第111話『心ここにあらず』
「じゃあ、そろそろ輝石を拾おっか?」
「……うん」
目も薄闇に慣れ、涙が乾いてきた頃、エレンは口を開いた。アンリも我に返ったかのように抱きすくめていた腕を離す。アンリ、エレンの二人は揃って立ち上がった。恥ずかしさのあまり、どちらも視線を合わせない。
二人は光源が弱いことをこれほど感謝した時はなかった。きっと自分達の頬は熟れたリンゴのように赤く染まっているであろうから。
彼らの横では二人をからかおうとしたマナの口をミナが両手でふさいでいる。双子だけあって、姉の考えはお見通しのミナであった。
「おお、オマエ達、見ろ!! 六角輝石だ!!」
そんな雰囲気を払拭しようとしてか、ただの偶然か、サイファが地に転がりかすかに光る石を拾い上げながら大声をあげた。
「う、うそっ!? 見せて見せて!!」
助け舟に飛び乗るかのようにエレンはサイファの元へ駆け寄り、アンリもほっと安堵の息を漏らした。
「ほら」
サイファの手甲に包まれた手からエレンは六角形の宝石を受け取った。色は白。つまり武器である。
「すごいすごい!! ねえねえ、今ここで鑑定していい!?」
エレンは振り返り、この場に集まってきていた他の仲間達にも尋ねた。エレンが差し出す手のひらに乗る、ぼんやりとした輝きに皆、目を奪われる。
「武器!! これはすごいのが来るかも!!」
「さすが【尾長竜】ですね!!」
「うん、すごく苦労したかいがあった……かな?」
ペルギア渓谷に入ってから幾多の戦いを繰り広げた彼らであったが、今回の冒険で六角輝石を手に入れたのはこれが初めてだった。期待感が高まるのも無理はない。もちろん六角輝石だからといって無条件に価値があるという訳ではないのだが。
「エレン、早く見せて!!」
マナが顔を上気させ、他の面々も湧き上がる興奮を押さえ込んでいるような表情を浮かべていた。
「じゃあ行くわよ……我にその叡智を示せ!!」
エレンの力強い言葉に答えるかのように、純白の宝石は中空へと円錐状の光を発した。薄闇を照らす最も強い光源となったその輝きの中にやがて一つのシルエットが浮かぶ。
柄頭には水色に輝く角ばった宝石が埋め込まれている。白い握りの部分は一点の染みもなく、鍔と一体化した金色の護拳が柄頭までを覆っていた。エレンの髪のように輝くそれは美しい模様が彫刻されており、それだけでも芸術品になるのではないかと思わせるほどだ。
鍔の先から伸びる両刃の刀身は水晶のように半透明であり、色は薄っすらと青みがかっている。エレンの愛剣よりもやや幅広で、しかし先端は何者をも貫くとばかりに鋭い。氷柱を研いで作ったかのようなその刃は、蒼海のような彩色の輝きに包まれており、この武器が魔術の属性を秘めていることを示していた。
光る文字で記されたこの武器の名は【最果ての氷結晶】。攻撃力50。氷属性攻撃力15。片手剣である。
「なにこれ欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!! あたしの!! あたしの!! あたしの!! あたしの!!」
宙に浮かぶ剣を見つめたままエレンはいきなりわめき始めた。豹変した幼馴染をアンリは慌ててたしなめる。
「エ、エレン……落ち着いて……」
「はっ……ご、ごめん。つい……」
アンリの言葉に我に返ったエレンはえへへとごまかし笑いを浮かべて周りを見渡した。アンリはもちろん、囲んでいた仲間の顔は明らかに引きつっている。薄闇の中に白く浮かぶ、物欲にまみれた少女の形相を見てしまったからだ。
おほん、と軽く咳払いするとエレンは武器の幻影を消し、いそいそと輝石をしまい始めた。
「さっ!! 早く街に帰りましょ!! 帰って輝石の分配をするのよ!!」
少し前まで生死の境をさまよっていたことを誰しもが忘れてしまうかのような声を張り上げ、エレンは出口の方向へと振り向いた。
「ま、待ってエレン!! まだ輝石を全部拾ってないってば!!」
「あ、そ、そうだったわね。あはは」
振り向いたエレンは明らかに心ここにあらずといった様子だった。
「……とりあえず輝石を拾ってここを出るか。日が暮れる前に神の息吹を目指すぞ」
この地で常に先導者であったエレンが現状頼りにならないことを察し、サイファが一同を促した。アンリ達はそれぞれ頷き、転がる輝石の側に近寄る。
【尾長竜】が消滅した場所には先ほどの白い輝石とは別に六つ、【飽食の不定形】が灰となった場所には三つの輝石が落ちていた。強敵との戦いに勝利した満足感、新たに入れられた輝石によって膨らんだ小袋とをそれぞれ持って、五人は巣穴と呼ばれる洞窟を後にした。
「やっと着いたか」
サイファがやれやれといった風情で声を漏らす。アンリ達一行の間にも穏やかな空気が流れた。山中にある小さな泉、神の息吹へとたどり着いたのだ。来る時と違って未知の土地ではなくなりつつあったペルギア渓谷だが、やはり簒奪者がいつ襲ってくるかという緊張感にはずっと慣れることはなかった。神の息吹の加護によって敵が入ってこれないこの場所は凄くありがたいものである。
「エレン、着いたよ」
「はっ……ぶ、分配よ!! 今すぐ分配をするのよ!!」
「落ち着いて、まだ街に着いたわけじゃないから……」
「あ、あら……あはは、ごめんごめん」
エレンはぺろっと舌を出す。
道中エレンはずっとこんな感じだった。時折先ほどの六角輝石を取り出しては歩きながら眺めて一人悦に入っており、一度突然襲い掛かってきた眷属を宝石から目を逸らすことなく切り捨てたこともあった。
とはいえ、もちろんまだエレンの物になると決まったわけではない。
頼りにならないエレンをとりあえず座らせるとアンリは野営の準備を開始する。まだ日の光はあるものの、数刻したらこの地は夜の闇に閉ざされるだろう。
マナ、ミナも自分の背負う袋から様々な道具を取り出し始めた。そんな中、マナの耳は小さな気配が動く音を感じてそちらに目を向ける。その正体を知り、少女は笑みを浮かべる。今日の朝、出発する際自分が呼びかけた影にそっくりだったからだ。
「ただいま」
マナは近くの草むらからそっと顔を出している、可愛らしいリスに向かってそう呟いていた。