誘惑するもの
例えば、何かの犠牲の上で、救われるものがあるとして。
さらに言えば、その『犠牲』と『救われるもの』が必ずしも等価ではないとして。
もっと言えば、その価値に歴然とした差があったとしたら。
そしたら人は、迷わずどちらかを選択するのだろう。
自分にとっての、大切な方を。
「君が決断できないのは、何故だい?」
問いかけられて返答に困る。
平日の午前中。ラッシュの時間を過ぎて、少し落ち着きつつある駅のホームに、八神はいた。
途切れた屋根から見える青い空。俯き、通りすぎていく人々。
その中に混ざりこんでいた八神は、仕事に向かう途中で引き止められた。
相手は第二回心霊ロケにて、幽霊ホテルで遭遇した悪魔を操る謎の男だ。
赤髪に傾いた黒ぶち眼鏡。派手な色合いのボーダーシャツを着込んでいる。さらに八神の背後には、彼の操る頭部の悪魔が一匹。
まさか背後をとられるとは。不覚だ。
「僕達は敵同士じゃない。手を取り合うことも出来ると思うんだ。どうかな?」
今、八神は非常に理不尽な取引を持ちかけられている。
『かこえうた』によって、誰かを殺す代わりに、誰かを生き返らせることができる、という前提の上で成り立つ交渉だ。
七春を殺して、雪解を取り戻す。
そしてそれを手伝って貰う代わりに、この悪魔男には成功例としてデータの提供を約束する、というものだ。
「手を取り合うじゃなくて、足を引っ張り合うの間違いじゃないのか。」
いつも通り辛辣な八神は、頑なに心を許さない。警戒をあからさまに顔に出している。
本来なら、宣言した通りこの男をバラバラ死体にでもしてやりたいのだが、生憎怪しものが使えない状況である。
不利だ。
そんな二人の緊迫した様子にも、すぐそこにいる悪魔の存在にも、気が付きようがない周囲の人々。
八神や悪魔男の傍を、早歩きに通りすぎていく。目に映らない物に関して、世界は無関心なことが多い。
「まいったな〜。僕も悠長にやればいいってわけじゃないから、君が最後の砦なんだけど。」
言って男はパリパリ頭をかく。チリヂリの毛がかき回されて、ヤキソバみたいになった。
「一生、賛同を得られないまま悠長にやってろよ。『かこえうた』の成功例を手に入れて、よほどお国に褒められたいのか知らないけど。」
「僕は他人の評価を求めてないんだよ!知的好奇心さえ満たせればいい。」
「あぁ、意外と楽しんで生きてるタイプなんだ?」
他人に左右される良心をキチンと持っていないという点で、ライフスタイルは八神に近いようだ。この赤毛も、良心の塊である七春には、振り回されるタイプだろう。
それを聞くとさらに気に入らない。というのが八神お得意の同族嫌悪である。
その八神の心色を表すように灰色の地面。
騒がしい音をたてて、電車がホームに入ってくる。
二人を叩く風が痛い。
「君も大切な人を取り戻せば、人生楽しくなるよ?」
「一理あるな。」
七春が死んで雪解が生き返るなら、万々歳だと八神は思っている。
スルメで懸賞金付きの怪魚を釣り上げるくらいの儲けだ。
七春の価値なんて、ちょっと声がカッコイイくらいで、あとは飲み終えたペットボトルのキャップくらいの存在でしかない。
しかし、だからといって七春を犠牲に出すつもりも八神には毛頭なかった。
理由などない。
人を殺しちゃいけないなんて、言わずもがな一般常識なので。
「俺はお前らと同じところには堕ちない。都合よく利用できると思うなよ。」
拳で。
ギュッと握った拳で、八神は回りこんできた悪魔のオデコをなぐった。この頭部、顔のバランスがかなり悪いので、そこが額で合ってるかどうかわからないが。
とりあえず、小さな目がある部分の少し上が空いていたので、そこらへんを殴った。
がごん。
と嫌な音。
怪しものの薙刀で打ち上げた時と、同じ音だ。
つぶらな瞳で口だけでかい悪魔は、かなり不機嫌な顔になって、体を揺らした。主からの指示がないうちは、やたらに反撃はしてこないらしい。
そのまま不格好な悪魔を押し退けて、八神は赤毛に背を向けて歩き出した。
「待ってよー。」
と言いながらも、追いかけてくるような足音はない。このまま八神を見逃しても構わないようだ。
それが逆に、泳がされているようで気に入らなく思える。
(仕事前に嫌な奴に会った……)
怒りのせいで、余計に歩調が早くなる。
「君にはいつか、僕が必要になるよ!」
と、声だけ背中を追いかけてきた。
わかったような口調だ。
「その時になったら、いつでも声をかけてよ! 待ってるからね!」
余計なお世話だ!
と叫び返しそうになった言葉を、八神は必死に飲み込んだ。
モヤモヤ。
胃からなんかが飛び出しそうな、不快感だった。
一方で七春さんを見てみましょう。
きっと逆の立場なら、七春はアッサリと八神を殺して、昔飼っていた金魚か何かを生き返らせることだろう。
そしてその金魚に「八神くん」とかいう名前をつけて大事に飼うに違いない。
週に一回くらいしか水槽の掃除をしないけど。
でも、その辺のドブから拾ってきた水草とかを水槽に入れてあげたりして、なかなか可愛がって飼ってくれるはず。
たぶん。
そんな呑気な七春さんは、怪奇住宅の住人に許可をとり、一階の天然石の教室に来ていた。
四角い部屋の中に、長机とパイプ椅子が整然と並んでいる。壁際には暖かみのある木の棚が置かれていて、その上にはたくさんの石が並べられていた。
石の種類ごとに分けられているようで、綺麗にケースに入って整頓されている。赤、青、青に近い緑と、黄色。
桃色もある。可愛いい。
中にはブレスレットやネックレスなど、装飾として形を成しているものもあるようだ。
ビーズのように細かく小さな石が、透明なケースにたくさん入っているものもあった。
「こうやって身に付けろってことなんだ。」
感心した様子で、短いコメントをする七春。
その後ろに琴音と、さらに上木と箱入あげはがついてきている。
二階は夜に向けて撮影準備中。スタッフが忙しく動き回っている足音が、微かに天井から降りてきていた。
「作り方とか、組み合わせ方とかを教えているんです。今日は姉は別の仕事なんで、今は空いてますけど。」
三人に部屋へ入るよう促し、琴音が説明する。
「組み合わせ方って、色の?」
と何気なく上木が問い返せば、
「石の種類や組み合わせ方によって、得られる効果が違うんだよね〜?」
とあげはが補足をいれた。八神やあげはなら、変な知識をもっていても疑問に思わないという、普通っぽくない人マジック。
「巫女代理ってそういうのも勉強するんだ。」
とすんなり納得した七春に、
「あ、これは普通に雑誌に載ってるの見て興味を持ったの。」
と返ってくる。
巫女代理も普通の女の子らしい。
「とはいえ、霊を引き寄せる力があるわけでも、悪魔を召喚する効果があるわけでもないんだろ?」
天然石は強運をつけたり、幸せを呼びこむとか言われることが多い。いいことだらけでマイナスの力がないというのも、なんか変だが。
「そんな力ないと思いますけど…。それに、この建物内で人が死ぬようなことも起きてないし。」
謎の物音や人の声、悲鳴。
それらは追いかけるように、琴音の身近で聴こえてくる。
「姉は全く気にかけていない様子なんですけど…。」
「わかるよ。困ってる霊なら助けたいよな。」
「いや、怖いんで退治して欲しいです…。」
微妙に趣旨が噛み合っていない琴音と七春。
小さな窓からあたたかい光が入り、石にキラキラ光を当てている。陽光が石を通って出す色は極彩色。
棚に使われている板の木目が虹色に光り、文様のように浮かび上がっていた。
二階の窓際に並んだ石同様、こちらも窓に沿って石がならぶ。大小様々、形も不揃いだ。
「こっちにも石ありますね。」
上木に肩をチョイチョイつつかれ、七春も窓辺によって上木と並んだ。
なんとなくテレビとかで見かけるような、悪魔の侵入を防ぐ呪いのように見えなくもない。
「結界! みたいな感じかな?」
「は?」
最近、七春の発言が厨二化してきているのを、ホントに心配している上木さん。
八神の悪い影響であることは、分かっている。
「琴音、これはなんの術?」
「術じゃないですよ。それは姉がやたら窓辺に並べたがるんです。なんか、日光や月光を集めると、石の力が増すとかなんとか言って。」
二階と違うのは、こちらは床に置いているわけではないので、踏みつける心配はないということか。
確かに、この位置に並べておけば月光でも日光でも、いくらでも、貯め込みそうだ。
「姉は石に秘められた力を、宇宙のパワーとか言うんです。俺も、全く信じていないわけじゃないけど、宇宙の力かどうかは、首捻りますよね。」
「捻らない捻らない。」
パサパサと七春が首をふった。八神みたいな奴がいるくらいだからな。宇宙の力とやらもあるのだろう。
信じきってしまう呑気な七春の脳味噌に、さらに琴音は感心した様子を見せた。
「だとすると、太陽光発電みたいなものか。」
とつぶやく七春は、また石に視線を落とす。
触れると冷たいのかと思いきや、陽光にあたって生温くなっていた。
窓際に力を貯める石が並ぶ状態というのは、なかなか奇異だ。
あげはの言う石の力が原因で怪奇現象が起きているという推測も、あながち放置できない。
顎に指を当て真剣に考え始めた七春の横顔を、上木が隣から覗きこむ。
たまに真剣な顔をした時は、七春もなかなか男前だ。
そして珍しくそういう顔をする時は、誰かの為に難しいことを考えていることが多い。
「また此処にいる霊も助けるつもりですね」
真夏の心霊村ロケでは不自然な怪我をし、幽霊トンネルでは追いかけられ、「かこえうた」のホテルでは建物まで損壊させていた。
その流れを汲んでいくと、七春はいよいよ死んでもおかしくなさそうだ。
今回のロケは、それらしく廃病院だとか廃寺とかではないようなので、見た目は穏やかだが。しかし、ただの民家と侮っていられるのはきっと今のうちだけだ。
夜になればまた全てが顔色を変える。
七春に付き合ってきたせいで、上木も近頃、ようやく闇の危うさがよくわかってきた。
(魔法少女ちゃんに釘はさしたつもりだったけど、きっと…。もうこの人自身でも、魔法少女ちゃんの手をもってしても、止められないところまで深入りしたんだな。)
あとはもう、七春自身が結末を目にして、手を引かない限り終われない。
可愛そうな駒鳥のお葬式。
巻き込まれるまま生首を突っ込んだ七春は、小さなハエ。
その目で、彼は目撃者になる。
(だとしたら俺にできることは、七春さんのフォローですかね。)
ぼんやりと考えていながら、ふいに熱いものを感じて、上木は腰に手をあてた。
そこにあるのは、七春の私物の預かりもの。少し湾曲した長い本体に、鋭く弦がはってある。
弓だからユーミンと、七春が安易に名付けた怪しものである。
まず長い。そして重いという点で、あまり持ち運びに適していないものだ。
上木はベルトに斜めに傾ぐように突き刺しているが、本来はもっと厳重に取り扱うべきものでもある。
今のところ七春がそれを使おうとすることはないが、何かと情報を得るのに役だっているスグレモノだ。
そのユーミンが人の体温より熱い熱を放っていることが、着衣越しに上木の体に伝わっていた。
まるで意志があるかのように。
(今、熱をもった…?)
その熱が気にかかり触れていれば、やがてそれは微かに震え始めた。
何かを伝えようとしているかのように。
「七春さん…」
と持ち出しかけてやめる。
ここで自分が頼っていたら、本末転倒だからな。
(まぁ、いいか……。)
来る夜に向けて、ない知恵を一生懸命絞っているらしい七春。
その凛々しい横顔に、上木は満足気に笑みを浮かべた。七春はグズで自己チューで最低辺を生きる男だが、安定して優しい。
だから周りはただ、七春をフォローしておけば間違いない。
そうやって思考の無駄を省いてくれる人間は、どこに行っても重宝されるものだ。
各々が頭の中で思考を巡らす中、琴音は天然石で積み木などして遊んでおりました。
だって暇なんだもん。




