プロローグ(2)
バイクが走り出すと、誠はちょっとした驚きとともに、ひとつ疑問に思っていたことが解決して妙な安堵を覚えた。
走り出したバイクは一切、耳障りなエンジン音を立てず、すこぶる静かに広い学園内を進んでゆく。
「静かなもんでしょ。見た目はただのバイクだけど、ここの校内を走るためにわざわざ専用で作ってもらった電動バイクだよ。ガソリンタンクに見える部分にはリチウムイオンバッテリーが積んであってね……」
走行中、バイクの講釈を続ける鉄子だったが、すでに疑問自体は解決した誠は完全に彼女の話を無視し、まったく別のことを思考していた。
すなわち、
自分は一体、何の目的でこの学園の誰に見出され、誘われるに至ったのか。
個人的考えからして、自分に何か他の人間とは違う特別な部分がそうあるとは思えなかった。
ただ、あくまで自身を客観視した感想なので、もしかすると気づかない特異性が自分にはあるのかもしれない。
そこについては自分をこんなところに呼び込んだ人物に直接聞くしか方法は無いだろう。
徒歩の疲れと、見知らぬ土地をひとりで歩く緊張から解放されたせいか、いやに眠い。
「……で、ここは見た通り、だだっ広い学校だからさ。下手をすると、慣れていても迷子だ。くれぐれも出かけるときは誰かに一声かけてからにしなよ」
「え……あ、はい、分かりました」
軽く意識が飛びかかっていたところへいきなり返事を求められたので、ひとまず反射的に答えはしたが、その内容をうすらぼんやりと聞いていた脳みその中から探し出す作業はひどく手間を喰った。
結果的に後付けで理解したが、確かに鉄子の言う通り、この学園の巨大さを思うと、いい歳をして、しかも校内で迷子という事態も十分に有り得ると感じる。
バイクの速度は体感的におよそ三十キロほど出ているように感じたが、それでも見える風景は一向に変わる様子が無い。
森とは言い過ぎとしても、林ほどはある木立と、深い植込み。
ベンチと噴水の配された広場。
似通った造りの大きな建物。
その繰り返し。
郊外のマンモス団地などは恐らくこうした感じに近いのだろうかと少し思ったが、比べるべきものが見つかったところで何がどうなるわけで無し。
ふとバイクの速度が生む心地好い風に髪をなぶられながら、左手の時計に目をやる。
10時37分。
なるほど、どこを見渡しても人っ子ひとり見当たらないはずだ。
これならまず間違い無く、迷子になるのも苦労しないだろう。
詰まる所、登校時や昼休み、終業時以外に出歩れば、道を聞く相手も見つけられずにアウト。
そういうこと。
そう考えると、まだ先ほどまで歩いていた見知らぬ道の緊張から完全には解放されていないのだということに気づき、眠気すら催させていたはずの弛緩した神経が再度、張り詰めてくるのを感じる。
そして、
そんなえらくどうでもいい緊張と弛緩の繰り返しを自分の背後でおこなっていたことなど知るはずの無い鉄子が、またもやにわに声をかけてきた。
「はいよ、お待ちどうさん。そら、そろそろ目的地が見えてきたよ」
言われ、背後から顔を出して正面へと目を向けた誠は、一瞬、感心の声を上げそうになった。
見えてきたのは、道脇の左右から挟み込むように植え込まれた木立にさえぎられていたためによく見えなかった目の前の建物。
一言で表現するなら、そう、
(ベルサイユ宮殿のよう)だった。
ただし、
誠は写真ですらまともにベルサイユ宮を目にしたことなど無かったが……。
まあ、(想像上の)という注意書きを加えたうえでのそれである。
二階建てと思しき白亜の宮殿が左右へすらりと伸びきって、はて、自分は一体、今どこの国にいるのだろうかと困惑さえしそうになる。
「この建物がここの本校舎だよ。そしてここには学園長室がある。から当然、学園長もそこにいる。長旅でお疲れだろうと同情はするけど、こっから先はいきなりの二者択一だ。せいぜい今から気を張っておきな」
「……えっ?」
鉄子の言ったことの意味が理解出来ず、誠は頭に浮かんだクエスチョンマークを、言葉にして直接に発する。
すると短い説明が加えられた。
「学園長から出される問題への解答次第じゃあ、わざわざこんなとこまで来たってのに、いきなりさようならってことにもなるって言ってんのよ」
「な、なんですかそれ!」
ベタに(聞いてないよ!)と口から出そうになるのをぐっと堪えて誠がさらに問う。
しかし、
得られた答えは、なんとも素っ気ないものだった。
「簡単に言えばそれがこの学園への入学試験みたいなもんさ。つまりおたくが学園長、もしくはこの学園に必要な人間かどうかをテストされる。合格すればおたくはめでたく今日からここの生徒だ。が、万一……いや、分母はもっと小さいだろうけど、おたくが学園長の思っているよりも出来ない子だって分かったらその時点で用済み。さよなら、さよなら、さよなら。と、そういうわけさね」
「そ、そんなのって……」
またしても喉まで出かかった(聞いてないよ!)を飲み込み、当惑した表情を浮かべている誠を完全に無視するように、鉄子はふいと前に向き直ると、バイクの速度を上げ、眼前の建造物へと直進してゆく。