第102話『忌まわしきもの』
「というか何でこんな奴がこんなところにいるのよっ!?」
顔をしかめ、両手に持つ巨大な斧を手に一歩後ろへと下がるマナ。薄暗い洞窟の中、かすかに明滅する自生生物の光を受けて輝く両の瞳にあるのは恐怖だ。しかしそれは恐ろしい敵を相手にした時に浮かべるものではなく、這いずる虫を目にした時などに浮かべるもの。生理的な嫌悪感であった。
「【尾長竜】と同居生活をおくってたとか?」
「こんな奴と同居生活なんてぜっっっっっっっっったいイヤ!!」
アンリの軽い冗談にマナは叫び、ミナもこくこくと頷いた。もちろんお断りなのはアンリも同様であったが。
激しく嫌われていることに気付いているのかいないのか、【飽食の不定形】は全身を震わせながら、触手を四方に伸ばして彼らに迫る。アンリ達は近づく簒奪者から離れようと一歩、二歩と退いた。
アンリは助けを求めるかのようにちらりと視線を遠くへと投げる。しかし、頼みの幼馴染も大鎧の主も巨大な【尾長竜】と対峙していた。援護は期待できない。いや、むしろこちらが彼女達の救援に駆けつけるべきなのだ。
アンリは足を止めると両手剣を構え、傍らにいる少女達に囁きかける。
「ミナちゃん、【氷結の鎧】をお願い」
「分かりました」
「マナ、どちらかが捕まったらお互いに助けるのを最優先で」
「分かったわ」
「なるべく早くケリを付けよう。エレン達を援護しないと」
「……そうね」
一瞬だけ瞳を動かし、【尾長竜】と戦う仲間の無事を確認したマナは視線を目の前の異形に固定した。
アンリと同じようにエレン達の助けを期待していたマナであったが、現状それは難しそうだ。少女は覚悟を決め、腰を落とした。
アンリ、マナの二人は己の巨大な武器を手に、【飽食の不定形】へと挑みかかる。簒奪者もそれを向かえ撃つために体を震わせて形を変え、触手のように複数の器官を伸ばし、繰り出した。
ミナも【ごまかしのモール】を掲げ、神が編み出した魔術の力を顕現する為に滔々と歌い始める。
「セリスよ!! 氷の魔術を編み出した偉大なる神よ!! 我はここに始まりの六花を呼び出さん! 六花で足るのか、いや足りぬ! ならば変えよう、獣の牙のごとき鋭利なつららに! つららで足るのか、いや足りぬ! ならば変えよう、海をたゆたう氷山に! 氷山で足るのか、いや足りぬ! ならば変えよう、吹雪操る白魔狼の爪牙に! 白魔狼の爪牙で足るのか、いや足りぬ! ならば変えよう、全てを氷に閉ざす青竜の吐息に! その青竜の吐息を持って我は凍てつく鎧を創造せん!! 輝く冷気よ、体を覆え!! 【氷結の鎧】!!」
まずアンリの身体をきらきらとした光輝が覆い、続いて一言一句同じ詠唱を行ったミナにより、マナの全身も美しい輝きに身を包まれた。
二人が敵を引きつけてくれたことと、敵の動きが緩慢なことが幸いし、ミナは重ね詠唱を最後まで行うことが出来た。身長よりも長い両手鎚を構えなおし、ミナは一歩離れた場所で敵の挙動を窺う。控えめな性格のせいか、ミナは猪突猛進の姉とは違ってまず敵の動きを確認することを怠らない。それが初めて遭遇する相手だったらなおさらのことだ。
アンリは繰り出される触手にかすることなく、その手に持つ両手剣を半透明の物体に向けて叩きつけている。その度に全身をよじらせるモンスター。いまひとつはっきりとしないが、一応攻撃は効いているらしい。なんとも言いがたいその動きにアンリは恐怖を覚えながらも間合いを取る。
「気持ち悪いのよっ!!」
マナが罵声を浴びせながら、巨大な斧を振り下ろす。そこに襲い来る敵の触腕。マナは使う武器のせいもあり、アンリほど機敏ではない。普段ならばその魔手がマナの身体を掴まえただろう。しかし、今の少女は氷の鎧によって守られている。近づくものを凍結させるその魔力が簒奪者の触手に抵抗した。
魔物の器官が先端から白くなっていくものの、【飽食の不定形】は魔術に対する高い抵抗を持ち、それは氷の属性に対しても同様である。【飽食の不定形】の動きはわずかに鈍ったにすぎなかった。しかしそのわずかな差が、マナが攻撃を繰り出すまでのタイムラグを安全に保護する結果となった。
ぞぶり、と不快な音を立てて流動する物体に亀裂が入った。悲鳴なのか、ごぼごぼという水音が簒奪者の中からくぐもって発せられる。
マナは手ごたえに八重歯を剥いて笑い、次の瞬間にその笑みを引きつらせた。
「ちょっ……!? 武器がっ!?」
触手から逃れるため、素早く斧を引き抜こうとしたマナだったが、簒奪者が柄の部分を身体で幾重にも包んだのだ。動きを止められたマナに、【氷結の鎧】に阻まれていた触手が纏わりついた。
「ひゃううっ!?」
不快な肌触りにマナの背筋を怖気がかけぬけ、少女は哀れな悲鳴をあげた。アンリは慌ててマナの元に駆け寄り、その器官を下から掬い上げるようにして叩き切り、返す刃で斧を取り込もうとしている箇所へも刃を落とした。輝石の数が六つとなっているアンリの【打ち壊すもの】はその威力を遺憾なく発揮し、斧を覆う触手にも大きな傷を付ける。
「お姉ちゃんっ!!」
姉の危機にミナも敵の側面から近づき、強烈な一撃を見舞う。それは胴体と思しき場所に命中して辺りに粘液を撒き散らし、ミナは嫌な手ごたえに眉をしかめた。
息の合った波状攻撃に簒奪者は激しくのけぞり、間合いを取ろうと後ずさる。
拘束が弱まったマナは斧ごと背後へと倒れこみ、しりもちをついた。その身体は粘液にまみれ、瞳は涙で潤んでいた。
「マナっ!! 大丈夫か!?」
「しっかりして!!」
駆け寄ってきた二人に対し、マナは放心状態でこくこくと頷く。ほっとする二人。しかしその安堵の表情もこちらに再度近づいてくる異形の姿を目にして瞬時に消え去った。かの魔物は先ほどつけたはずの傷跡などどこにもなく、ゆらゆらと触手を揺らしてゆっくりこちらへと這い寄ってくるのだ。
「もう嫌……」
マナが呟いた言葉に思わず心の中で同意するアンリとミナ。それは初めて【飽食の不定形】と戦った者達誰しもが抱く感想であった。