煽子
都会の喧騒から離れた、静かな人里。
見渡す限り、のどかな田園風景が続いている。
その中を、声優一行を乗せた車は走っていた。
後部の座席に座り、窓から入る穏やかな風を受けている青年、七春解。
このロケ取材のもととなった声優ラジオのパーソナリティを務めている。
さらにその横、七春の隣で観光雑誌に目を通している、上木詩織。
七春と同じく声優であり、今回のロケ地を運で引き当てた本人である。
その上木とは別に、本日のもう一人のゲスト、箱入あげは。助手席でのんびりと風景を楽しんでいる。
この三人のメンバーで、今日の夜には心霊スポットへ行く予定になっている。
頼りになりそうなのは、紅一点のあげはのみ。男は一番頼りない。
パーソナリティである七春と、ゲストの声優が、季節にそった話題でトークを繰り広げる声優ラジオ「パーソナリティは七春さんですよ!」の特別編となる今回。
普段のスタジオではおとどけ出来ない季節感を出すという、都合のいい理由の上に成り立っている心霊スポットへ行く企画だ。
ちなみに、遊びに半分に心霊スポットへ行く行為は絶対に真似してはいけない。
移動中にもカメラを回しはじめたようで、下を向いていた詩織の肩を、七春がテシテシ叩いた。
「詩織くん、俺らがこれから赴く死地を説明したってよ。」
言われた上木は、雑誌から顔をあげて答える。
「オーライ。」
この日三人の声優が調査する心霊スポットがあるのは、白詰郷と呼ばれる小さな村。
お米作りが盛んな村だが、今は人口も減り、過疎化が進んでいる。
窓から見える風景は、青い稲が波打っている。しかし中には、土がむき出しのまっさらな田んぼも見えた。
この村の奥には、過去に戦火を逃れた小さな神社があり、さらにその先には、戦時中に避難場所になった小学校もある。
その二ヶ所こそ、三人が目指している目的地だ。どちらも、霊がでるという噂が絶えない。
「これ、どっちも行くってこと?」
カメラに向かって説明を終えてから、信じられないと言いたげに、上木が七春に問う。
「行くんです…。」
心の底から嫌そうに、七春が答えた。
唯一、あげはだけは楽しそうに、
「早く行きたいね~。」
と口にする。
「あげはちゃん、先頭歩いていいからね。」
どうしようもなく、残念な発言をする上木。
その横から、七春はボンヤリとあげはを見つめていた。
八神の言っていた、怪しものの話を思いかえす。怪しものは、各土地の巫女が回収しているのだと、八神は言っていた。そして、人の手に渡るのは、危険なものだとも。
だが、その怪しものを、あげはも探していると言っていた。
その正体は、単なるオカルト好きのコレクターなのか、どこかの土地の巫女なのか。
それについて、この仕事のうちに聞く機会はあるだろうか。
「七春さんは、どこから攻めたい?」
ふいに上木から声をかけられ、我にかえる。
「あ、うん? どっちでもいいです。どっちもどうせヤバイ。」
「言えてる。」
上木が、笑顔になりきらない笑い顔で答えた。
さすが田舎。
車を降りると、空気がうまい。
車を止めたのは、村外れの舗装されていない道の上だった。
この道を真っ直ぐ進むと、噂の小学校がある。片側は田園が広がり、片側は深い林になっていた。
その林の木々に見え隠れして、赤い鳥居が見える。鳥居は急斜面に沿って上に続いているようだった。
カメラはそれをゆっくりと、下からすくいあげるように映した。
そして、同じように見上げていた、上木の横顔へ映る。
時刻はまだ昼過ぎ。不気味さは感じないどころか、どこか神聖な空気さえかもしている。
「この上……登れんの?」
何気なく上木が問い、それに答える声があった。
「登れんのよ。」
声がした方に視線をあげると、進行方向に
一人の少女が立っていた。
ボブショートの短い髪に、勝ち気な光を放つ大きな瞳。小学生くらいの女の子だ。
村の子供らしい。半袖のシャツの下から、よく陽に焼けた褐色の肌がのぞいている。
声優三人が顔を見合せ、一番子供に不信感を与えなさそうな、あげはが前に出る。
『怖そうなお兄さん』として定評のある七春は、上木の指示で後ろに下がった。
「キミは~この村の子~?」
独特な間延びする口調のあげは。
少女の前にしゃがみこみ、目線を合わせて話しかける。
「そうよ。アタシ、神宮煽子。貴方たちが、外からきた声優の一行ね。」
「煽子ちゃん、よろしく~。私はあげはだよ~。後ろの二人は上木くんと~、七春くん~。」
ついでに紹介された二人は、そろってペコリと頭を下げた。
大の男二人に頭を下げられ、少女も軽く会釈を返した。礼儀を重んじる子らしい。
「煽子ちゃん、一人で遊んでたの~?」
あげはの問に、少女、煽子は首を振る。
「みんなと遊んでたんだけど、貴方たちを見かけたから抜けてきたの。」
「どしたの~?」
「この村を悪霊たちから守って欲しいの。御願い。」
煽子の言葉に、三人は再び顔を合わせた。
このどこまでも平和そうな小さな村に、一体どのような危険が迫っているというのか。
しかし煽子の目は真剣そのもので、真っ直ぐに見つめ返してきていた。
小さな体で見知らぬ大人三人を前にしても、怯む様子は見せない。
「私達、まだこの村についたばかりで~、何も事情を知らないんだ~。」
何事にも動じないあげはが、相変わらずのマイペースで、のんびり返す。
「だから~、良かったらお話し聞かせてくれる~?」
「うん。…言い出しておいて、なんだけど。貴方たち、信用できるんでしょうね?」
「できるできる~。お安い御用さ。声優の仕事は子供の夢を守ることだからね~。」
勝手な見解を述べて安請け合いするあげは。
そういう流れで、煽子の話を聞く運びとなった。
「この坂を上がったところに、神社があるんだけど。」
早速、本題へ入る煽子。
指差すのは、先程まで声優三人が見上げていた鳥居が並ぶ林の奥だ。
並ぶ木々に阻まれ、社は見えないが、どうやらそれがもうひとつの心霊スポットである神社らしい。
「昔は、何かあるたびここへ人が集まって、賑やかだったんだけど。だいぶ前に、お坊さんが訪ねてきてから、少し変わったんだ。」
二年前の夏、この村を一人の僧侶が、なんの前触れもなく訪ねてきた。その頃は丁度、夏祭りが終わる頃だった。
僧侶は、この神社にある神器を奉納するためにやって来たと村人には説明されたという。
その僧侶の姿を、煽子も一度だけ見たことがあった。袈裟をつけた、偉そうなお坊さんで、細長い木箱を持って神社の方へ上がっていった。だが降りてくる時には木箱は無かったらしい。
「普通に考えると、その木箱の中身をこの上の神社に奉納したってことになるな。」
煽子の話を聞いて、七春が返す。
「そうなの。」
「中身は、なんだった? 見たのか?」
煽子はうつむき、さらにコクンと頷いた。
中身は、巻物だったという。
「巻物って、中に字が書いて合って、クルクル巻いてある、あれ?」
上木が、巻物を手に持ち広げるような仕草をしながら問い返す。
「中に何が書いてあるか、見たか?」
「字がいっぱいだったよ。」
僧侶が村をでてから、神社の周辺と小学校のまわりで、霊を見たという噂が流れはじめた。
誰が見たってその巻物が怪しい。
しかし村の大人たちは、極力関わらないようにつとめた。
神社にあるものは神様のものだから、触ったりしてはいけないと、子供たちに言いきかせて。
そのうち村の外から、面白半分に若者たちが肝だめしにやってくるようになり、神社や小学校が荒らされるような事件もあったという。
「大人はみんな、あの巻物のこと、気にもかけないんだ。だけど、私達はみんな、あの巻物がわるい悪霊を呼んだんだってわかってる。どうして大人は、あの巻物をあのままにしておくんだろう。」
悔しそうに呟く煽子。その姿は、子供そのものだ。
大人は信じないだろう、霊を引き付ける巻物の話など。
子供の頃に見えていたものが、大人にはどんどん見えなくなっていく。
何故そうなっていくのかはわからない。
そうなっていくことを、少し寂しいと感じる。
霊や神様の存在を忘れて、閉ざされた世界で生きてくこと。
(それは…、八神くんを否定することにもなりかねないからな。)
ただ、大人になってもそういう類いの存在を信じて疑わない人間も多い。
「煽子ちゃん、そんな気持ち悪い巻物の中身をよく見たなぁ。俺とか絶対に無理。」
あからさまにビビる上木。
「霊を呼び寄せる巻物かぁ。怪しものの予感がするね~。」
あからさまに余裕のあげは。
そんな二人を交互に見て、煽子はさらに続けた。
「アタシが巻物の中身を見たのは、みんなで肝だめしに行った時だったの。」
肝の据わっていそうな煽子が「肝だめし」と言うと、なんだかすごく頼もしい。
巻物を奉納した僧侶が村を出て、幽霊騒ぎが始まってから暫くして、煽子を含む村の子供たちが肝だめしに出掛けた。
場所はこの上にあるという神社。子供は全部で五人。
林を上ったところには赤灯籠が両側に並び、その先に小さな社がある。社の扉は両開きになっており、そこから社の中に置かれている巻物が見えるようになっていた。
「その巻物は少し広げて置いてあって、漢字がいっぱい書いてあるの。」
肝だめしを決行したのは真夜中の十二時。
林の中を進むのは子供たちだけ。
煽子を先頭に進んでいた子供たちは、その巻物を目にして足を止めた。
「肝だめしの最終的な目的は、悪いものを呼び寄せる巻物を、村の外に持ち出すことだったんだ。だから、アタシは巻物を取ろうとしたの。」
正確には、取ろうとしたのではなく、盗ろうとしたのだ。
「だけど、アタシが巻物に手をのばした時、まるでそれを見ているかのように、社の中から声がして…。」
持っていけ、と声は告げたらしい。
それは風音などの類いではなく、明らかにひとの声だったという。
聞き間違いようがない、ハッキリとした大人の男の声。
「持っていけ、持っていけ、って。怖かったわ。」
真顔のまま怖かったと言われても、イマイチ信じられない。
だが煽子の言うことが本当なら、子供しかいないハズの小さな神社で、持っていけと囁いた声の正体はなんだったのか。
さらにその声が聞こえたのは煽子だけではなかったらしい。
なんと連れだって肝だめしに行った子供たち、全員に聞こえた。
声を聞いた子供たちが一目散に逃げ出した先は、道幅も狭く、ぬかるんだ斜面。坂道を転がるようにおりる。
そして、今七春たちが立っているこの道を、子供たちは家に向かって全力で走った。
村へつくまでの間、街灯などは一本もたっていない。
足下もよく見えない夜道を、懐中電灯の明かりだけで走る、走る。
大人には内緒の肝だめしだったので、大声をだすな、バラバラになるな、と叱咤しながら煽子は子供たちを追いかけたという。
「大変だったんだからね!」
と言うあたり、煽子がこの村の子供たちのリーダー的な存在らしい。
「声って…、怖いよそんなの。」
煽子の話を聞いた上木は、素直に感想を口にした。
恐怖を正直に顔にだしている。
かわりに七春は、何も述べないまま、顎に手をあて考えこんでいる。
カメラは二人のその様子を、横からじっくりと映した。
「アタシ、……嘘は言ってないからね」
七春のその表情に、煽子が不安気につぶやいた。自分の話が、疑われていると思ったのだろう。
聞いた話からするに、大人たちは煽子の話を全く信じていないらしい。
何かと理由をつけて、軽くあしらわれてしまう。これまでにも、村中の大人に救いを求めては、こんな難しい顔をされてきたのだろう。
だがら子供たちは、自分たちだけでも行動に移したのだ。
村を悪霊から守るために。
「あ、うん、いや、煽子の話はもちろん、信じてるよ。ただ、なんで『持っていけ』なんだろうって思って。」
考えこんでいた七春は、煽子と目線を合わせてそう言った。
肝だめしをしていた子供たちが聞いた声。それは確かに、「持っていけ」と繰り返した。
「もし、勝手にイタズラされそうになって怒ったのなら、普通は『触るな』とか言うだろ? 『持っていけ』ってことは、その声の主もあの巻物を良く思っていなくて、持ち出して欲しいって感じなのかな、と。」
そこまで説明して、七春が言葉を切る。
続きは上木が引き継いだ。
「問題は、その声が誰なのかってことかぁ。あの神社に祀られてる何かなのか、噂になっている霊なのか…。」
「十中八九、霊だね~。神様の声なんて、そんなに軽々しく聞こえるもんじゃないよ~。」
のんびりと付け足すあげは。
各々の見解を述べる大人三人を、煽子はただ呆然として見つめていた。
誰一人、声の存在を疑わない。
本当に、声はしたのだと、誰も信じて疑わない。
「信じてくれるんだ? 子供の言うことなのに。」
「煽子の言うことだろ?」
不思議そうに見上げてくる煽子に、七春が言い直す。
「煽子は、嘘を言うように見えない。」
「……あ、」
見上げた瞳を覗き込まれて、煽子は顔をそらした。
頬が赤く染まる。
「あ、アリガトウ。えっと、その、ナナハルはいい人だね。カミキも、アゲハも。」
照れて視線をそらしたまま戻せない。そんな煽子を前に、上木とあげはは笑った。
七春だけが、わからない顔をしている。
「ともかく、声が聞こえたってことは、そこに何かいるのは間違いないってことだ。夜になれば、何かわかるだろ。」
「夜もまた、ここに来るの?」
「まぁな。じっくり調べてみるわ。なんとなれば、俺たちには最終兵器もあるし。」
七春のその台詞に、煽子は首を傾げた。
「さいしゅうへいき? て、何?」
「まあ、見てなさい。」
七春は、複雑な笑みをつくる。
「うちの魔法少女は最強なんで。」
林の奥の鳥居は、上に向かって並んでいる。
まるで、一行を誘うかのように。




