第122話『サイファの夢』
マナとミナの姉妹が【虹の根元亭】を訪れたある日のこと。
アンリ達がいる円卓は朗らかな笑い声で包まれており、卓上には軽食とそれぞれの飲み物で満たされた杯が置かれていた。
しかしテーブルに並ぶ杯の数は四つだけであった。五人目の仲間であるサイファは朝から出かけており、この場にはいなかったのだ。
「そういえばサイファはどこに行ってるの?」
「ええとね……」
山羊乳が入ったカップを口から離し、この場にいない仲間の事を尋ねたマナにエレンが答えようとしたちょうどその時、入り口の扉が勢い良く開かれる。
そこにいたのは今丁度話題の主となった、銀髪の美女サイファであった。彼女はアンリ達を見つけると大股で近づいてくる。そして椅子を引き、どっかりと座った。
「ふ……見ろ!! オマエ達!!」
満面の笑みを浮かべ、サイファは手に持っていた宝石をアンリ達四人の前にかざす。レモンのように派手な色彩のそれを円卓の全員がまじまじと見つめた。
「黄色の六角輝石……初めて見たわ」
エレンの呟きにそれぞれ同意の頷きを返すアンリ達。黄色い三角形の宝石はうんざりするほど目の当たりにしてきた彼らであったが、サイファの掌上にある六角形の輝きは、最近頭角を現しつつあるアンリ達ですら見たことがないものであった。
「なんなの? これって?」
当然の疑問をマナがサイファへと投げかける。待ってましたとばかりにサイファは鑑定の言葉を唱えた。宙に浮き上がるのは、【回復薬】や【精神回復薬】のように、液体の入った小瓶であった。
「【万能薬】だ」
「【万能薬】……」
自信満々に道具の名を口にするサイファ。しかし、やはり名前も聞いたことがないのか、ピンと来ない表情を崩さないままのアンリ達。
彼らの様子に傷つく様子もなく、サイファは恍惚とした表情で虚空を踊る半透明の小瓶を見る。
「七角輝石の【上位回復薬】。六角輝石の【上位精神力回復薬】。そしてこの【万能薬】……これらの輝石を手にすることがワタシの夢の一つだったのだ」
【上位回復薬】と【上位精神力回復薬】は文字通り、【回復薬】と【精神力回復薬】よりも優れた効果を持つ消費アイテムだ。
希少性もその価値も、他の輝石の追随を許さぬほど高く、取引の場に姿を見せることすらほとんどない。それに比べると【万能薬】はまだオークション会場に出品されることはあったし、比較的常識的な値段で取引されてもいた。とはいえやはり値が張るのは事実であったが。
何しろ、この【万能薬】は全ての粉薬シリーズの薬効を兼ね備えているのだから。
サイファが行った【万能薬】についての説明に目を輝かせた四人。エレンが好奇心を隠さずに尋ねる。
「飲み薬なの?」
「ああ。ただ粉薬シリーズと同じく振り掛けることでも効果を発揮できるらしい」
アンリは一瞬感心したように頷いたものの、やがて首を傾げた。
「それってずぶぬれになるんじゃ?」
「問題ない。すぐに乾くらしいぞ。仮に濡れたままだとしても、その恩恵にあずかれるのなら安いものだ!!」
「すごいじゃん!! それがあればもう粉薬シリーズはいらないんじゃない!?」
はしゃぐマナに、サイファは真面目くさった顔になって叫ぶ。
「何を言う!! 粉薬シリーズは必要だろう!! 万一の備えとして!!」
「……ま、まあ確かにそうかもしれませんが」
やや引きつった顔になってサイファの言葉に追従するマナの妹、ミナ。そんな少女の様子に気付きもせず、サイファは再び眼前の薬瓶を見た。なぜか、その瞳には先ほどまでの力強さはない。
「それに一つだけ粉薬シリーズに劣っている点がある。この【万能薬】は、粉薬シリーズのように前もって使用しておくということは出来ないのだ……」
呻くように言葉を漏らし、心底残念だという様子で顔を伏せるサイファ。皆がどうしたものかと視線を交わしていると、彼女が勢い良く面を上げた。
「だが! そんな欠点はささいなことだ! それくらいのことでこの【万能薬】の価値が下がるものではない!!」
あっさりと立ち直ったのか、正面の黄色い輝石を見据えて爛々と瞳を輝かせるサイファ。
アンリ達は、その欠点は結構大きな問題なんじゃないかな、と思っていたが、口には出さなかった。
「ああ、【万能薬】……オークション会場に毎日通っていてよかった……」
おおげさなサイファに一同半笑いを浮かべたものの、確かにその効能は彼女が惚れ込むに値するものである。唯一といってもいい欠点には目をつむるしかないが。
「なんだかあたしも欲しくなってきたわね。いくらだったの?」
何気なく尋ねたエレンに、サイファは鷹揚に頷いた。
「うむ、たったの5200だ!!」
「5200!?」
サイファを除く全員は驚きの声を上げてサイファを見返し、続けて宙に浮かぶ小瓶の幻影を見つめた。もちろん、液体の入ったその容器は何も言わずにその場にたゆたうばかりである。
「うーん……確かに便利だけど、一つ10で投げ売りされている粉薬シリーズ全種類分と同じ効果で5200……」
アンリ達はそれぞれ腕を組んで下を向いたり、背もたれに寄りかかって天井を見上げたり、それぞれのポーズで悩み始める。この万能の薬効を持つ消費アイテムにいくらまでなら費やせるかを。
仲間達を見回しながら、マナが口火を切った。
「あたしなら銀貨500枚までかな……」
「私なら1200まで出してもいいですね。やっぱり便利そうですし」
「あたしは900くらいかなあ……というかそんな余裕があるなら先に武器を強化すべきよね……」
「僕なら1000までは出せる……かも。入れる枠があったらの話だけどね」
全員の評価はまちまちであったが、さすがに5200などという大枚をはたいてもいいという者は一人もいなかった。サイファにとっては心外なことに。
「くっ……なぜだ……執行者たる者全てがこれを持ち歩くべきだと言ってもいいほどのアイテムであろうに……」
「さすがに高すぎよ……」
首を左右に振って失望を示すサイファに、エレンが冷ややかな視線を向けながら応えた。
エレン達は知らなかったが、サイファが競り落としたこの【万能薬】に最初付けられていた売値は2500であった。この珍しい輝石をついに見つけたサイファが喜び勇んでいきなり二倍以上の買値を会場にいた天人に申告したのである。
天人は顎を落とさんばかりに驚いたが、すでにサイファの突飛な言動は知られていたので何も言わずに申告値をそのまま受諾したのであった。もちろん天人が彼女を諫めなかった理由に、差額の半分が神殿のものになるから、というのが含まれているのは言うまでもない、
サイファは黄色い六角輝石を小袋にしまうと、今度は己の【魂の器】を呼び出した。彼女の【魂の器】はすでに、全ての枠に色とりどりの輝石が嵌められている。いずれかの輝石を取り除かない限り、サイファが今回手に入れた黄色の六角輝石を刻印することは出来ない。
横に二十二もならぶ列を見据え、サイファは顎に手を当ててしばし黙考する。銀盤の上を舐めるように往復していたサイファの視線は、やがてルビーのような色あいの輝石の上で止まった。
「ふむ……【頭骨砕き】を外すか……」
「待て待て待て!?」
銀色の髪をうつむかせて呟かれた言葉に四人の仲間はどよめいた。
【頭骨砕き】はサイファが刻印している唯一の武術である。これを外したら彼女の戦闘力はがた落ちになるだろう。
慌てるアンリ達を見返し、サイファは口元に白い歯を覗かせた。
「冗談だ」
その言葉に胸を撫で下ろす四人。あんたが言うと冗談に聞こえないのよ……というエレンのぼやきに心の中で賛同するアンリ達であった。