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ダンスマカーブル

作者: 砂鳥 みすず

 男だろうが女だろうが、美人であろうが不細工であろうが、

 若者だろうが年寄りだろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、

 疫病で身近な人がバタバタと死んでいく姿を見た、中世ヨーロッパの民衆たちは悟った。


『死んだら皮が剥がれ、みんな骸骨がいこつになる。』


  ・・・


 僕は手にしていたキリスト教の宗教画集を閉じた。


 骸骨と生きた人間が踊り狂う一枚の絵の横に添えられた説明文に一理あるなと苦笑しながら、本棚に戻した。


  ・・・


 アスカとの出会いは、僕が大学三回生の頃だった。


 僕はゼミで出された課題の調べ物をするために、ネットサーフィンをしていた。めぼしい資料の情報を集め終え、一息をつきがてら日課でみている掲示板に目を通したときだった。


 そこは数人の有志による詩の投稿サイトである。見かけないハンドルネームで投稿された作品に、僕は、いや僕の魂というべきか、並々ならない反応をした。その日からアスカの詩は毎日投稿されるようになった。


 そして彼女の詩を読むたびに、僕の世界は広がっていくのであった。僕の心は虜にされていた。日に何度も、彼女の詩が更新していないかどうか確かめるぐらい。


 いつの日か、見ているだけでは飽きたらず、彼女の影響を受けた僕も詩を作るようになった。彼女の詩が投稿されれば、その詩の続きだったり、ときには返事のような詩を投稿するようになった。


 掲示板は、いつのまにか彼女と僕の詩で埋め尽くされていた。


 お互い見知らぬもの同士ではあるが、心と心でつながりを感じていた。僕はそれ以上も以下も望んではいなかった。物理的コンタクトをとることで、二人の創作に泥を塗るようなことをしたくなかったからだ。


 暗黙の了解とでもいうのか、おそらく彼女も僕と同じ気持ちであることをその詩でもって表現していた。


 そんな日々が永遠に続くと思っていた。


  ・・・

 

 季節が一巡りする頃、彼女の更新の勢いに陰りが見え出した。


 はじめは一日置き、それが二日、三日とひらき、一週間、一ヶ月と、、、季節がもう一巡するころには完全に途絶えてしまった。


 僕も学生から社会人へと肩書きも変わり、毎日掲示板は見るものの、張りあいがなくなり投稿するのが億劫になってきた。それでも心の片隅に、彼女の詩が再び投稿されることを望んでいた。


 仕事の合間だった。いつものように携帯でサイトを見てみると、四ヶ月ぶりにアスカのIDと思われる書き込みを見つた。僕は天にも昇る気持ちとはこのことなんだなと思うくらいの興奮を覚えた。


 震える指でアスカの書き込み画面を開くと、そこには待ち望んでいた詩ではなく僕にむけてのメッセージが載せられていた。


 『お伝えしたいことがあるので、メッセージを下さい』と、フリーのアドレスを添えてたった一行書かれていた。


 僕は腹立たしい気持ちになった。新しい詩を待ち望んでいたためと、二人の関係をリアルにするのを避けていたのに、今更どうなのかという苛立ちが支配した。しばらく諦観を決め、書き込みに気づかないふりを決め込んだ。


 だけど先にねをあげたのは僕だった。どうしても我慢できずに彼女にメールを送った。僕もフリーのアドレスを収得した。


 『書き込みを見ました。しばらく更新が途絶えていたので心配でした。どうしたのですか? シンジ』


 シンジというのは、僕のハンドルネームだ。本名がまことであることと、アスカにちなんで例のアニメからシンジにしたのだ。そっけない文面かなと思いつつも、思い切って送信ボタンを押した。


 彼女からの返事は、もう詩ができない主旨だった。そして何より驚いたことは、てっきり同世代だと思っていたのだが、彼女は40代の主婦であることも告げられていた。


 謎に包まれたベールを無理やり剥がされた僕のショックは、はかりしれなかった。


 正直、彼女との擬似恋愛を楽しんでいた内容の詩も多かった。その相手がアラフォー女性で、しかも主人がいる身だとは。恥ずかしさや、怒りを通りこして、無気力になってしまった。


 僕の大事な青春が、こんな形で破られるなんて。もう考えられない結末だ。


 ただココロだけの関係。物理的接触がないせいか、事実を現実としてどうも受け止められず、それまで紡いだ詩を何度も何度も読み返しては涙があふれた。日常生活にもきしょうをきたす勢いだった。僕は彼女の幻想から解放されるため、僕は覚悟を決めた。


 それは、彼女に実際に会い、幻滅させてもらうことだ。


 僕は再び彼女のフリーのアドレスにメールを送った。今度は携帯からのアドレスで。

そして、僕は自分の身分と連絡先を明かし、彼女への気持ちを素直に綴った。そして、貴女を忘れるために、会いたいと告げだ。


 その後、彼女から携帯に電話がかかってきた。その声は、落ち着いた女性のものだった。自分とは二十も離れた存在だったことを痛感させられた。


 電話で彼女の住所を教えてもらい、僕は次の週末会う約束をした。彼女の住まいは、栃木県だった。僕は夜行バスに乗り、彼女の街へ向かった。宇都宮駅でバスを降りると、駅前のレンタカー屋で車を借り、ナビに彼女の住所を入力した。


 疲れよりも、もうすぐ彼女に会えるというドキドキの方が強かった。一時間ほど走らせてようやく彼女の家に辿りついた。閑静な住宅地にある、こじんまりした一軒家だった。


 携帯で彼女を呼びだすと、玄関から上品な女性が現れた。アスカだ。


「はじめまして、というべきでしょうか。なんだか変な感じですね。遠路をよくおいでくださいました。どうぞお上がりください。」


 電話越しではない、リアルな彼女を目の当たりして、僕はうまく返事できずに立ちすくんでいた。


「さ、どうぞ」


 僕は言われるまま家の中に上がらせてもらった。通されたのは和室とつながったリビングだ。


「あの、突然来てしまって、というか無理に会いに来てしまって本当に申し訳ないです。でもどうしても貴女にあって、気持ちの整理をしたかったのです。」


 僕はお茶をだされ、ようやく挨拶を口にすることができた。すると彼女は、優しく微笑んで目頭に涙をためていた。そして、俯きながらそのように想われていてアスカは幸せですとつぶやいた。


「えっと、どういうことでしょうか」

僕は彼女の発言に、頭が真っ白になった。目の前の女性がアスカだとう思っていたのだが。


「あの、混乱させてしまってごめんなさい。実は、アスカというのは私の双子の姉の名前なのです。二十歳で亡くなりました。ちょうど実家の母が亡くなり、家を処分したときに生前アスカが詩を綴っていたノートが出てきたのです。」


 そう言って、彼女は和室の仏壇の前に僕を案内した。先祖代々の写真の一番端に白黒のあどけない少女の写真が飾られていた。僕はその子がアスカだと直感した。


「アスカは、十四歳のときに肺の病気を患い、医師から二十歳まで生きられるか保証できないと宣告を受けたの。それまで私と同じように片親でしたけど何不自由なく健康にすごしていたのに、突然あの子の前に死という壁が立ちふさがったわ。あの子のノートには、それを受け止めようとした葛藤のあかしだったわ。」


 たしかに、彼女が紡ぐ詩はいつもはかなげだった。僕が、いやあのサイトに来ていた他の閲覧者たちの心に強く響くものだった。


「アスカのノートを見つけ何度も読み返しているうちに、あの子が生きかえってきてくれたように思えたの。それでネットで投稿してみたら、シンジくんをはじめいろんな人が反応してくれて、本当にアスカが生きている心地がしたの。私たちは一卵性の双子だったから、DNAは同じでしょ。私の体を通してあの子の魂が蘇って、貴方たちと交流を楽しんでいるかのようだったわ。」


 僕は、夢うつつのまま差し出されたノートに手をのばした。中には、几帳面な字でぎっしりと詩がかかれていた。暗唱できるくらい読み込んだ詩だったから、僕はどれも見覚えがあるものだった。ところどころ何度も書きなおした跡があったり、弱弱しい筆跡のページもあった。


 最後のページが、アスカが投稿した最後の詩と同じものだった。


「僕の中で、確かにアスカは生きています。」


 僕はそれだけ言うので必死だった。涙と嗚咽がとまらなかった。


 京都と栃木。遠かったけれど、来てよかった。

 

 平成と昭和。もうこの世にはいない存在だけど、僕は彼女に出会い一方的だったけれど恋をしたという事実はちゃんとある。


 帰り際、アスカのノートを渡された。大事な形見なのに、どうしても僕に持っておいて欲しいと強く望まれた。


 車に戻り、レンターカーを走らせた。


 この街で彼女は生まれ、育ち、死んでいったのだな。


 僕は、窓にはしる風景を胸に刻んだ。

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