第66話『追う者と追われる者』
「ん~……何だか眠くなってきちゃったわね」
座ったまま軽く伸びをし、エレンは小さなあくびと共に呟いた。お腹も膨らみ、暖かい陽光も合わさって二人のまぶたは少しずつ重くなってきている。
「うん……どうしよう、ちょっとだけ横になる?」
「ん~……」
エレンは逡巡する。周囲にはのどかな景色が広がっているが、ここは神の息吹の加護から離れた場所だ。簒奪者や眷属が現れないという保証はない。しかしこの睡魔に抗うのは中々難しいことだった。
「そうね……少しくらい……」
そう言いかけたエレンは口上の途中で唇の動きをぴたりと止めた。藍色の瞳が途端に鋭くなる。
「どうしたの?」
「しっ!!」
訝しげに尋ねたアンリに、エレンは指を一本口の前に立て、それ以上喋らないよう促した。アンリは慌てて顎を閉じる。エレンは目を閉じ、意識を集中させる。アンリが見守ること数秒、エレンは目蓋を開いてアンリを見た。その虹彩は数刻前までとうってかわって深刻な色に上書きされていた。
「剣戟の音が聞こえるわ……あと激しい足音も!!」
「そ、それって……誰かが簒奪者に襲われてるってこと!?」
「それだけじゃなくて、人間の追いはぎなんかの可能性もあるわね……」
「た、大変だ!! 助けにいかないと!!」
アンリは急いで立ち上がり、エレンも続く。もはや先ほどまでの睡魔は二人の下から完全に姿を消していた。両者の顔にあるのは戦士の表情だ。
「こっちよ!! アンリ!!」
風に乗って聞こえた戦いの音の方向に、エレンは駆け出した。アンリも遅れて続く。足の速さではエレンの方が上だ。たちまち二人の距離は離れていく。
緩やかな頂の端にエレンはすぐに辿り着き、音の発生源を探して辺りを見下ろした。そしてある一群を目の当たりにして少女は硬直する。
なぜかぴくりとも動かなくなった幼馴染の背に、遅れてやってきたアンリが問いかける。
「どうしたのエレン? 早く行かないと!!」
しかしその言葉にエレンは振り向くこともせず、ただ緩やかな斜面に広がる光景を見るだけだった。いぶかしむアンリに、やがてぽつりと少女が呟く。
「……蜥蜴精鋭が女の子に追いかけられているわ」
「……えっ?」
「……蜥蜴精鋭が女の子に追いかけられているわ」
聞き返したアンリにエレンは一言一句同じ言葉で返した。眼前の、信じられない状況を理解できないといった風情で。
「い、いやだなあ。言い間違えてるよエレン。蜥蜴精鋭に女の子が追いかけられているんだよね?」
エレンは何も言わず、ただ右腕をあげ、ひとさし指でそのありえないはずの光景を指差した。まだ彼女の後ろにいたままだったアンリも、ようやくその隣に並び立つ。
そしてアンリの眼下に映ったのは……エレンの言葉の通り、巨大な武器を手に蜥蜴の魔物を追いかける二人の小さな女の子の姿だった。