前座
田園風景が広がる閑静な村。
霊がでると噂されるこの村に、心霊ロケにやって来た声優三人。
一行はいよいよ、夜を迎えていた。
夜の十二時をまわって、村の子供たちが肝だめしをしたのと同じ時間に、調査を開始する。
昼間に立ち寄った村外れの林の前まできて、車を降りる声優三人、七春、上木、あげは。
そこは、昼間に煽子という村の子供と出会った場所。そこには昼間と同じように、その煽子が仁王立ちしていた。
幽霊退治を手伝うと言ってきかない煽子を、あくまで見学だけという条件で引き連れる。
「無理はするなよ。」
言った七春に、顔をそらしながらも、
「ナナハルもね。」
と返す煽子。
その様子を、微笑ましい様子で見守る上木とあげは。
穏やかな日常の様子だ。この後、この団欒が悲鳴の渦に変わるとは、この時は誰も知らない。
撮影用にライトをつけているとはいえ、光の届かない場所には、闇が迫り来ている。
神社が建つ林の周りは、昼間とはずいぶん様子が変わっていた。
たたでさえ、村から少し離れたこの場所は、暗く寂しい道がのびている。昼間はその静けさすら神聖に感じていたが、夜の闇の中では、何故か不気味に感じてしまう。
唯一、明るくなっている林の上は、夜になると神社の前に並ぶ灯籠に明かりがつくのだと、煽子が説明した。
真夏の夜、昼間ほど気温は高くない。風はなく、淀んだ空気。
「じゃあ、とりあえず。」
しばらくの作戦会議の後、上木が切り出し、ついに心霊ロケは本格的に始動した。
七春にそっと手渡される、ハンディカメラ。
「ん?」
ほぼ条件反射で受けとる七春。片手で持てるタイプの小さなカメラだ。
渡されたのは七春のみ。上木とあげは、煽子は、モニターを用意した車の側へと呼ばれて集まる。
「じゃあ、行ってらっしゃい。」
軽く手を振る上木。
直訳すると、『一人で行ってこい。』
「え!? は!? 一人は無理だよ!」
カメラを持った手を振り回す。
「一人は無理。一人は無理!」
いつかの八神のように、いそがしくバタバタ動く七春の手。
その手をスルーして、女の子たちを自分の傍に集める上木。上木と女性二人が集まったモニターには、七春が手に持つカメラの映像が映し出されている。
七春がビュンビュン手を振り回すので、映る画像もビュンビュンぶれまくる。
「ちょ、ちょ、ジッとして!」
適切な指示を出す上木。
その横で、
「もし巻物が怪しものだったら、持ってかえってきてね~。」
トドメをさすような指示をだすあげは。
「それ、やっぱり一人で行けってこと!?」
「頑張って、ナナハル!!」
拳を握り、目を輝かせて煽子が送り出す。
そんなふうに、小さな子供に期待をかけられ送り出されると、七春も逆らえない。
それを見越した上での、煽子の同伴だ。
(はかられたー!)
と思った時には、もう遅い。
気がつくと、林の入口にたっている。
細い入口は、不規則に並んだ木々に囲まれていて、その奥は闇。
足下はぬかるんだ斜面。土に半分ほど埋まった丸太で、人工的に階段を作っている。
カメラを胸の高さで構え、しぶしぶ、七春は歩き始めた。
「お前らちゃんと見張っとけよ!」
振り返り、噛みつく勢いで叫ぶ七春。
「いいから、はやく行って。この後、小学校の方も行くんだから。」
冷静に冷酷な上木。
「モニターになんか映ったら、見とくから、ダイジョブだよ~。」
あげはは、相変わらずのマイペースだ。
「見てないで、言って?」
「ナナハル、アタシ、何かあったら無線するよ!」
唯一、七春の味方をしてくれるのは、煽子だけだ。小型の連絡機を握りしめている。
信用性のない上木やあげはを無視し、煽子に背中を託して、再び進みだす七春。
「ったく、詩織くんは冷たいし、あげはちゃんは怪しものに夢中だし。」
呟いてから、階段を上りながら考える。
もし、煽子が見た巻物が、本当に『怪しもの』だったら。
七春が信頼をおく霊能力者、八神は、『怪しもの』が普通の人間の手に入ることは危険だと言っていた。
(あげはちゃんの正体がわからない以上、むやみに怪しものを手渡さない方がいいのか。でも、煽子は、巻物を持ち出すことを望んでいるし…。)
そもそも怪しものがどういった存在なのか、よくわかっていない部分が、七春にも多分にある。
八神の言うように、物に異質な力が宿ったものなら、世間に出回らず寺や神社に隠されているのも納得がいく。
そして、あげはの言う神社や廃寺を巡る趣味の意味も。やはりあげはは、『怪しもの』を集めているのだ。
そこまで考えて、考えに詰まり、息を吐く。
(やっぱり俺、考えるのって、慣れてない。)
結局、自分がどうすればいいのか、その答えにはならないままだ。
林の中の斜面は、途中でゆるやかに蛇行しながら上っている。七春の歩く震動で、画面は絶えず上下に揺れていた。それは、七春の迷いを映すようだ。
五分ほどで斜面を上がりきり、やがて周囲が明るくなってくる。
灯籠の明かりが見えてきた。ずっと斜面だった道は平らになり、道幅も太くなる。
木々は、灯籠のチラチラと揺れる明かりに照らされ、黄金色に輝いていた。
土の地面に、金色の細い木々。さながら竹取物語の情景だ。
だが、現実と一線を引いたようなその光景が、余計に恐怖心をあおる。
ここは本当に、人の踏み入っていい場所なのかと。
「怖いわ、マジで…。」
素直に、七春の口から本音がもれる。
そして、ついに姿を現した社。だいぶ小さな社だが、立派な装飾のついた木造の社だ。その前にならぶ赤灯籠も、煽子の言った通りに存在した。
まるで七春をジッと待ち構えていたように、どっしりと腰をおろしていた建物と灯籠。
七春が立つ場所から社までは五メートルほど。短い距離だが、その部分だけ社の前は正方形の石畳が敷いてある。
「なんか…、広いところにでたよ。」
周囲をひととおり映して、七春が実況する。
振り返るが、上木たちが待機している場所は、木々に遮られて見えなかった。完全に、世界が孤立している。
どうしようもなく、迫り来る孤独感。それだけでも、心拍数が上がっていく。
「ナナハル! アタシが巻物を見たのは、社の中だよ。」
煽子の幼い声がナビゲート。その声を頼りに、社へ近づく七春。
観音開きの向こうに、確かにそれはあった。どうやら、情報通り、巻物は少し開いた状態で置かれているらしい。表面にはびっしりと文字が書かれている。
(お経…か?)
社の中まで灯籠の光は届かないようで、奥は見えない。
「煽子の言う通り、巻物があるみたいだ。それ以外には特に何もなし! 帰っていい?」
全力で後ろ向きな発言をする七春。
よくよく考えてみれば、霊と遭遇する時には、いつも八神が傍にいた。
霊の存在が多く確認されているこのような場所に、たった一人で乗り込む経験は始めてだ。
とてもじゃないが、呑気に長居はしていられそうもない。
しかし、待機しているはずの上木たちから、返事は来なかった。
一方で、七春の手持ちカメラの映像を一緒に覗いていた三人は、ある異変に気がついていた。
「光が、飛んでる…。」
煽子の言う通り、カメラには時折、白い発光物体らしきものが映し出されていた。
それは七春が社に近づいた直後から現れはじめた謎の光。点滅することもなく、ほのかな光を放ちながら、画面の中を移動する。
下から現れた光。滑るように浮遊し、画面左側へと消えていく。
悪意は感じられない。むしろ、蛍の光のように、小さくて儚い。
七春自身は、自分の手に持つカメラに映り込んだ光には、気がついていないようだった。巻物を観察しながら、次なる指示を待っている。
「霊がたくさん集まり始めたね~。」
あげはがのんびり説明するが、のんびりしている場合じゃないので。煽子が今一度無線に呼びかける。
「ナナハル、聞こえる?」
「煽子?」
「なんか、カメラに映ってる。霊が集まってるんだって。」
「Oh!」
冷静に伝えた煽子に、おどけた様子で答える七春。恐怖メーターが一回りして、怖すぎて逆に笑う。
「うん、帰ろう! よし、帰る!」
「巻物持って帰ってきて! お願い!」
煽子の最後の指示がとぶ。
社に駆け寄り、意を決して巻物に手をのばす七春。
「神様、ごめんなさい!」
一応、謝る。
端だけひっつかむと、巻物はベロベロひろがり地面についた。それをそのまま引き摺りながら、来た道を戻る。
ちなみに、心霊スポットと呼ばれる場所で一番やってはいけない行為が、物を持ちかえることである。絶対にマネしないでほしい。
「集まってるって、集まってるって、」
一体、何がだ。
うわごとのように繰り返しながら、林の中を入口へ向かって戻る。湿っぽく軟らかい土が、靴の底にあたる感覚。
駆け抜ける七春の顔に、下から冷たい空気が吹きつけてくる。
「速いな~。」
ぶれまくる手持ちカメラの映像を見ていた上木が、のんびりコメントしている。
脱兎のごとく走る七春。
行きよりも数倍早く帰ってくる。
そして走る七春の後ろで、地面の上を引きずられてついてくる巻物。
「速いね~。」
「あ、帰ってきた。」
淡々と口にした上木。
細い入り口から、七春が飛び出してくる。
「あー!もー!無理いいいぃィ!」
帰ってくるなり、奇声を発する七春。叫びながら、地面に座りこむ。
「ナナハル! 大丈夫?」
煽子もその傍に座りこんだ。
上木やあげは、撮影のためのスタッフも、次々集まってくる。
「てか、帰って来るの早いよ。」
一番仲のいい上木が、生還した七春を早速弄る。
「じゃ、お前が行ってこい!」
「やだけど」
半笑いで答える上木。
「巻物こえー。持ってるだけでこえー。」
「てか、それ、ほんとに持ってきたの?」
「持ってきたわ! ボケ! 怖かったわ死ね!」
「俺を罵倒されても…。」
荒い息づかいで上木を罵倒する七春。
その後ろで、あげはが興味津々の様子で巻物に触れた。引きずられたせいか、土で汚れている。
七春の雑な扱いのせいでのびきった巻物は、持ち上げると、道の方へダラリと垂れた。
「これ、おとなしいね。」
あげはの不思議な言葉に、
「おとなしいもんか。悪霊をよぶんだよ?」
煽子が憎々しげに呟く。
「それに、新しい~。」
言って、あげはが紙面をなぞる。確かに、明るいところでよく見れば、巻物はかなり新しいものだった。
真新しく白い紙に、達筆に書きつけられた経文。年代を全く感じさせない。
そして、感じないのは年代だけではない。こういうものにありがちな、不気味な感覚も無かった。
これまで七春が見てきた、八神が使う「怪しもの」は、いつも光を放っていた。この世のものではないと、霊感のない七春が見てわかるほどに。
その光すら、微かにも見えない。
「じゃあ、霊を集めていたのは、これじゃないんだ?」
問う上木に、あげはは唸る。
「でも、すごい念。間接的には関係していたハズだよ~。」
「新しい巻物に、強い念…?」
たった今自分が掴みとってきた巻物を、七春はまじまじと見下ろす。
確かに、聞いた話だけでは、この巻物が霊を集めているように思えたが。
「きっと、これこそ、私が探してた…、」
あげはが言いかけた時、その手の中から巻物が消えた。
「…あっ?」
正確には、手の中からすり抜けたのだ。巻物の反対側を、横から誰かが引っ張っている。
林の入口に座る七春と煽子、そのまわりに集まった上木とあげは。
その他に、もう一人、撮影用のライトの明かりの中に、見知らぬ人間がいた。
その人間が、巻物を横から引いた本人だった。
「……誰?」
煽子が問う。
眩しいほどの金髪を、黒いリボンで二つに結った少女が立っていた。
たくさんのレースで飾りたてた黒いドレスを身につけている。
年の頃は十代半ば。煽子よりは大人、というより、村の子供ではない。
湖底のような色の瞳が、どこか遠い地の人間であることを物語っている。
「巻物から手を離した方がいいわよ。」
流暢な日本語だ。ただ、話し方にどこか高飛車な雰囲気を感じる。
突然現れた異国の少女は、そのまま巻物を自分の手の中に巻き取った。
手の中で弄び、見下ろす。
「巻物は眠っているみたいね。大丈夫?」
目を合わせて呼びかけられた七春は、
「はっ? 俺っ?」
と曖昧に返事をした。
「てゆーか、誰?」
訊ねた七春に、しかし少女は答えない。
代わりに、
「おぉ!」
ぽむん、と上木が手をたたいた。
その、ぽむん、に一斉にその場の全員が注目する。
「おぉ? …おぉ、ってなんだ。知り合いか。」
七春のジットリとした目を向けられ、上木はベトナムの方向へ視線を逃がす。
「彼女は確か、万が一に備えて呼んであった霊能力者の方だったかな。」
上木に続き、次々とぽむん、ぽむん、と手を打ち始めるスタッフたち。
皆一様に、たった今思いだした風だ。
「ずっと車に乗せられていたんだけど、なんか呼ばれないまま展開していくから。」
異国の少女が言う。忘れられていたらしい。
「そうかそうか。」
上木の頭を掴んだまま、七春は少しずつ力を入れていく。
「そんなんいるなら、俺が一人で行くことなかったよな~?」
泥沼のような怨念を振り撒く七春。
「七春さんはバラエティー性が豊富だから。」
意味のわからん言い訳をする上木。
「綺麗な子だね~。」
あげはが、のんびりとコメントする。
理不尽な単独潜入をさせられた七春はスルーだ。
「ナナハル頑張ったのにね。」
煽子は、慰めるように七春の頭を撫でた。
「お前ら絶対、俺で遊んでるだろ。」
地面に手をつき、ガックリと項垂れる七春。
「超怖かったけど、頑張ったのに…。」
どうやら、七春の単独潜入は余興だったらしい。
「まぁまぁ、前座だから。前座。」
楽しげに七春の肩をたたく上木。叩かれた七春は、問答無用で上木を締め上げる。
その二人を無視して、煽子が霊能者に近寄った。
「その巻物、持っていて大丈夫なの?」
小さな体で見上げる煽子の頬に、霊能者の少女はそっと触れた。
「大丈夫よ。」
「貴女、強いの?」
煽子のさらなる問い。
「強いよ。」
自信に満ちた声で、少女は答えた。
「そう。じゃあ、」
煽子が、七春を振り返った。
「やっぱり、一人で行くことなかったね、ナナハル。」
ここまでは、あくまで余興。




