第33話『かつて存在していた者達』
ひと戦闘を終えて歩を進めたアンリたちは幾度か新たな簒奪者たちと遭遇した。
しかしその顔ぶれは悪鬼の王をリーダーとした悪鬼の群れであった。
今行われている戦いでもアンリ達は群れる眷属をあっさり駆逐し、最後に残った悪鬼の王もナギラギアが狙いをつける。
悪鬼の王は彼女の放った雷の魔術を浴びて石壁へと叩きつけられ、やがて絶命した。虚空をさまよう灰に紛れ、小さな石が落ちる。その黒い輝石は石材で作られた床に高い音を立てて転がった。
アンリとエレンが反応するよりも早くその輝石を拾い上げた者がいた。ナギラギアである。
「【硬革鎧】ですね」
「早っ!?」
拾い上げると同時に鑑定の言葉を唱えたナギラギア。宙に浮かぶ鎧の映像が完全に現れる前に少女はその名称を口にしていた。
遅れて現れた映像がその答えの正しさを証明した。その名の通り、肩当て、草摺、脛当てやブーツなどはすべて動物の皮らしきもので構成されている。派手さはないが、神々によって作られたそれは、剣士であるアンリが感心するくらい見事な一品であった。
なお、人間が作った鎧の中にも【硬革鎧】と呼ばれるものがあるが、それとは作り方の技法、そして材料となる動物の皮に大きな差があった。なにしろその素材は今は存在しない動物の皮で作られているからだ。そうやって作られ、神々がまとっていた【硬革鎧】は人の作りしそれに比べて硬度も桁違いであった。
これらの現世の人間達が目にすることない生き物達は幻獣と呼ばれ、その中には神話の中に出てくる猛き火竜や吹雪を操る白魔狼などがいる。悪質なトレードを指すものとして名の残るメガロドンももちろん幻獣の一体だ。遥か上位の武具には、幻獣の中でも特に異彩を放つ彼らを素材として作られたものもあるという。
「さて、それでは先を急ぎましょうか」
「いやいやちょっと待ってよ!? 僕にもその輝石を見せて欲しいんだけど!?」
しかしそんな神々の産物や、目を輝かせたアンリのことなどナギラギアにとってはどうでもいいことらしい。この鎧をまだ見たことがなかったアンリがその能力を確かめようとする前に、ナギラギアは画像を消して輝石をさっさと腰の袋に入れてしまう。
ちなみに、ここに至るまでにいくつか輝石を手に入れていた彼らだったが、ナギラギアは万事この調子だった。
「どうせ大した価値もない三角輝石のありふれた鎧ですよ。使い道は二つしかありません。天人に捨て値で売るか、何も知らない初心者の執行者を見つけてトレードに使うかです」
「そんなありふれた鎧までメガロドントレードに使っちゃうんだ!?」
「ええ、より価値のある三角輝石に換えることが出来れば上出来です。そう、例えば貴方が身につけている【闇の帳】のような」
アンリはひきつった顔で一歩後ろに下がった。己の鎧を見つめるナギラギアの双眸がまるで肉食獣のそれになったからだ。
「あ、あげないからね、これは!!」
「分かっていますよ……やれやれ、貴方の近くに熟練の執行者がいたことが私の不幸でした」
「何物騒なこと言ってるのよ……というか普通にオークションに出すという考えは無いわけ? その鎧って確か高い時は300くらいの値段がついてたはずでしょ?」
少なくともアンリとエレンにとって、いらない輝石はまずオークションにかけるものであった。初戦で手に入れ、オークションに出したあの【真っ二つ】もすぐに430で売れ、二人はそのお金で祝杯をあげたものだ。
「まあ天人に捨て値で売るよりはよっぽどましですが、その方法だと手数料や仲介料を取られます。つまり、輝石の価値が目減りするということです。トレードならそういったお金も必要としませんからね。実際どうしても現金が入用の時以外、私はオークションに輝石を並べることはありませんよ。後はトレード相手が見つからず、持っている高価な輝石の値段が下がりはじめそうな時くらいですね。特に最近はトレード相手を探すのも一苦労ですし。何しろ、私の顔を見かけるだけで輝石が入った袋の口を閉じる連中が増えてきましたから」
「どう考えても自分の行いのせいじゃないの……」
「ただ、先ほど手に入れた【硬革鎧】のようなよく見かける鎧でも、時と場合によっては輝石の価値が上がる時があります。何しろ同じ輝石の数を増やせば増やすほど、我々執行者は強くなれるわけですからね」
輝石が二つになったアンリの【打ち壊すもの】は攻撃力が上昇し、43になっていた。もちろん、その特殊能力の筋力増強の効果も。エレンの【刺し貫く白刃】のように攻撃力の上昇数は2だと思っていたアンリはその時驚いたものだ。エレンに尋ね、輝石の数値の上昇率は武器や鎧によって差があるということをその時初めて知ったアンリだった。
「【闇の帳】の防御力は35。それに比べ、この【硬革鎧】の防御力は25しかありません。しかし、【硬革鎧】は同じ輝石一つにつき防御力が2上昇します。つまり六つ輝石をそろえれば、この鎧は【闇の帳】に匹敵する強度を手に入れることが出来るのです……そこまでやる価値がこの鎧にあるかどうかは私には分かりませんが」
三角輝石の中では高い値で取引されている【闇の帳】だったが、さすがに【硬革鎧】の輝石六つ分よりもその価格は安かった。ナギラギアはそのことを言っているのだ。
「たまにいるのです。大して珍しくない輝石にそれなりの価値を見出してくれる者が。そういった者を見つけるのもトレードの基本ですね」
「メガロドントレードの、でしょ……」
疲れたように補足するエレン。確かに、アンリも【打ち壊すもの】や【闇の帳】をトレードの材料としてちらつかされたら、多少の損はいとわずに交渉に応じてしまうかもしれない。実際、アンリはより価値があると言われた【火炎地獄】を、【荒れ狂う暴風域】と何の躊躇もなく交換したのだから。
ナギラギアの前でうかつに欲しいものを口にしないようにしよう、と固く心に誓ったアンリであった。
三人は再び隊列を組んで歩きだす。とはいえ、見える範囲に敵の姿はない。ただただ、長い直線の通路が続いているだけだ。エレンは辺りを警戒しつつ、先ほど悪鬼の王を消し炭にした魔術についてナギラギアに話しかける。
「そういえばあんた、雷の魔術も使うんだ?」
「ええ、異なった属性の魔術を持ち込むのは魔術の使い手にとっては常識ですから」
簒奪者や眷属の中には特定の属性に対して強い抵抗力を持った者が多い。アンリの初陣の相手であった【炎の猟犬】もその内の一体だ。この魔物に対しては火の属性は何の効果もあげることはできない。
逆に特定の属性に対しての抵抗力が著しく低い者もいる。敵の属性に対する強弱によって魔術を使い分けるのは魔術の使い手に要求される最低限の技能であった。魔術を使うのは苦手とエレンが口にしていた理由の一つはこのことであった。
なお、【炎の猟犬】とその眷属の主な弱点属性は水と氷であったが、あの時にエレンが【水の槍のカード】を使っていたのはそのことを覚えていたからではなく、たまたまである。
そんな折、三人の足は同時に止まった。何度か直角に曲がった通路を進んだ先に下り階段を見つけたのだ。
「ふむ、地下一階は悪鬼達の住処だったようですね」
「そうだったみたいね……。アンリ」
「うん?」
「ここから先は注意して。おそらくアンリがまだ見たこともない連中が出てくる可能性が高いから」
「そ、そうなの?」
「ええ。こういったダンジョンはね。深いところに潜れば潜るほど強い力を持った奴らが出てくるの。どうも、簒奪者の間に見えない序列があるらしくてね。地下一階を使ってるのは大抵ダンジョン内でも一番弱い連中なの。これは流れの魔物が住み着いた時もそうでない時も一緒だったわ」
エレン、そしてナギラギアの表情を見、アンリも顔を引き締める。そして下へと続く石の階段へ、慎重に足を踏み出した。