第115話『交渉の部屋』
「殺風景な部屋よね」
「悪かったね」
室内を見回してぽつりと呟いた女の子、マナに対しアンリは目を逸らしながら答えた。
輝石の分配会場として選ばれたのは【虹の根元亭】の二階、アンリが借りている部屋だった。とはいえさすがに五人の男女が入るとかなり窮屈ではあったが。
マナ、ミナはベッドに腰掛け、サイファは鎧戸が開けられている窓枠に身体を預けている。街を吹きぬける風が、ときおり彼女の銀髪を優しく撫でていった。
床に直に座るのはアンリとエレン。今、二人は輝石の種類による選別を行っている。今回の冒険で手に入った輝石の数は合計七十二個。なお、このうち四十二個は黄色の三角輝石であり、その中の四十個がいわゆる粉薬シリーズであった。
目の前に出来上がった黄色の宝石の山に、エレンがため息を吐く。
「なんで神様は粉薬シリーズなんて作ったのかしらね……」
「まったくだわ」
「こらこらこらあっ!?」
「な、なんということを言うのだオマエ達は!?」
先日の戦いでその粉薬シリーズによって命を救われた筈の二人から飛び出した暴言に、アンリとサイファが苦言を呈した。
「だって明らかにハズレじゃん。サイファだって粉薬シリーズしか分配されなかったら怒るでしょ?」
「ふ、それに関しては否定しない!!」
神々に対する敬意だけは並々ならぬサイファですら、あっさりと価値がないことを認めた三角輝石の山を、エレンは無造作に脇へとどけた。これで残る輝石の数は三十二。
なお、大抵の執行者は皆、黄色の三角輝石の鑑定をさっさと済ますことにしている。理由は改めて述べるまでもない。
脇にどけられなかった二つの黄色の三角輝石は【怪力の丸薬】であった。その名の通り、服用した者の筋力を短時間だけ増加させる効果がある。マナはこの輝石の正体が分かった時に懐かしい気持ちになった。昔、まだ現在の輝石が揃っていなかったころに何度か使用していたからだ。取引価格は銀貨100枚くらいである。これで残りは三十。
一際目を引く六角輝石。一つは【最果ての氷結晶】。もう一つは【岩石粉砕撃】。残る未鑑定の輝石の数は二十八である。
内訳は紫、緑、黒、赤の五角輝石がそれぞれ一つずつ。
四角輝石は計九つあり、紫が一つ、白が二つ、黒が一つ、青が二つ、水色が二つ、赤が一つであった。
残りの十五個は全て三角輝石。色は様々だ。
エレンは全員の顔を見渡し、にこやかに宣言した。
「じゃ、始めましょ、楽しい楽しい鑑定会を!」
「【力のメダリオン】!! 来た来た来たあ!!」
緑色の輝石から浮かび上がったアイテムの姿に、マナが膝を両手で叩きながら歓声を上げる。
「もう筋力は十分なんじゃないか?」
マナとの力勝負で惨敗しているアンリが呆れた声を漏らす。その声音にはこれ以上差をつけられたくないというひがみも含まれていた。マナはベッドに腰掛けたまま足をぶらぶらさせて不遜に笑う。
「何言ってんのアンリ!! 力こそ破壊力よ!! あ、とりあえずそれキープで!!」
マナは【力のメダリオン】が込められている五角輝石が欲しいという意思を、独特の表現で皆に伝えた。マナにとって幸いなことに他にこの輝石を希望する者はおらず、暫定的に彼女の物となる。隣に座るミナが少しだけ物欲しげな表情を見せていたものの、最終的に姉の意思を尊重することにしたようだ。
半分ほど鑑定が済んだ現在、それぞれが所有を主張しているのは、アンリが【打ち壊すもの】、エレンはもちろん【最果ての氷結晶】、マナが前述の【力のメダリオン】である。ミナとサイファは今の所とりたてて欲しいものがなく、凪いだ海のように静かにしていた。
期待の星であった紫の輝石は、五角輝石が【速さの指環】、四角輝石が【水の指環】と高値で取引されているものであったが、アンリは新たな輝石を入れる枠が存在せず、エレンは喉から手が出るほど欲しかったものの、自分が希望している輝石の価値を鑑み、これ以上高価なものを希望するのもな、と挙手をためらった。マナとミナはすでに自分達に適した指環を装備しているので見送り、サイファはしばらく腕を組んで迷ったものの、防御力……と一声呟いて結局首を横に振った。
なお、【速さの指環】の特殊能力は敏捷性増強、【水の指環】の特殊能力は水抵抗増強である。
鑑定を半分ほど終えて、アンリは心の中でひそかに安堵していた。比較的価値の高い輝石がいくつもあったおかげで、最終的に自分の取り分をエレンのそれに費やさなくてすみそうだからだ。
【力のメダリオン】と【速さの指環】は銀貨5000枚以上の価値が、【水の指環】も4000枚ほどの価値があるらしい。ならば、最終的にサイファやミナに指環が渡り、それぞれが得る資産は最終的にほぼ同等のものになるだろう。
アンリはそう考えながら、まだ鑑定が終わっていない黒い五角輝石を手に取った。黒の輝石に込められているのは鎧だ。自然と呟かれた鑑定の言葉に宝石から光が生まれ、やがてその中に神々が作りし宝がその姿を現した。
色は暗色の赤銅。人によっては血塗られたという表現をするような色彩のパーツが胸部から草摺、すね当てにブーツまでと、頭部を除く全身を覆っている。中でも特に目を引くのが左側にのみ付いているいびつな肩当てだ。こぶのように盛り上がったその肩当てに埋め込まれているのは大きな眼球。見た者が怖気に襲われるような不気味な眼が、その場所から辺りを睥睨しているのだ。
この鎧の名は【邪眼潰し】。肩当てに埋められているのはかつて神々と共に存在していた幻獣、【一つ目の獣】の瞳だ。
まるで生きているような眼球と視線が合ってしまったエレンは、口元をひきつらせながら軽口を叩いた。
「……誰よこんな趣味の悪い鎧を作った神は……ひょっとしてザルツバーン?」
片手斧の始祖神が聞いたら傷つきそうなことを言うエレンに、サイファが顎を手に当てて記憶の引き出しの中から答えを探す。
「いや、確かフィーンドグラムだ。闇の魔術を編み出した」
「なるほど、なんだか納得……」
「ちょ、ちょっと不気味ですね……」
「べべべべべ別にそこまで怖くなくなくない!?」
未だ宙に浮かぶ異質な鎧を見ながら少女達はそれぞれの感想を述べる。しかし、闇の魔術の始祖神が作ったといわれるこの鎧の評価は芳しくはないようだった。
「……僕、この鎧を着てみたいな」
ただ一人を除いて。
アンリが漏らした呟きが、一瞬で室内を静寂へと変えた。
エレン、マナ、ミナ、サイファの四人は信じられないというような表情を顔に貼り付け、言葉の主を見る。しかしアンリが冗談で言っているのではないことを見て取ると、エレンは無表情に口を開く。
「ねえ、サイファ」
「うん? どうした?」
「人を正気に戻す粉薬ってあったっけ?」
「いやいや僕はまともだよ!?」
「【覚醒の粉薬】でいいんじゃない?」
「ちゃんと起きてるって!!」
「この前までは【闇の帳】……そして今度は【邪眼潰し】……ああ、そういうことなんですか……」
「ミナちゃんひょっとして凄く失礼なことを考えてないか!?」
必死に抗弁するアンリに、少女達はあいまいな笑みを顔に貼り付けるしかない。エレンは鎧の側に浮かぶ光の文字を見据えて言った。
「防御力36……今アンリの【闇の帳】は輝石二つで防御力37でしょ? 無理して乗り換える必要はないんじゃないの?」
「たしかに防御力は少し下がるけどさ、でも見てよ」
アンリは特殊能力が記載されている箇所を指差す。そこにかかれているのは三行の短文。
筋力増強。
土抵抗増強。
闇抵抗増強。
「僕が執行者に成り立ての頃、リーマドータさんが言ってたんだ。【闇の帳】は三角輝石の中では優れた鎧だ。でも上を目指す者はいつか新しい鎧に乗り換えて行くって」
アンリは己の【魂の器】を呼び出し、刻印されている黒い輝石に指を這わせ、神々の言葉を囁いた。
【邪眼潰し】の隣に並ぶ黒い鎧、【闇の帳】。
「その理由は、『身体能力を強化する力が一切ない』から」
アンリが昨日まで纏っていた鎧の特殊能力は二行。
闇抵抗増強。
光抵抗減少。
少女達は何も言わない。アンリはやがて、二つの鎧の幻影を消した。
「僕ももっと強くなりたいんだ。だから……そろそろ【闇の帳】を脱ぐ時が来たんだと思う」
アンリの意思に心を打たれたのか、彼女達はお互いに視線を合わせ。
「分かったわ……」
とうとうエレンが口を開いた。アンリもかすかに微笑む。エレンもにっこりと笑った。
「要するにアンリにとって【闇の帳】は『用済み』になったのね」
「違う!! 違うんだああああああああああああああ!!」
悶えるアンリに、エレンは笑顔のまま続けた。
「『最低』ね」
「いやああああああああ!!」
どうやら朝のアンリの発言を根に持っていたらしいエレン。
アンリの涙交じりの絶叫が穏やかな昼下がりの街並みを貫いた。