第133話『失われた永遠』
リコラダ村からの帰り道、リーマドータから渡された地図に従って印がつけられた場所をたどったアンリたち。
それらの地点で彼らが見たものは、あの村で目撃したものと同じであった。もはや美しい水を噴き上げることもなくなった神の息吹の成れの果てである。場所によってはあの赤い文字と文様もびっしりと周囲の地面に描かれていた。それが何者かの勝利宣言に思えて、アンリ達はいっそうの焦燥感をつのらせる。
もちろん神の息吹の加護を失ったそれらの場所には簒奪者や眷属も普通にうろついていた。アンリたちの力量から見れば大した相手ではなかったものの、さすがに肉体にも精神にも疲労が蓄積される。
エターナルイリスへと一日で戻れるわけではないため、彼らは途中で睡眠を含む休憩をとっていた。しかし、それだけでは体の疲れはとれても輝石のかがやきは戻らない。エターナルイリスを出た後は一度も神の息吹の加護に触れていないのだ。
幸い、リコラダ村での戦いを含めて輝石から引き出す各種アイテムやカードの力はそれほど消費していない。しかし、さすがに武具をまとう時間はそれなりに経過していた。
今、ようやく最後の調査を終えたアンリたち。やはり、ここの神の息吹も同様にただの水たまりと化していた。
「はやく……エターナルイリスに戻らないと」
アンリの言葉にうなずくエレンたち。何が起きているのか分からないという不安や焦燥感が彼らの足を早める。
やがて遠くに見えてきたエターナルイリス。長い旅を終えて安住の地に戻ってきたかのように、アンリたちの心に暖かいものが広がった。
しかし、近づくにつれて彼らの目が何かしらの違和感を感じ取り、その顔がこわばった。恐怖を押し殺して視線をこらしてみる。
――エターナルイリス周辺の空に、大地に、多数うごめくものがある。あれは、人ではない何かではないのか?
――美しい色合いで街の周囲をかこんでいたはずの壁が焦げたように黒ずみ、あまつさえところどころ崩れているのではないか?
――そして……この場所からでも見えるはずの雄大な神の息吹。その頂きはどこだ? そして常にかかっているはずの七色の虹は?
「まさか……まさか……」
エレンの口から出てきた小さなつぶやきは震えていた。他の四人はひとことも発することができず、ただ呆然と眼前の光景を見つめている。心が現在の状況に追い付いていない。これまでいくつもの神の息吹が朽ちていたのを見てきても、エターナルイリスだけはおびやかされることはないと信じていたのだ。いや、信じようとしていた。
しかし、彼らの目の前でそれがもろくも崩れ去り、虹の輝きも永遠ではないことを否応なしに知らされた。
アンリは自分の全身が小刻みに震えているのを自覚する。恐怖を消し去ろうと手をぎゅっと握り、女神カルドラの名を唱えた。やがて前方を見据える。
「行こう!!」
仲間たちはもちろん自分も叱咤するために、アンリはあえて大きな声を出した。それと共に武具を召喚して身に着ける。エレンたちはアンリに戸惑いの視線を向けたが、やがてアンリにならってそれぞれ武器と防具をまとった。
とんでもないことが起きている。アンリたちに分かったことはそれくらいだが、だからといってここで手をこまねいているわけにもいかない。
アンリ、続いてエレン、そしてサイファ、マナ、ミナも駆け出した。
自分たちは執行者なのだから。
そしてエターナルイリスは自分たちが守るべき街なのだから。
アンリ達が恐ろしい光景を目の当たりにした時から少し時間をさかのぼる。
エターナルイリスから離れた街にある神殿で、ひとりの天人が来客を待っていた。扉を叩く音に返事をする天人。
入室を許可されて入ってきたのは青い髪を持った少女。かつてアンリたちと共に戦った執行者、ナギラギアである。
「何か用があると聞きましたが?」
宿に使いが来たものの、詳しいことを聞かされていないナギラギアが顔見知りの天人に尋ねる。天人は深刻な顔をしたまま、ナギラギアを手招いた。
「……これを見てもらえる?」
天人の正面にある机の上には大きな紙が広げられていた。それは細部まで書き込まれたエターナルイリス周辺の地図であった。
その中の様々な地点にバツ印が記されている。ナギラギアはその印のいくつかに心当たりがあった。
「以前あなたにお願いした調査があったわね? それに他の調査隊の報告も合わせて精査してみたの」
天人は褐色の指で地図の一点を指す。
「バツ印はあなたの報告にもあった、謎の文字やら文様やらが描かれていた場所よ。あれは簒奪者が作った儀式の祭壇のようなものだったわ……それぞれの場所を線でつなげてみるわね? こんなふうに」
天人の手によって地図の上に新たな線が引かれていく。黙して見守るナギラギア。天人の腕がせわしなく何度も動いた後、図の上に描かれた模様にナギラギアは眉をひそめた。
「これは……」
「そう……それぞれ小さな魔法陣が描かれる……それら魔法陣の中央に位置するのはいずこも神の息吹がある場所よ」
「……」
「いえ、あった場所というべきかしらね。なにしろもう神の息吹はその力を失い、ただの水地となり果ててるわ……」
「!?」
さすがのナギラギアも驚きに目を見開き、天人の方を見据えた。
「小さい神の息吹からひとつひとつ潰されてる。特に、普段人が近づかない場所のそれから順にね。してやられたわ」
ナギラギアは何かの間違いではと目線で問いかけたが、天人の表情が変わることはなかった。いや、むしろさらに深刻な顔をして言葉を続けようとしている。
「そして最近になってさらに多くの簒奪者たちが一斉に動き出してる報告がある。たぶん次に潰されるのはこのあたりだわ。もしくはもう潰されてるかもしれない」
天人は新たな場所にバツ印を書き入れていく。数はかなり多い。その中には、リーマドータがアンリたちに調査を依頼した村と神の息吹もあった。
「これらの場所にも祭壇が作られていると仮定し、すでにあるものを含めてすべてを線でつなぐわ。するとさらに大きな魔法陣が現れる……その中央にあるのは……」
「エターナルイリス……」
ナギラギアのつぶやきに天人がうなずく。ナギラギアはかつてあの街で見上げたとてつもないサイズの噴水のことを思い出し、未だ信じられないといった表情でもう一度天人を見た。
「あの巨大な神の息吹までが消失する、と?」
「連中にそこまでの力があるかどうかは分からない。でもこうして動いているということは、きっと自信があるということじゃないかしら?」
ナギラギアは反論の言葉を口に出すことができなかった。先ほど聞かされた話が真実なら、否定できる材料は何もないのだから。
「エターナルイリスの天人にはすでに伝書鳩などを使って知らせてある。それとこの街からも執行者を派遣するわ。あの祭壇となった場所を浄化するためにね。魔法陣の力場であるあれらを消滅させ、もう一度神の息吹を復活させるの」
天人の言葉に改めて地図を見下ろし、しばし黙考したナギラギア。その視線の先にあるのはエターナルイリス。あの街の中で出会い、わずかな期間を共に戦った少年と少女のことが脳裏に浮かんだ。
ナギラギアはやがて顔を上げ、天人を見つめた。滅多に見せない強い意志を込めた瞳で。
「……馬を貸してください。とびきり足の速いやつを」
「行くの?」
「ええ、エターナルイリスに」
「珍しいわね。あなたにしては」
「……どうやら私にもいたみたいです。失いたくない仲間というものがね」
ナギラギアの言葉に、天人はにこりと微笑んだ。
「わかったわ。現地の人と協力してなんとしても持ちこたえて。あとはこちらでどうにかしてみせるわ」
「お願いします」
軽く一礼するとナギラギアは体の向きを反転させ、足早に部屋の扉へと向かう。
「……ゴッドブレスユー……ナギラギア」
扉の向こうに消えてゆく少女の背に、天人はそっと祈りの言葉を投げかけた。