追憶の炎天下
白い入道雲。カンと晴れた空は、高い。
蝉の大合唱と、道端のアイスクリン屋台。
「いやぁ~、夏だね!」
八神夜行、十五の夏だった。
熱した鉄板のように陽炎のあがるアスファルトの上を、八神と一人の巫女が、並んで歩いていた。
シャツにネクタイ、腰に上着を巻くいつも通りラフな格好の八神と対照的に、巫女服をぴっしりと着こんだ少女。
アンバランスな二人は、真夏の住宅街をボチボチ歩いていた。
「八神さま」
巫女服の少女が、澄んだ声で呼びかける。
歩くだけで前から熱風が吹き付けてくる猛暑の中だが、この透き通った声で呼びかけられると、涼やかな風すら感じる八神。
「はい、巫女さま。」
丁寧に返事を返す。
「今日は、浄霊にご同行いただいて、有難うございます。」
今日、八神は浄霊を依頼された巫女の仕事に、アシスタントとして同行していた。
もともと神社でアルバイトをしていた八神。
迷いこんだ神殿の中で境界の巫女と呼ばれる彼女と出会ってから、八神の運命の歯車は回転をはじめた。
「お構い無く!俺も、この力のせいか人を避けてるとこあって、家と仕事場を往復する毎日だったから。たまには、こういうの新鮮だよ。」
「人を避ける必要はないと思います。八神さまのお力は、誰かを護るために、神様がお与えになったものなのですから。」
「あー、うん、そうかな。有難うございます。」
「事実を述べただけです。」
「あ、はい。」
真面目な性格のためか真っ正直な、彼女の言葉に翻弄される。
これまで、自身のもつ霊力をもてあましてきた八神にとって、この力を肯定されることが、どれだけ救いになることか。
「目的の屋敷は、間もなくです。気をひきしめて行きましょう。」
表情をかえず、淡々と言う巫女に、八神は従順な返事をした。
それから、言うかどうしようか迷っていたことを、意を決して口にする。
「あのさ、その前にまず、その敬語やめない? 様ってつけて呼ばれるのは慣れてないし。普通に、名前で呼んでくれたほうが、親近感湧くし。」
「そうなのですか。」
八神の言葉に、少し戸惑った様子で答える巫女の少女。
「心得ました。では、やこーくんも、私のことは雪解と、名前で呼んでください。…あ、呼んでく、……よ、呼んでね」
敬語以外は不慣れならしい。
「あはは、その調子」
その拙いしゃべり方も「可愛いな」などと感じてしまう。
八神はうかれていた。
「じゃ、その調子で出発!」
再び視線を道の先へ戻して、二人は歩く。
目的のいわくつき物件の屋根は、もう見えはじめていた。
瓦屋根の上には、小さな人影があり、それは屋根の上からこちらを見下ろしている。
ゆっくりと、手を上げ下げしている姿は、手招きにも見えた。
「やはり、かなり強い邪気を感じます。」
「うん。湿気てきたね。」
返事をしてから、敬語戻ってる、とふと思う。
「というか、屋根の上に何かいるよね。変な人影。」
八神が何気なく言った言葉に、巫女の雪解は足を止めた。
「それは真ですか。」
「まこと、まこと。てか、敬語戻ったね」
「あ。」
ケホン、と咳払いをする雪解。
「失礼しました。えっと、…本当? 私には、見えないんだけど。」
「む、そうかぁ。」
そもそも、巫女の仕事に八神がついてくる必要があったのには、当然わけがある。
雪解の霊力には満ち引きがあるのだと、八神は本人から聞いていた。
つけくわえて今は、霊力が著しく落ち込んでいる時期らしい。
「参ったな、あれはあまり、よくない感じだけど。」
見えない敵ほど危険なものはない。
「ちょっと興味本意できくけど、巫女の霊力ってなんで落ちるの?」
本心からただの興味本意できいた八神。
雪解は頬を染め、目を泳がす。
「え? …それは、あの。うー。」
慎重に言葉を選ぶ雪解。
「つ、月の、周期に関わるのでして。」
「え、月?」
言われて、空を見上げる八神。
青ざめた空のなかには、白く透き通った皿のようなものが、入道雲の隣にぺたんと張り付いている。真昼の月だ。
「でも月、は、でてるよ?」
不思議そうに八神が問い返す。
ますます赤くなる雪解は、ブンブン腕を振りながら、
「わ、私の力のことは気にしないで!」
と無理矢理に話を切った。
少し驚いた八神だが、詮索するのも気がひけるので、それ以上は聞かなかった。
やがて、歩いていくと、二人は目的の屋敷の前まで来ていた。
古ぼけた日本家屋。二階建ての建物に、広い庭。すでに荒れているが、家庭菜園だったと思われる小規模な畑もある。
一階は雨戸までびっしり閉ざされていたが、二階は窓から家の中が見えた。
屋根の上にいた人影が、今度は二階の廊下をうろうろしている。
ここまで歩いてきただけでも、背中にはかなり汗をかいている。蝉も相変わらずワシャワシャとうるさい。
それなのに、この屋敷のまわりだけは、いやに寒々しい空気だった。
家全体に生気が感じられない。
「この家、もう亡くなってる。」
空気の流れを読み取るように、手をかざして雪解は呟いた。
「ここ、すごく嫌。」
「みたいだね。二階にさっきから、チラチラ人影が動いてるんだよなあ。上がすごく嫌な感じ。二階から、屋根裏にかけてかな。」
八神が分析して伝える。
その霊視の精度に、雪解は改めて感心した。
「やこーくんが来てくれてよかった。やっぱり、力が強いね。」
やわらかく微笑む雪解に、照れながらも、八神は胸をはった。
「まあ、見えるだけだけど、アンテナくらいにはなれると思うよ。」
こうして自分の力に胸をはれる。ただそれだけのことが、これまでの八神には難しかった。
自分の価値を肯定すること。
誰かにとっては当たり前なことだが、十五歳という思春期盛りの八神には、大きな意味をもつことだ。
心が成長しはじめると、男の子はどんどん大きくなる。
「頼りにしていますよ」
この日の彼女の一言は、確かに、八神を少しだけ大人にした。
少しだけ、前をむいて歩きだした。
自分は、ここにいてもいいのだと。
「ダメだよ」
ふいに、声が囁いた。
自室のベッドの上で、意識を取り戻す。ボンヤリしていたのか、頭がハッキリしない。
夢を見ていた気がする。
手元には、魔法少女の台本と蛍光ペン。
「お前はそんな存在じゃない。どこにも居場所なんてないよ。」
声が、再び八神に忠告した。
その声は夢で見たあの巫女、雪解と同じ声だ。
いつもの朝と同じように、ベッドの横には巫女服の少女。
雪解と同じ姿をした、まやかし物。
「人が少し意識に隙を作った途端、また幻覚を見せていたのか?」
呆れ返った八神の声。
「いい加減にしろよ。」
ベッドから下りて、壁中に焼けたあとが残る室内を歩く。
夕方、夕日が部屋を血の色に染め上げていた。台本チェックしながら寝オチしたらしい。
まだ少し、頭がボンヤリしている。
「幻覚じゃないさ。記憶の一部だよ。頭の中にある記憶の引き出しを漁るのが楽しいんだ。」
「あーくーしゅーみー。」
「でもお前はすすんでそれを見るよ。」
一つ屋根の下にいる、人の姿を模した神。それはイタズラに笑いかける。
あてつけるように、「誰が」と短く返す八神。
「でも、亡くした女に会えるのは記憶の中だけだぞ。会いたいだろ? おれはいつでも会わせてやれる。」
窓の外から入る赤い光が、まぶしいほどに、八神の顔を横殴りにしていく。深紅の光の中にたつ、無表情な八神。
一切の感情を、表にださない。
「……お気遣い、有難う。そうやって俺の心を壊そうって考えが透けて見えてて、すごく素敵。」
頭から終わりまで全て皮肉で構成された言葉。
「でも俺の心配より、自分の神格を気に病んだほうがいいんじゃないか?」
大袈裟に両手をひろげて言った八神に、雪解を模したものは、首を振った。
「お前には失望させられてばかりだ。まさかおれの力が落ちれば、正攻法でおれをこの家から追い払えると思っているのか?」
「お前を祠に還さないと、雪解に会わせる顔がないからな。」
「愚者の結論だ。」
そっとベッドから離れて、雪解擬きが窓辺に寄った。
夕日を背後に逆光を浴びる。
その腰元から、六つにわかれた狐の尾が生えてきて、巫女服に身を包んだしなやかな体の回りを狐火が飛び交った。
「俺は今、祟り神だぞ。」
そこにいる。
それは四年間の間、八神に憑き、祟るもの。
信仰や畏怖を失った、荒御霊の神だった。
その信仰を守ってきた巫女は、確かに、四年前に亡くした。
「祟り神。」
ふいに、携帯の着信音が部屋に響きわたり、それと同時に祟り神は姿を消した。
突如、現実に戻ってくる部屋。前にも、こんなことがあった気がする。
窓の向こうに消えた祟り神を気にかけながらも、八神は携帯を手にとった。
「はい、八神です。……あ、七春センパイ。グッドタイミング二回目です。あ、いや、こっちの話。」
電話の向こうで、七春が何か喚いている。
この声を聴くと落ち着くな、なんて思っていた八神は、全く話を聞いていなかった。
「あ、聞いてませんでした。……何が決まったって?」
電話ごしに問い返す。
七春が、電話の向こうでまた声をあらげた。
声優ラジオ特別編、夏の心霊ロケの場所と日程が決定したとの知らせだった。
「へー……。頑張って下さい。」
呼ばれていない八神は、他人事で返す。
『頑張って下さいじゃねーよ!ロケの日はお前も寝るなよ!何かあったら、カメラまわってようとお前に電話するからな!寝るなよ!』
しきりに電話の向こうから念を押す七春。
たかだかその場にいるだけの霊に怖がっている七春を見ると、なんだか可愛らしく見えてくる。こちらは先程まで、祟り神と対峙していたというのに。
「七春センパイは、もう十分危険なめにあってきました。今更ビビることはありません!ガッツだぜ!」
テキトーに励ます八神。
『がっつだじぇ………』
ヤケクソの七春が答えた。




