5:愚者の政治亡命
僕はカエデと「三年後にまた会おう」と約束していた。それは、僕らの世代がサイエンティア学院に入学する最初の学年のことだ。
表向きには、貴族が自分の子供をあそこへ通わせるのは別に難しいことじゃない。特にマティル公爵家ならなおさらだ。
だけど『愚者』のギフトの評判はあまりにも最悪すぎる。もしこの先の自分の人生を予想するとしたら―そんなことを考えながら、僕は屋敷の扉を開けて中へ入った。
最初に目に入ったのは、紫の髪をした背の高い男がマリアと話している姿だった。それだけじゃない。マリアの頬は赤く腫れていて、うっすら涙まで浮かんでいる。
「……ん? 帰ったのか、ベラミ」
「……父上」
僕の父、【エドワード・フォル・マティル】。現マティル家当主だ。
「ずいぶん遅かったな。何をしていた? ……いや、それより先に報告すべき大事な話があるんじゃないのか?」
「……」
僕は涙ぐむマリアを横目で見る。
「それより……父上、マリアに何をしたんですか」
「少し注意してやっただけだ」
「……」
少し? 平手打ちしておいて!?
怒りなのか何なのか分からないまま、僕は父の胸ぐらを掴み上げた。身長差も体格差も気にせず、そのまま声を荒げる。
「勝手にマリア―触るな!!」
マリアはずっと僕のそばにいたメイドだ。物心ついた頃から世話をしてくれて、話し相手になってくれて、色んなことを教えてくれて―実の両親よりも家族らしい存在だった。
そんな彼女が、あんなふうに尊厳を踏みにじられて、暴力まで受けるなんて……認められるわけがない。絶対に認めない。
僕の大切な人に、勝手に触るな。
「ふむ……怒りの感情も表に出せるようになったか。だが、自分の運命を決められる立場の人に対して、そんな軽率な態度を取る人間ではなかったはずだがな。記憶違いでなければ……ベラミ……少し変わったな。【愚者】のギフトを得たから?」
「くっ……!」
「どうした? もう言うことはないのか? 賢い子だったお前なら分かっているだろう。そのギフトを得た意味と、この先どうなるかくらいは」
父は僕の手を払いのけ、自分の襟を整え、細めた目でこちらを見る。
「マリアはこちらで引き取る。いいな、ベラミ」
「……」
頭では拒否したかった。でも何もできない。
次期当主だとか、子供ながらそれなりの権力を持っていた立場だとか―全部、【愚者】のギフトを得た瞬間に消え去ったんだ。
「はぁ……私も暇じゃない。こっちの件を片付けたら、すぐ別の場所へ行かねばならん。だから話は長引かせるな。さっさと終わらせよう―ベラミ、お前のこれからの人生についてだ」
父は、失敗作の僕に向けて冷たくそう言った。
はは……でも元からこういう人だったよな。昔からずっと。
「信じられんな。この私の時代に【愚者】のギフト保持者が生まれるとは…… まったく、運向いていない」
―くそったれ。
人生最悪の夜は、あっという間に過ぎていった。
そしてこれからの人生の結末も、父によってすべて書き決められてた。
そう、人生の結末だ。
今日から死ぬその日まで、僕がどんな立場で生きるか―もう全部、決められてしまったんだ。
@@@@
ガタンゴトン...ガタンゴトン……!
列車は王都を離れ、分岐路を抜けて人の少ない田舎方面へと走っていった。
今、列車はゆっくりとした速度で進んでいる……さっきまで話していた事情のせいで、僕はマリアと引き離され、現在は一族の田舎にある秘密の家へ送られている最中だ。
夜が明けると、僕は急かされるように列車へ乗せられた。
荷物も最低限だけ用意され、しかも一人きりだ。
どうやら父上は、僕を記者や有力者の目に触れさせたくないらしい。少なくとも、僕が利用されるような状況は避けたいということだろう。
それが親心なのか、それとも家の利益のためなのか―まあ、十中八九後者だと思うけど。
昔からそうだった。一にも二にも「一族」。あの人の頭の中には、名門たる家のために何をするか、それしかない。
とはいえ、正直僕はそこまで気にしていなかった。
そもそも彼は、僕が最初に思い描いていた人生の道を邪魔したことはない。むしろ、彼の望む道と僕の望む道はうまく平行に並んでいた、と言ったほうが正しいかもしれない。
まあいい。
得てきた権力や特権を思えば、この少し歪んだ価値観も別に憎むほどのものじゃない。
技術、知識、そして自分を成長させる環境―それらを得られたのも、この家に生まれたからだ。むしろ感謝すべきなのかもしれない。
それでも―
「……『運向いていない』か」
父の言葉がまだ頭の中でぐるぐる回っている。
「それを言いたいのはこっちだよ……クソ」
大きくため息をつきながら、僕は窓の外を眺めた。
どこまでも続く緑の草原。人影はほとんどない。
ぽつぽつと木々や小川が見えるその景色は、普段訓練室と図書室にこもってばかりの僕にはまず触れる機会のないものだった。せいぜい初心者向けモンスターとの模擬戦のために森へ入る程度だ。
もし次期当主の座を追われていなければ、これはきっと最高の休暇の風景だっただろう。
「……」
―まず状況を整理しよう。
第一に、僕は自分の一族、つまり実の両親によって【政治亡命】のような形で遠方の家へ送られている。これは予想通りだった。
マリアの従者資格が剥奪されたことも、家にいる二、三人の年配の使用人に世話されることも含めて。
最悪のケースじゃなかっただけ、まだマシだ。
てっきり一族から完全に追放されて、童話に出てくる【愚者のギフトを持つ王子】みたいに放り出されるのかと思っていた。
もしそうなっていたら、自分を鍛えるどころか、三年後にカエデと再会するなんてまず不可能だったはずだ。
とりあえず、事態は想定内で、最悪でもない。強いて言えば、一番嫌だったのはマリアに別れの挨拶すらさせてもらえなかったことか。
まあいい。もうすぐ目的地だ。
ギィィィ……と列車が停止し、特別車両の扉が開く。そこには、フード付きの外套で身元を隠した一族の人が立っていた。
「どうぞ」
「ああ」
僕は茶色のマントを羽織って顔を隠し、列車を降りた。
そこは人影のない小さな駅で、働いているのも二、三人ほどの中年の職員だけだった。
ちなみに、ここへ来るまで丸二日も魔導列車に揺られ、そのあとさらに一族が用意した馬車に乗り換える予定だ。到着まではおそらくあと十時間ほど。
本当に人里離れた隠れ場所ってわけだ。
一族の人に導かれて歩き、やがて停まっていたのは、昔使っていたものとは比べ物にならないほど安っぽい馬車だった。
駅にまともな停車スペースすらなく、地面もでこぼこしている。
駅を出る前に、僕は無料配布されていた最新の新聞を一部手に取り、馬車の中で読むことにした……。
……….
………….
僕は馬車の中で本を読んでいた。乗っているのは僕と、一族の御者が一人だけだ。
新聞を手に取ってみると、第一面にはつい最近知り合ったばかりの、やけに見慣れた顔の人物の写真が載っていた……さっきまで話題にしていたあいつだ。
『……三百年ぶりに勇者が出現 孤児の少年から現代の王子へと人生逆転』
「……チッ」
開いていきなりカエデの記事とか、ほんとイライラ。
『勇者の素顔に迫る シスターを熱心に手伝い、子どもたちを愛情深く世話』
……何をそんなに持ち上げてんだよ。あの野郎、実際は何もしてねえだろ。
熱心に手伝い? チャンスがあれば毎回サボるって言ってたやつが?ったく、記者ってやつはほんとこれだから。
生の情報を出して読者に判断させればいいのに、いちいち誘導する書き方ばっかりしやがる……くだらねえな。(※ちなみに少し前までのベラミは、自分を持ち上げてくれる記者に感謝していた)
第一面がカエデの記事だらけだったから次のページをめくると……ん?
『落ちた輝く星!? 失敗者の行方』
……
『ギフト鑑定に原因不明の失踪!家から追放されたとの噂も』
紙面の半分近くが僕の記事だった。……いや、それだけじゃない。
『元クラスメイトで親しかったアイリス王女が暴露した。【ベラミ・フォル・マティル】は不敬発言が多く、弱者を見下し、市民を数字としてしか見ていなかったという。発言を記録した日記が証拠として存在し、後日公開予定。専門家によれば内容次第ではマティル家が王家と問題になる可能性もあり、王女が望めば責任を問うことも可能』
あの女、ほんとにバラしやがったか……。
まあ大半は事実だけど、どう見ても脚色しすぎだろ。
『校内ランキング三位と四位の生徒も同時に証言。ベラミの精神的圧迫により実力を発揮できず、試合で不本意な結果になったと主張。不敬発言についても同様の見解で、責任追及を求める声』
あの三下ども、揃って僕を追い出す気満々だな……クッ。
『普段は一人でいることが多く、表面上は優しく接していたが、内心では自分たちを見下していたのではないかと感じていたという証言が複数。三名の証言とも一致。「この人物は本当に輝き星と呼ばれるに値するのか? 今回のギフトは過去の行いへの罰だ。覚えておけベラミ!!」―かつて侮辱されたと語る関係者のコメント(匿名)』
三下ども以外に何かした覚えはないけど……まあいいか。雑魚ってのはこんなもんだ。
僕はページをめくった。
一面はカエデの経歴と、でっちあげっぽい美談のまとめ。二面は僕のギフトの話と暴露記事の続報予告。
残り二ページは、他の有力者がどんなギフトを得たかの報告で特に荒れた様子はない。そして最終ページ中央には―
『神の子のギフトが同年に二人出現 さらに愚者のギフトも確認 今年は奇跡の年といえる』
……神の子が二人、同じ年に?
僕は続きを読み進めると、もう一人の【神の子】級のギフト保持者について書かれていた―それは【ギフト・大賢者】の持ち主らしい。
普通、神の子クラスのギフトが一人現れるだけでも一種の現象とされる。なぜなら各時代に基本一人しか存在せず、他のギフトのように重複して現れることがないからだ。
ざっくり計算すると、このクラスのギフトは数年に一度程度しか出現しない。
とんでもない出来事のはずなのに、多くの報道機関はそこまで大きく扱っていなかった。
理由の一つは【大賢者】のギフトが、神の子クラスの中では最も弱いと噂されているからだろう。
統計上、このギフトの保持者はあまり長生きしない傾向があり、前の保持者が亡くなるとほぼ間を置かず次の保持者が現れる。 直近の保持者も三十歳という若さで亡くなっていた。
他の神の子ギフトと違って、継承の間に数年の空白ができることも、世代丸ごと現れないこともほとんどないそうだ。
それより今、人々の関心を最も集めているのはやっぱり【勇者】のギフトだ。
五百年分の歴史記録を見ても、カエデを除けば確認されているのはたった二人。
そしてその全員が【時代の頂点】と評されている。
一人目は七人の神の子ギフト保持者を率いて魔王を討った英雄。
もう一人は百年戦争を終わらせ、多数の危険なモンスターを討伐して人類に繁栄をもたらした英雄だ。
さらに彼は【十の救済者】と呼ばれる組織の創設者でもある。
世界規模の災害級モンスターや脅威を討伐する英雄集団で、ほぼすべての国から自由行動を許されている。政治や人間同士の戦争には関与せず、純粋に災厄級の存在のみを討伐対象とする――と本には書かれていた。
神の子に次ぐ存在として、多くの国が頼りにしている頂点集団と言っていいだろう。
こうした歴史がある以上、勇者が現れれば時代が動くと人々が期待するのも当然だ。
しかも今回は【愚者】のギフトを得たのが、かつて最強の子と呼ばれていたこの僕だ。
もし【大賢者】の保持者が、僕みたいに目立ちたがりの人間だったら―
今ごろ相当イラついてるだろうな。
それにしても神の子が同じ年に二人。これはつまり―とんでもなく狂った時代の始まりってことだ。
僕は新聞を閉じ、大きくため息をついた。
「ほんと騒がしい年だよな……神の子が二人に、堕ちた輝く星の騒動まで。まあいいけど」
新聞を横に放り投げ、目を閉じる。
そしてあっという間に眠りに落ちた。
次に意識が戻ったのは―
「えっと、ベラミ様。到着しましたよ」
「ん……ああ」
目を覚ますと同時に馬車を降りる。荷物はすでに外へ運び出されていた。
降りて最初に目に入ったのは、森の中に建つ小さな二階建ての家だった。
その前には、質素な服を着た老夫婦がにこやかに立っている。
「……これからここが僕の住処ってわけか」
父の考えでは、この先一生ここで過ごすことになるらしい―だけど、そんな運命は認めない。
僕は夕暮れの空を見上げ、心の中で静かに誓った。




