第118話『復讐者、その男の名は』
訓練を終えたアンリとエレン、そしてミルティーユはしばらく街中をぶらぶらし、露店をひやかしたり、神の息吹がよく見える広場で軽食を楽しんだりして午後の時間を過ごした。
やがて陽も傾き、ミルティーユに別れを告げた二人は【虹の根元亭】へと戻ってきた。扉を開けて木板に足を踏み入れる二人。先ほど第五の鐘の音が水面に広がる波紋のようにゆっくりと街の中を通り抜けていった。働く人々は次々と家路につき、この宿の一階も食事を求めてやってくる執行者達で埋め尽くされつつあった。
アンリ達は夕食を堪能しようと空いている円卓に座り、宿の主へ料理を持ってきてもらうよう頼む。その時入り口の扉が開き、付属のベルが元気な音を立てて来客を知らせた。
一人だけであるその人物は空いている席に見向きもせず、すでに先客のある円卓へと向かい、椅子を引くこともなく足を止めた。
アンリとエレンはなぜか自分達の側で立ち止まった客の方に顔を向け……瞠目した。二人を見下ろすその人物は唇をゆがめる。
「よう、久しぶりだな。アンリ、エレン」
「デ、デルミット!?」
「ちょっ……すごいぼろぼろじゃない!?」
アンリ、エレンは久しぶりに見た知り合いの執行者の姿に驚きの言葉を吐き出した。一階にいる他の執行者達もその大声に首を巡らし、変わり果てた知り合いの姿にそれぞれどよめく。
いったいどんな旅をしてきたのか、トレードマークである二色の髪は乱れっぱなし、服も汚れ、荷物を入れる袋もところどころ修繕の後があった。しかし、瞳だけは別の生き物のようにらんらんと輝いている。
「ふ……色々とあったのさ。だがな……それに見合うだけのことはあったぜ」
彼は不敵に笑い、右肘を曲げ、手の平を己の胸の前にまであげる。すぐさま光がその手に集まり、やがて丸いシルエットを象った。
「見ろ!! 【力のメダリオン】だ!! これであのガキとの力比べには負けねえぜ!!」
デルミットは召喚した金色の円盤を頭上に掲げた。デルミットを取り巻いていた執行者達は、先日までの資産からは考えられないほど高価な輝石を手に入れた彼を驚きの瞳で見つめ、口々に賞賛の言葉をかけた。
アンリはそれを見て思う。
――マナに勝つ為には最低でも【力の指環】が三つに、【力のメダリオン】が四つは必要だよ、と。しかし、それを口にすることはさすがにしなかった。
羨望のまなざしを十分に堪能した後、デルミットは口元の笑みをそのままに周囲を見渡す。
「で、あのガキはどこだ? ここに泊まってるのか?」
「いや、別の宿だよ」
「そうか、じゃあ明日だな。道案内を頼むぜアンリ」
「……まあ、いいけど」
「よし!! んじゃ俺はまた部屋を借りてくるぜ」
デルミットはそう言うと宿の主を求めてカウンターの方へと向かう。アンリ、エレンはそれを見送ると小さくため息をついた。
「多分勝てないわよねえ」
「そうだね」
一階を覆う喧騒の中そんな会話を交わしている二人の下へ、再びデルミットが歩み寄ってきた。なぜか気落ちした表情がその顔に張り付いている。
「どうしたんだい?」
「なあ……この辺で一番近い宿ってどこだ?」
「はあ?」
「部屋、空いてなかった」
「やめたほうがいいんじゃないかな?」
デルミットが新しい宿を無事確保することが出来た次の日。
街中の公衆浴場にもちゃんと入ってきたのか、デルミットは清潔な身体と服装でアンリ達の下を訪れ、約束通りに倒すべき相手への道案内を頼んだのだった。
アンリは自信満々らしいデルミットの意思をひるがえそうと、道中ことあるごとに話しかけていたが、聞く耳を持つ彼ではなかった。
「おいおい、俺が何の為に【力のメダリオン】を手に入れたと思ってるんだ? この日だ……この日の為だ!!」
デルミットは大声で叫びながら右の二の腕に力こぶを作る。アンリ達が【尾長竜】退治の依頼をこなしている間、彼もまた様々な戦いを経験したのだろう。デルミットが突然旅に出た時と比べ、精悍さが増していた。しかし、それでもマナに力勝負で挑んで勝てるとは思えない。
アンリと並んで先を歩くエレンが呆れた顔を見せた。
「っていうか、短剣の使い手に転向して【力のメダリオン】を刻印するってどうなのよ……普通は速さを重視するもんじゃないの?」
「あ、俺また両手斧の使い手に戻ったから」
「またあ!?」
「ま、武器は相変わらず【真っ二つ】だけどな。安いし」
はははと笑い声を上げながら歩くデルミット。彼は知らぬことであったが、今から勝負を挑む相手もまた両手斧の使い手である。それも、執行者が扱う全ての武器の中で一番重いと言われる、【超重斧】を操る、だ。
やがてデルミット、アンリとエレンの三人はマナがよく利用している宿までやってきた。デルミットは右の拳を左の手の平にたたきつけ、気合を入れると木製の扉に手をかける。
「頼もう!!」
叩きつけるように入り口の扉を開け、デルミットは吠えた。【虹の根元亭】と同じように一階が食事処になっており、座っていた人々は何事かと入り口の方を向く。そしてその中に、よく似た顔の姉妹の姿もあった。デルミットは長い旅の末にようやく仇敵を見つけたかのような笑みを浮かべ、肩を鳴らしながら二人が席に着く円卓へと近づく。
マナは入り口で立ったままのアンリとエレンの様子を伺い、続いて突然の乱入者の顔をしばし見ていたが、やがて目の前の男のことを思い出したのか瞳に理解の色が灯る。少女はいつもの八重歯を見せ付けるような笑みを浮かべた。
「あら、あんた……デルミットだったっけ? 何か用?」
「ふっふっふ、何か用かだって? 決まってるだろ……」
かつてマナがそうしたように、デルミットは円卓の椅子に座り、卓上に肘を置いた。
「俺はっ!! お前をっ!! 倒しにきたんだ!!」
「ふふん、百年早いわ。ま、わざわざ乗り込んできた度胸だけは褒めてあげるけど」
楽しげな姉と対照的に、妹のミナは困ったような表情を浮かべていたが、諫めても無駄だと分かっているのか何も言わなかった。
周りの客達の反応は素早かった。即座に椅子を持ち上げて観戦に向いた場所へと陣取る。そして好き勝手にどちらが勝つかの賭けを始めた。どうやら、この宿でこういったことは日常茶飯事らしい。もちろんその理由は渦中の少女のせいであろうが。
遅れて足を踏み入れたアンリはそれとなく彼らの会話に聞き耳を立ててみた。
「俺はマナに賭ける」
「あたいも」
「俺もだな」
「わたしもー!!」
「だからそれじゃ賭けにならねえっていつも言ってるだろうが!!」
「じゃああんたがあの男に賭けなさいよ」
「……いや、それはちょっと」
そして挑戦者がどうなるかも彼らは熟知しているようであった。
幸い外野の声は届いてないのか、デルミットの表情は変わらない。彼はこの宿の中でただ一人、己の勝利を信じていた。
「じゃあ、僕が審判を務めるよ」
アンリはすでに組み合わせている二人の手の上に自分の手の平を添えた。
「へっ、今回は初っ端から全力でいくぜ!! 覚悟しやがれ!!」
「ふん、その方がいいわね。また本気じゃなかったなんて言い訳を聞かずに済むもん」
こっそり【力のメダリオン】を召喚するデルミット。対するマナは相変わらず嘲るような笑みを絶やさない。もちろん、少女も逆の手に【力のメダリオン】に加えて【力の指環】をも呼び出しているはずだ。
デルミットが刻印している【力のメダリオン】は一つ。そしてマナはあの日アームレスリングでデルミットを降した日から、【力のメダリオン】を新たに一つ刻印した。つまり……。
「じゃあいくよ……そのままそのまま……ゴーッ!!」
アンリの掛け声と共に添えられていた手が離れ、デルミットは相手をねじ伏せようと力を込める。先ほど宣言したように最初から全身全霊でだ。しかしその腕はぴくりとも動かない。デルミットは歯を剥かんばかりの形相なのに、マナの表情はいたって穏やかだ。
デルミットの顔は真っ赤になって熱を帯び、額を汗が滴っていく。その雫が彼の顎まで達し、したたり落ちるようになっても少女の組み合わされた腕はぴくりとも動くことはなかった。勝負の前にデルミットに浮かんでいた不敵な笑みはもう影もなかった。
こんなはずでは……という戸惑いと、自分が相手にしているのはもしや巨大な銅像か何かなのではないかという恐怖に、両の瞳は大きく見開かれる。
そんな相手を見据え、マナは生き生きとした笑みを浮かべて宣言した。
「じゃあ、百年後にまたね」
「う、うおおおおおおおおっ!?」
マナが動いた時、勝負はあっけなく終わりを告げた。あの日のようにデルミットは身体ごと床に投げ出されたのだ。アンリが力なく勝者の名を口にし、マナは腕を掲げられて誇らしげに胸を張る。観客達はやっぱりな、という表情を浮かべ、元の席へと戻っていた。
すごすごと帰路に着く三人。やがてたどり着いた【虹の根元亭】の扉を親指で指差さし、奢るよ、と言ったアンリの言葉にデルミットは力なく頷いたのだった。