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女神の剣  作者: 蔵樹りん
第3章
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第110話『天秤はどちらに傾くか』

 竜は腕を振り回すように、左の飛膜を目の前の敵へと叩きつける。標的になったアンリは引かず、むしろ我が意が叶ったとばかりに両手に持つ【打ち壊すものブロークン】を振り下ろした。十字の形で両者の武器は交錯し、アンリの腕は衝撃で痺れたが何とか剣の柄を離さずにすんだ。


 【尾長竜ワイバーン】は呆然としたように己の翼を見る。金属の塊を受けた部分がえぐられ、潰れている。もう一つ残っていた自慢の翼に、またも大きな傷を付けられたのだ。


 竜は新たな怒りと共に目の前の剣士へと噛み付いた。アンリの前で開かれるずらりと並んだ牙の列と、てらてらと滴る唾液。まだ衝撃から立ち直っていないアンリは身体を動かすのが一瞬遅れた。


 ぞぶり。


 上下の顎がアンリの腕をもぎ取らんばかりに閉じられる。アンリの鎧【闇の帳ダークフォール】、そしてミナがかけた魔術【氷結の鎧フローズンアーマー】の防護が合わさってもその咬み付きを完全に防ぐことは出来なかった。


「ぐああああっ!?」


 腕をまるごと噛み千切られることは避けられたものの、アンリの篭手と骨肉とを獰猛な肉食獣は見事に奪っていった。たちまち鮮血があふれ出し、アンリはたまらず剣を取り落とす。


「このおっ!! よくもアンリをやってくれたわね!!」


 エレンの叫びと共に剣が突き出される。それは技の名を叫ばずに繰り出された【閃光の一撃レイスティング】であった。しかし冷静さを欠いていたエレンの攻撃は鱗に命中してしまい、その下に隠れる肉体をわずかに傷つけるだけに留まった。


「くっ……下がれアンリ!! すぐに治す!!」


 看過できない傷を負わされたアンリの為、サイファが光の魔術を行使するための詠唱を開始する。ミナは両手鎚を右下からすくい上げるように振るい、まだ手の届く位置にある【尾長竜】の側頭部へと叩きつけた。見事に命中するものの、竜は全く痛みを感じていないかのように、その少女へと折れた翼を繰り出した。ミナは回避が間に合わず、肩を打たれて倒れこむ。


 【尾長竜】は聞いた者全てを恐怖させるようなすさまじい咆哮をあげ、執行者達は震える鼓膜に耳を塞ぎたくなる衝動をなんとか押さえ込んだ。


 竜の右翼をマナの大斧が切り裂いたあの時、アンリ達の間に弛緩した空気が流れた。これで勝てる、と。しかしそれはあまりにも早すぎる思い込みであった。【尾長竜】は手負いの獣のような凶暴さで手当たり次第に暴れている。


 アンリの血で赤く塗れた牙は狂った野犬のように所構わず咬み付き。

 猛毒の液を内包している尻尾は犠牲者を求めて縦横無尽に振り回され。

 空を舞えなくなった翼はその恨みを晴らさんとばかりに叩きつけられる。


 アンリ達の背を冷たい汗が滴っていた。大型の簒奪者と戦うという覚悟はしていたつもりだった。だが、実際に目の当たりにする強大な魔物の、なんと恐ろしく、なんと頑強なことか。


 怖い。怖い。怖い。


 そんな感情がアンリを、いや、アンリだけでなく、エレン、そしてマナとミナの姉妹の心中に沸き起こる。もちろん、何度も大型の簒奪者と戦ったことのあるサイファとて似たようなものだ。


 しかし、数多の執行者達はこの恐怖を乗り越えてきたはずだ。サイファの魔術によって傷を癒されたアンリは地に転がる愛剣を拾い上げ、己と仲間を鼓舞する為に叫ぶ。


「もう少しだ、みんな!! 僕達は必ず勝つ!!」


 アンリの叫びに全員が頷いた。そう、竜の被害とてすでに尋常でないものになっている。力を合わせればきっと!!


 アンリ達は竜を全方位から囲み、身構えた。ミナも先刻受けた打撃は大したことがなかったのかすでに起き上がり、竜との間合いを計っている。傷の手当を担当する為、やや後方にいたサイファも彼らと同じラインに立っていた。


「あと一回だ!!」


 サイファの言葉の意味は、あと一回しか【癒しヒーリング】が使えないということだ。アンリ達は彼女の言葉を胸に刻んだ。とはいえ、ほとんどの精神力を消耗していたのはこの場に立つ誰もが同じだった。


 竜はあぎとを開く。火弾が来るかと身構えた彼らであったが、竜の口内に赤い炎は生まれなかった。


 【尾長竜】は本能で分かったのだ。これ以上火弾を作り出すと自分の生命力が限界に近づくと。


「行くわ!!」


 一瞬の隙に気付いたエレンが駆けた。雷光のように竜の懐へと飛び込み、武術による光を帯びた剣先を竜の腹部へと突き立てた。竜は先ほどから不愉快なほどに傷を負わせてくれる相手を飛膜で打ち払おうとする。少女は折れた翼に囚われることなく間合いから離れた。


 正面の敵に注意を奪われた竜の左右から忍びよる二つの影。その手には全てを叩き潰すかのような鈍器が握られている。まずはより小さい方がしかけた。両手に持つ巨大な鎚を振りかぶりながら跳躍する。


「【隕石落としメテオフォール】!!」


 大きな錘が竜の右脚を芯で捕らえた。あまりの威力に脚は地へと陥没し、皮膚と鱗がひしゃげて骨格は曲がり、足先に生えている爪があらぬ方向へと向く。


「うおおおおおおお!! 【頭骨砕きスカルクラッシャー】!!」


 それに遅れる形で、サイファの持つ片手鎚メイスが竜の左脚を打った。ミナの打撃ほどの力はないものの、少女の武術は着実に竜の力を削いでいた。


 【尾長竜】はふらつく両脚で身体を回転させ、背に生える長い尻尾を鞭のように振り回した。勢いよく一周したそれをまともに受けてミナは吹き飛び、サイファも片膝を突く。


 よろめきながら正面を向き直った竜の目に、まだ残る敵の姿が映る。もはや防御も省みず、全速で突っ込んでくる小さき者達。


「おおおおおおおっ!!」


 アンリは【打ち壊すもの】を右肩の辺りに引きつけて突進し、竜の腹部へと思い切り剣先を突きたてた。強化された刃は鱗を貫き、肉を抉った。【尾長竜】はついに悲鳴をあげる。そこに振りかざされる、絶望の刃。


「食らえええええええっ!! 【巨木断裁撃ビッグツリーディバイダー】!!」


 【尾長竜】は全力で羽ばたこうとした。しかし、もはや頼みの翼はその力をなくしており、未だ腹に刃を食い込ませる男が逃がすものかと剣を握る手に力を込める。竜は楔のように自分を食い止める小さき者を殺さんばかりの視線で睨みつけた。


 ――おのれ……!! おのれええええええええええええええええええええええ!!


 しかし竜の怒りも空しく、ついに少女の巨大な斧が武術による光と氷の魔術による光を纏って【尾長竜】へと振り下ろされた。マナの手に伝わるのは鱗を食い破り、皮下の肉を、そして身体を動かす様々な器官の壊滅を予感させる確実な手ごたえ。マナはニッと笑った。【尾長竜】に八重歯を見せつけるかのように。


 ついに竜の羽ばたきが止まった。巨体がぐらりと傾き、アンリは深くささる剣を引き抜こうと柄に力を込め……。


「アンリ!!」


 ……えっ?


 アンリがその叫び声に気付いた時には遅かった。大きな胴体に隠れる形で竜の尾がアンリの頭を目掛けて振り下ろされていたのだ。もちろん先端の針に毒の液をしたたらせて。


 アンリが身をかわすよりも早く、【尾長竜】の尾はその鋭利な剣先を突き立てた。ただし、それよりもさらに早く少年を庇うために飛び込んだ少女の背へと。


「……エ……エレン……?」


 一瞬何が起きたか分からなかったアンリは呆然とその少女の名を呼んだ。アンリの目に映るのは、見慣れた幼馴染の美しい顔だけだ。


「……いつか言ったでしょ……あたしが守ってあげるって……」


 アンリはエレンを抱きとめ、背後から地面へと倒れた。アンリに抱きすくめられた細い身体の背に生えるのは、少女の鎧を貫いた巨大な針。しかしその針がついた長い尻尾もついに灰となって消えてゆく。大型の簒奪者がついにその命を失ったのだ。狙いを外した無念の唸り声。それが【尾長竜】の漏らした最後の言葉であった。


 竜に突き刺さったままだったアンリの剣が地面に落ち、乾いた音を立てる。しかしエレンはぴくりとも動かない。


「エレン……!? しっかりしてエレン!!」


 ようやく事態に気付いたアンリが大声を張り上げる。上半身を起こし、エレンを揺さぶるアンリ。しかし少女の閉じられたまぶたが開くことはなかった。


「サイファ!! 来て!! エレンが!! エレンが!!」


 アンリはエレンから視線を離さず、幼馴染の名を必死に呼んだ。金属音を響かせて駆けつけるブーツの音。


「マナ!! 頼む!!」

「わ、分かった!!」


 サイファは【解毒の粉薬】を取り出すとマナへと放り投げた。アンリが混乱しているのを見越してのことだ。


 サイファは最後の魔術を使うため、神への祈りをささげ始めた。マナは袋の口を縛っている紐を外し、アンリに抱きすくめられているエレンの全身に粉を振り掛ける。これで体内の毒は消え去るはずだ。先ほどの自分のように。


 アンリは目から涙をあふれさせ、エレンの名をずっと呼び続けていた。サイファの魔術の詠唱はまだ続いている。普段ならば大した長さでないその祈りを終えるまでの時間が、今ではまるで無限に続く回廊をさまよっているかのように感じられた。


 気が遠くなるほどの時間が経過したあと、ついにサイファの魔術は完成した。サイファの手から光があふれ、エレンの身体を優しく包む。魔術を唱え終わったサイファは片膝をついた。もはや精神力の限界に近いのだ。戦いのさなかにサイファが口にした通り、【癒しヒーリング】はもう使えない。彼らが所持する最後の【回復薬】もエレンの輝石の中だ。


 サイファ、マナ、ミナ。全員が固唾を飲んで見守った。アンリはエレンを抱く手に力を込める。


「エレン!! お願い!! 目を開けて!! エレン……エレン!!」


 未だ死地をさまよっているエレンを呼び返さんと、喉が破けるかのような大音声でしぼりだされたアンリの叫び。


 果たしてその声が届いたのか、やがてエレンのまぶたがゆっくりと開き……。


「あはは……ごめんね? 心配かけて……」


 まだ焦点の定まっていない藍色の瞳がアンリを見つめて。

 小さな唇は、たどたどしくもはっきりとした意思と共に囁かれ。


「エレンッ!!」


 アンリは喜びと涙で顔をくしゃくしゃにし、エレンを力一杯抱きしめた。サイファはほっと安堵の息をもらし、マナとミナは両手をお互いに合わせて歓声をあげた。


 やがてサイファの【光の防護円ルミナスプロテクション】が効果を失い、洞窟の中は再び薄闇の中へと沈む。


「ごめんね……泣かしちゃって……」

「違うよ……泣いてなんかないさ……」

「……ふふっ……そうね……アンリは強くなったもんね……」

「うん……」


 明るさに慣れていた執行者達の視力はまだ闇を見通せない。アンリだけでなくエレン、いや、サイファ、マナ、ミナ、全員が誰の目にも触れられていないことを幸いと、あふれる涙をそのままにしていた。



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