第82話『ちょっと変わってる?』
【堕落した神】は消滅した。
ほっと一息つくアンリ、そしてエレンだったが、先ほど飛来した輝く矢、そしてかけられた声のことを思い出して体の向きを変えた。そして二人は振り向いた先にいた存在を目にし、顔を強張らせる。彼らが見たのは全身を巨大な鎧兜で包んだ存在だったからだ。エレンはこれが噂に聞く鉄巨兵か? と思ったほどだ。
驚く二人を気にしているのかいないのか、その巨大な鎧はゆっくりとアンリ達の方へと歩を進める。具足に包まれた手足が交互に動くたびに、耳障りな音がガシャガシャと鳴り響いた。
銀色を基調とし、ところどころに赤い色が混ざるその鎧はアンリが身につけている【闇の帳】が可愛く見えるくらいの重厚さを備えていた。胸の板金は竜の牙すら防げるのではないかというくらい分厚く、重なり合った鎧の草摺は円錐状に広がり、ブーツを覆い隠さんばかりの大きさだ。そして右手には先端に金属の錘が付いたいわゆる片手鎚、左手には長方形の盾を持っていた。
そんな動く要塞のような姿が背中のマントをなびかせ、二人に向かってのしのしと歩いてくる。おそらく人間だろうとは思うが顔も兜に覆われ、可動式らしいバイザーに隠れて瞳すら見えない。アンリとエレンは口元を引きつらせ、一歩を退いた。
「動くな。今、癒しの魔術をかけてやる」
言葉を発したのはその巨大な鎧だった。兜に覆われているせいか少々くぐもっているものの、やや高い音域を帯びた声に二人の挙動がぴたりと止まる。重戦士といってもよいその姿に不似合いな台詞を聞き、アンリとエレンは顔を見合わせた。
二人の側までやってきた大鎧の主は両手の武器と盾をかざす。するとたちまちそれらは光の粒子となり、鎧の主の元へと吸い込まれていった。執行者がアイテムを輝石に戻す時に見られる現象である。どうやら、本当に執行者――人間のようだ。
鎧の主は空いた手をエレンの左腕に伸ばす。エレンは未だにとまどっており、なすがままにその腕を取られた。傷を確かめ、鎧の主は軽く頷くと誰に語りかけるというでもなく一人ごちた。
「これくらいなら重ね詠唱もほとんどいらないだろう。少し待っていろ」
鎧の主は花びらを両手一杯に抱えるかのように手甲に覆われた左右の手の平を上へと向け、神の言葉を紡ぎ始めた。
「マリアベルよ!! 光の魔術を編み出した偉大なる神よ!! 我はここに始まりの光輝を呼び出さん! その光輝を持って我は癒しの力を創造せん!! 優しく包め!! 【癒し】!!」
鎧の主が魔術の名を口にすると、その言葉の通り両の手甲に光が集まり、それはたちまちエレンの左腕の傷を包む。光の粒子はしばらくエレンの患部を覆っていたが、やがて朝露のように掻き消えた。エレンの腕にはもはや何の痕跡も残っていない。
「あ、ありがと……」
「何、礼には及ばん。困った時はお互い様だからな」
呆然とお礼の言葉をささやいたエレンに、鎧の主は返礼しながらその兜を引き抜いた。たちまち美しい銀色の長い髪があふれ出し、空気を揺らした。兜の下から現れたのは目鼻立ちの整った凛々しい細面、宝石のような緑色の瞳。
未だろくに反応できない二人を前に、女性はにこりと微笑んだ。大鎧の主とは思えないとても魅力的な表情だった。
「サイファだ。よろしく頼む」
銀髪の女性はそう自分の名を告げる。
「片手鎚の使い手だ。さっきのように光の魔術も使うがな」
サイファと名乗った女性に対し、アンリとエレンも自己紹介を行った。
「あの……さっきはありがとう。おかげで助かったよ」
「ええ、あたしからも礼を言わせて。あのままだったらアンリが危なかったわ」
アンリとエレンは言葉と共に頭を下げた。この女性の助けがなかったら、あの魔物の爪がアンリを刺し貫いた可能性が高かったからだ。
頭の位置を戻した二人に、女性は手甲を顎にあて、考え込むような表情をする。
「ふむ……実はオマエ達があの【堕落した神】と戦い始めた時から見ていたのだがな。中々の戦いぶりだった。その鎧が【闇の帳】でなければワタシが手を出す必要もなかっただろう。しかし、一つだけ腑に落ちないことがある」
今の今まで二人の間に向けられていたサイファの体が、アンリを正面に捉える形で向けられた。その時に初めて二人は気付いたが、サイファが纏う鎧の上に首からかけられた飾り物が光っていた。
「オマエはなぜカードや消費アイテムを使わなかったのだ? 先ほどの戦いぶりを見る限り、もはや駆け出しの時期は過ぎているだろう?」
その問いかけにアンリとエレンの二人は顔を見合わせる。彼女の疑問はもっともだ。そしてその答えは簡単なことだった。アンリはそれらの便利な道具を使おうにも使えないのだから。
「ええっと……」
アンリはエレンへと視線で問いかけ、彼の言いたいことが分かったのか、エレンも頷いた。アンリはサイファへと顔を向けなおし、おずおずと口にする。
「【魂の器】を見てもらってもいいかな? おそらく口で説明するよりそっちの方が早いから」
「? ああ、別に構わないが?」
首を傾げるサイファに対し、アンリは己の手を前に出すと銀色の魂を呼び出した。
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アンリが見せた【魂の器】に、しばらく銀髪の執行者はぽかんとしていた。しかし、やがて肩を震わせると大声でまくし立てる。
「な、な、な、何だこれは!? 魔術が無いのはまだ分かるが、カードも消費アイテムも無いではないか!? あ、ありえん!! ありえんぞ!! よくこんな【魂の器】で戦うことが出来るな!?」
「その……まあ……最近似たようなことはよく言われてる……」
目を逸らして頬をかき、そう答えるしかないアンリ。興奮きわまったのか、サイファは己の手に銀色の光を集めた。
「これを見ろ!! 執行者の【魂の器】はこうあるべきものだ!!」
そう言ってサイファが二人に見せた銀盤は。
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果てしなく横長だった。
「見ろ!! この黄色の輝石を!! 【回復薬】と【精神力回復薬】はもちろん、粉薬シリーズだって毒対策、眠り対策、麻痺対策、沈黙対策、石化対策などなど各種そろえてある!! 当然カードもだ!! 地水火風雷氷の六種類は基本だろう!! 悪辣な簒奪者どもに対抗するためには当然の備えだ!! そして鎧と盾はどちらも防御力に優れた一品だ!! 敵の魔術には光の魔術を用い、属性抵抗を上げることによって対処する!! 当然指環も護符も完備しているぞ!! そしてもしもの時の癒しの魔術!! これは執行者が一人に一つは持つべき物だと言っても過言ではない!!」
力説するサイファ。アンリは己の異質な【魂の器】のことも忘れ、呆れ顔で尋ねる。
「……君は心配性か何かなのか?」
「オマエが大雑把すぎるのだ!!」
「……あたしに言わせるとどっちもどっちね。そんなに粉薬シリーズをつっこんでる人は初めて見たわよ。その横長の【魂の器】もね……」
「な、なんだと!? 馬鹿な!! ワタシは間違ってないぞ!!」
三者はそれぞれが何とも言えないような表情を浮かべ、特殊な【魂の器】の前でしばらく聞くに堪えない口論を交わしていた。




