第22話『訓練場にて』
街外れの訓練場に二人はやってきていた。辺りにはアンリ達と同じような若手の執行者達が各々武器を振るったり、敷地の隅の方に立ち並ぶ練習用の木人形相手にアーツの試用を行ったりしていた。アンリとエレンは空いている木人形の前へとやって来る。
「何だかどれもボロボロだね。ここの人形」
木人形を一度も使ったことのなかったアンリがそれらについての率直な感想を述べる。その言葉の通り、人形は体の大部分が抉られたり、へこんでいたり、一番酷いのになると一度バラバラになったものを再度つなぎ合わせたらしきものもあった。
「まあ使う武器が本物だからね、無理もないわ。あたしも人形相手に【閃光の一撃】を何度も使ったことがあるし」
懐かしそうに頷くエレン。
「それじゃ始めましょう」
「了解」
二人は同時に目を閉じ、意識を集中する。
「カルドラの名において、我、執行者とならん!」
「ミストラルの名において、我、執行者とならん!」
訓練場の一画に光が溢れ、たちまち二人は神々の武具を纏う執行者となる。
アンリは【打ち壊すもの】を手に木人形の前に立つ。
「ええっと、それでどうすればいいの?」
一度も武術を使ったことのないアンリにはまず何をどうすればいいかさえ分からない。そんな彼にも分かるよう、エレンは丁寧に説明を始める。
「アンリがいつも使ってる剣技には構えがあるわよね?」
「うん」
アンリは両手剣の構えの一つ、剣を顔の高さに掲げて相手の方に剣先を向ける体勢を取る。仮想の敵に向けられた長い刀身は綺麗に大地と平行線を描いている。アンリの剣技はほとんどが独学だが、何回かその道の専門家に稽古をつけてもらったことがあり、基本的な構えや動作はマスターしていた。
中々様になっているそれを見ながらエレンは満足げに頷く。
「それと同じで武術にも構えがあるの。あたしの【閃光の一撃】も同様よ」
アンリはその言葉に目の前の少女がよく使う強烈な突きを思い出していた。確かにアーツを放つ前にエレンはいつも一定の動作を取る。その流れも鮮やかなので、今の今までアンリは全く気付いていなかったのだ。
「まずはアーツの構えを知ることから始めるの。アンリ、いつも【炎の矢のカード】や【解毒の粉薬】を呼び出す時はどうしてる?」
「どうと言われても……【炎の矢のカード】でてこい、みたいな感じだけど……」
「それと同じでね、アンリの【魂の器】の中にある【荒れ狂う暴風域】を意識し、念じなさい。我にアーツの力を、って」
「わ、わかった」
いつもアンリがそれらのアイテムを呼び出す時と同じように、今己の中に確かに存在する、カルドラの生み出したアーツが込められている輝石に意識を集中する。すると唐突に。
「わっ!?」
アンリは間の抜けた声をあげ、意識の集中を切らしてしまった。なぜならアンリの祈念が輝石に届いた瞬間に、あまりにも強大な力の奔流がアンリの意識の中を通って彼に押し寄せてきたからだ。
「アンリ、怖がっちゃだめよ。莫大な力の流れから、構えを始めとしたそのアーツの情報を全て読み取るの」
「う、うん……。も、もう一度やってみる」
深呼吸をして心を落ち着かせ、もう一度アンリは試行する。そんな彼に再び情報の波が押し寄せる。アンリは歯を食いしばり、負けるまいと両足を踏みしめた。
そんな彼の中にあるイメージが浮かぶ。それは子供の頃に見た絵画にそっくりな、いや、それよりも圧倒的に高貴で美しい女神の姿だった。
血のように赤い空の下、荒廃した黒い大地を疾駆し、女神カルドラが簒奪者の群れの中に巨大な剣を構えて飛び込んでいく。迎え撃つ簒奪者達。
そして美しい女神は両足を広げて腰を落とし、上半身を捻りながら頭の後ろで剣を構える。そこに飛び込んでくる数多の異形たち。カルドラはしばらくその構えを取ったまま動かない。彼女の全身から放たれる光のオーラがその肢体を包み込んでいく。巻き起こる風圧が彼女の長い髪を逆立てる。簒奪者達の爪が、牙が、彼女の美貌に傷をつけようとしたその刹那。ついにカルドラは動いた。女神の巨大な剣がうなりを上げた時、全てが終わった。
凄まじかった。後にはちぎれとんだ簒奪者の残骸が残るだけだった。カルドラは紅色の髪を掻き揚げると、新たな敵を求めて駆け出していく。
そこで、女神の力と同化していたアンリの意識は急に途切れた。
はっ、と辺りを見回すアンリ。心配そうにしているエレンの顔が間近にあった。いつの間にか、その両手がアンリの両肩にかかっている。
「良かった……大丈夫? 普通なら情報の取得は一瞬で終わるんだけど……アンリはちょっと長くかかってたから怖くなって声をかけちゃった」
「う、うん。平気だよ。アーツの構えや動きも大体分かった」
「そう……なら良かった。じゃあ人形相手にやってみましょう」
エレンは安堵の表情を浮かべながら手を離すと、アンリから間合いを取った。アンリは木製の人形に向き直り、【打ち壊すもの】を構える。先ほど女神が見せてくれた、【荒れ狂う暴風域】の武術を放つ為に。
女神のように両足を広げ、腰を低くして剣を頭の後ろで構える。アンリは理解していた。あの時カルドラは構えを取ったまましばし動かず、その力を全身に行き渡らせていた。それが威力増大。力を溜め、爆発的にそれを解放する能力。
アンリは剣を構え、木人形に標的を定める。そこから少し離れた所に立っているエレン。あの時の女神と同じように、光の粒子がアンリの全身を包み、一陣の風が巻き起こる。やがて力を溜め終わり、いよいよその奥義を放とうとした時、アンリははたと気付いた。あの女神と意識を共有した時に見た、この技の動きと効果を及ぼす範囲を。
「エレン! そこから離れて! 今すぐ!!」
「え? きゃああああああああ!?」
アンリが危険を知らせる叫びを上げた時、すでに技は放たれてしまっていた。先ほどカルドラが数多の敵を壊滅させた恐るべき威力とその刃が巻き起こす破壊の渦が。
アンリの体は両手剣を振り回しながら前方へと突き進む。そこには木人形と一緒にエレンもいた。もちろんエレンは間合いを取っていたのだが、この武術の前で、その距離では不十分だった。
今のアンリはアーツの名の通り、荒れ狂う暴風域であった。【打ち壊すもの】は我が意を得たとばかりに触れるもの全てを粉砕する。目の前の人形はもちろん、その向こうにも立っている複数の木人形もすべて。幸い、その中にエレンは含まれていなかった。竜巻のように回転しながら突っ込んでくるアンリの剣から、からくも逃げることが出来たのだ。
やがて全てが終わり……あの時アンリが見た映像ほどではないが、辺りにはひどい惨状が広がっていた。アンリの進行方向にあった全ての木人形は粉砕され、ばらばらになって転がっていた。
「ご、ご、ごめん!! エレン、大丈夫!?」
たまらず剣を投げ捨て、幼馴染に駆け寄るアンリ。エレンは飛びのいて地面に倒れたままぴくりとも動かない。
「エレン!! しっかりしてエレン!!」
エレンの側で膝を付き、抱き起こそうとするアンリ。その時、エレンの体がぴくりと動いた。
「な、な、な、ななななな、何すんのよおおおおおおおおおおおーーーーーーーっ!?」
「ぐほおっ!?」
起き上がりざまに繰り出されたエレンのパンチがアンリの左頬に命中し、鎧をつけているにもかかわらずその体は吹っ飛んだ。
「あ、あ、あ、あたしを殺す気!? ほ、ほ、本当に死ぬかと思ったわよ!?」
殴られた衝撃で地べたに倒れたままぴくぴくしているアンリに向かって吠えたけるエレン。
「い、今のは殺意を感じたわ!! きっと最初の戦いの時に【回復薬】を使わずに【爆裂治療薬】で傷を治したことを根に持ってたのね!? そうなんでしょ!?」
言い募るエレンだったが、アンリは何も言わずに動かない。
「……あら? アンリ、大丈夫?」
そっと近付くエレンが見たのはあまりの衝撃に気絶してしまっているアンリだった。エレンは慌てて輝石から今度こそ【回復薬】を呼び出し、すぐさま彼の喉に流し込んでやった。なお、【回復薬】がアンリに使われたのはこれが初めてのことであった。




