1 声
もうすぐ夏。
うだるような暑さが一足先に体を包む。梅雨のあいまのジメジメさが不快指数記録を更新しようとしている。
ジュースでも飲もうと休み時間に中庭にある自販機まで買いに来た。ああ、紫陽花がきれいだ。
やっぱりこんな日は、炭酸はじけるすっきりさわやかレモンスカッシュを、腰に手をあて、ぐびぐび飲んでぷっはーといきたい。
片手にレモンスカッシュ、ゆれるポニーテール。うん、恋の準備は完璧だ。
「たなかー」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには先にお返事するだれか。
「なんだよ。おまえも買いにきたの。」
低い声?いや、かすれ気味のハスキーボイス・・・の中にある楽しそうな高い声???。
名前を呼んだと思われる背の低い男子。呼ばれたと思われる背の高いやせ気味のきみ。
片手にやっぱりレモンスカッシュもってる。
たった今、自動販売機の取り出し口から出したばかり。
・・・・・・たなか・・くん。たった今、あたし、恋に落ちちゃいました。
あたしの名前は田中みなみ。
読み方なんか聞かれない。ありふれた苗字。そのうえ平仮名なまえ。
いとしのきみも田中くん。偶然ですね。運命ですね。
結婚しても私の苗字は変わらない。戸惑うこともありません。新婚時代はほら、もうすぐそこ。
「みなみ、早く行かないと授業遅れるっ。」
妄想中のあたしの手をレイこと佐倉玲花がひっぱった。
そうだった、今は休み時間。ジュース買いにきたんだったけ。しかもレイ、はじめからいたよね?
「あたし、恋におちた。」
「はあ?とにかく歩く!」
あきれた表情で、こいつなにいってやがると言わんばかりのレイに腕をひっぱれら、歩きながら周りを見回すと、あたしを恋に落としたはずのキミ、たなかくんが見当たらない。そこに付随する彼の友人らしき人物も。
見失った?どこ?何年生?何組?部活は?彼女いるんですか?いたら即刻別れてください。次が控えてます。
レイがあたしをひっぱって歩きながら聞いてきた。
「で、恋に落ちたってなに?相手はだれ?っていうか・・・ほんとう?いつなのお???」
最初はかるーくイラッとしながら、途中からは絶叫はいってるし。
入学以来の親友で(知り合って二ヶ月)、あたしが高校での必修は恋愛だといっているのを知っているにもかかわらず察しがわるくないですか?
「ほんともほんとう!入学してから早二ヶ月が過ぎ、さすがに化石化しちゃうかとも思ってた今、ようやく恋におちたよ。やったね。レイだって聞いたでしょ。あのハスキーボイス。低いだけじゃない、かすれるような低音、その中にある、甘い、高い声。しかも、名前はたなか。一緒。好みも一緒。買ってたジュースもレモンスカッシュ。絶対、運命!!!」
あたしのテンションは上がりっぱなし。
教室に着いたと同時にチャイムがなってレモンスカッシュは飲めなかったけど、そんなことどうでもいい。
恋に落ちた記念にとって置こう。交際はじめの記念に飲むんだっ。
大嫌いな古文の授業もうきうきだ。頭の中はたなか君の声でいっぱい。
今日から夢にみた激甘スイートな高校生活のスタートだ。
1年5組。
あの、激甘ボイスの持ち主は3っ先のクラスの田中彼方くんと判明。上から読んでも下から読んでも新聞紙。親のセンス疑ったりなんかしませんよ。なんと同じ学年ではないですか。やった。これで高校での3年間もとい、のこり2年と10ヶ月あまり、青春謳歌できます。知りたい、知りたい、何でも知りたい。
そしてあたしのことも知って欲しい。名前とクラスはわかった。次はあたしの存在をアピールだ。
囲碁部に所属している情報をゲットして、早速テニス部をやめた。そりゃそうだ。テニスなんていつでもできる。でも、たなかくんと過ごす時間は作るしかない。せめてクラスが同じなら・・・・いや、それではあの運命的な中庭、自販機前のハッピーボイスとの出会いはない。これでいい。
あたしは囲碁部のドアをたたいた。