第1話『夢が叶う日』
アンリは木製の扉を叩く音で目が覚めた。
視界に入ってくるのは見慣れない天井。体を包むのは上質とは言えないけれどよく手入れがされていそうな清潔な寝具。
ここはどこだっけ、と考える彼を急かすかのように、再度ドアが音を立てる。
「こら。起きなさいアンリ。もう十五歳になったんでしょ? 寝ぼすけさんは卒業しないとね」
「エ、エレン!? 起きてるよ、今起きた!!」
昨日、ようやく一人前として扱われる十五の誕生日を迎えたのだ。再会していきなり子供扱いされてはたまらない。アンリはベッドから跳ね起き、急いで身支度を整えると扉を開ける。
そこには一年前に分かれてそれきりだった一つ年上の幼馴染の少女、エレンの姿があった。昨日のように剣も鎧も纏っておらず、身につけているのは村にいた頃とは違うお洒落な衣服。豊満な胸が長袖の上着を押し上げており、膝までのスカートからは健康的な両足がすらりと伸びている。
彼女のトレードマークでもある黄金色の髪だけが、あの化け物を剣で貫いた時と全く同じであった。アンリのややくすんだそれとは違い、あまり陽が差し込まない廊下でも、彼女の美しいブロンドは自ずから発光するかのように輝いている。
正直、目の前の幼馴染があんな巨大な魔物を倒したとは信じがたい。あの出来事はやはり夢だったのかと、眠気が残る目を擦ったアンリに対し、エレンは腰に片手を当てて微笑を浮かべた。
「おはよう、アンリ。調子はどう?」
藍色の目はアンリを優しく、しかし心配げに見つめている。何しろ昨日の出来事はアンリの夢などではなく、現実に彼は命の危機にさらされたのだ。あの恐ろしい怪物によって。そんな少女に心配をかけまいと、アンリは殊更に元気な声で応じた。
「問題ないよエレン! 早速登録に行こう!」
「ふふっ、あせらないの。まずは朝ご飯」
その言葉に思い出したという訳ではあるまいが、アンリのお腹が丁度良くいい音を立てた。アンリは顔を赤らめ、エレンは悪戯っぽく微笑んだ。
「ほらね。それに払ってる宿代には三食分が含まれてるんだし、食べて行かなきゃ損よ。神殿は逃げないんだから、ね?」
「わ、分かったよ」
アンリは恥ずかしさのあまりぶっきらぼうに答えるしかない。やがてエレンに従い、一階の酒場兼食事処へと向かった。
円卓を囲むアンリとエレンの前にやがて料理の皿が並ぶ。ふっくらとした卵焼き。焼かれたばかりのパン。そしてチーズ。野菜と豆類を煮込んだらしきスープ。
アンリはパンに手を触れ、顔を喜びでほころばせた。アンリが村で食べていたものに比べ、すごく軟らかだったからだ。
「ふふっ、村のパンは堅かったもんね。あれはあれで結構食べ応えはあったけど」
アンリの様子に気付いたエレンはにこやかに微笑んだ。彼女も一年前は目の前の少年と同じような反応をしたのだ。
「うん、もう食べていいかな? 実はお腹ぺこぺこで」
「もう……さっきまではあんなに神殿に行くんだってはしゃいでたのに……ま、いいわ。それじゃいただきましょう」
早速パンにかじりつくアンリ。その歯ごたえは先ほどの手触りの通りに軟らかく、アンリは瞬く間に一つ目を平らげてしまう。すでに慣れているエレンはゆっくりとパンをちぎり、チーズと一緒に食べ始めた。
一息ついたアンリは二つ目のパンに手を伸ばしながら食堂の中をぐるりと見回した。昨日から自分の第二の家となったこの宿を。
二人の他にも円卓を囲む人達がちらほらいる。彼らはアンリの視線に気付くとそれぞれ片目をつぶったり、飲み物のカップを掲げて挨拶をしてきたりする。アンリは慌てて頭を下げて食卓へと視線を戻した。
「どう? この宿気に入った?」
「うん……昨日はまさかあんな歓迎会をしてもらえるとは思わなかった。とても嬉しかったよ」
「ふふ……喜んでくれて嬉しいわ。ま、同じ宿で同じ御飯を食べる仲間になるんだもんね」
エレンの活躍であの怪物から助け出された後、エレンに従ってこの宿にやって来たアンリはこの宿の住人から熱烈な歓迎を受けた。どうやら元々その日の為にエレンが根回しをしていたらしい。
もっとも、街の側で怪物に襲われている者がいるという通報の為に一時あわただしくなったらしいが。もちろん、その襲われている者というのはアンリとあの女の子のことだった。真っ先に駆けつけたエレンが、その剣の一撃によって無事に二人の命を救ったという訳だ。
「さてと。それじゃ食べ終わったし、そろそろ行きましょうか?」
「うん……」
アンリは緊張で多少声が震えるのを自覚した。ついになれるのだ、子供の頃から夢見ていた執行者に。