9 コーヒー
今、あたしは薫くんの家にお邪魔している。
目の前にはドーナッツとうすーく淹れたコーヒーの湯気。そして薫くんママ。
「これ、懐かしいでしょ?」
差し出された写真の中の二人。
しかも、キスしてる・・・・・・。別に、三歳の頃のキスなんて、どうってことない・・・は、ない。恥ずかしい。
「この頃、二人とも 大きくなったら結婚するんだ なんて意味もわからずいってたのよね。」
薫くんママの楽しそうな思い出話。アルバムから出される写真。ビニールプールで遊んでいるのや、ケンカのあとなのか髪も顔もぐちゃぐちゃで涙のあともくっきりとにらみあっているもの、ヨーイドンで走っているもの・・・。とうもろこしにかぶりつく二人。懐かしいけど気恥ずかしい。照れを隠そうとお土産のドーナッツにかじりつく。
今日、火曜日、恒例の部活の日。
中部先輩に文句を言おうじゃなかった、きちんと話そうと思っていたのに、今日に限ってお休みって・・・。先生がいうには季節はずれの風邪らしいけど。わざとじゃないよね。あたし一人、たなかくんと佐東くんの好奇の目にさらされて・・・・・・。たなかくん、ほんとうにあたしのことどうでもいいんだな。そう思うと気持ちがしぼんだ。部活の間ほとんど口をきかないあたしを心配して、レイが寄り道を提案してくれたけど、ふたりで行くわけにもいかないし。ユキちゃんに話す?気を使う?元気もない。ごめんユキちゃん。で、気づいたらドーナッツ屋の前に着いてた。色とりどりのドーナッツ5個を買って家に帰る途中、薫くんからのメール。
先生から頼まれた。今日、話せる?
これだけの文面。嫌な予感。
ドーナッツでやけ食いする予定。あしたじゃダメ?
そう送信したのに、家の前でつかまった。近所って、面倒だ。
「ミナちゃん、今帰り?」
目線はしっかりドーナッツの箱。そこへ運よく?薫くんママが買い物から帰ってきた。
「この前、薫がおじゃましたんだから今日はミナちゃん、寄ってらっしゃい。」
ママたちはお互い気を使う。あたしも頭が回らない。こんにちは、えへへと笑っているうちに二人に引っ張り込まれてしまった。
「これ、薫くん、ドーナッツ好きだよね?」
差し出すとうれしそうに薫くんママが受け取ってコーヒー、淹れてくれて・・・今に至る。
ドーナッツ2個を食べ終えて、薫くんからの死刑宣告。
「部屋で話そう。」
逃げられない。先生に、なに頼まれたんだろう。
コーヒーを口に運ぶと、その香りとは裏腹に苦味が占領した。
あたしは、お休みした次の日、佐竹先生に呼び出された。
「中部と付き合ってるの?」
おもむろに聞かれて硬直したけど、ちゃんと否定した。
「じゃあ、キスしてたってはなしもデマかしら?」
「それは・・・。」
いいよどんでいるうちにどんどん否定しずらくなる。
「付き合ってはいない。でも、キスは否定しないのね。」
「・・・してはいません。」
「してはいない・・・された、なら認めるのね。」
声にならずに頷いた。
はぁーっと、大きなため息をついた後、先生は頭を抱えた。
「田中さん、ちゃんと話しましょう。これ、付き合ってる、なら問題ないかなくらい。
キスしてた、も注意喚起でいいわ。された、ではまずいわ。」
あの日、唯一の目撃者であるたなかくんから、ことの真相を聞いた先生は口止めをしたらしい。
「あのこね、うん、子でいいわ。田中のことよ。楽しそうなのよ。面白がってるの。人のうわさって楽しいわよね。でも、これ、気をつけないとあっという間に広まる。そして尾ひれ、つくわ。相手が中部なら絶対よ。きちんと口止めしないとね。でも、まあ、ちょっとしたチャンスかなっとも思ったの。だからほんとうならあなたと中部の二人に学校ではダメよ、と注意して、それでいいかなって思ったのよ。で、先に中部に聞いたの。そしたら、あなたと同じ返事だったわ。
付き合ってはいない。でも、キスはした。田中さんの気持ちはまだわからない。たぶん田中のことが好きなはずだ。
これじゃダメよね。だから今度はあなたに確認したかったの。あなた中部のこと好きかしら?そうであって欲しいわよ。」
困ったようにうっすらと笑いを浮かべて探るようにみられて困惑する。先生を困らせてしまってる自分に困る。でも、チャンスってなに?
「あの、好きじゃありません。」
「そうよね。」
先生は更に頭を抱えた。
「先生、あたし、中部先輩にちゃんと文句言おうと思うんです。だって、あれ、怒っていいですよね?」
語気を荒げて更に、中部先輩のうわさのことも話した。
最後まではなし終わって ひどいでしょ? と同意を求めたのに先生は黙っている。ひじを付いて、自分に納得するように二度、三度、軽く頷いた後、まっすぐあたしに向き直った。
「まず、怒る、ね。いいわ。悪くない。あたし、あなたのこと気に入ったわよ。でも、うわさをそのまま信じるってどうかしら?私も、そのうわさなら、聞いたことあるわよ。」
「じゃあ、ほんとうなんですよね?」
「違うわね。私は中部、本人に確認したわ。」
そういって笑顔であたしの目を覗き込む。まるで あなたはどうする? って聞かれてるみたいに。
「あたしは・・・確認したくない。」
「どうして?」
「・・・・・・悪い人のほうが怒りやすい、から。」
先生はほんの少し目を見開いてから微笑んだ。
「面白いわ。正直ね。でも・・・。いいわ、私が話そう。」
「さっき、あたし、チャンスかなって思った話したわよね?
中部のそのうわさ、消せるいいチャンスだって思ったの。
あなたと付き合ってるっていううわさならいいかなって。
あなたの聞いたほうのうわさ、それね、根も葉もないうわさってやつなのよ。
相手の女の子ね、中部に相談したかったらしいの。
もちろん付き合ってなんかなかったって本人言ってたわよ。
相談というかたちで中部と頻繁に連絡取ってたから、父親が相手の男を中部と勘違いしたらしくて。家に乗り込んできたんだって。まあ、勘違いされて自分の親にも信じてもらえないくらいあの子、悪かったのよ。そこはあの子の責任ね。で、更に悪いことにその頃、中部の両親不仲で、けっきょく離婚したの。今、祖父方の家に住んでるのよ。まあね、誤解はすぐに解けたんだけど、親のごたごたが片付くまで一月くらい休んで。で、そのままうわさを訂正するの忘れちゃったのよね。そのうわさ、出たのは去年の春よ。でも、あなたも知ってるようにそういうのなかなか消えないのよね。」
「じゃあ、高校卒業したら挨拶に来いっていうのは、あれもうそ?」
「ああ、違うわね。相手の親ね、頭下げに来たらしいわよ。何回も。勘違いして悪かったって。頼むから高校を卒業してくれって。自分たちの勘違いで一生を棒に振らないで欲しいって。おじいさん、快諾したらしいわ。それもあって一緒に住んでるのよね。中部、高校卒業させないとね。」
「先輩、学校辞めそうだったんだ。でも、なんで?」
「そうねえ。たぶん嫌になっちゃったんじゃないかしら。でもね、相手の親も偉いわ。うわさなんかに負けないできちんと卒業ね。」
意味が良くわからない。自分のせいでうわさが流れて、そのせいで先輩が学校を辞めそうだった。それをとめた。それってえらいの?
「そのうちわかるわ。」
そう言って佐竹先生は微笑んだんだ。
「迷惑なんだ。」
えっ。固まった。
薫くんの部屋に通されて腰を落ちつけるより前に、薫くんの口から出た言葉。
「中部先輩と付き合うように説得して」佐竹先生に頼まれたことってきっとこれだと思ってた。
「あのさ、先生にも聞かれたよ。ミナちゃんと付き合ってる?それとも一方的に好き?って。
もうね、どうにかしてくれる?」
迷惑だったんだ。気にしてないと思ってた。でも、まあ、そうだよね。
「あたしね、考えてたんだけど、たなかくんに告白してみようと思う。」
意を決して伝えたのに、薫くんは黙ったまま。しばらく考え込んで、更に時間が過ぎて、
ガラス扉の中にしまわれたヒーローたちのフィギュアの名前を全部思い出しきった頃、ようやく意識がこっちに戻ってきた。
「わかった。でもその前に中部先輩の方はどうするの?」
忘れそうだった。危なかった。
「きちんと文句言う。」
薫くんの大きなため息の意味はよくわからなかった。