第6話『あの時の女の子』
昼食を挟んだ後の訓練をエレンと一緒にこなしたアンリは、街並みの中で気ままな散策を行っていた。エレンは神殿に行った為に彼一人だ。本当は彼女についていきたかったアンリだったが、体を休めておきなさいと言われて結局別行動をすることになったのだ。もっとも、まだよく知らぬ街を歩きたいという好奇心に負けて、こうして宿にも帰らずに人が行き交う往路をあてもなくうろついている訳だが。
幸い街の中央にそびえる神の息吹のおかげで方角を見誤ることはない。そんな彼に近付く小さな影があった。
「アンリ……さん?」
「? あっ……君はあの時の……」
かけられた声に振り向いたアンリの目前にいたのは見覚えのある一人の少女だった。清潔感のある白い衣服の上に、スカートと一体型のベストを身につけ、明るい茶色の髪を頭の両脇でリボンで結び、二房の髪束を左右に垂らした女の子。穏やかさを現したかのような大きな赤紫の瞳がアンリをじっと見上げている。昨日、アンリが魔物から庇ったあの少女だった。
少女は遠目で見た彼を走って追いかけてきたのか、少々息を切らしていた。
「はあ……よかった……やっと会えました……」
女の子はアンリをしばらく見つめた後、誰もが見蕩れてしまうような愛くるしい笑顔で囁いた。
遠くに見える、天を突くような神の息吹。吹き上げる巨大な噴水を眺めながら二人は石の椅子に並んで腰掛けていた。
何でも少女は神殿の人に聞けば二人に会えると思い、まずそこを訪ねたという。ちょうど神殿の入り口でエレンに出くわし、二人が泊まっている宿を教えてもらったのだそうだ。そしてアンリにもお礼を言う為、その場所に向かっている途中にアンリを見かけたのだった。
「執行者になったんですね?」
「うん」
見上げる少女の瞳がますます憧憬の色に染まる。
「すごいです……アンリさんは強い人ですね」
しかし、その言葉にアンリは首を振った。
「あの時、エレンが来てくれなかったら僕は君を守ることなんて出来なかった。そんな僕が強いだなんて……」
今朝はエレンの前でおくびにも出さなかったが、寝ている時にも夢に出てきた、あの魔物のことはアンリの心に恐怖となってこびりついている。今でもあんな行動を取れた自分が不思議でならないのだ。
意気消沈したアンリを力づけようとしてか、少女は体格と容姿にそぐわない大声で叫んだ。
「そんなことないです! アンリさんが助けてくれなかったら、きっとわたしはあそこで殺されてました!! わたしを守ってくれたのは間違いなくアンリさんです!!」
少女の叫びにアンリは目をぱちくりとさせ、その顔を見つめるしかなかった。辺りにいる他の人達も各々の会話をやめ、二人の方に視線を投げかける。自分のだした大声に気付いた少女はたちまち顔を赤くし、下を向いた。
「ご、ごめんなさい……」
「い、いや! 謝る必要なんてないよ!! その、それに僕もそう言ってもらえるとやっぱり嬉しいし……」
そう、確かにエレンに助けてもらったのは事実だが、アンリが助けに入らなかったらこの少女の命がなかったこともまた事実なのだ。あの魔物に手も足も出なかったことは確かだが、少なくともその事に関しては誇らしく思ってもいいのではないか。しこりのように残っていたもやもやが幾分払拭された気持ちになる。
「それに……それにですね……」
アンリの隣で、少女は指をからみ合わせて何やらもじもじとし始めた。しかし結局何も言うことはなく、不自然な間が空いた為にアンリは問いかけた。
「? どうしたの?」
「う、ううんっ!! 何でもないですっ!! アンリさんっ!!」
弾かれたように振り向き、両手をわたわたと振る少女だったが、やがて手を胸に沿えてはにかみ、紅潮させた頬でアンリをじっと見つめ始めた。アンリは恥ずかしくなって話を逸らす。
「あー、その。そういえば僕の名前はエレンから聞いたのかい?」
「昨日、エレンさんが貴方の名を呼んだから……アンリって」
未だに向けられている視線にアンリは戸惑いながら言葉を続ける。
「そ、そういえばそうだったね。じゃ、じゃあ改めて自己紹介。アンリって言うんだ。よろしくね……あーっと」
「そういえばまだお伝えしていませんでしたね。わたしの名前はミルティーユ。よろしくお願いしますね、アンリさん」
少女は名乗る。その赤紫の瞳に憧れだけでない光を灯して。