八神が笑った
二次元に生息するいわゆる中の人。
これはとある魔法少女の中の人と、その使い魔の中の人が体験した、一年間の心霊記録。
夜の公園を、二人で歩いていた。
これが全ての始まりだったのだ。
仕事場から徒歩で十五分、夜の公園。時刻は十時をまわったところ。
声優を生業にしている青年、七春解は、職場の後輩をつれて公園の中を歩いていた。
公園と言っても、ほとんど広場のようなもので、遊具は少ない。敷地の隅に申し訳程度にブランコと鉄棒があるくらいだ。
このすぐ裏手には駅があり、この公園は主に駅への通り抜け道として利用されているからである。道沿いに電灯はあるが、道から離れるとすっかり足下は暗い。
「離れるなよ。」
と連れの後輩に呼び掛けると、
「はい。」
と丁寧に返事が返ってくる。
あたりに人の気配はなく、砂利道を踏みつける二人分の足音だけが途切れずに続いていた。まだ蝉の鳴く季節には早く、虫の声もない。
植木をはさんで向こう側はすぐに二車線道路だが、この時間の交通量は少なかった。
広場の中央を少し過ぎると、背の高い植木の先に駅の明かりが見えはじめる。薄ボンヤリとした明かりだ。まだ距離がある。
隣を歩く後輩は、チラチラと腕の時計を気にしていた。
静閑とした空気に、迫るような闇。
なんとなく、不気味である。
この静けさだけが原因ではないだろう。
それは二人がこの場所にやってきた目的に真の理由があり、そもそも、こういうことになったのは、七春の軽率な提案に一因があった。
話しは、二人の本日の仕事、「声優ラジオ」の収録に遡る。
パーソナリティー七春解と、今をときめく人気声優が、毎度お題に沿って季節感と笑い溢れるトークをお届けするラジオ番組。
『パーソナリティーは七春さんですよ!』
春夏秋冬の四部に別れて一年間放送される予定で、現在は絶賛春編放送中である。
そのスタジオで、本日も収録はごきげんに進められていた。
「皆様こんばんは。 声優ラジオ『パーソナリティーは七春さんですよ!』のお時間ですよ!パーソナリティー七春解です、よろしくお願いしまーす!」
ポップなサウンドと共に元気よく始まったラジオは、今回で十二回目を迎える。
「本日のゲストの方を紹介しましょう、声優の八神夜行くんにお越しいただきました! 八神くん、よろしくお願いします!」
「はい、夜行です!よろしくお願いいたします!」
七春からは後輩にあたる、ゲスト八神夜行。二十歳に成り立ての期待の新人声優で、七春とはアニメで共演中である。
「これやる前に一緒に収録してたもんね。」
「はい、アフレコを! え、そんなのここで言っちゃうんですか。」
「ユルーイ番組だからね。」
ユルーイ感じで有名な番組である。
「さて、じゃあ、今回のお題をさっさとオープンしちゃいましょう。」
机に乗ったボードに書かれたお題を、七春がテキトーに読み上げる。
「春と言えば『新生活』ですね! というわけで今回のお題は『新生活』です。」
「あぁ~…。」
八神のこの長い「あぁ~…。」には、そのネタは考えてなかったぞ、という意思が言外に含まれている。
「すごいですね。」
「え、なにが。」
八神の意味深な感想に、七春が訝しげに問い返す。
「俺、春と言えば七春さんしか思いつかなかったです。」
「名前がな!七春な!」
「キレないで。」
「まじめにやれ。え、八神くんって、むしろこのお題でピッタリじゃないの?」
「なんでですか。」
「声優始めたばかりでしょ? 新しい仕事やり始めると、環境変わらない?」
「声優始めたばかりじゃないです。七春さんと共演する大きい役をもらえたのは初めてだけど、水面下で蠢いてたんです。」
「水面下。新しい表現だね。」
斬新な八神の表現に、七春は楽しそうに笑う。
「努力が実っていい役もらったって意味だよね。」
「そうです。今までにちいさーい役をやってたんです。」
「キャラ名のあとにAとかBとかついてるやつね。俺もやったし、今もたまにやる。」
「そうです、そうです。男友達Aとか。」
「モブキャラね。」
「モブキャラをナメんなよ。」
「こんな前のめりなモブ嫌だわ。」
軽快に進むラジオ。
二人は同じ大阪出身のためか、会話のテンポが途切れず進んでいく。
「八神くんが新生活始めたのはいつなの? 今は独り暮らし?」
「そうです。もともと両親がいなくて施設で育ったんですけど、施設出てからはずっと一人で。」
「へぇ、知らなかった。どんなとこ住んでるの?」
「家賃が極力安いところを選んで、今は安い訳あり物件に。」
「嘘でしょ!」
素のリアクションで返す七春に、八神は苦笑する。
「そういうところって、やっぱり何かあったりするの?」
「あっても俺は気にしない質で。」
「あることは、あるんだ?」
「押し入れに首だけの女が入ってて、しばらく同棲状態でした。」
「えええぇぇぇ!」
叫ぶ七春。八神は笑う。
「え、え、待って待って、八神くんって。」
「俺は下心あって、そうしたわけじゃないですよ。」
「いや、それはわかるけど、え、見えるの? その、霊とか。」
慎重に言葉を選んで問う七春に、八神は静かに「見えるだけですけど」と返した。
「俺そういう人会うの初めてかも。」
「見えるだけです。あとは普通です。」
あわてて取り持つように言った八神の様子に、七春もフォローにまわる。
「あ、うん。驚いただけで退いたわけじゃない。ただ、感心したかな。」
「そのへんはあまり深く掘り下げないで下さい。俺の黒歴史なんで。」
「黒歴史は誰にもあるよね。」
運悪く露見してしまった隠し事をカバーしたような形で、その話しは一度そこで終った。
話題が移り、アニメの収録現場の話しに変わる。
「八神くんは今、俺と『できなくてもなんとかしろよ、魔法少女だろ!』の収録やってますね。女の子の役やるってすごいね。」
「俺、声高いんで。電話口だと女だと間違われるくらい。だから、むしろやりやすいかな?」
「魔法少女だけどボクっこだしね。」
「そう、口調も演じやすいんです。あと、性格が俺に似てる。俺もなにかあるとすぐ、『にゃ!』とか『みゃー!』とか叫ぶんで。」
「確かに。」
現場でも思い当たるところがあったのか、素直に肯定する七春。
「あと似てるといえば服装だね。八神くんの腰に上着を巻くスタイルは、作中の魔法少女と同じだよね。」
白シャツに黒のネクタイ。腰に赤色チェックの上着を巻くのが、いつもの八神のスタイルだ。
ちなみに七春と八神が出演しているアニメの主人公、魔法少女のルエリィ・アリスハラも同じような服装で登場する。
「そうですね、ただ俺は大分前からこのスタイルでしたけど。俺って、普段から両手空いてる方がいいって理由で、手ぶらなことが多いんですね。鞄をあまり持たない。」
普段の八神の様子を思い浮かべて七春は、
「手ぶらだね。」
と返す。
「だからベルトにこういうホルダー的なものをつけて、サイフとかケータイとか全部ここに入れてるんです。それで、こういうものが見えないように、この位置に上着を巻いてるんです。」
「あぁ! お前、荷物無いと思ったら!」
「思ったら、ここに入れてました。」
「それ、ちょっと見てもいい?」
七春の問いに、「どうぞ」と八神は気前よく返す。
金具の擦れる音。ベルトごと外して、七春に渡してから、八神が呟く。
「ただ、これ外しちゃうと俺、徐々にズボン下がっていくんですよね…。」
「サイズ合うの買えよ! てか座ってろ!」
「座ってます!」
ホルダーのボタンを外して、七春は興味深そうに中身を確認していく。
「サイフにケータイ、こんなとこに入れてたのか。…ん? これは?」
七春がなにかを見つけ、それをつまみだす。正方形の小さな包みで、振るとシャカシャカ音をたてた。
「あ、それは清めの塩です。」
八神が淡々と答える。
「塩?」
「塩。」
「塩?」
「塩。」
ラジオに、数秒間の沈黙。
「…しまっとくね。」
何も見なかった体で、七春は静かにそれをもとに戻す。
「え~と、違うとこ見ようかな。これは?」
「それは式札です。」
「おふだ?」
「おふだ。」
「おふだ?」
「おふだ。」
ラジオは、再び沈黙する。
「しまっとくね?」
「しまっといて?」
「八神くんってさ、見えるだけ?」
再び慎重に言葉を選んで問う七春に、
「見えるだけ、というと?」
少し身を引きながら八神が問い返す。
「お祓いとかできるわけじゃないの。」
「できません、できません!管轄外です!」
管轄外?
八神のまたしても珍しい表現に、七春は首をひねる。
「塩とかもってんのに?」
「マイ塩の有無は関係ない。」
バタバタ手を降る八神の全力否定。
「ふーん。まあ、いいからこの後、俺に付き合わないか?」
「どこか行くんですか?」
問い返す八神に、七春はうんと頷く。
「駅前通りの公園に、霊がでるって噂知らない? 行ってみようよ、このあと。それでそこに何がいるのか検証してこよう。八神くんが今度は夏編でまた出演した時、その報告会しようよ。夏ならこういう話ししても季節感あうしね。夏といえば、怪談!みたいな?」
「嫌ですよ!」
八神の全力否定。今度こそ手首が落ちるんじゃないかと思うほど振りまくる。
「それがあれば夏にまた呼ばれるはず。」
七春からすれば、八神が今度また夏編に呼ばれるためのただのフリであって、この提案に深い意味はなかった。
まさかその公園で、目を疑う光景を目撃することになるとは、この時はまだ何も知らなかったのだから。
「マジすか。ていうか、今回、季節感のある話題が全然でてないけど。これ使えるとこありますかね?」
「たぶんダメだな!でも他の奴等きた時はもっとグダグダだったから大丈夫。」
「ホントですか?」
「詩織くんとか来た時は、お題が桜かなんかだったのに、そこから新学期の話しにずれて、そのまま延々とセーラー服について語り合ってたからね。」
「ダメだこの人たち。」
「俺がダメなわけじゃないからな!お前らだからな!? お前らゲストだからな!?」
必死に弁明する七春に、八神は楽しそうに笑う。
「次回は誰が来るんですか?」
「誰だっけ。姫川くん、かな?」
「じゃあ、また…。」
「また、グダグダだろうな。」
「頑張ってください。」
「頑張る。」
「頑張るんだぜ…、というわけで!そろそろ!お別れのお時間です!」
ラストスパートに無理矢理テンションを上げる二人。
「今から八神くんと心霊スポット行ってくるので、今日はこのへんで!」
「それ本気だったんですか。」
「それではまた次回お会いしましょう!パーソナリティー七春解と、」
「ゲスト八神夜行でしたー!」
オープニング同様、弾ける音楽と共に終る騒がしいラジオ。
声優ラジオ『パーソナリティーは七春さんですよ!』春編第十二回は、こうして無事に収録を終えた。
そして、現在に至る。
ラジオで宣言した通り、七春と八神は、霊が出ると噂の公園にやって来ていた。
人通りの絶えない昼間にやってくれば、なんてことのない場所なのだ。同じ場所なのだから、夜だけこんなにも不気味に感じるのはおかしい。
(幽霊見よう、なんて気持ちで来るから、こんな気味悪く感じるんだよな。)
こういう場所に、あまり軽はずみな気持ちで来てはいけないとはよく言うが、後輩を誘ったのが自分な手前、後にも引けないでいた。
霊感があるという頼りの後輩は、やはり軽い気持ちで肝試しに連れてきたのを怒っているのか、口数が少ない。
ただ、このままでは気まずいので。
「悪い、怒ってるのか? 八神くん。来るの嫌がってたし。」
話しを振った七春に、後輩の八神は黙って顔をあげた。
一拍置いて、
「怒ってません。」
「いや怒ってるだろ!なんだ、その間は!」
つい勢いでツッコんでしまった七春だが、そもそも怒らせたのは自分だと考え直す。
「あ、いや、俺が悪かったけど。」
「違うんです、ホントに怒ってないんですよ。」
またぞろ、パタパタと忙しく手を振る八神。
「ただ、ボンヤリしてたから、一瞬返事が遅れただけで。スミマセン。」
怒っていると思っていた相手に謝られて、七春は返答に困る。
それどころか、こんな気味の悪い場所でボンヤリしていたという八神が、一体何にそれほど気を取られていたのかということの方が、よほど気になった。
「なにか、あったか?」
七春の問いには答えず、八神は伸ばした人差し指を口元にあてた。「静かに」という合図だ。
「聞こえませんか?」
問われ、短く返す。
「何が」
「女の声です。」
心臓が、跳ねた。
背骨を這い上がるように、うすら寒い何かが背中をつたってくる。
二人は今、丁度広場の中央を、通り過ぎようかというところだった。右手の隅には少ない遊具が、闇より一段階黒い色をして佇んでいる。
左手、少し離れたところに公衆トイレ。そのすぐ側に電灯が一本たち、その光に虫が集まっている。
二人以外に、人影はない。
当然、七春の耳には、何も聞こえていない。この静けさが気味悪いなんて、思っていたくらいだから。
「変なこと言うなよぉ。」
自分の声の頼りなさに、自分で幻滅する。
(うおお、俺、今、ビビってる。)
キョロキョロと落ち着きなくあたりを見回していた八神の視線が、女子トイレの方に向いて落ち着く。
そして、黙ってその方向を指差した。
「女子発見。」
「じ、じょしー!!」
なんとなく女子というワードに反応してしまった七春だが、その姿はどこにも見えない。
暗闇に包まれた広場の中、生ぬるい風が頬を撫でて通り過ぎる。
「どこに女子がいるんだよ?」
「トイレの中です。ほら、窓のとこに立ってる。」
「うう、言われてもわかんねぇ。大人?学生?こども?」
「若いです。学生かどうかは…。裸なんでよくわかりません。」
一瞬、七春の思考が明後日の方向へぶっ飛ぶ。不謹慎なことだが、
「はだかのじょしー!?」
また叫んでしまった。
そして、今度こそ八神に、白い目で見つめ返される。
「センパイ…。」
「残念なものを見る目をするなー!」
「裸っていっても、おっぱいが見えるわけじゃないんですよ。焼けただれて、顔も判別つかないし。かろうじて、髪の長さから女かなって推測しただけです。」
「焼けっ…。」
心臓も跳ねたし、思考もトンだ。これ以上反応をしめせるものがなく、今回ばかりは大人しく頭が冷静になる。
「焼けただれた?」
女子トイレは明かりがついている。窓際の人影があれば、七春にも見えないはずがない。
だが、焼けただれた女なら、見えなくても理解はできる。
もう、死んだ人なら。
「さっき、女の声がするって、俺は言ったけど。」
静かに、八神が話しはじめる。そのあいだ、女が立っているという窓からは、目を離さない。
「人殺しー!って、叫んでいるように聞こえたんです。たぶん、あのトイレで、火をつけられた。えっと、殺された? 恨んでる。まだ憎い。だからあそこから動けない。苦しいからもう死んでしまいたい。でももう死んでいるから、やっぱり抜け出せない。」
まるで感情を持たないように、ひとつひとつの言葉を、無表情に吐き出していく。
八神がそうするのは、きっと、こういうものを見慣れているからだろう。死者の嘆きを聞き慣れているから、いちいち感情移入しないのかもしれない。
(こいつは、どれだけの人間の死に後を見てきたんだ。俺に会う、どれくらい前から。)
「さて、」
ふいにトイレの窓から目を離して、八神は七春に向き直った。
「じゃあ、帰りますか。」
唐突な後輩の帰る宣言に、
「はぁ!?」
驚いて声をあげる。
八神と件の窓を視線がいったり来たりして、結局、八神に落ち着く。
「帰るって、今、見つけたばかりだろ!」
「見つけて他にどうしろと?」
後輩の最もな意見に、返す言葉もなくなる。確かに二人は、この場所に何がいるのかを確認しにきたのだ。八神が霊の姿を目におさめれば、それで用件は済む。
「そ、それは、そうだけど…。」
「俺、見えるだけで何もできないんで。」
言って、早くも八神の足は駅の方へ向いている。
「中途半端な同情が、一番とり憑かれるリスクを生むんですよ。何もできないなら何もできないでいいけど、じろじろ見てるのは失礼だと思う。」
「うっ…。」
後輩にこんな的を射た指摘をされるのも嫌だ。
「でも、あの人、ずっとあそこにいるんだろ? 人生最終住宅が公園のトイレなんて、いくらなんでもあんまりだろうが。」
「最終住宅って…。でも俺、祓ったりできないし、できるとしたら…。」
言いかけて、八神は口をつぐむ。
思わぬところで言葉を切られ、会話が途切れた。
広場を照らす電灯が、ジリジリと音をたてながら、二人を見下ろす。
「なんだよ?」
これまで、霊が見える体質の人間に関わったことのない七春だが、八神なら何かしてくれそうな予感がしていた。
ラジオの収録中、それらしいアイテムを見かけたからなのか、まだ短い間とはいえ、共演してきた中で生まれた信頼なのか。
「どーにかできるなんかある?」
もうだいぶアバウトな質問になってきた。
「なんかあるなら、言ってくれれば、俺も手伝うけど?」
「ええええ。センパイ怖くないんですか。」
予想外にごく自然な返事が返ってくる。
「え、いや、ぜんぜん、怖い。」
「お、俺もッス。」
「お前、見えるんだろぉ!? 見えるならなんとかしろよ、霊感少年だろ!」
女子トイレを指さし叫んだ七春に、八神は完全に気圧されたようだった。
「七春センパイそれ、収録中のアニメのタイトルとかけてます?」
「いや、こんな状況でかけてはないけど!?」
ふふ、と、かすかに八神が笑った。
「俺一人では何もしてあげられなかったと思うけど、七春センパイが一緒なら。俺にもできること、あるかもしれません。」




