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女神の剣  作者: 蔵樹りん
第3章
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第86話『チャンピオンは苦悩す』

 サイファがパーティーメンバーに入ってしまった次の日。一人の男が【虹の根元亭】の扉を開けた。備え付けられたベルが景気の良い音をたて、来訪者の存在を宿の中の者達に知らせる。時間はちょうど昼食時を過ぎたところで、まばらにしかいない客達はそちらへと顔を向けるとそれぞれ微笑みかけたり、軽く頭を下げたりした。そこに立っていたのはこの宿の常連であるギザルムだったからだ。


 しかしギザルムはそれに気づいた様子もなく、まるで水溜りがあるかのように入り口で立ち止まると、首をめぐらせて一階の様子を窺った。そしてある二人の人物がいないことを確認し、ほっと息を吐く。


 ようやく足を踏み出したギザルムはカウンターまで近寄ると、宿の主人に軽い食事と飲み物を注文し、ついでに伝言を頼む。宿の主人が頷いたのを確認すると、円卓へと着いた。そしてようやく知り合いの男女の存在に気づいたかのように、彼ら彼女らに話しかける。


 しばらくして卓上に注文した料理が載り、ギザルムは手を伸ばす。そのメニューは歴戦の勇士にしては多少さびしいものであった。周りにいる客達は何も言わなかったが、内心首を傾げていた。いつもの彼は食事に関してはお金を惜しまない人だったから。


 ギザルムがやや遅めの昼食を終えた頃、二階へ続く階段から二種類の足音が響き始めた。ぎょっとして腰を半ば浮かし、そちらを見やるギザルムだったが、その二人の姿を見ると脱力と共に椅子へと腰を下ろす。その人物達は自分が宿の主に来訪を伝えてもらった者達だったからだ。ギザルムは微笑と共に軽く手を挙げた。


「よう、アンリ、エレン。無事だったか」

「ええ、何とか」

「まあ、商隊の護衛でしたからね。それが終わった後は少々酷い目にあいましたが」

「ほう、なかなか面白そうだな。聞かせてもらおうか」


 ニッ、と笑うギザルムの円卓にそれぞれ着き、軽い飲み物を注文する二人。


「エールをお願い」

「あ、僕も」

「俺は……水でいい」


 二人に続いて宿の主人へと声をかけたギザルムに対し、アンリとエレンは信じられないものを見るかのような瞳を向ける。ギザルムはワインを好み、その中でも比較的値が張るものをいつも愛飲していたからだ。


「ど、どうしたんですか?」

「な、何か事情が?」

「いや、なに、大した理由じゃない……そ、それよりさっきの話を聞かせてもらおうじゃないか」


 腑に落ちない二人ではあったものの、己の飲み物が入った容器が卓上に載ると、ギザルムへの追求をやめ、それぞれのカップを口元へと運んだ。満足そうにしている二人を羨望のまなざしで見つめるギザルム。アンリ達が視線を戻すと慌てて彼も己の飲み物を喉に流し込んだ。





「……ということがあったんですよ」

「なるほどな。堕落した神コラプトか。なかなか珍しい奴と出会ったな」


 ベテランの執行者であるギザルムはアンリ達の話を聞き終えると感慨深げに頷いた。


「俺も堕落した神コラプトとはあまり遭遇したことがないからな。しかし助けを借りたとはいえ、二人であいつを倒すとは……大した成長だな、お前達」


 堕落した神コラプトの実力は重装蜥蜴ヘヴィガードリザードマンに比肩しうると言われている。


 腕利きである彼に賞賛され、アンリとエレンは口元に笑みを浮かべ、見詰め合う。


「しかもその援護してくれた娘は尾長竜ワイバーン退治に付き合ってくれるんだろ? 良かったな」


 ギザルムの言葉に一瞬二人の表情が曇る。正面に向き直ったアンリはやや力なく答えた。


「ええ、それは凄く助かるんですが……」

「うん? 何だ? 何か不満でもあるのか?」

「い、いえっ! べ、別にそういう訳では! 彼女の腕はかなりのもののようですし!!」


 サイファのことを思い浮かべてフォローをするアンリ。そう、実力に不満はまったくないのだ、実力には。


 なお、今サイファはここにはいない。神々の力をこの身に宿すのだ!! と言って街の中央広場に行ってしまった。きっと今頃、神の息吹ゴッドブレスを見上げて恍惚とした表情を浮かべていることだろう。


「さて、そろそろ本題に入るか」


 ギザルムは懐から三つの輝石を取り出した。色は白。形は三角。もちろん、アンリが求めている【打ち壊すものブロークン】の輝石だ。


「ええ、僕達はこれです」


 アンリはエレンと前もって相談していたトレード用の輝石をいくつか卓上に出す。その中の一つは先日堕落した神コラプトを倒した時に手に入れたあの弓だ。白い四角輝石テトラを手に取り、鑑定の言葉を唱えるアンリ。現れた波形の武器にギザルムは感心したような声を出す。


「ほう、【空の掃除屋エアースィーパー】か。威力を若干犠牲にし、連射性を高めた武器だな。弓の始祖神ディアネーが空を覆う吸血蝙蝠ヴァンパイアバット羽根小鬼グレムリンに業を煮やして作ったんだったか?」

「へえ……そうなんですか」

「結構有名な話だぞ。お前、本当にカルドラ以外の神についてはからきしだな」

「い、いやだなあ。僕だってちゃんと神話については勉強してますし、他の神様にだって多少は知識を持ってますよ」

「だといいんだけどね」


 アンリの弁解に半笑いを返すエレン。もっとも、アンリがカルドラに次いで詳しいのは女神マリアベルについてであり、それをこの場で言うのは躊躇われた。なぜならマリアベルは女神達の中で一番麗しい容姿を持つと言われており、その胸のサイズや形においてもトップクラスだからだ。色々な意味で。幸い、アンリがマリアベルの隠れファンであることにエレンはまだ気づいていない。


 アンリはごまかし笑いと共に次の輝石を手に取り、早口で鑑定の言葉をささやいた。この話題を早く逸らしたかったからである。


 【空の掃除屋】以外の輝石はあくまで端数合わせに準備したものだ。神殿ですでに【空の掃除屋】の前日の相場が1100前後であったことを確認している。


 アンリの言葉と共に現れる輝石の内包物ををじっと見定めるギザルム。それが一通り終わるとギザルムは頷いた。


「よし、いいだろう。こっちも確認してくれ」


 ギザルムも不満はないのか己が持ってきた白い輝石をアンリ達の前に並べた。アンリが手に取り、言葉をささやくと卓上に巨大な剣の幻影が現れる。アンリの顔がたちまちほころんだ。


「ありがとうございます! ギザルムさん!! これで【打ち壊すもの】が合計で六つになりました!!」


 無邪気に喜ぶアンリに、エレンもその金色の髪のようにまぶしい笑顔で祝福した。


「おめでとう、アンリ」

「うん、ありがとうエレン! あ、この埋め合わせはいつかちゃんとするから!!」

「何言ってんのよ、持ちつ持たれつよ。ま、でも今度はあたしの番ね。あたしが何か欲しい物が出来たら協力してもらうからね?」

「うん、お安い御用さ!!」


 アンリとエレンはお互いに喜び合い、ギザルムも若い二人の男女をニヤニヤと笑いながら見つめていた。


「あ~、ギザルムさんだ~!!」


 しかし、ギザルムの笑いは突然沸いた甘ったるい声によって一瞬で掻き消えた。ギザルムは顔を引きつらせ、恐る恐る振り向いた。そこにいたのは二人の小さな女の子。一人は口元を吊り上げ、もう一人は困ったような顔をしている。


 アンリは知り合いである突然の闖入者に向けて笑みを浮かべた。


「やあ、マナ、ミナちゃん」

「やっほ、アンリ、エレン」


 挨拶もそこそこに、マナはギザルムの側へと近寄った。


「ギザルムさぁん……マナ、今日も尾長竜ワイバーンについてのお話を聞きたぁい」


 ライトブラウンの虹彩をきらきらと輝かせ、ギザルムを見上げるマナ。一階の客達が皆微笑ましく思うようなとても愛くるしい姿であったが、ギザルムだけは知っていた。


 ――尾長竜ワイバーンについてのお話という言葉の意味を。

 ――その瞳が何を期待しているのかを。


 もちろんマナが何かを言った訳でもない。そう、あのアームレスリングの秘密をばらすなどとは。しかし……。


「そ、そうだな。か、可愛い後輩執行者の為だし、今日もいろいろと聞かせてやろうか」


 【スイートシュガー】でギザルムが『尾長竜ワイバーンについてのお話』をするのはこれでもう三回目である。そして、それは確実にギザルムの財布の中身を侵食していた。そう、彼が酒を頼まずに水で済ますくらいには。


「わぁい! 嬉しい!!」


 そんな事を知ってか知らずか――もちろん知っていても気にしていないのかもしれないが、マナは両手を上に挙げて軽くジャンプする。


 そしてギザルムの腕を取り、アンリとエレンへ顔を向けた。


「という訳であたし達ちょっと出かけてくるわ。夕方前には戻るつもりよ……それじゃ行きましょっ、ギザルムさん!」

「お、おう……」


 ギザルムは顔を強張らせたままマナに腕を引きずられ、そのまま【虹の根元亭】を出て行った。しばしおろおろとしていたミナだったが、結局二人に続いて店の入り口へと駆け出した。ミナは扉を開けたところで足を止めると室内へと振り向き、アンリ達に頭を下げて姉の後を追いかけていった。


「えーっと、どうなってるの?」

「さあ……」


 後に取り残されたアンリとエレンは他の客達と同様、首を傾げるばかりであった。


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