2:運命の流れ③
この世界は理不尽ばかりだ。
僕はそう心の中で思いながら、カエデを見つめていた。心の中でも、言葉でも見下していた相手を。
自分より下だと思っていた「選ばれた者」を見つめるその目は……自分じゃ分からないけど、きっと悪役みたいな目だったんだろう。
憎しみとか、嫉妬とか、怒りとか。相手は何も悪くないのに。
「……クソ」
カエデは、何百年ぶりに現れた【勇者】の再来を祝う人々に囲まれていた。
【神の子】その中でも勇者は特別だ。過去においても神の子たちを率いる存在だったし、きっとこれからもそうなんだろう。
人々は、新しい勇者が現れたその瞬間から、勝手に夢を描き、未来を期待している。
風のままに生きる人間……カエデ。
……うん、案外勇者に向いてるのかもしれない。
僕は俯き、何百年ぶりの勇者の帰還に背を向けて、気落ちしたまま教会の門を出た。さっきまで僕を嘲笑していた連中も、もう全員勇者のほうに夢中だ。
自分を処刑するみたいなその門を抜けた瞬間、遠くから泣き声が聞こえた。
それはどんどん近づいてきて、顔を上げた瞬間、温かい抱擁に包まれた。
「うわああああああ、ベラミ様ぁ!!!!!」
専属メイドのマリアだった。
「……マリア。待たせてごめん。それと……期待に応えられなくて、ごめんなさい」
マリアは涙をぼろぼろ流しながら僕を抱きしめた。
「ベラミー様のせいじゃありません……っ、ううう……大丈夫です、大丈夫ですから!何の問題もありません!旦那様と奥様には、できる限り私が情報を隠します!」
「そんなの無理だよ」
自分の子供のギフトを調べない親なんていない。
それに、儀式の外にいた彼女ですら知ってるってことは、どれだけ大きなニュースかは想像がつく。
―【愚者】を得た人間がいるってこと。正直、これを引く確率って勇者と同じくらい低いらしい。
別の見方をすれば、今日一番「運がいい」のは僕だ―いや、最悪って意味で。そしてカエデは、最高に運がいい。
それだけの話だ。
……あいつ、何一つ努力してなかったくせに。
僕は世界大会級の大試合で優勝してるし、歴史に残る記録だっていくつも打ち立てた。たとえ普通の戦闘系のギフトでも、十分注目されるはずのスターだったのに。
なのに――本来僕のものだったはずのすべてが、カエデに奪われたみたいじゃないか。
こんなに誰かを妬んだのは初めてだ。少なくとも物心ついてからは、一度もない。これが……下にいる側の気持ちなのか。
これが……弱さなのか。
僕はマリアからそっと離れて言った。
「マリア」
「ひっく……は、はい……?」
「……悔しいです」
これから先、最弱だと決めつけられて生きていくなんて。これからの人生、弱者の立場で生きることになる。
冒険者にもなれない。自分のギルドを作ることもできない。伝説を残すことも、この世界に何かを刻むこともできない。残るのは恥と、甘かった過去だけだ。
まるで間違った歴史みたいに、失敗の見本として皆に避けられる存在になるんだろう。
それだけじゃない。もしかしたら父上や母上に見放されるかもしれない。期待を裏切ったわけだから。次期当主の席は僕のものになるはずだったのに。それを掴むために、あれだけ努力してきたのに……。
こんな最低なギフトのせいで、その座から外されるだろうし、後継者争いもまた激しくなるはずだ。どれだけ荒れるか、どんな影響が出るかは分からない。
ただ一つ分かるのは、その席に座るのはもう僕じゃないってことだ。
本家と分家の争い、外部の支援者たちの思惑……ああ、まだまだ色々あるだろうな。
これからの僕の立場は? 政治の操り人形か、それとも笑い話の道化か。
きっと、その全部だろう。
たった一日で、いろんなことが押し寄せてきて、全部が坂を転げ落ちていく。夢だけじゃない。人生そのものがそうだ。もう終わりだよ。完全に終わった。
どうして僕なんだよ。
こんなふざけたギフト、誰でもよかっただろ。どうして神様はカエデなんかに選べない。あいつ、自分のギフトが何も人生変わらないタイプだ。こんなの引いたって、どうせ気にもしてなかったはずなのに。
マリアがまた僕を抱きしめようとしたけど、僕は一歩下がって、自分の腕を掴んで拒んだ。
「大丈夫だよ」
「……ベラミ様」
「今日は……一人で屋敷まで歩いて帰ってもいいかな?」
「ですが、記者の方たちが……」
「平気だよ」
僕は人だかりに囲まれた教会を指した。
「マリアはまだ知らないかもしれないけど、【勇者】のギフトを持つ人が現れたんだ。三百年ぶりにね。だから今、皆の関心は……」
僕は少し息を止めてから言った。
「もう全部、【勇者様】に向いてるよ」
僕なんて、もう誰も気にしない。少なくとも今日はね。
これから先は、僕の話を面白おかしく記事にしたり、『栄光から転落へ』みたいな本を書かれたりするかもしれない。でもそれは今日じゃない。今は考えなくていい。
「少し気持ちを落ち着けたいんだ。お願いだよ、マリア」
「……分かりました。できるだけ早くお戻りくださいね。旦那様と奥様、すぐにこちらへ来ると思いますので」
なんて温かい言葉だろう。あの二人が優しく迎えてくれるはずないのに。
まあいい。僕は素直に微笑み返した。
「これ以上、がっかりさせないようにするよ」
「……はい、承知しました」
「じゃあ、また後で」
そう言って僕は歩き出した。
マリアは深く頭を下げて、それから馬車に乗り込んだ。
……
……僕が向かった先は屋敷へ帰る道とはまったく逆だった。
いくら[世話役]のギフトを持っているとはいえ、油断してたんだろうな。
今の僕がその気になれば、この失望から逃げるために「自殺」なんて良くないことだってできる。メイドとしては、それはきっと最悪の失敗だ。
もちろん考えただけで、本当にやるつもりはない。そんなことをしたら、僕を送り出したマリアが困るだけだし。適性どおりのギフトを得ていても失敗することはあるんだなって思っただけだ。
ギフトを得てまだ四年という経験の浅さもあるのかもしれない。世話役として、彼女はまだまだ成長できるはずだ。
若くて、家柄にも合ったギフトを持っていて、あれだけ優秀な人が、どうしてこの四年間ずっと僕の世話係だったのか。理由は単純―僕に大きな期待がかけられていたからだ。
だけど、その立場を失った僕は完全に無価値になった。
たぶん今日でマリアは僕の担当を外されて、別の人の世話をすることになる。そして僕は田舎の別邸に送られて、年老いたメイドや執事を数人だけ付けられて暮らすことになるんだろう。
家の評判を落とした件から、世間の目を避けるために。
つまり―これがマリアが僕を世話する最後の日になる。
寂しい話だけど、時が来たら別れは仕方ないよな。
僕は重い足取りで歩きながら、沈んだ気分で周りを見る。
……街は人でいっぱいだ。まあ普通の光景だけど、こんなに人の声がうるさいと感じたのは初めてだった。僕は耳をふさいで、そのまま歩き続ける。
目的地も、自分の意図も分からないまま歩いていたら、気づけば綺麗に装飾された噴水の前に立っていた。中央には、歴史上もっとも有名な英雄―【史上二人目の勇者】の像。
背の高い男が剣を天に掲げている。
いつか、この像もカエデのものに置き換わるのかもしれない。
正直、以前の僕は彼を、いずれ必ず追い越す存在だと思っていた。史上最強の男になる僕にとっては、ただ通過するだけの道だって。
でも今日、感じ方が変わった。
必ず超えられると思っていた道は、何百倍にも遠くなって、ゴールなんて見えない。いや……そもそも僕はスタートラインにすら立っていない。
これが普通の人の視点なんだろうな。舞台の上に立つ人たちを、ただ見上げるしかない側の。
「……僕も、自分が見下してた側と同じになったんだな。はは……せめて騎士のギフト、いや普通の兵士のギフトでもよかったのにさ」
僕は前のベンチに腰を下ろし、自分の足をぼんやり見つめる。
あと十分したら帰ろう―そう何度も思って先延ばしにしているうちに、いつの間にか辺りは暗くなり、噴水の魔法灯だけが光っていた。
「……あと五分……いや、十分がちょうどいいか……あと……」
そのとき、また走ってくる足音が聞こえた。だんだん近づいてくる。
たぶんマリアが探しに来たんだろう……もう現実から逃げる時間も終わりか。
そう思って顔を上げて振り返ったけど、現れた相手を見た瞬間、僕ははっきり落胆した。今いちばん会いたくない相手だったからだ。
万年二位のあいつでも、大切なメイド、他の誰でもない。現れたのは――
「はぁ、はぁ……ふぅ。鑑定が終わったら話の続きするって言っただろ……はぁ、続きって……」
「ずいぶん息切らして走ってきたんだな……」
僕は冷たい目でその来訪者を見る。茶色の髪、特徴的なメープル色の瞳を持つ少年――
「勇者様」




