雨多ノ島ミステリーサークル
4、退屈が大好き(10月1日)
アタシはブッ倒れました。
林の川沿いの廃校舎でひとしきり泣いて泣いて泣き明かしました。丹精込めて作ってきた二分の一サイズ真魚子像が失くなっていて、見つかったものはグチャグチャにされていたのです。
(うう、なんでヨ……)
あれから二ヶ月は経ちます。焼成するまであの粘土は固まりきらないから、納得いくまでやろうと思っていたのが仇となったのです。
★★★★
「蝶ちゃん、もうそろそろできたかな?」
アタシは歌貝真魚子の声に我に帰りました。
「ちょっと待ってヨ。細かいのところがまだ完成してないから、うまくできたら見せるヨ」
アタシたちは寮への帰り道、いつものように二人で海岸を歩いています。水平線に半熟卵のような夕陽がとろけていて、近づく秋の暮れは早いです。群青色の空の下、この雨多ノ島はすぐに冷たい潮風が漂い出します。
寄せる波間に何かが潜んでいるような、霊的予感があります。それがアタシの真魚子像をグチャグチャにしたのかもしれません。
「うん! 楽しみにしてるからね」
アタシは真魚子の射抜くような瞳から目を逸らしました。怖いくらいにうつくしい瞳です。もしかしたら像が壊されたことに気づいているのかしらそれとも?
「ところでさァ、最近あの林ってなんか非正規部活動の邪神カルトが活動してるらしくって」
「林って……あの廃校舎のそばの林?」
「そ。井竹のやろうが無理やり私に押し付けてきたの。俺は忙しいからってさ」
井竹というのはいつも偉そうでひょろ長い風紀委員長で、真魚子をよくこき使うからアタシは好きじゃないです。真魚子も、風紀委員なんて辞めればいいのに。
「カルトが怖いんだヨ、きっと」
「うん。あの感じは多分そうだなァ」
真魚子は立ち止まり、アタシの腕を掴んで何か言いたげに数秒じっとしています。
「で、同じく今やミステリーサークル判定を受けつつある山根光輝に頼もうと思うんだけど。あいつ『一人探偵部』だからさ。一緒にあいつの推理、見る? ウケるよ」
「うーん……」
立ち止まるうち、アタシたちの足跡は波に消えていきます。
★★★★
アタシたちは放課後、埃っぽい空教室に集まっていました。使われていない机や椅子に囲まれ、怪しげな男が一人座っています。
「ハイハイ『一人探偵部』こと猫の事務所へようこそ。どうも名探偵ヤマネコって奴です。どんな事件でも解くって奴です。問題を教えてね……ってなんだ真魚子か」
フードを目深に被った山根光輝は胡散臭い占い師のようにフレンドリーでした。
「おやおやそちらのお嬢さんは高名な女流芸術家、蝶さんではありませんか」
前々からこういう態度が大嫌いです。
「君のIQはいくらですか」
「さあ。IQ100くらいじゃないかな。そんなの測ったことないからわかりませんヨ」
「やれやれ。ちなみに金田一一がIQ180、奈良シカマルがIQ200以上、セーラーマーキュリーはIQ300、カーズ様でIQ400、フーディンがIQ5000と言われていますが……私のIQは53万です」
(途方もなくてよくわからないうえにポケモンと比べられてもなあ)
真魚子が話を切り出します。
「あの林のカルト教団の噂を解いてほしいの。邪神像を崇めていて、フリーセックスをしていて、教祖はフードで顔の見えない背の高い子ども。これの真相を教えて」
林の中の邪神像……? 私の胸に一抹の不安が過ぎりました。
「あいよ」
山根さんはそれをA4用紙に書き出すと、問題文を作りました。
それはカルト教団について「何故、いつ、どこで、誰が、何を、どうやって」を問う全六題です。それを数分眺めていたかと思うと、おもむろに解き出しました。
「これ! 進研ゼミで見たことある問題だ! スラスラ解ける!」
アタシはズッコケて、真魚子は爆笑しています。これでわかったなら魔法使いの類です。
「僕は進研ゼミ探偵だからね。フフ。そして謎は……解けない。というか解く必要ってあるのかって奴だ」
「ええー!」
真魚子はブーイングでしたが、アタシは黙っていました。彼が目で合図を送ってきたのです。
(何ですか!)
(わかっているから大丈夫)
アイコンタクトで語ります。ヤマネコくんは邪神像の正体を見抜いた上で黙っていてくれたようです。彼は本当に魔法使いなのか、その推理方法が正しいのかどうかはわかりません。もしかしたら、先に全ての真相を知っていたのかもしれません。
「謎なんて解きたくないんだよ。やる気スイッチ押してくれよ」
「それスクールIEでしょ。ブレてんじゃん」
しかしそれ以来、アタシは彼が好きになっていきました。
★★★★
その後悩んだ挙句アタシは結局、真魚子に全てを打ち明け、新しく紙粘土で六分の一真魚子を作ってプレゼントしました。
いつかヤマネコくんに告白しようと思います。
アタシはカワイイ?
カワイくない?
どっちですか?
何があっても愛してくれますか?
3.5、ウワサ
みんな知ってるよ。ウチらでも林に出入りしてる人、見たって人がたくさんいるもん。邪神像の前でフリーセックス、教祖は「背が異常に高くてフードで顔を覆った子ども」なんだよ。
教団に関わったせいで骨折したり死んだ人もいるんだって。でもわけわかんないミステリーサークルのせいで人が死んだなんて言えないから、学校は死んだ生徒を退学扱いにして発表せずにいるんだって。
ミステリーサークルの締め付けが強くなったのもそれが原因らしいね。
ウチら「夢日記交換サークル」でも、例のカルト教団の人たちがいることは夢で知ってたから。
いや、ホントなんだって。夢の中っていうのは過去とか未来とか関係ないから、知ってたんだよね。
3、take it easy(9月1日)
ベストを尽くせ、なんて言われても全くモチベーションもクソもない。なんだってこんなところでフリーセックスしやがるんだ。蚊に刺されて死ね!
どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないのか誰か説明してほしい。責任者は誰だ。
★★★★
「そもそもこの学校にはわけのわからない非正規部活動が多すぎるんですよ! 『一人探偵部』とか『鞭打ち快楽研究会』とか『一分の一地図制作部』とか『一人探偵部』とか! 学生らしく健全に活動しているのかどうか、今改めてチェックすべきです! 教師陣でさえ全部はチェックしきれてないんですから。怪しいものは消しましょう」
というようなご高説を長々と垂れ流した柳原貞子は何故か右手をギプスで固定して包帯で吊っている。終盤には興奮しすぎて赤い目元に涙がチラリ。前々から異常だとは思っていたがとうとう脳にきたか。
と何故か生徒にも関わらず職員会議に呼ばれたことを疑問にも思わず冷静に分析していた俺だったが、もちろん他人事ではなかった。
「つきましては教師の数が足りませんので風紀委員会に下調べをさせたいと思います」
なるほどそれで風紀委員長の俺を呼び出したわけか。やめろ。死んでくれ。俺の笑顔は引きつっていたにちがいない。こんな教員が圧倒的多数の状況で断れるか。
夏休み明け最初の職員会議が終わり、俺は柳原に呼ばれた。
「そういうわけで今まで教師だけでのんべんだらりとやってたところを、実験的に風紀委員会に協力してもらうことになったから。井竹くんには何か一つ怪しげなサークルを潰してもらうから。大丈夫、『一人探偵部』なんか簡単にやめさせられるからね。井竹鷹くん、サンキュードゥーユアベスト」
まだ引き受けるか返事もしないうちにお礼を言うという高等テクニックだが、俺にそんなものが通用するとは思うなよ。
「内申書は楽しみにしておいてね」
「ええ、お任せください! お望み以上の結果を出してみせます!」
そう言ってはみたが、どうも『一人探偵部』を潰したところでおかしな奴を一人減らすだけだし、どうせならウワサのエロ集団を成敗してやりたくなったのだ。
★★★★
林にやってきたが、見るからにおどろおどろしい。なかなか尋常ならざる雰囲気が漂っている。俺の足を震えさせるとは。
やたらと縦長く突き出た植物を掻き分けて進む。身長が193センチある俺でも、林への道がうまくつかめない。とりあえず音を頼りに馴染みの川へ出る。
しかし夏休み中にひたすらこの川で苦手な水泳の練習をしていたが、そんな奴らがいたとは。恐怖とはニアミスだ。少しでも道を逸れていたら出会っている可能性大。
俺はなんでもできるキャラだから水泳はできていなくてはならない。変な集団にやられて水泳ができないのがバレてしまうなど言語道断、エロ本を買った帰りに交通事故で死ぬようなものだ。
くだらないことを考えながら林の中を数十分捜索するも、そんな奴らの一匹も見つかりやしない。うまくいけばそいつらの営みを眺めることだってできたはず――というかそれが本命だった。
(しかし暗くなってきたな……)
職員会議の後にすぐ来たのはまずかったか。そこかしこの影が大きくなり、茜色の空は木々に黒く切り取られて心許ない。赤ん坊の鳴き声かと思って腰を抜かしたら猫の鳴き声で、人の声かと思って手が震えれば烏の鳴き声だ。
そんな中、俺は土と枯葉の山に埋もれた何かを見つける。
ゴミを払いのけると、それは世にも悍ましい、名状しがたく冒涜的で非ユークリッド幾何学的な造形をした邪神像があった。
俺はブッ倒れた。
2.5、ウワサ
知らないのか? なんか変な奴らが林に出入りしてエロいことしてるって噂だが。フリーセックスだろうな、はは。
いや、俺たちはそんな非科学的なことはしない。キモい像を崇めるなんて馬鹿馬鹿しい。
中心人物は「フードで顔を隠した子ども」なんだとよ。背格好? 子どもだから小さいんじゃないか?
そいつが親玉で、林に近寄る奴を痛めつけるらしい。
ここだけの話さ、柳原先生、林に近づいたからそいつらにやられて骨折したんだってな。
そのうち人死にが出そうだな。
ま、死んだら死んだで俺たち「ゾンビパウダー作製保存委員会」のゾンビパウダーを買ってくれれば生き返るから、死んだら言ってくれ。予約しておけば安くなるから。
2、リバーズ・エッジ(8月24日)
私は苦笑した。唇がちょっぴり震えている。
自分の体の下敷きになった右腕を恐る恐る持ち上げると、手首から先があさっての方向に曲がり、手の甲がヘタリと腕に触れた。瞬間、思い出したように痛みが襲い、脂汗がこめかみの辺りから噴き出した。しかし私の頭を巡るのはそんなことではなかった。
(どうしよう……考えろ考えろ!)
★★★★
「蝶郁郁さんについてですが夏休み中は校内の好きな場所で創作活動を行っていいように特別待遇を与えておりますが先生がたに気をつけて頂きたいのは彼女が若くしてかの国の国宝級芸術家となり我が雨多ノ島学園を気に入り入学し創作活動をしてくれるのは大変ありがたいことですが我が校の生徒がそれを邪魔したとなると退学処分で済むような単なる生徒間のみならず国際問題にもなりかねませんから一層の注意をお願いします……加えて最近一部の生徒が遊び半分に廃校舎に入っているようなので見回りを強化しましょうこの区域の担当は柳原先生でしたっけでは早速今日からお願いします」
というわけで三学期も目前、答えは聞いてないとばかりに私を指名して久しぶりの職員会議は終わってしまった。
私はおとなしく現校舎から遥かに離れた雑草に埋れた小さな廃校舎へと出発する。一キロはあるだろうか、雨多ノ島学園の広すぎる校庭はいつもサバンナを連想させる。そもそも敷地の広さに対して教師が少なすぎるのだ。風紀委員にやらせておけばいいのに。
こういう時は、体育教師でいつもジャージが許されているのが便利といえば便利だ。
全くガキに暇を与えるとロクなことをしない。元気が有り余っているのだから夏休みなんて必要ないのだ。
立入禁止の廃校舎なんてアブナそうなもの、近寄るのはバカしかいない。そういうバカを相手にするのは肉体の疲れだけでなく心の疲れもたまる。
と、噂をすれば影がさして視界にバカが一匹登場。廃校舎の陰から林の中を伺っている。
そのバカはまだら模様のジャケットにパーカーというラフな後ろ姿だった。特徴的なのはこのクソ暑いのにフードを常にかぶっているところだ。バカはバカだが私の好きなタイプのバカだった。
「どうしたのかな、名探偵ヤマネコくん」
私はその背後にそっと近づき、肩を叩いた。彼は途端に飛びすさってネコ足立ちの構えで臨戦態勢になった。
「や、やめてくださいって奴ですよもう。人が悪いなあもう」
まだ私より貧弱で小柄な体躯が可愛い。それでも以前より少しだけ大きくなっているから、これもあと数年で失われてしまうのだろう。名残惜しい。ヘッドロックしてフードを脱がせて頭をガシガシ撫でる。
「君がここにいるということは何か掴んでるのかね、ホームズくん」
「守秘義務があるので言えません。暴力には屈しないって奴ですよ」
彼は抜け出ようと手足をバタつかせる。
「生意気だぞ☆ 今までだって協力してくれたろう。君は自分の立場を考えた方がいいね。今後サークル『一人探偵倶楽部』がどうなるか――」
「はい! ここの林が裸の男女の逢引場所になっているらしいという噂を聞いたので確かめに来たって奴です!」
腕の力を緩めると、彼はコホンと一つ気取った咳払いをしてからフードを律儀に被り直した。
「サンキュー。へえ、廃校舎じゃなく林で? それでヤマネコくんもフリーセックスに参加するつもりだった、と」
「これ以上は勘弁してください。僕も探偵としての矜恃って奴があります」
私はヤマネコくんと一緒に林の様子を伺う。まだまだ強い夏の日差しの下、林はコントラストに緑色の影が濃い。
(あそこで不純異性交際フリーセックスが行われているのか……フフ、面白くなってきやがったぜ)
気配がないので、私は素早く背の高い雑草をなぎ倒しながら先行する。視界が緑と枯れ草の色でいっぱいになる。後ろからヤマネコくんが苦笑いしながらついてきているのがわかる。なんだかんだ、年頃の男が興味ないはずがないって奴だ。
雑草の群れがどこから本来の林になっているのかわからない。川の音は聞こえるので、とにかくそれを頼りに向かっていると足が――ズルリ。
考える暇もなく体は傾斜を転がり続け、所々の岩に体をぶつけて背中の辺りから犬のような自分とは思えない声が出て、かなり落ちてからようやく止まった。
動けない。右腕が体の下敷きになっていた。右手首が折れていた。左手も指が二本折れている。
「大丈夫ですか! 何してんですか」
声に顔をあげると、斜面の遥か上にヤマネコくんがいた。少し含み笑いだった。
「さっさと他の人を呼んできて!」
そこで私は自分の体の下に大きな像があるのに気づいた。粘土で出来ていて、私の体のクッションになって飴細工のように曲がり、中の針金が飛び出していた。
そして私は目を疑う。その人間らしき像には張り紙がしてあり、「蝶郁郁」と書いてあったのだ。
サアアアアアアア。
近くの川の音なのか血の気が引いていく音なのかわからない。
人間国宝。国際問題。教師。解雇。キーワードが巡る。
(どうしよう……考えろ考えろ!)
「いや、やっぱりいい! こっち見ないであんた帰りなさい」
ヤマネコくんがニヤリと笑った。
「え、なんですか? 怪我は無いんですか」
「いいから!」
彼は突然無表情になると軽蔑混じりに言った。
「いいですよ、帰ります。学園にいられなくなるほどの厄介ごとはごめんですからね。でも今は僕の方が立場が上だってことを忘れないでくださいね。僕は柳原先生が大嫌いって奴です。スキンシップのつもりか知りませんがいつも簡単に叩いてくるのが嫌でした。それだけ言っておきます。そして悪い奴には天罰がくだるって、ある人は言ってましたから気をつけろって奴ですね」
ヤマネコくんは捨て台詞を残して草むらに消えた。音が遠ざかっていく。
(意味がよく、何がどうなのかわからない)
クビになりたくない。こんなところで路頭に迷うのか私は。ここの学園の大半のバカが送る人生に私は足を一歩踏み入れていることを思うと叫んでいた。
(ヤマネコのせいだ! あいつが林に誘い込んだから! ここに誘い込んで私を落として像を壊させる罠だったんだ!)
グルングルンした頭をどうにもできずに、とにかくこの像をどうしたらいいか考えていると手が勝手に動いていた。
像の傍に置いてあった新しい肌色の粘土をこね、針金に合わせてペタンペタンと肉付けしていく。
(とにかくとにかく)
左手の折れた指がゴリゴリ音を立てて涙が出るけれど、私はベストを尽くす。ベストを。
1.5、ウワサ
いや、私らはただのトランペット好きが集まってるサークルですよ。
……その話、誰から聞いたんですか。困ったな。見間違いだったかもしれないんですけど、「黙示録のラッパ吹きたち」の皆が盛り上がっちゃって。私はそういうの苦手ですから。
え、いやその……高等部くらいの男子と小さな女の子です。初等部くらいかな。はい、裸で。顔まではわかりませんでしたけど。あと、他にも林に出入りしてる人を見かけたって人もいますね。あんな廃校舎の裏に普通用事なんてないじゃないですか。
あの林、屋上からだと中がうっすら見えるんです。
私はトランペッターだし、夏休みだけど屋上に出て一人で練習してたんです。いや、別に仲間外れにされたわけじゃありませんよ。トランペッターは世界の非難と孤独を恐れません。曲を心に染み込ませるには、また人類に悔い改めさせるには孤独な魂が必要なんです。
林に裸の女の子と、傍にやはり裸の男がいました。汚らわしい。やはり邪悪な魂とそうでないものを聖別する来るべき時が迫っているのでしょう。
え、ええ。女の子はなんと言うか変なポーズのまま、林の中でジッとして動きませんでした。男はそのうち服を着ると林の中からどこかへ行ってしまいました。
え、女の子ですか。
その時はすぐ吹奏楽教室に行かなきゃいけませんでしたから、それからどうなったかはちょっと……そりゃ事件かなとは思いましたけど、余計なことに関わって目立ちたくないなって。怖かったわけじゃないですよ。
あんまり私が見たってことは言わないで下さいね。変なことしてるって思われて『黙示録のラッパ吹きたち』がミステリーサークル扱いされると嫌ですから。
1、恋とはどういうものかしら?(8月1日)
ヤマネコ曰く、女の子には二種類あって、それは「カワイイ女の子」と「カワイくない女の子」だそうだ。
正解。
女の子が十七年も生きていればカワイイだとかキレイだとかはどこかで一度は言われるものだけれど、それで調子に乗ってオシャレなんかしちゃったりしてアイドルなんか目指しちゃったりするイケイケドンドンルートに行く娘と、それがお世辞だということを見抜きオシャレにかける情熱を他のことに向けたままやがて悲しきメスゴリラになりゆく娘の二種類が存在する。
私は圧倒的後者。
世間に溢れる「カワイイ」「キレイ」の乾いた社交的美辞麗句に「退かぬ! 媚びぬ! 省みぬ!」とばかりにネイルやカラーリングも拒否。マンガを買うため堅実に肉体労働バイトをこなした結果、日焼けした肌とモリモリ増える筋肉――ゴリラルートまっしぐら。
それでも「うつくしい」は初めてだった。やられちまったのだ。
★★★★
「いいヨー、うつくしいヨー!」
黴臭い教室に、蝶郁郁の褒めそやす声が舞う。今にも崩れ落ちそうな廃校舎には私たちの他に誰もいない。
裸のモデルにだってなれる。
私は腕を交差させ中腰にしたまま右足を上げ――そんなねじくれポーズで背筋が引きつるのを堪える。今度のポーズは五度目だが、このままもう二十分も経つ。じっとりと滲んだ汗が玉になり、私の小さな胸を流れていった。
「あのさァ、このポーズってアレかな、『うつくしい』のかな」
明るい色の髪を無造作にポニーテールにして、半透明の肌色粘土と針金を弄っている天才芸術家。その目は真剣そのもの。
(余計なこと言ったかな)
「マニエリスムだヨ」
蝶は一メートルほどの人型にした針金と私を交互に見やり、微調整する。
「ミケランジェロだヨ。それはこの世のうつくしいのものを繋ぎ合わせ、最上の美を備えた一つの肉体を作るの様式。これがマニエリスムの始まり」
「ふうん、影絵みたいな」
蝶は曖昧に頷いた。どうも話を進めたいがために疑問を捨て置いた様子らしい。しかし私の口はすぐ思いついたことを言う。
「フランケンシュタインの怪物みたいな」
「それはわかるヨ。フランケンシュタインはコワイの死体を幾つもツギハギしてコワイの怪物を一つ作ったこと。でも本当のうつくしいは偏った組み合わせから生まれたりはしない。ゴミ捨て場のグチャグチャカオスからさえ白象が生まれることがあるということ」
そう言って、まるで手羽先の関節を外すように肌色粘土をグリンと捩じって引きちぎり、針金にペタリと肉付けした。
「私がやっているのことは、うつくしい歌貝真魚子のカラダを、更にうつくしく見せるために他のいろんな雑味をこの『二分の一真魚子』に込めているのことヨ」
(ありがたいけど、ジョジョ立ちにしか見えないな)
校舎裏の林を流れる川からせせらぎが聞こえてくる。昨日の雨のせいか、時折河童が溺れているような激しい音も混じる。そんなものがいたっておかしくないな。
「それ、結構大きいけど完成するまでどうするの。ここだといつ崩れて壊れるかわかんないよ」
「隠しておくヨ……フフ。真魚子には完成するまで秘密だヨ」
窓の外には光を飲み込む鬱蒼とした濃い緑が広がり、私の身長さえゆうに超える背高泡立草の群れが寝癖のように、てんでバラバラに突き出している。どこまでが元々の林なのか境目がわからなくなっている。
「ところで聞きたいのことがあるヨ。真魚子は山根光輝さんと付き合ってるのか」
「や、全然。幼馴染ってだけで、ヤマネコとは付き合ってないよ。何、好きなの」
アクセルをベタ踏みしたように、蝶の顔色は一気に変わった。
「アイヤ、大嫌いだヨ! 真魚子がアイツと付き合ってなくてよかったヨ。ナヨナヨした変態の子。ヒトの秘密を嗅ぎ回る探偵なんて!」
「ああ、特にあんたはそうだよね。じゃあ、好きなタイプは」
「ケインコスギの大胸筋愛してるヨ。キャー!」
蝶はマニアックな奇声を発して粘土を台にバンバン叩きつけた。
(くっそカワイイなあ……)
「でも美しいとか愛してるとかって、使いづらくって日本語だけど日本語じゃない感じだなァ。愛ってわかんないもん」
「何があってもその人を好きでいることだヨ」
自分の力で生きている人の言葉というのは鋭い。蝶が真顔だったので私は照れてしまう。
私はケインコスギ似の誰かが蝶を愛してくれるように祈る。
(何に?)
とりあえず、天才の手腕をもって、作りかけにも関わらず早くも神々しさを発揮し始めている二分の一真魚子像に。
このカワイイ男の子を幸せにできますように。
「何があっても、ね」
「そう、ナニがあっても!」
彼は苦笑した。
読んで頂いてありがとうございます