7:スライム魔獣②
僕はスライムを投げたり受け取ったりしながら、できる限りいろんな動きを試してみた。でも結局は、いつもの練習と大差ない。特に新しい発見もなかった。
「はぁ……」
完全に行き詰まりだ。アイデアがまったく浮かばない。
スライムは、中に何もなければ簡単に貫通するほど透明になり、逆に何かが中にあると粘り気のある硬さになる。性質はその二つ、オンかオフかみたいなものだ。
今の使い方は、マナを込めて投げるだけ。剣と同じ要領だ。そうするとスライムは硬化して、込めたマナに応じた威力を生む。ただし限界はあって、最大でも木一本を折る程度の破壊力しか出せない。
単に投げて終わりじゃないのが救いだ。スライムはまた僕のところへ戻ってくるから、何度でも投げ直せる。
そう、伝説のミョルニルみたいな感じだ。
これはスライム特有の利点だろうな。知性がないから、戻ってくる挙動がブーメランみたいになるわけだ。
さて、森にこもってもう三時間か。暗くなる前に帰るとするか――
……そう思った矢先、目の前に人が立っていた。弱いモンスターしかいないはずの森でだ。
同年代くらいに見える少女。肩までの灰色の髪、黄色い瞳。その髪は色も質感もスライムに似ていて、服は顔以外ほとんど肌を隠している。それでも分かる。肌は灰色だ。
人の姿をしているのに、どこか異質。灰色の肌、黄色目―それは「魔獣」と呼ばれる存在の特徴だった。
僕は剣を抜き、構える。警戒が解けない。
「……どうして?」
一部のモンスターは進化して知性を持ち、人型に近い姿になる。そういう存在は総称して魔族と呼ばれ、元の種族より上位に位置づけられる。
例えばミノタウロスなら中級モンスターだが、魔獣化すれば上位種だ。
目の前の彼女はどう見てもスライム系だ。
つまり中級相当……僕でもなんとか対処できる可能性はある。
とはいえ、この手の評価はあくまで目安だ。実際は個体差が大きい。
魔獣は何百年も人類史とともに存在し、基本的には討伐対象だ。人間と同じく、際限なく強くなれるからだ。
「……人間」
落ち着いた声が、その魔獣の口から発せられた。
「……は?」
ちょっと待て。喋った? 魔獣って喋れるのか?
「スライムに、少しひどすぎない?」
僕は言葉を失った。
いや、魔獣が喋れないなんて話はなかったはずだけど……。
「しゃ、喋れるんですね」
「うん。魔獣だから人間の言葉を話せる。それにしても、人間のほうもちゃんと返事できるんだね。不思議だな」
「……」
「安心して。殺さないよ。人間がモンスターを狩るのは自然なこと。魔獣の私たちが、それに口出しする権利はないから」
魔獣が人間を殺さない?
歴史上、魔族は突然変異のモンスターとして各地で暴れ、人間を無差別に襲う存在だとされてきた。目的もなく、本能的に。
それともう一つ気になる。
どうして僕は、この魔獣の言葉を普通に理解できてるんだ?
「驚いたな。魔族と会話できる人間って、ギフト【勇者】持ちくらいだと思ってた。ねえ、君のギフトは何?」
「……【愚者】です」
「愚者……なるほど。ギフトの抵抗がないから、会話できるんだ」
少し嬉しそうに、「なるほど」を三回くらい繰り返していた。声もどこか弾んでいる。
……ということは、【状態異常の存在を認識できない】とか、【勘が働かない】とか、そうい【愚者】の性質のせいで魔獣と普通に話せてるってことか?
つまり、ギフトという存在自体が人間を魔獣との会話から守ってる……?
「でも珍しいね。愚者って、だいたい何もできないまま死ぬから」
まあ、そうだろうな。社会的に詰むケースが多そうだ。僕は家がまともで助かったけど。
「名前は? 愚者」
「……【ベラミ・フォル・マティル】です」
「ベラミ愚者」
……その呼び方、地味に刺さるな。
「ベラミ愚者、ひとつ忠告があるよ」
魔獣の少女は目を細め、地面に散らばったスライムの残骸を見つめた。
「我たちはスライムを起源に持つ存在だから。確かにスライム自体に感情はないけど、こうして見るとやっぱり胸が痛むんだ。でも、人間の生き方に口出しするのも違うと思う」
「すみません」
ほんの一瞬、自分がまるで殺人犯になったような気分になった。
「だから、スライムをあげるよ」
「え?」
そう言うと、魔獣は指を弾いた。すると三体のスライムが現れる。色はそれぞれ違っていた。
青、緑、そして赤。
「この三体は生命のないスライム。どう扱っても構わない。訓練用に使ってほしい。性質は普通のスライムと変わらないけど、生命がないから核がない。状態を変えたいときはマナで操作してくれ。だから、できればこれを訓練用に使ってほしい」
……いや、そんなあっさりくれるのかよ。ずいぶん気楽な魔獣だな。
「……試してみてもいいですか?」
「どうぞ」
魔獣は一歩下がって道を空けた。
僕は余計なことを考えないようにしてスライムを手に取り、いつも通りに扱ってみる。結果は同じだった。ただ、これは核のないスライムだ。正直、核がないのにスライムって呼べるのかは疑問だけど。
魔核のないスライムか……。
感覚としては、魔導士が防御用に作る魔法生物に近いのかもしれない。
そしてこいつらはマナを摂取しなくても存在し続けられるらしい。
……これは、新しい使い方が見つかるかもしれないな。
この魔獣と出会ったのも、僕のギフトのせいで普通より不運だったからだろうか。もしそうなら―むしろ幸運だった気がするけど。
僕は思わず笑った。
「ありがとうございます」
「問題ないよ」
「えっと……差し支えなければ、名前を聞いてもいいですか?」
「魔獣に名前はないよ。紛らわしいなら【スライム魔獣】とでも呼べばいい。我たちも人間をギフトの名前で呼ぶことみたいに」
「分かりました。本当にありがとうございます、スライム魔獣さん」
「うん。それと、持ち帰ったスライム二体は返してくれてもいいよ。いや、できれば返してほしい」
「はい。ご迷惑をおかけしてすみません。もうしません」
「それならいい。じゃあ……またね、愚者ベラミ」
そう言い残すと、スライム魔獣は森の奥へと消えていった。
僕は少し呆然としながらその背中を見送り、心の中で感謝する。
そして翌日、スライムを森へ返しに行った。
……ただし二体どころじゃない。三十体、四十体ほどだ。
実験に失敗して核が砕けるとスライムは死ぬ。消耗を考えると、ある程度ストックしておかないと困るんだ。死んだ分まで含めたら、もう百体近いかもしれない。
「……」
スライム魔獣さんは、増えたスライムの群れを無言で眺めていた。
それから僕の方をちらりと見る。
その表情からは、何を思っているのかまったく読み取れなかった。
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この世界には、まだ僕が知らないことがたくさんありそうだ。だからこそ、毎日もし二時間ほど空き時間ができたら、僕はこの前と同じ森に立ち寄ることにした。
そして――
「スライム魔獣さん、話があるんだ」
もっと知識を増やさないといけない。
自分のために、もっと―
そう声を上げて間もなく、スライム魔獣さんは木の上に姿を現した。無表情のまま、僕を見下ろしている。
「愚者ベラミ? 用事は何?」
「……ここにずっと住んでるんですか?」
「うん。ここで生まれたから。それで、何の用?」
「用事……そうですね。もしよければなんですが、僕と話し相手になってもらえませんか?」
スライム魔獣さんは不思議そうに首を傾げた。つられて僕も首を傾げる。
「僕、たぶん最低でも一年はこの辺りにいることになると思うんです。だから少し時間があって……昔みたいに学校に通ったり、貴族の政治活動をしたりする必要もないですから。今の僕、正直ほとんど暇人みたいなものなんですよ。だから思ったんです。普通の人間が話せない魔獣と雑談できたら面白そうだなって! いいですよね、そういうの!!」
僕は引きつった笑顔のまま、妙に明るい声を出した。けれど顔色はひどく悪かったらしく、スライム魔獣さんは大きくため息をつく。
「勇者だって我たちと話せるけど、わざわざ雑談しに来たりはしない。やっぱり【愚者】らしいって言うべきか?」
「うっ……」
僕は視線を逸らした。
「昨日ちょっと考えてみたんです。人間が魔獣を無条件に攻撃するのって、魔獣の存在を拒絶するギフトの影響なんじゃないかって。前にあなたが言ってましたよね。それに、勇者と愚者だけが会話できるってことは……これは僕の強みの一つなんじゃないかって思ったんです」
……
「僕は、誰よりも強くなりたい。そのためなら使えるものは全部使うつもりです。だから―スライム魔獣さん、あなたの知識を貸してほしい。教えてもらう形じゃなくてもいい。ただ、話し相手になってもらえませんか?」
そう言って、僕は深く頭を下げた。
こんなふうに誰かに頼み込むなんて、今まで一度もなかった。弱い自分が、力を求めて取った行動だ。
「分かった。でも、我は大した存在じゃないよ。ただのスライムの魔獣だ、魔獣の中でもかなり弱い方。愚者ベラミでも、もし【兵士】のギフトを持つ人と組めば、無傷で倒せるかもしれないくらい」
……めちゃくちゃ弱いな。となると、この魔獣はせいぜい中級モンスター程度ってところか。
「でも、求めてるのは強さそのものじゃないんだよね?」
「ええ」
「いいよ。話し相手くらいならなってあげる。ただし、話したくないことは話さない。自分が背負ってもいいと思うことだけ話すよ」
「それで十分です」
これは、僕にしかできないことだ。世界中の誰もできない―いや、一人だけ例外がいる。勇者であるカエデだ。でもあいつの性格を考えると、わざわざ魔獣と雑談しようとは思わないだろう。
つまり、魔獣と対話できること自体が、僕だけの最大のアドバンテージだ。
僕は拳を強く握りしめ、そのままスライムの魔獣の方へ歩み寄った。




