだが。
「あーあーあーあー↑」
意味はないけど、発声してみる。
声は響かない。ドーム型の空間というわけでもないらしい。
特に意味は全くないが、ヨモギモチが食べたいな、とかフと思う。意味は全くない。
何気なく横を向くと、誰かいた。
すぐ傍らに立つその男と煽子は、手をつないでいる。
なんだが薄ボンヤリしたひとだ。透けているわけではないが、色素が薄いというか、なんというか。
細身の体に白いシャツ。短い髪の下の表情は、虚ろな目をしている。
(誰だっけ)
とか思う。
知らない人だ。
だが、初めて見た人なのに、まるで感情が繋がったみたいに男の気持ちだけが伝わってくる。
(悲しいんだ…。)
大好きな人のこと、大好きだから、大嫌いになった。矛盾する感情と深い悲しみだけが、煽子の胸の中に入り込んでくる。
なんでそんなことを知っているのか、わからないけど夢の中だから。そういうこともあるんだな、きっと。
一人で納得する煽子。
(すごく寂しいんだね。そばにいてあげなくちゃ。)
男はどこを見るでもなく、ただ立っている。煽子も、手をつないだまま、側にいてあげる。
「そこ」は「どこ」でもないけれど、「感情が充満する部屋」なのだろう。
男の寂しい気持ちだけが、室内にポッカリ浮かんでいるような場所だ。
居心地は悪くない。
煽子が勝手に住み着くだけの広さはあるし。何より、ひとりぼっちの男のことを、放ってはおけない。
(アタシ以外に、傍にいてくれる人がいないのかな。)
考える以外にすることもないので、そんなことを思う。特に行く場所もないし。あっちも、こっちも、靄だし。
「煽子。」
呼ばれた気がして振り返る。
繋いだ手は放さないまま、首だけ動かして、声のした方を振り返った。
靄の中には誰もいない。男は声には気がつかなかったようだ。
「誰か、呼んだ?」
声に出してみる。
返事はない。
「だーれーかーよーびーまーしーたーかっ」
もう少し声をはってみる。
すると、今度は返事があった。
「煽子、こっちだよ。」
「?」
目を凝らして見ると、靄の中に何かが浮かんでいる。
火の玉だ。しかも紫色。どうでもいいけど、唐揚げに形が似ている気が、しなくも、なくも、なくも、ない。
お腹空いた。
「唐揚げ…?」
さらによく目を凝らして見ると、それは火の玉でも唐揚げでもなく、人だった。
しかも七春だ。
片手に、ヨモギモチをのせた皿を持っている。もはや、意味がわからん。
「ナナハル? なんでヨモギモチ?」
食べたいなぁ、とは思っていたが。
男と手をつないでいるので、駆け寄ることはできない。仕方なく、遠巻きに、七春を見つめる。
「煽子、こっちにこい。」
真っ直ぐな瞳で少し強引に誘われて、煽子の心臓はジャンプした。顔が熱くなる。
「い、行けないよ。」
答えた煽子の声は、若干声のトーンが上がっていた。どうやら心拍数と比例して上がるらしい。
「煽子。」
もう一度、七春が呼びかける。「唐揚げもあるよ。」
どこから取り出したのかわからないが、七春の手の上にあらわれる、唐揚げをのせた皿。食べたいなぁ、とは思っていたけど。
「ナナハルと唐揚げとヨモギモチかぁ。」
ちょっと考えた。
手を繋いだ男を見上げる。男は相変わらず、七春の存在には気がついていない。
「ね、食べに行かない?」
呼びかけるが、男は反応しない。
繋いだ手をブラブラしてみるが、反応なし。
さらに強めに手を振り回すが、反応なし。
そうこうしているうちに、七春が立っていた方向から、別の人間の声がきこえてくる。
「あ。」
七春の傍に、シリカが寄ってきた。
寄ってきたというか、七春に唐揚げをねだっているというか、唐揚げをもらっているというか、あーんして食べさせてもらっている。
楽しそうに、笑いあう二人。
ふむふむ。
「おいいいいいいいいいい!」
煽子の態度が、百八十度変わった。
一人にしては可哀想だと思っていた男の手を、勢いよく振りほどく。
「何やってるの?こんなところで、バッカみたい!胸が大きければ、誰にでも優しくするの!?」
マシンガンの如く、言葉を吐き出す。
そして、大股でズンズンと七春に接近。
大きく息を吸った。
これだから、男はああぁぁぁぁぁ!
バチン!
と怪奇音がして、煽子の体から何かが出た。
この場で唯一男だった上木が、煽子の渾身の叫びにビクッと反応する。
「こいつ…おれの手を離したな!?」
体から抜け出た何かは、目には見えない。ただ、あげはの呼びだした紫色の火の玉に照され、廊下の壁に巨大な影だけがうつる。
四つ足の獣だ。針のような毛の一本一本まで、シルエットが鮮明に見える。
「幻術をかけたのは、おれにではなく、子供の方か…。何を見せた?」
影しかないくせに、どこからか声がする。
その声に、
「ちょっと!うるせぇよ!」
煽子が叫び返し、はしたなく床を踏み鳴らす。今どき、こんなベタな怒り方をする子も珍しい。
「ナナハルはどこ!? ナナハルを殴らないと、アタシの気が済まない!」
「こっちだよ~!」
呑気に手をさしのべるのはあげは。
「煽子ちゃん、こっちー!」
その声に気がつき、煽子が立ち上がってあげはのもとへ走る。バタバタと響く足音。
走ってきた勢いのまま、あげはの胸にとびこんだ。あげはのふわふわした髪が、ゆらりと揺れる。
「ナナハルは?」
「後でね~。」
いつもの調子を取り戻して、あげはが答える。
その平和なやりとりの向こうで、壁にうつった大きな獣は、短く舌打ちした。
立場が逆転し、あげはは、いまは何も立たない廊下の先を睨む。
見えない。けれど、その壁には巨大な獣の影がある。
「反撃開始だから、覚悟してよね~。」
あげはが、低い声で脅しにかかる。
どうやら、旗色が変わったらしいことは、上木にもわかった。
しかし、
「くそっ、こっちはダメだな…。」
悪態をついて、獣は身を引くような動きを見せた。
スルスルと影がすべるように壁の中を後退し、やがて消える。
それと同時に、紫色のかわいい火の玉も消えた。
壁に背を擦りながら、上木が床にしゃがみこむ。
長く、息を吐いた。
「どっか、行った…?」
「あぁ! 逃がしたね~。」
廊下を見渡し、あげはが叫ぶ。
壁にあった影は、分が悪くなると、アッサリと立ち去ってしまった。
それから、下駄箱の方が騒がしくなる。
上木やあげは、煽子を探して、撮影班が戻ってきたらしい。
照明が照らし、再び校内は明るくなる。
壁に備えつけられた消火器が、廊下にはりだされた習字の作品が、掃除当番表が、闇の中から浮かび上がる。
一息ついて、あげはは煽子の顔を覗いた。
煽子は平然たる顔で拳を握っている。七春を殴るためらしい。
「あげはちゃん。」
人が集まる前にと、上木は焦って声をかけた。言葉を選び、目がおよぐ。
「今のは、カンじゃ、ないよね?」
「じゃないね~。」
一拍、間があく。
「今の火の玉、なに?」
「幻術~。特技なの~。」
数拍、間があく。
「あ、うん。…そっか。」
「みんなには、ナイショにしといてくれる~?」
あげはが笑顔で言った。
あくまで、それ以上の説明をする気はないらしい。
思えば、あげはが動じない性格なのも、人より「眼がいい」からだとすれば納得がいく。
照明に照されるあげはの笑顔。イタズラッぽい、年相応の可愛らしさだ。
上木はそれ以上何も聞けなくなった。
一方の体育館前で。
「廊下だ、廊下。」
解りきったことを、わざわざ口にする七春。
あまりの恐怖に、喋らずにいられなくなっている七春。これが脳内麻薬。心霊スポットハイだ。
「ここは…? ここは何?」
ただの曲がり角にも慎重になる。特に意味はない。
渡り廊下から体育館の前の廊下に上がり、右側からまわりこむと、入り口の扉がある。この向こう側には、どうやらプールがあるらしい。
扉の開閉音はいつのまにか止んでいる。
頼りの八神がいつ到着するかはわからない以上、今は一人で進むしかない。
(八神くん~、早く来てよ~。)
もうすでに色々と限界な七春。
「うわぁ!何!……か、鏡だ、鏡。」
体育館の外にある水道。その上に備えられた鏡に映った自分の姿にすら、いちいちビビる。
もう箸が転がってもこわい状態だ。心霊スポットハイは伊達じゃない。
しかし、この後さらに恐ろしいものが、七春を恐怖のドン底に突き落とす。
いやあぁぁ!きゃああぁぁ!
体育館の中から響く悲鳴。
それは、一回や二回で途切れはしない。
なんでええぇぇ!やめろおぉお!
きゃあぁぁ!いやあぁぁ!
繰り返す悲鳴は、形振り構っていられない様子が、聞いてとれる。
広く、明かりのない体育館の中で、何かから逃げ回っているのか。声は遠くなったり、近くなったりを繰り返していた。
時折、壁を叩いたり、掻きむしる音がする。
先行していたシリカの声だ。
あちこち声が移動するのは、何かに襲われた上に、暗闇で出口を見失ったらしい。
「シリカ…!ちくしょう…!何がいるってんだよ!?」
焦りだけが先走る。
悲鳴が気を焦らせるが、同時に恐怖も煽るため、矛盾しているが、足が進まなくなる。
たった一人の暗闇。同行者は、次々と消えていってしまった。
「早く、早く……」
駆けつけてやらねば、と思うが。
足は、進まない。
足下まで闇が迫る。立ち尽くしていても、もっと酷い結果が聞こえてくるのを待つだけだ。かといって、駆けつければ助けられるわけでもない。
単独では、進むも地獄。立ち止まるも地獄だ。
(八神くん!早く来いよ!)
気持ちに、体がついて行かない。進むのは危険だと判断している。脳だけ冷静だとこういう事が起こるのだ。
その時、
「ここで見捨てたらモテませんよ?」
ふいに、どこかから声がかかった。




