第50話『魂に何を刻む?』
「リーマドータ。いる?」
エレンは顔なじみの天人の部屋をノックもなく開けた。アンリの身に起きた変化により、エレンも少し気が動転していたのだ。机に向かって書き物をしていたリーマドータは突然開かれた扉に驚きの視線を向けたが、見慣れた顔を瞳に捉えてその表情が普段通りのものとなる。リーマドータは視界にかかった銀の髪をかきあげ、のんびりとした声で応じた。
「なんじゃ、エレン達か。びっくりしたわい」
足を踏み入れる執行者達。三人目の少女が入ってきた時、リーマドータは片眉を上げた。
「おぬしは?」
「初めまして。ナギラギアと申します」
「……ほう、おぬしがか。いろいろと噂は聞いておるよ」
どんな噂なのかは想像に容易い。ナギラギアはいつもの微笑を張り付けて会釈した。
「さすが天人、お耳が早い。この街の執行者が貴方達ほどに早耳でないことを願うばかりです」
「ふむ、まあほどほどにな」
「ええ、節度は守っているつもりですよ」
「あれで!?」
ナギラギアの悪行を目撃しているエレンが声を荒げた。しかし、今はそのことを責めている場合ではないことを思い出したのか、リーマドータに向き直る。
「リーマドータ。実はアンリがね……」
エレンはアンリの手を引き、天人の前へと引っ張りだす。リーマドータはアンリを見据えた。
本職である天人はアンリの身に何が起きているのかすぐに気づいたようだ。赤い目に理解の光が宿る。数百年の人生経験は伊達ではない。
「アンリ、ひょっとすると胸のあたりがとても熱くなっておるのではないかの?」
「は、はい! その通りです!」
胸を押さえながら上気した顔でリーマドータに答えるアンリ。まるで愛の告白のような光景だ。
そんなアンリを見ながらリーマドータはうむうむと感慨深げに頷いた。
「やはりそうか。やったのアンリ。アンリもついにあのつまらん魂からステップアップすることが出来るわけじゃ」
「だからつまらんは余計ですってば」
アンリの突っ込みもどこか嬉し気だ。
「よし。それではさっそくとりかかるかの。ああ、これに関しては代金は取らぬから安心せい」
「お、お願いします!」
天人は椅子から立ち上がるとアンリの正面にやってきた。直立するアンリの胸にリーマドータが手を伸ばす。エレンとナギラギアもその光景を無言で見守っている。
かつてのように胸に添えられた天人の手から銀色の光が溢れ……しかし、やがてリーマドータすら予期していないことが起きた。
アンリの周囲になぜか複数の輝石が現れ、それらがバラバラと床にこぼれ落ちたのである。
「えっ?」
「あら?」
「今のは?」
アンリはもちろんのこと、エレン、ナギラギアも今の現象が理解できずに首をひねる。
「……なんじゃ今のは……?」
リーマドータのつぶやきにアンリもさすがに不安になり、泣くような声で天人に尋ねた。
「ど、どうしたんですか!? まさか失敗したんですか!?」
「いや、それはない。アンリの【魂の器】は確実に変容した。それはわしの誇りにかけて言える」
自信ありげに答えるリーマドータにアンリの不安も少しは解消される。
「……これらは、アンリが刻印していた輝石のように思えますが?」
落ちた輝石をすべて拾い上げ、それぞれを素早く鑑定したナギラギアがつぶやく。
「えっ……でも【魂の器】が変化した時に輝石が外れたことなんてなかったわよ?」
首を傾げるエレンだったが、はっと気づいたかのようにリーマドータの方を振り返り、詰め寄った。
「リーマドータ。まさか刻印でお金を稼ぐために今回からこのやり方にしたんじゃないでしょうね!?」
「わ、わしはそこまでがめつくないぞ!? ……いや確かに今『その手があったか』と思ったりはしたが」
軽い冗談を本気にしてしまったらしい執行者たちの冷たい視線に耐えられなくなったのか、リーマドータは慌ててアンリの方を振り向く。
「と、とにかくアンリ。【魂の器】を呼び出してみよ。それでおそらくすべてがわかるじゃろう」
「は、はい!!」
アンリは片手を伸ばして意識を集中し、己の手のひらの上に【魂の器】を召喚した。
そこに現れたのは……。
リーマドータは突然彼らの横を走り抜けるとそのまま扉を開けて部屋を出て行った。遠ざかっていく足音。
未だ、自分たちが目にしているものの正体をつかみかねているアンリ達の耳に、何やらおかしな声が遠くからかすかに聞こえてくる。
――ひーひっひっひっひ…………ほーほっほっほっほ…………ふひひひはははげほげほげほっ……。
しばらく時間が過ぎてから、再び部屋の扉が開いてリーマドータが入ってきた。その表情は沈痛で重々しい。ゆっくりと机の裏に周って椅子に腰掛けると、机に両肘をついて両の拳をおでこに当て、顔を伏せたままふかぶかと息を吐いた。
「困ったことになったの……」
「いやさっき笑ってましたよね!? すごくけたたましい声で!!」
「気のせいじゃ……わしはあんな下品な声で笑ったりせぬ……くく……くくく……」
顔を伏せたまま肩を震わせるリーマドータ。笑い出すのをこらえているのは三人の目にも明白だった。
なお、なぜリーマドータがこんな反応を見せているのか、このころにはさすがに三人ともわかっていた。
アンリの【魂の器】があまりにも予想外の変容をとげてしまっていたからである。
アンリが召還した【魂の器】は一見、横長の長方形であった。輝石を刻印するための窪みは神のいたずらか、縦と横にきっちりとそろっていて美しい。そしてその総数も以前のそれと比べてかなり多かった。刻印できる輝石の種類に苦しんでいたアンリは、おぼろげにこれでその悩みからも解放される、などと暢気なことを考えていたのである。
しかし、アンリは勘違いしていた。そのことに真っ先に思い至ったのは、もちろんいきなり部屋を飛び出したリーマドータだった。続いて先ほど落ちた輝石の種類から事態を何となく推察していたナギラギア。やや遅れて違和感の正体に気付いたエレン。そして、最後にアンリも理解した。
なぜ先ほどアンリの体の側から輝石が落ちたのか。なぜこの【魂の器】に刻印されている輝石は横に向かって同じ色の輝石が並んでいるのか。
アンリは恐る恐る手の上の銀盤の向きを変えた。そう、この【魂の器】は横に長いわけではなかったのだ。アンリの新たな【魂の器】は実は縦長だったのである。
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「「「何これ使いにくい」」」
奇しくも一言一句変わらぬ三人の言葉が、この新しい【魂の器】への飾らない評価であった。
執行者達にも理解が及んだことを察した天人は重々しく口を開いた。
「まあ魂がちょっと変わった形に変容してしまったのは仕方がない……前後策を考えることが肝要じゃ……ぷぷ……ぷぷぷ……」
その肩は相変わらず震えていたが。
「いつまで下を向いてるんですか!? こっちを見てくださいよこっちを!!」
「無茶を言うでない……あれが目に入ったらまた大声で笑ってしまうかもしれんじゃろうが……くくく……そ、そんなところを人間達に見られてみよ……わ、わしら天人の高貴なイメージが崩れてしまうわ……」
「笑ったことを完全に認めましたね!?」
「っていうか、少なくともあたしやアンリはもうリーマドータに対してそんなイメージは微塵もないから。安心して」
疲れたように言い添えるエレン。その言葉にようやくリーマドータは顔を上げた。しかし、アンリが手にする銀色の器を見た瞬間にまた顔を逸らしてしまう。
「く、くくく……しかしなんとも珍しい形の魂になったの……正直、おぬしには驚かされっぱなしじゃ……アンリ……くく……」
ごほんごほん、と咳をして、ようやくリーマドータは完全に執行者達に向き直った。やっと、アンリが持っているものに対する耐性が出来たらしい。
「とはいえ少々やっかいな【魂の器】じゃの。わしも長く生きておるが、そこまで縦に偏ったものを見るのは初めてじゃ」
「全くです。私がかつて出会った執行者達も大抵私と似たような魂の持ち主でした」
「そうね。あたしの経験も含めて、【魂の器】は今の形から少しずつ大きくなっていくはずのものだったのに」
天人の言葉にそれぞれ同意した二人の執行者。今回アンリの身に起きた事態がどれほど珍しいケースなのか、彼女達の面持ちが物語っていた。
「うむ……アンリよ。【魂の器】の横列は執行者の多様性を表すものじゃ。しかしそれをおぬしは大幅に失ってしまった。輝石の刻印についてじゃが……一体どうするのじゃ?」
「どうすると言われても……」
アンリは考え込む。リーマドータが言った多様性とは様々な輝石の力を操ることが出来る能力と言い換えてもいい。しかしそれは天人の言葉の通り、この【魂の器】にないものだ。
例えばエレンは剣と鎧と盾で横の列を三つ使う。彼女がこの【魂の器】を入手していたら、もはやそれ以外の輝石の力を引き出すことは出来なくなっていたのである。
アンリが以前まで使っていたのは両手剣、鎧、消費アイテムが二種、武術、魔術が込められたカードのつごう六種だった。この中から三種を切り捨てなければならない。
あれも必要に思えるし、これも必要に思える。しばらく黙考した後、アンリは顔を上げておずおずと口にした。
「せ、選択肢その一。鎧を着けない」
「ないわよ!!」
「ありえませんね」
「死ぬぞおぬし!!」
「じょ、冗談だよ……」
非難の大合唱にアンリは慌てて言い添えた。とはいえ、ほんの少しだけその選択肢もありなのではないかと、鎧に頼る己の戦い方も忘れて考えていたのだが。
「とりあえず剣と鎧は外せないでしょ? 戦うことすら出来なくなるわ」
腕を組み、エレンは溜め息と共にもっともな答えを口にする。
「うん……。うう、横列がもう後一つしかないよ……」
アンリが洩らした呟きに、ナギラギアが青い髪をいじりながらつまらなそうに吐き捨てた。
「……はっきり言いますが本当にクソな魂ですね。変容する前の方がよっぽどマシだったように思えます」
「そこまで言われると傷つくんだけど!?」
アンリを見返すことなく脇を見つめている琥珀色の瞳もどことなく冷たい。まるで簒奪者から零れ落ちた黄色い三角輝石を見るかのごとき眼差しであった。
アンリは最後の一列を埋める輝石のことで頭を捻り、やはりあれを刻印するしかないと心に決め、リーマドータに宣言した。そう、考えるまでもなかったのだ。アンリは女神カルドラを敬愛しているのだから。
「……最後の一列は、【荒れ狂う暴風域】を刻印します」




