第113話『借りは返してもらうからね?』
翌日。
そろそろ第二の鐘の音が街の中をゆっくりと通り抜けるであろう頃合、【虹の根元亭】の一階は閑散としていた。
くたびれた丸い木のテーブルが並ぶ食堂に今いるのは、店の主人を除いて数人の執行者のみ。円卓を埋めているのはアンリとエレンのコンビだけであり、他の者はカウンターに腰掛けてやや遅めの朝食を食べていた。なお、アンリ達と同じようにこの宿に部屋を借りているサイファは一人で出かけていた。
アンリは手の中のカップをもてあそびながら目の前の幼馴染を見つめる。
エレンはあの死闘の末に手に入れた白の輝石から、【最果ての氷結晶】の幻影を呼び出して見つめていた。新しい武器に魅せられるエレンの気持ちはアンリにもよく分かる。アンリも最初の頃は手に入れた両手剣をずっと眺めて悦に入っていたからだ。
エレンの手の平に乗っている、六角形の輝石から放たれる光の中に浮かぶ細身の剣。
冷え冷えとしたつららを削り、研磨したかのような美しい半透明の刃。
名工が持てる技術を全て注ぎ込んだのではないかというほどに精緻な柄。
攻撃力もエレンが愛用している【刺し貫く白刃】を上回っており、その上に氷の魔力を帯びている。特殊能力は敏捷性増強に加え、魔力増強。
しかし、同卓の相手がずっと武器の姿に心を奪われているというのは、アンリとしてはあまり面白くない。
「エ、エレン、エレン」
「ん?」
自分の名を呼ぶ声にエレンは顔を傾け、アンリを見た。同時に宙に浮かんでいた映像が消える。
「どうしたのアンリ?」
尋ねるエレンにアンリは視線を泳がせる。特に用があって話しかけたわけではないからだ。さすがに自分の心の中をそのままさらけだすのは恥ずかしいので、とりあえず適当な話題を振ってみるアンリ。
「ええっと、分配についてなんだけど、エレンは当然その輝石を希望するんだよね?」
尋ねるアンリに対し、一体何を言うのか、という表情でエレンは顎を縦に振る。
「もちろんよ。こういう時に仲間内で使う武器がかぶってないのはラッキーよね」
「ああ、そういえばそうだね。やっぱり同じ武器を使う人が複数いると問題がおきたりするの?」
「ええ、何度か見たことがあるわ……輝石の分配で揉めて今まで仲の良かったパーティーが険悪になる姿をね……」
エレンは遠くを見るような目で虚空を見た。アンリは幸い、今までそういったトラブルに巻き込まれたことはない。もちろん、それは目の前の気心が知れる少女と常に組んでいるおかげだが。
「でもさ、輝石の値段がとてつもなかったらどうするんだい?」
何しろこの片手剣は六角輝石なのだ。アンリもエレンもこの武器を見たのはこれが初めてだったため、その値段については見当もつかないが、おそらく簡単に手が届くような値ではあるまい。
しかし、不安げなアンリとは対照的に、エレンはにっこりと答えた。
「アンリ」
「うん?」
「あたしに借りがあるのを忘れてないわよね?」
「うっ……」
ここでエレンが言う借りとは、先日アンリが【打ち壊すもの】の輝石をギザルムとトレードした時のことである。輝石に関してはアンリとエレンは資産を共有している。あの時アンリの戦力を強化する為に二人の財産を使ったのだから、こう言われるとアンリも反論しづらい。
アンリはため息を吐くと、期待感でいっぱいらしい幼馴染の瞳を見返した。
「分かったよ。もし分配に支障が出るようなら僕の取り分もエレンが使って構わない」
「よろしい。でも多分大丈夫よ。これの価値次第だけど、あたしはこの輝石以外は要求しないつもりだし」
エレンは手中の白い輝石を軽く握る。
アンリとしても、エレンの力が強化されるのは望むところなので別にそこまで不満があるという訳でもない。とはいえ今回の冒険で手に入れた輝石の鑑定はまだ終わっていない為、結果によってはどうなるか分からないが。
「ところでその輝石が無事に自分の物になったとしてさ、【刺し貫く白刃】はどうするの?」
「【刺し貫く白刃】? ああ……」
なぜかエレンは鼻で笑い、髪をそっとかきあげるとあさっての方向に顔を向けた。
「そんな武器もあったわね」
「こらこらこらあっ!?」
今まで共に死線を潜り抜けてきたはずの愛剣に対し、あまりにも薄情な台詞を吐いたエレンにアンリが食ってかかる。エレンは正面に向き直ってアンリの瞳を覗き込むと、円卓の上で両手を組み合わせた。
「アンリ……人はね、何かを手に入れる為には何かを捨てなければならないの。悲しいけれどこれは仕方の無いことなのよ」
「エレン……」
「まあ要するに用済みってことなんだけど」
「最低だ!?」
身も蓋もないエレンの発言にアンリはつい叫んでしまう。
自分もいつかは現在使っている【打ち壊すもの】や【闇の帳】をあっさり切り捨てるのだろうか。
執行者としてのあり方にアンリが懊悩しはじめたその時、【虹の根元亭】の扉に付けられている鈴が音を響かせた。アンリ、エレンは待ち人がやって来たのかと入り口へと顔を向ける。果たして、そこには見慣れた二つの顔があった。
双子の姉妹はところどころ薄汚れた店の床板を軽やかに駆けて来る。アンリ達は軽く手を振った。
「おはよう、二人とも」
「おっはよー」
「おはようございます」
子供らしい屈託のない笑顔で二人へと笑いかけるマナとミナ。そこにもう一度鈴の音が来客を知らせる。
「おお!! オマエ達も来たのか!! ちょうど良かったな!!」
【虹の根元亭】の食堂内に響き渡るような元気な声。
街の中央にある神の息吹の元を訪れ、存分にその神々しい姿を目に焼き付けて帰ってきたサイファだった。