第101話『二体の簒奪者』
突発的に始まってしまった【尾長竜】との戦い。サイファは固い地面を駆けながら背後を振り向き、【飽食の不定形】が自分を追ってきていないことを確認するとあからさまに安堵の吐息を漏らした。遅れて状況を確認する。
【飽食の不定形】はマナとミナの姉妹をターゲットにしたのかずりずりと這い寄っている。双子、特にマナの方は悲鳴をあげながら逃げ惑っていた。
開戦の狼煙を上げた本人である【尾長竜】は首を巡らせ、翼をはためかせるとわずかに浮き上がり、体を水平に倒すと一人の人間に向かって飛翔した。簒奪者のターゲットとなったのはエレン。しかし彼女はぎりぎりまで引き付けると、持ち前の敏捷性で突貫してきた巨体の真下を転がって回避する。
的を失った身体は盛大な音を立てながら二本の足で壁際の地面へと着地した。振動で細かな土がパラパラと落ちてくる。
「くらえっ!!」
そこに駆け寄ったアンリが雄雄しい声を上げながら両手剣を振りかぶる。狙いは背中だ。しかし、【尾長竜】の背には骨が発達したのか牙のような突起が縦に並んでおり、アンリの剣はそれの一つに弾かれ、勢いを殺されてしまった。刃は鱗に包まれた胴体を掠めたものの、敵は蜂の一刺しほどの痛みも感じていないだろう。
サイファは意識を集中し、手の中にいくつかのカードを呼び出した。その中の一枚と、ばらばらになってしまった仲間達との間で視線を動かす。
そのカードに込められている魔術は【氷強化】といい、武器を氷の魔術で覆い、強化する力がある。
当初の予定ではこのカードとミナが用いる【氷結の鎧】で戦闘を有利に運ぶつもりだったのだが、飽食の不定形の乱入により目論見が崩れてしまったのだ。いずれの魔術にも効果を及ぼせる時間に限りがある。この状況でこのカードを使ってもあまり意味はなさそうだが……。
「サイファ!! 危ない!!」
「え?」
サイファが己のカードを手に思考に費やした時間はわずかだった。しかし、その間に戦局は大きく動いていた。前傾姿勢になった【尾長竜】が二本の脚で地を走り、長い尻尾を引きずりながら彼女に向かって突進してきていたのだ。
「くっ!?」
右か左に回避しようとしたサイファであったが、最早巨大な竜は間近に迫って来ていた。それにサイファは鎧のせいもあってそこまで動きは速くない。サイファは咄嗟に判断を下すと腰を落として片手鎚と長方形の盾を構えた。やがて、右手の武器が光を帯びだす。武術を繰り出すつもりなのだ。
「いやそれは無茶だよサイファ!!」
アンリの悲鳴が洞窟内に木霊した。叫びながらサイファの元に駆け寄ろうとしていた彼は突然身体を掴まれ、倒れこんだ。苦悶の声を上げながら首を動かしたアンリの目に映ったのは、いつの間に近くにいたのか、歓喜で全身を震えさせる半透明の物体。脇から繰り出されたそれの触手がアンリの足を捉えたのだ。
アンリの言葉が聞こえていたサイファは不敵に口元をゆがませた。とはいえその表情は兜に覆われ、誰にも見えない。もう避けられない距離にまで近づいている【尾長竜】にも。
「任せろ!! ワタシはワタシの鎧を信じる!! うおおおおおおお!! 【頭骨砕き】!!」
雄たけびを上げながらサイファは右手に持つ片手鎚を繰り出した。四角の錘を持つ愛用の武器――【正六面体の鎚】を【尾長竜】の頭目掛けて振り下ろす。夜空の流星のように光を纏って薄暗い洞窟内を走ったそれは、狙い過たず竜の頭部へと命中した。
鈍い音が響き、一瞬竜の頭が傾いだ。彼女の放った武術はその名の通り下位の簒奪者程度なら一撃でその頭骨を砕くほどの威力を持つ。
しかし、それはあくまで下位の簒奪者の場合だ。そして【尾長竜】は上位の簒奪者であった。
「ぐほおおおおおおおおおおおっ!?」
視界がぶれた【尾長竜】はわずかに突進の軌道を逸らされたものの、勢いはほぼそのままに鎧の塊へとぶち当たった。体勢の崩れていたサイファはまともにそれを食らい、激しく吹き飛ばされてごろごろと転がった。
「サ、サイファッ!?」
駆けつけてきていたエレンが慌ててサイファの側にしゃがみ込む。幸い、【尾長竜】はあの一撃が効いていたのか、突進の後に膝をついてもたついていた。
「くっ……大丈夫だ……」
仰向けになったサイファは呻きながらも首を動かし、エレンの姿を認めると腕を彼女の方へと差し出した。エレンは篭手に包まれた手を引っ張り、金属の塊が身を起こせるよう手助けをする。
立ち上がったサイファの鎧は一部がへこんでいたものの、主だった損傷は見当たらない。エレンは信じられないものを見るかのような瞳でその鎧を見つめた。
「なんということだ……まだまだ防御力が足りないということか」
「いや十分でしょ!? むしろなんで無事なの!?」
エレンの評価を余所にサイファは先ほどの結果に不満のようであった。実際、見た目とは裏腹にサイファが受けた衝撃はすさまじいものであり、今の言葉も一種の強がりであった。立ち上がった彼女の足はまだふらついている。
しかし限られた回復手段に手を付けるほどの傷は負っていない。サイファはそう判断すると再び武器と盾とを構えた。
「でやああーーーーっ!!」
少し離れた場所でマナの勇ましい声が発せられ、エレンとサイファの二人はそちらを見やる。少女の巨大な斧が【飽食の不定形】の触手を断ち切り、アンリを不気味なモンスターの魔手から救い出していた。
しかし、狙い通り仲間を救い出す一撃を放てたはずのマナの顔は冴えない。自慢の斧に薄気味の悪い体液が付着したからだ。少女の目の前では触手を断たれた物体が身体を震わせ、ごぼごぼと不快な音を立てながら蠢いている。立ち上がったアンリ、一歩離れた所で両手鎚を構えるミナもその異形を前に顔を引きつらせていた。
「……あっちは彼らに任せましょう」
「……そうだな」
なぜか清々しい表情で二人は顔を【尾長竜】の方へと向けなおした。