第57話『とある執行者の悩み』
「うーんうーん……」
わずかの薄い雲がたなびく他は空に異色が混ざることもなく、綺麗に広がった青天の下、エターナルイリスの街は今日も様々な人達が石畳を歩き、店の主達は稼ぎ時とばかりに声を張り上げていた。その活気は天をつくかのような神の息吹にも遜色ないものであった。
しかしそんな明るい外へ一歩も出ず、朝から【虹の根元亭】の自室で一人思い悩む少女がいた。その名はエレン。机の上に呼び出した己の【魂の器】を前に少女はその金色の頭を抱え、唸っていた。卓上の銀盤に埋め込まれた色鮮やかな宝石達は、そんな少女を前にもちろん何も喋ることはなかったが、代わりにかすかに明滅し、己の主の動向を見守っていた。
どんな輝石を刻印するか。どんな脅威に備えるか。執行者として当然の悩みであったが、最近になってまた別種の問題が少女の頭を痛ませていた。他でもない、つい先日魂の変化が起きたアンリのことである。
「どうしよう……また【爆裂治療薬】を刻印しようかしら? アンリ専用で。ああ、せめて【回復薬】があと一つあれば……といっても列を何かと入れ替えなきゃいけないけど」
アンリの【魂の器】が変化したことはエレンにも多大な影響を及ぼしていた。何しろ以前までアンリは六種類の輝石を刻印できていたのに、あの変遷を境にして一気にその半分までしか出来なくなったのだから。
【魂の器】が成長する時はほとんどの場合、既存の縦の枠数が増えるか新たに横列が追加されるかだ。もしくはその両方のことが同時に起こるか。つまりは単純に上位互換となるはずなのである。少なくともエレン、そしてかつてエレンが組んだ他の執行者達もそうであった。
執行者達は己の肉体を鍛えるのと同様に、【魂の器】も少しずつ鍛えていくのだ。そして大きくなった【魂の器】に輝石を追加することでまたいっそう己を強化する。それがこれまでのセオリーだったのだが……。
あの時のリーマドータの反応からみても、アンリの身に滅多に起こらない事態が発生したことは間違いない。
「横列が増えたらいろんな物を持ってもらおうと思ってたのに!! 【ささやかな癒し】とか粉薬シリーズとかを沢山刻印させようと思ってたのに!!」
エレンは未だ自分のやるべきことが定まらず、天井をあおいで叫ぶ。いつまでたっても堂々巡りで答えが出ない。
「ああもうこうなったら依頼よ! 依頼を受けまくるのよ! そしてアンリの【魂の器】をまた成長させて横枠を増やす! これしかないわ!」
少なくともここで悩んでいるよりは良いだろう。エレンはさっそく神殿に向かおうと立ち上がった。しかし、一瞬恐ろしい想像をして動きを止める。
「まさか……成長しても横枠が増えないってことはないわよね……?」
そんなことが起こらないことを祈りつつ、エレンは依頼を求めて神殿へと向かうのであった。




